yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

ご判断はご自分で・・・。

2011-04-08 00:27:32 | 独り言

 分かったことと分からないこと・・・。

 このたびの原発事故で国民は原発の理解を深めたであろうと思う。非常に簡単な装置なのである。原子炉内で水蒸気を造りそれを利用してタービンを回して電力を造るのだ。その原理は蒸気機関車と同じである。だが、放射能が漏れ出したときの手だてはないに等しい事も分かった。これを安全と言うのは早計に過ぎないと思う、放射能の中和剤が出来ていて始めて安全かも知れないという事が出来ると思う。シーベルトとベクレルという基準が判然としないのだ。この言葉は流行語のことしナンバーワンになるかも知れない。
 放射能に汚染された水を海洋に放出したことは東電、保安院、政府に取っての大きな失策であった。まるで海洋汚染テロである。国際的に厳しい裁断が下るであろう。いかほどの補償金を要求されても文句は言えないのである。国家はそれでも持つのかと思う。各国で日本製品の締め出しも見えてきている。確実に経済は畏縮してしまうのだ。厳しい状況が国民を襲う恐れがある。今までのようにのほほんとというわけには行かなくなるであろう。食物は市場から消え、製品も売れなくなってとたんの苦しみが産まれそうである。電力ばかりではない、あらゆる物が足らなくなる、売れなくなるだろうと言うことである。幾ら経済力を保つために消費をしろと号令をかけても国民は守備に入り買うことはしなくなるだろう。みんな日本のある時期を思い出してその窮乏にむかって動くであろう。文明に彩られていた生活が何であったのかと自らに問うであろう。理性ではなく本能で行動し出すであろう。
政府はそんな国民を導く的確な言葉、政策が出来るのであろうか。これからの日本のあり方をみんなに納得させることが出来るのであろうか。政府を信用していなかったら本能で動くのではないか。それが自己防衛なのだ、喩え間違っていてもこの期に理性的に考えて欲しいと言っても無理である。いかに理性が当てにならないかを思い知るであろう。
 被災者の人たちは幾ら家を潰され肉親を亡くしていても生きる活力を持っている目を感じる。戦後がそうであったように生きる方途をそれなりに見つける物である。たとえ政府が無能であっても自らの力で生きる事であろう。人間はそんなに弱い物ではないのだ。自浄作用と同じで再生作用が働くからだ。それは人間の本能の一部なのである。たくましく立ち上がる力を持っていると言うことだ。過酷な自然の采配の前ではくじけても立ち直って行く物だ。が、人災に対しては逃げると言う本能が働くことは否めない。理性と本能のバランスが崩れるのだ。そうなったときには本能が優位に立つ物だ。東京からの脱出をした人は決して理性で逃れようとしたのではない。母や子を思う本能なのである。
 今、枝野は双子の子どもを海外へ避難させたという事が誠しやかに語られている。
 東電はオオカミカがでたオオカミが出たと言っていたがそれが嘘であると言うことが明らかになり始めている。つまり電力不足の停電のことである。計画停電をして原発がなくなったら停電という厳しい現実が起こるのですよと言う恐喝をしていたことなのだ。五千万キロという電力を維持できるという事を発表した。夏場には冷房の影響で範囲を過ぎるであろうが何とかなる数字なのだ。人間はあらゆる状況下の中で工夫をして生きるものなのだ。
 原発事故からもうすぐで一ヶ月になろうとしているが改善の進展はなされたのであろうか。あらゆる手だてを昂じているが芳しくない。次から次へと難問が山積しているのが現状なのだ。関わっている作業員、消防、自衛隊、警官の方達には頭が下がる。が東電の姿勢には天災なのだから仕方がないという開き直りしか見えて来ないのだ。これは人災なのである。手だてを昂じていれば防げた物なのだという認識は全然にない。原子力委員の補強要請を無視し続けていた。保安院とはなあなあの仲で取り合わなかった。独占企業の傲慢な体質がそこにはあったのだ。メディアは莫大な広告主のマイナスになることは書かない。国民に情報を与えることを遮断しているのだ。海外のメディアの報道の方が正確なように思う。国民はそれに飛びついた。たとえば東京を逃げた人たちは外国の報道を元に行動した人たちである
 何もなかったら笑ってくれと言う姿勢を崩していない。それでいいと思う。大袈裟で良いと思っている。逃げられる人は逃げていた方が懸命であると思う。
 「たちまち人体に影響はない」という言葉はいずれ影響が出るという反語なのであると国民は感じているのだ。
いい大人が立ち並んで募金を募っているがそれはどうか。それは売名行為に過ぎないと思う。本当にボランティアをしたいのなら何かの仕事をして稼いだ金を募金箱を入れなくてはならないと思う。五体満足な人は汗して働きそれで得た金を募金箱に入れるべきなのだ。その方が募金は多くなることであろう。何かが間違っているように思う。まあ、そんな軽い考えしか出来ないのが今の日本という國を象徴しているとも言える。それが今の政府を造っているとも言える。
 復興に向けて今までの常識を越えた物づりを考えなくてはならない。日本人の進化である。
 今の現実に対処するには本能で行動するのが正しいと思う。自らの命や生活は自分で守らなくては、全く政府は当てにならないのだから・・・。

 人の様々な心を自然は泰然自若に受け止めてはいるが営みは繰り返し櫻の頼りがちまたを駆けめぐっている。

何ともやりきれない・・・。

2011-04-07 00:42:47 | 独り言

何ともやりきれない・・・。

 情報の錯綜に振り回されている方も多かろうと思う。と言うことは政府の会見を信用していないと言うことだろう。
 思うに過ぎたるは及ばざるがことし、ある程度大袈裟に構えている方がいいかもしれない。それが起きなかったら甘んじてそしりを受け、何もなかったことを喜べばいいことなのである。
 日本は震災で被害者になったが原発事故で加害者になった、という。
 つまり地震は天災で原発事故は人災であると言うことなのだ。かつて、わたしは人間が扱えない物を使うべきではないと言った。まさに原発事故はそれである。放射能の中和剤もなくただ水で冷やすことしかないと言うのだから、原始的で技術の進展はなく、良くもそれを安全として公言し使っていたものであると思う。
 わたしが市民運動をしていたときに、原発反対を訴えたのは、非核三原則に抵触するのではないかと言うことだった。核を使って原発を造ると言うことは、直ぐに原子爆弾が造れるからでもあった。「簡単に原子爆弾を造る方法」という本を読んで一層それを感じた。軍事評論家の小山内宏さんが書いていたのだ。それを書いて小山内さんは官憲からマークされたのだ。まあ、実際非核三原則は名ばかりで、持たない、造らない、持ち込ませないは、アメリカの原子力空母で持ち込まれ、原発で持ってしまい、造ってしまっていた。前にも書いたが、原発があれば原爆はいとも簡単に造ることが出来るのだから造らないというのことは詭弁になることで、原発を持つことはつまり核を持つということになるのだが、今でも非核三原則を提唱しているのはおかしくないのだろう。非核三原則は言葉だけになって行ったのだ。言葉のあやで縮小解釈をすれば違反になり、拡大解釈をすれば違反ではないという、不思議な物になっているのだ。
 この二、三日は西日本にも、北海道にも放射能の飛散はあると言う観測データーを発表したのは日本政府ではなく、ドイツ、ノルウェーの気象データーであった。日本政府は気象庁からの風の流れの報告を貰っていながら国民には隠していたのである。意図的であった。風評被害を懸念しての物であろう、国民がパニックになると案じての物かその真意は分からないが情報操作をしたのである。が兵庫県の農産物から放射能が検出されシンガポールで拒否されたことを考えれば、福島原発周囲の県だけの観測だけでは駄目なのではないかと国民は思うようになっている。わたしの住む岡山は兵庫と隣接しているから放射能の汚染はあるかも知れないという疑心暗鬼になるのは当たり前なのだ。
 ツィッターで東電と政府と原子力保安院を徹底的に批判したある女性は流言飛語であると非難囂々であるがそんなことはへのカッパと前より激しく攻撃中である。が、母と京都に疎開、今では九州に逃れている。わたしの行動が無駄であることを願うという。それはソフトバンクの孫さんも、「この原発による国難が無事に何事も無く過ぎて「お前が騒ぎ過ぎた」と批判された時、私は心の底から喜んで辱めを受け入れます。本当に皆と一緒に日本の無事を祝福。私自身の名誉や批判などは、人々の命の尊さと比べる次元のものにあらず」と言っている。
 あくまで危惧であって欲しいと言う願いからの発言であるまだ。言葉だけではない皆様も承知して居るであろうが、百億円を義捐し、将来の役員報酬を寄付するとまで言っているのだ。口先ばかりの政治家や御用学者の言葉より孫さんの言葉がいかに大きく人は信じるであろうか。日本人の金持ちは人間にとって何が大切かが分かっていないようだ。金にすがりそれをステータスにして生きればいいのか、貧しいとしか言えない。情けないと言いたい。
 国会議員は一体何をしているのか、震災復興のために国民から税金を取るなどと言っているが、議員は少しも身を切らないで居る。多少の報酬カットではすまされないのではないか、まずこの際政党助成金三百六十億のカットと政務調査費のカット、議員宿舎を被災者に提供する。まず自らが最初に身を削るべきなのではないか。そうしなくて国民に税の負担を強いるようなことがあっては国民も黙っていないだろう。国会へ押し掛けることになり暴動が起こりかねないのだ。政府は東電の補償の肩代わり、国民の税金を使われたのではたまった物ではない。復興資金として年金機構の金を使うという様な噂も出ているが全く馬鹿に付ける薬はない。これ以上国民を犠牲にしてその場を繕うのご勘弁願いたい。
 放射能の汚染水を海洋に放棄した現実は国際的に信用を失う結果になった。正に、国際的に加害者になったのである。原発事故に関わっている人たちには頭が下がるが、宿舎の廊下で寝起きする忍耐力には、東電の幹部がスイートで寝起きしていることを考えればなんたる扱いかと腹が立ってくる。
 東電の体質は前にここに書いたが、その体質は今でも直っていないのだ。今まで儲けさせて貰ったという恩義でマスメディアは東電のことを書かない。全く情けない、正義も自覚もまったくないと言わざるをえない。東電は人災として今しなくてはならないことをすべきなのだ。被爆者に対する補償である。今までの対応で補償金の拒否が起こっても一軒一軒ドアーを叩き手渡すことなのではあるまいか。市や県に丸投げをしては誠意が見られないのだ。これは東電だけではない、日本の電力会社に共通している体質なのである。
 初動の認識の甘さがこの事故を大きくし事は否めない。
 武田邦彦教授は毎日自らのブログで今どのように考えればいいかを書いておられる。
 わたしは公害闘争をしていたときにPPMでごまかされた。今またシーベルトとベクレルに翻弄されようとしている。空に鳥たちが囀り、河に魚が泳ぎ、作物が育つ事がPPMより遙かに分かり安い。放射能はその鳥や魚をじわじわと殺傷する。それは人間にも通用することではなかろうか。

