分かったことと分からないこと・・・。
このたびの原発事故で国民は原発の理解を深めたであろうと思う。非常に簡単な装置なのである。原子炉内で水蒸気を造りそれを利用してタービンを回して電力を造るのだ。その原理は蒸気機関車と同じである。だが、放射能が漏れ出したときの手だてはないに等しい事も分かった。これを安全と言うのは早計に過ぎないと思う、放射能の中和剤が出来ていて始めて安全かも知れないという事が出来ると思う。シーベルトとベクレルという基準が判然としないのだ。この言葉は流行語のことしナンバーワンになるかも知れない。
放射能に汚染された水を海洋に放出したことは東電、保安院、政府に取っての大きな失策であった。まるで海洋汚染テロである。国際的に厳しい裁断が下るであろう。いかほどの補償金を要求されても文句は言えないのである。国家はそれでも持つのかと思う。各国で日本製品の締め出しも見えてきている。確実に経済は畏縮してしまうのだ。厳しい状況が国民を襲う恐れがある。今までのようにのほほんとというわけには行かなくなるであろう。食物は市場から消え、製品も売れなくなってとたんの苦しみが産まれそうである。電力ばかりではない、あらゆる物が足らなくなる、売れなくなるだろうと言うことである。幾ら経済力を保つために消費をしろと号令をかけても国民は守備に入り買うことはしなくなるだろう。みんな日本のある時期を思い出してその窮乏にむかって動くであろう。文明に彩られていた生活が何であったのかと自らに問うであろう。理性ではなく本能で行動し出すであろう。
政府はそんな国民を導く的確な言葉、政策が出来るのであろうか。これからの日本のあり方をみんなに納得させることが出来るのであろうか。政府を信用していなかったら本能で動くのではないか。それが自己防衛なのだ、喩え間違っていてもこの期に理性的に考えて欲しいと言っても無理である。いかに理性が当てにならないかを思い知るであろう。
被災者の人たちは幾ら家を潰され肉親を亡くしていても生きる活力を持っている目を感じる。戦後がそうであったように生きる方途をそれなりに見つける物である。たとえ政府が無能であっても自らの力で生きる事であろう。人間はそんなに弱い物ではないのだ。自浄作用と同じで再生作用が働くからだ。それは人間の本能の一部なのである。たくましく立ち上がる力を持っていると言うことだ。過酷な自然の采配の前ではくじけても立ち直って行く物だ。が、人災に対しては逃げると言う本能が働くことは否めない。理性と本能のバランスが崩れるのだ。そうなったときには本能が優位に立つ物だ。東京からの脱出をした人は決して理性で逃れようとしたのではない。母や子を思う本能なのである。
今、枝野は双子の子どもを海外へ避難させたという事が誠しやかに語られている。
東電はオオカミカがでたオオカミが出たと言っていたがそれが嘘であると言うことが明らかになり始めている。つまり電力不足の停電のことである。計画停電をして原発がなくなったら停電という厳しい現実が起こるのですよと言う恐喝をしていたことなのだ。五千万キロという電力を維持できるという事を発表した。夏場には冷房の影響で範囲を過ぎるであろうが何とかなる数字なのだ。人間はあらゆる状況下の中で工夫をして生きるものなのだ。
原発事故からもうすぐで一ヶ月になろうとしているが改善の進展はなされたのであろうか。あらゆる手だてを昂じているが芳しくない。次から次へと難問が山積しているのが現状なのだ。関わっている作業員、消防、自衛隊、警官の方達には頭が下がる。が東電の姿勢には天災なのだから仕方がないという開き直りしか見えて来ないのだ。これは人災なのである。手だてを昂じていれば防げた物なのだという認識は全然にない。原子力委員の補強要請を無視し続けていた。保安院とはなあなあの仲で取り合わなかった。独占企業の傲慢な体質がそこにはあったのだ。メディアは莫大な広告主のマイナスになることは書かない。国民に情報を与えることを遮断しているのだ。海外のメディアの報道の方が正確なように思う。国民はそれに飛びついた。たとえば東京を逃げた人たちは外国の報道を元に行動した人たちである
何もなかったら笑ってくれと言う姿勢を崩していない。それでいいと思う。大袈裟で良いと思っている。逃げられる人は逃げていた方が懸命であると思う。
「たちまち人体に影響はない」という言葉はいずれ影響が出るという反語なのであると国民は感じているのだ。
いい大人が立ち並んで募金を募っているがそれはどうか。それは売名行為に過ぎないと思う。本当にボランティアをしたいのなら何かの仕事をして稼いだ金を募金箱を入れなくてはならないと思う。五体満足な人は汗して働きそれで得た金を募金箱に入れるべきなのだ。その方が募金は多くなることであろう。何かが間違っているように思う。まあ、そんな軽い考えしか出来ないのが今の日本という國を象徴しているとも言える。それが今の政府を造っているとも言える。
復興に向けて今までの常識を越えた物づりを考えなくてはならない。日本人の進化である。
今の現実に対処するには本能で行動するのが正しいと思う。自らの命や生活は自分で守らなくては、全く政府は当てにならないのだから・・・。
人の様々な心を自然は泰然自若に受け止めてはいるが営みは繰り返し櫻の頼りがちまたを駆けめぐっている。