 悲しいうたが聞こえてくる。
 それは「リンゴのうた」ではない。

 このように書くことが全くの徒労であった欲しいのです。

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2011-04-05 21:00:22 | 独り言
原発 緊急情報(47) 汚染・6日に日本全土に拡がる怖れ








ドイツの気象サービス及びノルウェーの発表では、4月5日から7日にかけて、福島原発からの風が一旦、南に行き、四国・九州にまで南下し、そこからさらに偏西風で日本列島を縦断して、北海道に達する上ると予想されています。














この図はドイツ気象サービス(DWD)のシミュレーションで、日本で4月6日頃にあたります(あまり時間は厳密に考えない方が良い)。






パソコンで図を見ることができない人がおられますので、文章でも説明しますと、福島から一旦、太平洋に出た汚染物質は、その後、東風でぐるっと回って日本の房総半島、静岡、四国、九州とまわり、山陰から福井まで達します。






つまり4月6日頃を中心にして初めて福島原発の汚染物質が西日本を汚染する可能性がありますので、注意が必要です。














次に示す図はノルウェーのシミュレーションであり、上のドイツの気象サービスのデータから約1日たった状態です(7日ぐらい)。






一旦、日本の西日本に到達した福島原発からの放射性物質は、その後、偏西風に乗って北に進み、日本列島を縦断して北海道まで達すると予想されている。






この頃、新たに福島原発から放射性物質が漏れれば、それもともに北海道の東海岸に到達すると計算されています。






このシミュレーションの結果は、あくまでもドイツとノルウェーの結果であって日本の気象庁の予想ではありません。






日本の気象庁は、現在のところ福島原発の放射性物質がどのように飛散するかの予報を出していません。花粉予想や噴煙の予想は気象庁の役割でありますが、どうやら放射性物質を飛散については気象庁の役割範囲にはないそうです(税金は?)。






いずれにしても、できるだけ多くの情報を集めて、私たちと家族の安全を守りたいと思います。






ドイツとノルウェーの情報が、どのような基礎的なデータに基づいているのかわからないので、ここでは日付もはっきりとは示していません(もとデータは時間もハッキリ示してありますが、それほど精度が無いと思うので、「絶対にそうなる」と断定的に考えないでください。






しかし、私たちにとって重要な情報であることは確かです。この情報に基づいて、






「もしかすると、西日本もしくは日本全体に放射性物質が飛散するかもしれないので、4月5日から7日ぐらいにかけて、外出を避けたり、マスクをする、子供を外で遊ばせない、家の戸締りをしっかりするという対策を取っておく。」






と考えてください。






ドイツとノルウェーの予想が外れるかもしれません。外れたら申しわけないけれども、それは仕方がないので、その時は、多少無駄な時間を過ごしてしまったと思ってください。






・・・・・・・・・






ところで現実に九州まで放射性物質が飛んで、例えば鹿児島が1時間当たり1マイクロシーベルとまで放射性物質が上がり、それが1週間続いたとします。






その場合の被ばく量は、






1×7×24=168マイクロシーベルト






で、今回限りであれば、長期的にも、赤ちゃんにも、妊婦にも問題はない。






(注)さらに詳しい計算(鹿児島の人の1年間)






168+(0.05*358*24)=597マイクロシーベルト






で、今回限りであれば、累積放射線も大丈夫です

.




鹿児島が大丈夫なのは「ずっと続けて被曝する」というのが恐ろしいので、一時的な被曝はあまり影響がないということです。






でも、被曝は少なくしておくのが良いので、自衛してください。






(平成23年4月4日 午前8時 執筆)








武田邦彦


春はまだ来ないが・・・。

2011-04-05 04:32:53 | 独り言

 まだ 櫻の開花を聞かない・・・。

 岡山ではまだ櫻の開花を聞かないが・・・。
 西日本でもこの二、三日放射能が飛来してくるという。風向きが西日本へと吹いてくると言うのだ。これは日本気象学会のものではなく海外の風情報から指摘されたものだ。無論政府のものではない。外国の気象データーから推測し警戒したものである。西日本にきたものが偏西風によって北海道へと回るらしい。と言うことは日本全土に放射能の汚染は広がることになるのか。九州産の野菜から放射能が検出されシンガポールで突っ返されている。微量ではあるが西日本の各地に放射能は降っていることになる。自己防衛のために放射能を通さないマスクとビニールのレインコートとゴム手袋の用意をしなくてはならないのか。
 こんな状態なら花が咲いても花見どころではない。家に閉じこもっているに越したことはない。石原都知事は花見の自粛をしいたが、岡山の倉敷に住んでいても自己防衛本能が働くのだから東京都民はなおさらであろう。一喜一憂して暮らしているのに違いない。年寄りは先がないから良いが嬰児や子どもがいたら神経質になるのは至極当然というものだ。水を海に走ったのは正解なのかも知れない。放射能は足し算だから半減期の前に食べると倍増する。まして、汚染された牛乳や野菜や魚の場合は食物連鎖で濃縮して人に入り内部被曝をする、それは何千倍にふくれあがるなのだ。そのことは環境ホルモンを勉強した時に食物連鎖を知りおののいた経験がある。
 放射能は風に流されて飛来するものだ。風下が危ないのだ。政府も気象庁も風向きを一切発表しないのはなぜか、パニックをおそれているのか。気象庁は報告しているが政府が押さえているらしい。その根拠は風評被害の拡大をおそれているからなのだろう。将来ガンになるというリスクを犠牲にしてである。被曝でガンになった、その頃には菅は石の下であろうから痛く痒くもないと言うことなのだ。今、政権を維持したいと言う願望だけでパフォーマンスを繰り返している。まさに道化役者ある。
 柏崎原発が地震で事故になりかけたときに、菅は「このような事故が起きるのだから政権交代だ」と麻生に言っている。まさに今その言葉は菅が思い出し政権交代を潔くしなくてはならないのだが、もうろくしてすっかり忘れているのだ。人の引き際の大事をこの人は知らない。なぜ、すっから菅をメディアはたたかないのか。
「これであと二年間はやれるな」と震災と原発事故が起きたときに言った言葉を国民に報道しないのか、メディアは菅政府の延命に協力しているとしか思えないのだ。
 昨日、十四歳の少女の素朴な疑問を書いた文章を載せたが、わたしは読んで胸が熱くなった。確かな文章をさりげなく書いて、新聞テレビ、あらゆる検索をして知識を蓄え世間へ疑問を投げかけているのだ。わたしは多くの皆さんに読んで欲しいと思い載せたのです。そこには国民が感じなくてはならない真実が吐露されていたからである。菅の所信演説の様に自分で書けないから劇作家の平田オリザに書いて貰ったものとは大違いで心に入ってくるものであった。その名はB級アイドルの藤波心という芸能人である。
 十日の投票日には東京で原発反対のデモが起こるはずである。今までの物より大きい・・・。そんな言葉がツィッターで飛びかい始めた。時にはいい、やるときはやるんだと立ち上がらなくては駄目だろう。先頭には文化人が立て、足腰鍛えるには絶好のチャンス、日頃嘘八百を書いて食べさせて貰っている恩を返さなくては物書きではない。菅の様にデモの三列目四列目では駄目だ。先頭に立て、警察に捕まって何十日も黙秘して創作の肥やしにしてはどうか。

 ことしの春は寒い、さぞ被災地の皆さんは膝を抱いて震えているのでしょう。政府の不誠実と対策の遅れを非難するではなくじっと待つ根性で寒さと戦っているのでしょう。余震と寒さに震えながらいつかくる春を待っているのでしょう。
 原発事故に関わっておられる作業員の方や消防隊員、自衛隊の方は東電の施設の床で寝袋で休まれているのでしょう。
「星を眺めて何を思っておられるでしょう」
 家に残した妻子達なのでしょうか。
 どうぞ被曝などなさらずにお元気で妻子の元へ帰られることを願います。

つぶやきではなく叫び・・・。

2011-04-04 15:53:28 | 独り言


2011年03月23日 23時04分13秒
批難覚悟で・・・・
テーマ:ブログ
みなさんお元気ですか~???


こころです。

ぱじゃまでスマソ・・・・

先日、
救援物資+義援金募金行ってきました。

安室奈美恵さん達のように
多額の寄付は
稼ぎの少ない
下っ端芸能人の私には
とうてい無理な金額ですが、

私の出来る範囲で
少額ですが少しでも被災地のみなさんに
役立ててもらえるよう、
物資+義援金送らせていただきました。

毎日、被災地から届くニュース映像は

涙なくしては見れません。

私も、芸能人のはしくれとして、

出来ることを、

これから色々考えて行きたいと

思っています・・・。


ところで・・・

汚染が広がっているようですね

原発で懸命に冷却作業にあたっているみなさん、

被災者のみなさん、

折角育ててきた野菜を捨てなければならなくなった農家のみなさん・・・

テレビで見ていて、それぞれ本当に大変な状況だなと思います。

そして、今日に入って、都内の水道水にも放射性物質が・・・・。

一体汚染はどこまで広がるのでしょうか。


そして、いつまで続くのでしょうか・・・。


テレビでは、やたらと「安全性」ばかり強調しています。

「風評被害」に惑わされないで、

「冷静」に対応してと・・・。

汚染された野菜を食べ続けても安心です・・・。

汚染された水を飲み続けても安心です・・・。

個別の数値は低くても、

ただちに健康を害することはない? 量だったとしても、

微量とはいえ空気中の放射性物質を吸い続け、

微量とはいえ、汚染された野菜を食べ続け、
微量とはいえ、汚染された水を採り続ければ・・・

微量+微量+微量 

イコール→ 


しかも、そういう生活が1週間続くのか、

1カ月なのか、

1年なのか・・・・

3年なのか・・・

計算私あまり得意じゃないけど・・・・( ̄_ ̄ i)

影響があることくらい、

バカな厨房2年の私でも分かるのに!!

テレビは「冷静に対応してください」

しか言わない。

あまりにも大丈夫すぎて、心配・・・・。

挙句の果てには、

ラドン温泉などもあるように、少量の放射線なら体に良い?(笑)

とか、

「想定外」の

1000年に一度の大津波に、これだけ原発は耐えたのだから、

やはり日本の原発はすばらしい・・・???

とか、意味不明の原発絶賛???

訳の分からないコメントを言う専門家とかww


想定外だった、想定外だったって

みんな口をそろえて言うけど、

原発は、事故った時 甚大な被害がでるから、

「想定外」はあってはならないと思うんですケド…

私言ってること間違ってますかね・・・。

しかも、最近は、原発の危険性を言う人は、

危険をあおっていると、世の中は叩く傾向にあるようで、

これは何かおかしい流れだと思うのは私だけでしょうか??

風評被害を辞書で調べてみました。

→風評被害(ふうひょうひがい)とは、
災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、
生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、
本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること・・・。

実際は大したことないのに、
大げさに報道する・・・

→風評被害を生む報道

実際は大変深刻なのに、
大丈夫なように軽く報道する・・・

→ これは何て言うんですか???



私は冷静ですよ・・・。

危険をあおっているわけでもありません。

テレビはこんだけ安全・大丈夫って言い続けているので

そのうち、

「放射能を跳ね返す!! スーパー健康法」

とか

「放射能にも負けない!! 体質改善・げんき体力づくり」

特集とかやりだすんじゃないでスカ???・・・( ̄ー ̄;


そんなの、いくら頑張っても

跳ね返したり、勝ったり出来ませんから。

なんてったって、相手は放射能ですからね。

今の現状、私が思うのは・・・

テレビが言う、安全・大丈夫ではなく、

やっぱり「危険」なのだとおもいます。


どーんと爆発したり、急に明日何万人何十万人が

死ぬということはないかもしれないけど、

5年、10年の歳月を経て、じわじわ私たちを蝕むとおもいます。

原発のリスクとリターンを考えたら、

あきらかに、リスクが高すぎる。

原発のデメリットに比べたら火力や水力のデメリットなんて可愛いもんだと思う。

でも、日本ではいまだに、原発見直しの声はそれほど上がってこない。

むしろ、よく聞かれるのは「原発はやっぱり必要」という声。

おとなしい国民性なんでしょうか・・・。

それとも・・・・。
前回の記事で、私が原発について否定的なことを書いたら、

コメント・メールだけでなく、

事務所にまで抗議・意見のメールがきました・・・・。

どんだけ、原発をかばうんだよぉ。
どんだけ、日本て、平和なんだよぉ。

どんだけ、日本て、良い人(人が良い)が多いんだよぉ・・・。

まだ自分自身が被害に遭ってなくて、

直接危険が迫ってないから
そんなことが言えるのかな??


私なんて、ズルイ性格だから、

こんな現状を見ると、

もう、これっぽっちも信用できないけど・・・。

じゃあ、原発廃止したら、足らない分の電力は

どうするんだって、言うけど、

それの答えは簡単。


今の原子力に頼らない電力の生活に

社会全体のシステムを変えればいいのです。

変えれますよ。

電力を絞れば、変わらざる得なくなる・・・。

初めは不便でも、やがて人間はそれに順応していく。
そんなことで、経済が落ち込んだりしても、

生活水準が下がっても、全然OK!!

原子力の事故で世の中がごちゃごちゃになるより

はるかに、リーズナブルで経済的。(*゜ー゜*)

私の家の近くに、数年前、大きな病院が出来たんです。

駐車場少なくて、いつも満車だったので、

駐車場の「混雑解消」のために、

更に、駐車場増やしたんですよ。

そしたら、どうなったとおもいますか???

駐車場不足が解消したのは

ほんの数カ月だけで、

駐車場が増えたら、

その分、みんな車で来る人の数が増えた!!

結局、駐車場増やしたのに、

駐車場不足は

今も、全然解消されていない。

電力もこれと似ていると思う。

ただ単に、容量増やせば、良いんじゃない。

人間の欲望ははてしないから。

サンドウィッチマン 伊達さんのブログに、

「テレビのインタビューの中で、東北の被災者のために、節電してますっていう人がいたけど、

まったくの大間違い。福島原発で作られる電力は全て首都圏に送られています。」

という事が書かれていました。

なんで、東京の電源を遠く離れた福島県につくるのか???

東京という大都会の電力を支えるために、犠牲になった福島県・・・。

住み慣れたふるさとを、

先祖代々受け継いだ、家や田畑や牧場を、放射能で汚されて、

福島県のみなさん本当にかわいそうだと思います。


これだけの状態になって、

それでも、原子力が必要だって言ってる人は、

失礼かもしれないけど、ある意味

もう、麻薬中毒みたいなもんだと思う。

あと、自分の意見だと思い込んでいるだけで、

実は、原子力は世の中に必要なんだという

だれかのPR 刷り込みだということを

気がついてないんじゃない?

よく麻薬中毒だった人が、インタビューとかで、

少量の麻薬なら、自分の仕事の効率上げるためには

必要悪なんだみたいな風に、自分に言い訳していた・・・。

とか言ってたの思い出します。

自分がどんどん蝕まれているのに

まったく気がつかない・・・。


いや、気づいているんだけど、やめられない。

薬やり始めた以上、

やめたら、

禁断症状でて、

もう、後には戻れないwwみたいなww

しょーもない、B級アイドルの私が

偉そうなこと言えた立場ではないことは、

よくわかってる。

電力関係・原発推進関係に携わっている人も多いから、

アイドルとしての立場の私は、賛成か反対かは

あまり明確にしない方が、本当は良いのかも知れない。

ラブ&ピース がんばろう日本!

みたいなことだけ言ってた方が、

アイドルとしては活動しやすいのかもしれない。

こういうこと書くと、ファン減るかもね。

でも、減ってもいいや。

私は中途半端なことは言いたくない。


人にどう言われようが、叩かれようが、

はっきりと、自分はこう思っているんだって

言うことを言いたい。

その結果、ファンが減っても、

私は仕方ないと思ってます。

原子力

それはまさにパンドラの箱です。

檻から解き放たれた 猛獣・・・。

いつ襲いかかるか分からない猛獣と

同居出来るほど 私は神経太くない・・・。

あなたはそれでも、

便利と引き換えに

これからも、

パンドラの箱を開きつづけますか???

今、日本は、色んな面で

考え直さないといけない時に来てるんじゃないですか?


私には、福島原発の煙が、

不謹慎かもしれませんが、

そんなパンドラの箱を開けてしまった私たちを死滅させる

巨大なバルサンか、ゴキジェットに見えます…。

藤波心

風評被害について・・・。

2011-04-04 01:26:21 | 独り言
今回も武田邦彦教授の言葉をお借りしました。



原発 緊急情報(46) 「風評被害」を学ぶ








NHKは2006年4月16日(日) 午後9時から9時49分に総合テレビで「汚された大地で~チェルノブイリ 20年後の真実~」という放送をし、今でもNHK ONLINEで見ることができます。



そこでNHKは、



「史上最悪の原発事故からこの4月で20年、人々の苦しみは続いている。というよりむしろ悪化している。ウクライナにある、放射線を浴びた人々が集まって暮らすアパートでは、がんなどの重病患者が増加、毎週のように死者が出ている。さらに大量の放射性物質がまき散らされたベラルーシでは、ヒロシマ・ナガサキでは否定された「遺伝的影響」が報告された。



(中略)



「いまだわからないことばかり」とも言われる放射線の人体への影響。広島の医師や研究者も加わって、暗中模索の事実解明、因果関係の究明が続けられている。」



(本来は著作権がありますのでNHKに断って載せなければなりませんが、日本人の命に関わる事ですから、ご勘弁ください.)



・・・・・・・・・



一方、福島原発の事故が起こった後、 NHK は「このくらいの放射線なら大丈夫だ」という放送を繰り返してきました。



それも政府コメントの紹介に止まらず、アナウンサーが自ら比較的大きな声で「安全です」を繰り返してきたのです。



昔から NHK は受信料を強制的に取る国民的放送ですから、多くの日本人は自分が受信料を払っている NHK のアナウンサーは自分の味方で本当のことをいうというように思っています。それを利用した行動でした。



さらに、福島原発の近くの海から規制値の3355倍の放射性要素が、それたときに、「健康に影響はありません」という保安院のコメントだけを紹介し、このような高濃度の放射性要素が健康に影響を及ぼすという考えの人のコメントは出しませんでした。



つまり NHK は片方では「チェルノブイリの放射性障害が考えていたよりもはるかに大きい」という放送をし、片方で「福島原発の放射性障害はほとんどない」と言ったのです。



しかし、海外の多くの報告が示すように、今回の福島原発の事故はチェルノブイリとほとんど匹敵するような放射性物質を出していることがわかっています。



もう一つ問題なのは、 NHK 自体がチェルノブイリについては「放射線による人体への影響はまだわからないことばかり」と放送したのに、福島原発が起こると「安全です」という確定的なことを言うという違いは極めて大きいこと感じます。



・・・・・・・・・



わたくしは、数年前、風評被害を専門とする社会学者に教えを受けたことがあります。その人は若い人でしたが、非常に専門的で立派な学者でした。彼の話はとても複雑でしたが、簡単に言うと、



「風評被害というのは、正しい情報を伝えないことによって起こる」



ということでした。そしてその理由は、



「人間は自分の身を守ろうと考えるので情報が不完全な時は、余計に不安になって慎重な行動になる」



ということでした。豊富な例を示していただき、わたくしはそのことを強く覚えています。



つまり「風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報が不足した時に起こる「正常な人間の社会活動」ということです。



だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間が自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなのです。



・・・・・・・・・



2011年4月3日(日曜日)の朝、わたくしは NHK のニュースを見て、福島県の農家の人が本当にかわいそうになりました。



放送では、福島県の野菜を何とかして売りたいと思っている農家の人が、トラックに新鮮な野菜を積んで東京に運び、そこで2割引で野菜を売っているのです。



農家も NHK も「この野菜は安全です」というの強調していました。それを見て、わたくしは本当に福島県の農家の人がかわいそうになりました。



というのはこのようなNHKの放送こそが、福島県の野菜に対する風評を強くして、野菜が決定的に売れなくなってしまうからです。



・・・・・・・・・



人間はバカではありません。そして現在のようにある程度の情報が提供されていればそれに基づいて自分の身や自分の子供の事を守ろうと考えるのは当然のことです。



福島原発から出た放射性物質が、空中にあたかも花粉や黄砂のように飛び、それが地上に落ちます。



地上に落ちたり、壁についた放射性物質からわたくしたちの体が被爆します。その値はNHKで毎日報告されていて、福島県ではおよそ数マイクロシーベルに及びます。



ということは、会津地方は別かもしれませんが、福島県全体としては放射性物質が常に降っているわけです。このことはほとんどの日本人が知っていると思います。



つまり福島県の農家には大変に申しわけないのですが、野菜には放射性物質が付着していると考えるのが「常識」なのです。そうなると、規制値と比べてどのぐらい低いのかということが、大切で消費者の知りたいことです。



例えば、規制値が300ベクレルの時に、野菜についている放射性物質が200ベクレルなら、多くの消費者は買わないでしょう。20ベクレルなら買うかも知れません。数値がなければ判断できません。



また、普通の時ならば、周りに放射性物質がないので、あるいは規制値以下であれば野菜を購入する人もいるかもしれません。しかし現在では、空間からの放射線、自分が吸い込んだ放射性物質、水食品等の汚染があるのですから、よけいに慎重になります。



このような時に自分や自分の家族を守ろうとしたら、「放射性物質がついている野菜よりも、放射性物質がついてないものを買いたい」と思うのはごく自然のことです。



もし、福島県の農家の人が福島産の野菜を売ろうとするなら、「この野菜は規制値の何分の1の放射性物質がついています。もしもそれで良いなら買ってください」とお願いするのが良いと思います。



つまり野菜を売るということは、人の口に入るのですから、十分に情報を出して信頼を得て、野菜を売らなければなりません。



そうしないと風評被害はさらに拡大すると思います。



わたくしは息を詰めて放送を見ていました。しかし NHK は最後まで「安全な野菜だ」というのを繰り返し、「福島県の農家を応援したい」という人を紹介していましたが、野菜がどのくらい汚染されているかということは全く触れませんでした。



・・・・・・・・・



それに福島県の農家に打撃を与えたことがあります。



1) 政府が「野菜の放射線を測定するときには、「出荷のまま」ではなく、良く「流水」で洗ってから測定しろ」という通達を出したことです。
これによって消費者は「表示されている放射線量はインチキだ」と確信しました。
消費者は販売されている状態の野菜についている放射性物質の量を知りたいのに、測定する野菜だけを綺麗に洗ったら判らなくなるからです。しかも政府の通達ではご丁寧に、かならず「流水」で洗うように指導しています.
こうなると消費者は「数字は当てにならない」ので、「産地で判断する」ことになります。政府が作り出した風評です.



2) 茨城県知事や福島県知事が「野菜の出荷基準を高くしてくれ。そうしないと農家が困る」と陳情しました。
「高い放射線の野菜を出荷しないと農家が困る」という理由ですが、つまりはこれを消費者から見ると、「茨城県や福島県の野菜を買うと、余計に被曝する」ということを意味します。
もしこれが農家の要望を知事が受けたのだとすると、茨城県と福島県の農家は自分の収入を得るために消費者に、今のように被曝に神経質になっているときに、これまでの基準値以上の放射性物質がついた野菜を食べさせることになりますから、不信感は決定的でしょう.



福島県の農家は被害者です. でも、放射性物質が空から降って来るのは事実で、それを日本人は知っています.だから、方針を転換する必要があります。



政府やNHKの言っている「風評」の宣伝にのったら、農家の人は本当に困ることになるでしょう。



「風評」は情報操作などによって発生する正しい社会の反応なのです.



(平成23年4月3日 午前9時 執筆)





武田邦彦


東電に・・・。

2011-04-03 01:05:51 | 独り言
東電の体質

 東電は各地にある保養所を被災者に提供する気はないらしい。柏崎の社宅に二十四所帯を受け入れると言うことである。県の仲介が入れば無料だがそれがなかった場合は六千円を取るという、何という会社であろうか。原発事故で頑張っている消防隊、自衛隊の方達は東電の施設の板場で寝起きしているという。あとの部屋は鍵をかけて入らさないらしい。入って汚されたら今度使うときに大変だからと言うのが答えなのである。東北電力は社宅、独身寮、保養所を開放しているというのになんと言うことなのか。東電のことをメディアが書けないのはそれだけ儲けさせて貰っていると言うことらしい。日航、トヨタ、東電と営業広告を出して貰っているということで自粛しているらしい。前記の三社は特に細かいところまでクレームを付けることで有名なのである。喧しいたちの悪い会社なのである。
 福島原発には七号機八号機の原発が設立許可を得ていてそれをこの機に及んでも造るというのだ。県は感情むき出して県民感情を無視していると反発をしているのだが、國が曖昧な態度を取っているらしい。
島根の停止中の三号機は中国電力は再開すると言っているが、ここでももめそうである。今、建設中のの入関原発は反対運動があるが工事を進めると言っている。原発推進派は福島原発のことで国民ながどのように思っているのかということを一切考えないという方針を貫こうとしている。電力は國と計画電力を取り交わしていて政府が曖昧な態度を取るとどんどん原発が造られると言うことなのだ。大企業のエゴである。
 前にも書いたが、東電による計画停電は胡散臭い物のように思える。原発に反対すれば電力の供給が止まり計画停電をしなくてはならなくなり企業の生産に支障来たし、家庭では快適なら生活が出来なくなるのですよという恐喝のように思われて仕方がないのだ。東電管内での節電呼びかけにより五、六千万キロの余剰電力が出来たので計画を中断したのだ。電車の消費電力は二パーセントくらいで全線を普通に走らせてもたいしたことはないのだが、間引き運転をしている。これによって経済が落ちこんんでしまう。政府も計画停電のことはさっぱり分かってなくて東電の言いなりで許可を与えているのだ。したたかである、政府の無策と指導性はゼロなのである。東電は。警察庁、警視庁の天下りの温床である。東電は妨害や嫌がらせに対処するために天下りを受け入れているのだ。前にここに載せたがやくざにホームレスを集めてこさせ原発内の清掃をさせ被曝させているかも知れないのだ。警察とやくざのなれ合いがここにあるのではないか。
 この国難に当たって菅は「これであと2年できるな」と言ったというのである。政治家としても人間としても言っていけないことである。
「臨界」のいみも知らない菅は中学生でも知っていることを知らないのだ。そんな菅が原発の事故対策の指揮を取っているのだからお粗末である。聖徳太子になれとは言わないが、二、三のことを一辺に考えられない様なリーダーでは国民はたまった物ではない。現地視察には百五十人を引き連れて行動するから地元の手薄な警察官では警備が無理なのだが邪魔をしてあらゆる救援に支障を来していることを何も考えない、その脳天気さにはあきれかえる物だ。オバマと電話で会談をしたと言うが本当は挨拶程度であったらしい。これを誇らしげに語る菅はパフォーマンスしか頭にないらしい、それが政府の延命に繋がると思っているのだからいやになる。
 そのことは東電にも言える。福島第二原発は廃棄せずに運転するつもりなのだ。まだ、第一原発の七、八号の推進計画を棄てないというのだから人の命より金儲けが先なのだ。
 危なくない、直ちに影響することはないと言った政治家、学者には、万一放射能によって病人が出た場合には責任を取って貰わなくてはならない。NHKも民放も原発推進学者だけではなく反対学者の意見も聞かなくてはならなかったのだ。東電から研究費と言う名目で金を貰っている学者ばかりを出して東電の都合の良いことばかりを喋らせたメディアにも責任はあることを忘れてはならない。
 そのことで福島県は風評被害で差別が大きくなっていることを憂うしかないのです。防護服も着ずに原発内を走った街宣車の運転手はどれだけ被曝をしたのか、自業自得と言えば言えるのだがなぜ止められなかったのか残念に思う。
 今でも下請けの作業員の人たち、東芝の技師は昼夜を違わずに懸命ら作業をしているだろう。消防隊、自衛隊の人たちは使命として命をがけで張り付いている。東電はそのことを天災だから仕方がないと言う顔で眺めているのだろうか。何回も指導を受け改善をしなかったことにこれから何を言おうとしているのだろう。もう、エリート意識と見下す姿勢は改めても良いのではないか。テレビからはその変わりようがうかがい知れないのだが。補償は誠実に行って欲しいと思っている。

 わたしはここに書いたことが真実起こらないことを願っています。
 決して放射能に汚染されて病気になるようなことがあってはならないと思っています。
 言葉には責任を持って欲しい、人には誠意を持って当たって欲しい。出来ることは何でもして欲しい。それが東電に言いたかったことです。
 
 國破れて山河あり・・・。被災地にもやがて春が来て花が咲き山が萌葱色になびくでしょう。皆様が一日も早く心安らかに、平穏に暮らせるように心より祈っています。

ある思いが・・・。

2011-04-02 00:55:51 | 独り言
福島第一原子力発電所の高精細写真(エア・フォート・サービスさんが無人飛行機で撮影)オリジナルフルサイズ こちらからダウンロード出来るみたい (11.5MB) http://bit.ly/hfk4Hj

たしか動画が映されていたはずだが、これは公開しないらしい。国民に知らさない方が懸命という判断。まるで尖閣の衝突映像と同じ扱いか・・・。また、誰かが流出してくれることを願うが・・・。歴史の証人としてはあらゆるものを収集している。だが、津波の後の無惨さには目をつむりたくなる。

 菅と言う人は何でも会を作るのが好きなようだ。責任の分散を考えているのか、それでは船頭が多くて話がまとまらないと思うのだが。

 800万円もした防災服は着ないらしい、その金は政党助成金で作ったのか、官房機密費なのか、民主党と名前を入れるのだから議員が買い上げであろうな。いい加減な無駄使いは辞めよう。子ども手当のつなぎ法案を通したのだから政党助成金360億はなしにしてくれ、なぜ貰っていない共産党はやかましく言わないのか、何でも反対の共産党がなぜに子ども手当に賛成したのか、統一地方選のためなら先が読めていない、賛成した民主、国民新党、社民党、共産党は絶対に議席をへらすであろう。子ども手当を貰っている人は選挙に行かないだろうから。国民は出稼ぎに来ている外国人、子供を本国に置いている子供たちに子ども手当を支給する事を理解していない、真意がわからないから反対しているのだ。国民の80%は反対をしている事もその原因か。

 原発事故で日本の食品が放射能汚染されていると勘違いをしているが、その人たちは日本の地図を見たことがないらしい。小さな国だから全域が放射能に汚染されているという考えらしい。

 震災の支援で各国の本当の姿が見えてくる。本気でやっているのはアメリカ、日本の原発を早く終息させなくては反対運動が起こるからとやっきになっている原子力推進国。利害が交錯している。が、フランスとイギリスとアメリカは原発が多い、一番おそれているのは原発の50キロ圏にニーヨークがあるアメリカ、日本の原発事故を簡単に押さえ込まなくてはニーヨークで反対運動が起こるかもしれないのだ。躍起になるのはよくわかるが。それにしてもアメリカ軍の活躍は本物だ。元々事故の原発はアメリカ産、それを東芝と、日立が施工したのだから、40年前にと言う話がある。

 何度も言うが、この震災と津波で崩壊したこの機に日本人は進化しなくてはならない。震災地方の国有化と言うことが話に出ているが、その先、菅の頭の中にはどのように復興するのかと言うビジョンがあるのだろうか。財源はどうするのか、支援物資の偏り、蓮ほうは何をしているのか、ボランティアの取り扱いがどうもスムースではないが辻元は何をしているのか。陸路を整備をするのも重要だが、港をいち早く整備して大きな船が着くようにした方が物資は沢山運べたのではないか、これも政治の失策のように思える。

 じっと待つ被災者の方たちの我慢も限界、今の政府にその限界を超える政策があるのだろうか、疑問です。

 がんばって、希望を捨てないで、その声が空しく響いている。声は喉に詰まっている。

私の夢は・・・。

2011-03-31 03:04:17 | 独り言
わたしの夢は・・・。

波を利用した発電とディーゼル発電と太陽光発電と風力発電を併設した大型の発電船を日本の周辺の海に浮かべる。この船を何隻かもっていると緊急時には利用価値があるのではないか。平時にも発電して電力を供給することは言うまでもない。移動が簡単で広大な土地はいらないし公害もないだろう。わたしは世事に疎いからあるかも知れないが、このような発想が欲しいと思う。今の日本の最新の技術で製造するのである。
 船と言えば私は被災地の海に客船を集結してはどうかと言うことを書いた、船にはあらゆる設備が整っているので最適であると思ったからだが、そのように考える人は少なかったらしい。
 今、被災地の支援物資も潤沢になっていて、被災者に届けられているが政府がやるのではなく宅配業者に丸投げをする、政府や大企業はそれが得意、ことをやっていればもっと早く被災者の手元に届いたはずである。変なところで政府が関わるから遅くなったと言うことを反省すべきである。
 マスメディアの責任、映像が偏っていて真実が見えない物であった、都合の良い画面を撮り自衛隊の真摯な救助活動が流されていなかったことである。海外のメディアは毎日のように被災者と自衛隊の様を蕩々と流し続けていたのだが。
 原発事故の一日後に自衛隊が撮影した映像は何処へ消えたのであろうか。政府はそれを隠しているのだ。隠蔽と言われても仕方がないことである。その体質が国民を不安にしていることに気がつかなくてはならない。
 まだ、枝野の説明は中途半端で責任を取る物ではないことも国民は肌で感じている物なのだ。計画停電という物もかつて柏島原発を停止したときに福島原発も停止したが停電はなかったのにと言う疑惑が生まれているのも確かであろう。原発がなくなれば停電をするのですよと暗に恐喝をしているようにも思われる物だ。政府はそれにまんまと乗って東電管内の人たちを狼狽させ不安におとしめたことは避難をされても仕方がないのだ。一事が万事そのような軽い対応であるから国民から信用されずに都内でガソリンや乾電池や携帯ガスボンベが店頭からなくなるという事態を招き、それが地方まで及んだのである。それは福島茨城の野菜の葉に放射能が付着していると報道したときに出荷制限を出したことで都内に出荷しても全然売れず被災地の農家は疲弊するという事態になった。野菜の検査は根に土の付いている物を測定した物で、洗ったものでなかったことに起因していたことも報告していればある程度のパニックから逃れられた物である。牛乳は食物連鎖があるのでひかえた方が懸命であろう。が、関係ない県の物まで神経質になるのはどうか・・・。風評被害を報道で押さえることは困難である。市場に物を潤沢に出すことしかないのだ。それが政治なのだ。
 水道水も子どもが飲んでは駄目だということで恐怖心を増幅させて水が買い占められる原因にもなった。親の本能である。これは仕方がないことだと思う。が、環境ホルモン、添加物でもっと怖い現実があることを忘れていることも付け加えておきたい。離乳食からの幼児の死亡率は世界一高いと言うこともあることを知らなくてはならない。中国製の食品、原材料を多く食べていることに起因するのだが、政府はそれには寡黙である。事実その方がより多く怖い話である。
 わたしの住む倉敷水島、公害の町にもペットボトルの水は売られていない。単一乾電池もない。地震とは関係ないと思っていた人たちが、準備を始めているのだ。持ち出しと非常食を買っているのだ。群集心理なのである。
 福島県民にとっては使いもしない電力を造るために原発を持つことにしっくりいかないものがあろう。福島県は東北電力のエリアなのである。何で東京電力の原発があるのかと。敦賀、柏島も東電のエリアではない。そこに色々の利害関係と政治の臭いがする。これはまた稿を新たにして書きたい。
 日本人は今回の震災で確かめられることになる。新しい国作りである。この機会に日本人は今までのしがらみを乗り越えて進化し国作りをしなくてはならない。思考の転換がいる。被災地は全く新しい町作りをしなくてはならないし、エネルギーも原発に頼らない次なるエネルギーの開発をしなくてはならない。窓ガラスに埋め込む太陽光発電とか、海の反射熱を集めての発電とか、波の力を利用した発電とか。
 わたしはもう三十年前にある台本で四国の真ん中にトンネルを堀り太平洋の海水と瀬戸内海の海水を入れ替えて瀬戸内海を生け簀にする話を書いたことがある。その頃は瀬戸内海の海水は汚れていて魚のすみかではなくなるのではないかという危惧からの発想であったが、今からでも遅くないように思う。瀬戸内海を生け簀にすれば日本人の魚の蛋白の供給は充分に出来ると思ったのだ。生け簀の海面に筏を組み太陽光発電を波の発電を風力の発電をと思い台詞にしたことを想いだした。あの頃奇想天外な台本になっていたがそれが現実になることを願う。
 進化の発想の転換が今必要なのだ。安部公房の小松左京のあの発想が今こそいるのではないかと思う。わたしが指導者ならSF作家を補佐官にする。
 今の政治家は未来の姿が見えていない。企業家も夢がなさ過ぎるように思う。明治維新の若者は大きな夢を見ていた。出来もしない夢を見て走っていた。今、それが日本人全員にいるのではないか。
 井上ひさしさんの「吉里吉里人」では東北地方を独立国にして日本國の攻撃を受けて立ち、世界の病院にすると言う壮大な小説であった。
 今のもの書きにはそのような物が書けない。爾来文学と政治はお互いに牽制し合いながら国民の幸せを願うべき物であったのだが・・・。
 
 果てしない思いを夢にかえるには歳を取りすぎたか・・・。吉田茂の様に「もう一度老骨にむち打って総理大臣になってこの國のために働こう・・・。」これもわたしにはもう夢なのだ。

桜は咲いたが・・・。

2011-03-29 13:39:12 | 独り言

櫻は咲いたが・・・。

 遅い、救援、支援態勢が遅いように思う。今の日本なら四日もあれば完ぺきな支援が出来ていたのではないか。自衛隊を10万人も入れてのこのていたらくなのである。と言う人がいるが、神戸の地震とは規模が違っている。広いのだ。そして政府の対応が遅いのだ。津波という特殊な事情がある。地震だけならそんなに被害が出ていたかどうか、人は津波の恐ろしさを痛感した。何もかもどん欲に飲み込む、まるで人間の欲のような津波に一気に飲み込まれたのだ。そして完全に破壊されたのだ。インフラは、ライフラインは絶たれた。犠牲者は戦後最大になっている。被災者は何十万人になる。そして、原発事故が恐怖を広げた。
 そんな中で一国の総理は正常な精神を失い適切な指揮が行えなくなった。原発事故現場を視察したときに「わたしは原発に詳しい」と嘯いたが中学で学ぶ「臨界はなにか」問う不勉強ぶりである。全く勉強をしていない。大学生の時にはデモに明け暮れ卒業してもフリーターを続け社会運動かを気取っていた。市川房枝さんに拾われて政治の道に志したが、攻められる前に攻める不認識は続いている。気分気まぐれ口から出まかせの逃げ路を造り地位を維持するために汲々としているのだ。市川房枝は何という男を政治の世界に引き込んだのか、この人の見識を疑わざるをえない。菅ほど花のない男も珍しいと言わねばならない。
 人を顔で判断してはいけないと言うが、顔はその人の歴史を物語っている物だ。被災者の人たちの顔の方が遙かにいい顔をしている。彼らは東工大を出ていないが隔世のいい顔なのはどうしてか、苦労の中で培った顔なのである。最初に「ありがとうございます」という言葉はこのような状況下では中々出る物ではないからだ。
 枝野の説明も最初は何とか繕っていたが今では煩わしい物になっている。本当のことを隠して語るとあのように表情もなくいみのないことを同じトーンで語らなくてはならないのだ。フジのアナウンサーがこぼした言葉は不謹慎ではあるがうんざりしている国民の代弁者なのかも知れない。
 櫻の花が咲いたという頼りを耳にしても浮き立つ気持ちは湧いてこない。被災地にはまだ雪が舞っていることを思うと花見という気分にはならないからだ。春は中々来ない、ことしは来ないかも知れないと思う。被災者は花が咲くのを見て少しは心穏やかになるだろうか。花より団子なのである。被災者への対策が遅れている現状にもじっと我慢で待っている、そのねばり強さは必ず復興するであろう意志を見ることが出来る。それを国民が応援しなくてはならない。一人一人が何が出来るかを自らに問いこの歴史的災難を共有しなくてはならない。それが人間としての、日本人して同胞を思いやるつとめではなかろうか。
 そして、この機会に国民は今までの生活を総括しなくてはならない。繁栄だけで果たして良いのか、この國を間違った方へ造ったのではないかという疑問を投げかけなくてはならない。夜になっても煌々と明かりを付けて昼のような町を造りひとときの享楽をむさぼり享受していたのではないかとか、高級なフレンチを食べ他者の苦しみを思う余裕もなく生きていたことが何の人間としての価値を生んだか、日本人の食べ残しで後進国の人たちの命をどれほど救えるのかという心も持たずに傲慢に生きたこと、まだまだ反省することが沢山ないか。いつからこの国の民はそんな優しい心根を忘却したのであろうか、あの戦争のあとの苦しみを通しての屈辱と反省と生き方が間違っていたことをもう気づかなくてはならない。あのときの教訓を子ども達に教えなかった故の大人の罪なのである。食べ物がなく腹を空かしていたその反動でとにかく腹一杯食べたい、そのためには裕福になりたい、そのことばかり考えてこの國の人はあだ花を咲かしてしまっている。先進国への、追いつけ追い越せ所得倍増、家を建て電化製品で満たし車を乗り回し子どもは大学へと言うぞれだけの為に一生懸命に生きたのだが、その生き方はゆとりと、精神的に満足であったのだろうか。何か忘れていたのではないか。特に戦争のあとに産まれた団塊の世代の人たちは自分の為に生きるという概念しかなく、他者を思う慈愛が欠如していたのではないか。退職して優雅に海外旅行に明け暮れ、大きな車を乗り回しているのを見て精神のつたなさを痛感しているのだ。あえて言う、団塊の世代にこの國を本当に優しい思いやりの國に作り替えると言うビジョンのかけらもなかったと。政治家はそのような人により産まれこの國を今の金銭至上主義にしたのだ。国民にその責任のすべてはあるのだと言いたい。
 東電のことは前のスペインの記事を読んでくれた方はおわかりいただけたと思いますが、大企業が弱者を使って成長し維持していたのは事実である。民主主義には差別格差がいる社会なのである。社会主義はもっと酷いそれがある。弱者を常に造っていなくては企業はもたないのである。ホームレス、フリーター、非正規社員がいなくては正社員への牽制がなくなるのだ。いつでも替えがあると言うことを示しもっとやれと尻をたたき、やらなくては首を切られるという考えにさせなくては企業は維持できないのである。
 日本が先進国だという人がいる、重工業に頼っていてはそれが出来ない。いち早く日本は工業国より脱却して軽工業、福祉国家への歩みを造らなくてはならなかった。かつてあった和の精神は人々の心の中にはない。あるのは競争心だけである。今までその精神の荒涼とした世界が続いていたのだ。
 そんな國にも四季の恵みは訪れてくれた。その四季に感謝をしていたであろうか。今生きていることに「ありがとう」という言葉を投げかけていたであろうか。それを当たり前としてその中で生きていたのである。忘れていた物が大きすぎたことに気づかなくてはならない。
 明治維新、戦後の維新、そしてこの震災の維新、過酷に運命に翻弄されて始めて人間は進化するのだ。
 進化する日本を国民がみな心して進化の思いで復興しなくてはならない。
 坂口安吾の「満開の櫻の木の下で」人はその下を歩くとき不安で恐ろしい体験をしなくてはならない。
 それが今かも知れないと・・・。
進化した日本人はそんな花を咲かせなくてはならない、国民の心に開く花を・・・。

真実は・・・。

2011-03-26 01:15:45 | 独り言
エル・ムンド[EL MUNDO:スペインの新聞 ]2003.6.8



調査報告/原子力発電所における秘密

日本の原発奴隷







 日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。 多くが癌で亡くなっている。クロニカ〔本紙〕は、このとんでもないスキャンダルの主人公達から話を聞いた。

DAVID JIMENEZ 東京特派員
 福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は何も必要なく、前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、48時間で戻って来られる。2日後、この破産した元重役と、他10名のホームレスは、首都から北へ200kmに位置する発電所に運ばれ、清掃人として登録された。
 「何の清掃人だ?」誰かが尋ねた。監督が、特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。30度から50度の間で変化する内部の温度と、湿気のせいで、労働者達は、3分ごとに外へ息をしに出なければならなかった。放射線測定器は最大値をはるかに超えていたため、故障しているに違いないと彼らは考えた。一人、また一人と、男達は顔を覆っていたマスクを外した。「めがねのガラスが曇って、視界が悪かったんだ。時間内に仕事を終えないと、支払いはされないことになっていた」。53歳の松下さんは回想する。「仲間の一人が近づいてきて言ったんだ。俺達は原子炉の中にいるって」。
 この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。“仕事を受けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。日本の原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、さらに何千人もが癌にかかっている。

完全な秘密
 原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。いくつかの国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人はほとんどいない。やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契約することを請負っている。「やくざが原発親方となるケースが相当数あります。日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。
 樋口氏と藤田教授は、下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。樋口氏はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者である―、藤田氏は、彼の放射能研究によって、日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に挑んでいる。彼らの意図は、70年代に静かに始まり、原発が、その操業のために、生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキをかけることである。「日本は近代化の進んだ、日の昇る場所です。しかし、この人々にとっては地獄であるということも、世界は知るべきなのです。」と樋口氏は語る。
 日本は、第二次世界大戦後の廃墟の中から、世界で最も発達した先進技術社会へと移るにあたって、20世紀で最も目覚しい変革をとげた。その変化は、かなりの電力需要をもたらし、日本の国を、世界有数の原子力エネルギー依存国に変えた。
 常に7万人以上が、全国9電力の発電所と52の原子炉で働いている。発電所は、技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。
 嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事をもちかけられた。「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。今、あの子の死は殺人であると分かっています」。彼の母、美智子さんはそう嘆く。
 嶋橋夫妻は、伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。彼は29歳で亡くなった。
 原子力産業における初期の悪習の発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。誰の代行か分からない男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働き口を提供して回る。そこに潜む危険を隠し、ホームレスたちを騙している。発電所は、少なくとも、毎年5000人の一時雇用労働者を必要としており、藤田教授は、少なくともその半分は下請け労働者であると考える。
 最近まで、日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことはほとんどない。原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12年間経済不況の中にあり、何千人もの給与所得者を路上に送り出し、一人あたり所得において、世界3大富裕国の一つに位置付けたその経済的奇跡のモデルを疑わしいものにしている。多くの失業者が、家族を養えない屈辱に耐え兼ねて、毎年自ら命を絶つ3万人の一員となる。そうでない者はホームレスとなり、公園をさまよい、自分を捨てた社会の輪との接触を失う。

“原発ジプシー”
 原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知られるようになる。その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい場合、見捨てられて死ぬまで、仕事を求めて回る放浪生活を指している。「貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。
 日本の当局は、一人の人間が一年に受けることが可能である放射線の量を50mSvと定めている。大部分の国が定めている、5年間で100 mSvの値を大きく超えている。理論上、原子力発電所を運営する会社は、最大値の放射線を浴びるまでホームレスを雇用し、その後、「彼らの健康のために」解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。現実は、その同じ労働者が、数日後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。そういうわけで、約10年間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。




長尾光明、78歳、多発性骨髄腫に罹患。東電・福島第一原発で働いた自分の写真を抱える/ 撮影:樋口健二

 長尾光明さんは、雇用先での仕事の際に撮られた写真をまだ持っている。写真では、彼は、常に着用するわけではなかった防護服を着ている。病気になる前、5年間働いた東電・福島第一原発で、汚染除去の作業を始める数分前にとった写真である。78歳、原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。興味深いことに、彼は、契約されたホームレスの一人ではなく、監督として彼らを指揮する立場にあった。「大企業が拘わる仕事では、何も悪い事態が起こるはずはないと考えられてきました。しかし、これらの企業が、その威信を利用し、人々を騙し、人が毒される危険な仕事に人々を募っているのです」と長尾さんは痛烈に批判する。彼は、許容値を超える大量の放射線にさらされてきたため、歩行が困難となっている。
 30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。おそらくそれ故、不幸な人々の苦しみを間近で見てきたが故に、調査員となった写真家は、間接的にホームレスと契約している多国籍企業の名を挙げることに労を感じないのだ。東京の自宅の事務所に座り、紙を取り出し、書き始める。「パナソニック、日立、東芝…」。

広島と長崎
 企業は、他の業者を通してホームレスと下請け契約をする。労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わずにすむシステムの中で、それは行われている。日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。1945年8月6日、アメリカ合衆国は、その時まで無名であった広島市に原子爆弾を投下し、一瞬にして5万人の命が失なわれた。さらに15万人が、翌5年間に、放射線が原因で亡くなった。数日後、長崎への第二の爆弾投下により、ヒロシマが繰り返された。
 あの原子爆弾の影響と、原発の下請け労働者が浴びた放射線に基づいて、ある研究が明らかにしたところによると、日本の原発に雇用された路上の労働者1万人につき17人は、“100%”癌で亡くなる可能性がある。さらに多くが、同じ運命をたどる“可能性が大いにあり”、さらに数百人が、癌にかかる可能性がある。70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。裕福な日本社会が消費するエネルギーが、貧困者の犠牲に依存しているということが、いつまで許されるのだろうか」。
 政府と企業は、誰も原発で働くことを義務付けてはおらず、また、どの雇用者も好きな時に立ち去ることができる、と確認することで、自己弁護をする。日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。
 ホームレスは、間違いなく、そのような仕事に就く覚悟ができている。原子炉の掃除や、放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、一日で、建築作業の日当の倍が支払われる。いずれにせよ、建築作業には、彼らの働き口はめったにない。大部分が、新しい職のおかげで、社会に復帰し、さらには家族のもとに帰ることを夢見る。一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。
 多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射線を浴びたことを知られ、他の労働者に替えられることを怖れて、ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても不思議ではない。「放射線量が高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ」。斉藤さんはそう話す。彼は、「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園のホームレスの一人である。




原子炉の内部。下請け労働者のグループが日本の原子炉内部で働く。彼らのうち何名かは原発奴隷である。彼らは、何らかの技術的知識が与えられることはなく、国際協定で認めら れた最大値の1万7000倍の放射線を浴びている/撮影:樋口健二

 原発で働く訓練と知識が欠如しているため、頻繁に事故が起きる。そのような事故は、従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」と樋口氏は言う。一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。絶望したホームレスたちは、昼はある原発で、夜は別の原発で働くようになる。
 この2年間、ほとんど常に藤田、樋口両氏のおかげで、病人の中には説明を求め始めた者達もいる。それは抗議ではないが、多くの者にとっての選択肢である。村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病にかかった二人の原発奴隷は、雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、おそらく、殺すと脅されたために、それぞれの訴訟を取り下げざるをえなかった。

毎日の輸血
 大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。
 労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。残りについては、最大25の違反が検出された。その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。その時からも、ホームレスの募集は続いている。
 松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、路上の労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、1000人を募集したことを確認している。福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けたことを認めている。その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。2、3ヶ月前から髪が抜け始めた。それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。

                         * * * * *
 この新聞は、インタビューを受けられた樋口健二氏より提供された。記事の訳内容の一部は、樋口氏によって訂正されている。なお、原文では、写真は全てカラーで掲載。
訳責:美浜の会

思い・・・。

2011-03-25 04:26:14 | 独り言

思い・・・。

目を覚ますときに地震や津波や原発の事故が夢であったらと思う。そんな日々を過ごしている。国民は皆そのように思っているのではないか。今日生きて、この世の物とは思われない惨状を見せつけられて皆そう思うであろう。まだ海に、がれきの中に一万何千人という犠牲者の方々がいるのです。この瞬間に生きていることがわたしにとって何をいみするのかと問いただしている。歴史の証人なのだ。救援物資は十分ではないという。着の身着のままの被災者は何を思うのか、生きているだけでいい、ありがとうございますとなぜそんなに謙虚になれるのか。
 わたしはその人達の言葉を忘れないでしょう。救われると言うより切ない思いがするのです。わたしの過去のすべてを忘れても二千十一年二月十一日は忘れないでしょう。地震のあった日から数日寝ずにテレビに見入り、ツィッターのつぶやきから目を離さなかった。一刻一刻と変化する様相を脳裏に刻んでいた。津波に押しつぶされた風景はあの戦争の焼夷弾のあとと被さって見えた。岡山の空襲のあとには焼かれた日銀と百貨店の建物しか残ってはいなかった。まさに三陸の港町と一緒であった。日本人はあの戦争で何も学ばなかったというのですか。きっとこの震災の教訓も直ぐに忘れるのでしょう。
 原爆の人類最初の犠牲も原発を持つことで忘れ繁栄のみを追い求めてきた。震災は日本人に自然が突きつけた警告なのではないかと思う。人間としてのつとめを忘れ金のみを追い求め贅沢な生活に憧れてきた日本人への戒めではなかったか。そう書くと被災者の方には本当に申し訳ないのですが、この辺で目を覚まさなくてはならないのではないか。今の心、被災者の方とともにあると言う心を忘れることなく生きなくてはならないのではないのでしょうか。戦後、貧しかったけれどポケットの中には夢があり希望が膨らんでいたし暖かい友情が詰まっていたのでする。そこに立ち返り失った物を探さなくてはならないように思うのです。
「老骨にむち打ってもう一度総理大臣になってこの國を再建させる」吉田茂はそのように言ったのです。わたしが書いた台本の台詞なのですが、そのように気概のある言葉が欲しいと思う。イギリス大使の折毎日日本の政府に停戦を進言してきた人なのです。そんな先の見える人が総理であって欲しいと思う。
 今日、東電の協力会社の社員三名が被曝して二名が病院に搬送された。メディアは協力会社と言うが下請け会社なのです。下請けの従業員と東芝の社員が原発でまるで特攻隊の精神で頑張っているのです。たぶん東電の社員は絶体に危ないところには行かないでしょう。原子力安全保安院の方達はとっくに逃げていましたから。まるで戦争末期の時代に上層部は安全なところにいて命令をだしていたようにである。
 これから一番おそれなくてはならないのは風評被害である。関東大震災の時には、混乱の中、朝鮮人が井戸に青酸カリをいれた、という流言飛語がより混乱を招き朝鮮の方が襲撃をされて多くの犠牲者を出した。こんなことは二度と起こしてはならないのです。
 野菜に魚、飲料水、放射能の汚染は広がっている。怖いの食物連鎖なのです、体内被曝なのです。そのことを政府はいつ国民に告げるのだろうか。
 東北の再建には二十五兆円はいるでしょう。今なら多少の増税もいとわないという人たちが多い、が、まず最初に議員定数削減、俸給の半額カット、歳費をなくする。くらいの英断をして、あとは国民の声を聞かなくてはなるまい。まだ、子とも手当に拘っている内閣ではようやるまいが、子ども手当の全額一兆円を全部回すべきなのだ。ばらまきと言われている物はすべて再建に回すべきなのである。
 被災地の町作りには真剣に取り組んで欲しい。今のままではやがて自分の土地の上にバラックが建つだろう。災害を繰り返さない為にもここは行政が指導して住居はすべて山へと言うようにしなくてはならないだろう。
 わたしが師と仰ぐ井上ひさしさんは岩手の小松市の遅筆堂文庫を開かれている。師が生きておられたらこの惨状を見て何と言われるだろう。嘆かれるであろう。日本の未来の姿は師が書かれた「吉里吉里人」の中にあるように思えるのです。福祉国家で世界の病院、それが師の理想国家であったのだが・・・。

 わたしは今六十九歳、二日前になりました・・・。歴史の証人にしては歳を取りすぎているか・・・。だが、せめて東北関東の再建も歴史の証人として見詰めたいと思う・・・。

来たか・・・。

2011-03-24 01:46:07 | 独り言
来たか・・・。

 とうとう私が懸念していたことが現実になりつつあることに心配をしている。それは食物、野菜の汚染である。葉物が最初にやられた。放射能を含んだ雨が葉に当たりそこを残留したのだ。それならば綺麗に洗えば食しても良いと思うのだが、畑の汚染でそこに生育した物であれば少し困難な物になる。洗っても残留物はとれないからだ。これは食しない方がいいだろうと思う。汚染された牛乳を飲むと人間の体で何百何千と増えるので辞めた方がいいのだ。乳牛から人間へと言う食物連鎖なのだ。簡単に言うと乳牛の汚染が1とするとその牛乳を飲んだ人間は100倍にも1000倍にも増幅されて汚染物質が体内へはいると言うことなのである。
 わたしが一番におそれているのは魚類である。小さい魚を少し大きな魚が食べそれをまた大きな魚が食べてと言う連鎖が途轍もない、食物連鎖を起こして最後に人間が食べるときには何千倍の汚染された物質が体内に入ると言うことなのである。これは何とかという法則なのだが忘却している。これを唱えた女史の名前が付いていたと思う。これはわたしがゴルフ場建設に反対していたときに芝を綺麗に見せるために蒔く除草剤が川に流され小魚が食べそれを大きな魚が食べ食物連鎖をしてやがて人間がと言う、環境ホルモンが人間を滅ぼす、その恐怖の為に戦ったときに感じた物である。
 今、原発の沖の海に放射能汚染が始まったという 恐怖を感じて身が縮こまっている。食物連鎖が起こる可能性が大きくなったことにである。
 今の人間は環境ホルモンに寄ってたたかれ、核の汚染でどうにもならないところまで押しやられている。いや、押しやられそうなのである。
 若いころ原発禁止をみんなで叫びデモもやったことは良いことであったのか、それが若気の危惧であってくれたらと思っていたが、現実に起こっている現状に対して唖然としている。
 言っておくが、核は人間が操作できたり制御できる物ではないのだ。
人間の手に余る物はやらないということが正解なのである。
 原発は国策であった。化石燃料のだす汚染物質に対しての代替えであった。クリーンという美名に包まれていたがいざ事故が起きたときの対策や覚悟が出来てなかったと思う。国民はそれを一切知らされていなかった。一部の人間が知っていただけである。反対していた人たちも高度成長の享楽に飲み込まれたのだ。声はだんだんと小さくなり消えていた。
 福島原発の地はこれから何十年と立ち入り禁止の柵が張られるだろう。
 人間は環境ホルモンによってじわじわと生殖機能を犯され、核により命を奪われるのだ。
 この人間最大の危機にこれからの人間が生きて行くには進化をしなくてはならない。もう一度大きなハードルを越えて生き延びるための進化である。人間という動物は危機を乗り越えることによって進化して今があるとすればそうするより他はないのだ。
 人類は必ず生き延びて進化する。これは過去の事例からも明らかなのである、が脱皮する人類の苦難は計り知れないだろう。
 石原愼太郎の言った天罰は日本人の傲慢で直ぐに金に飛びつく卑しさであり理性のない浮ついた心への戒めであると思う。
 だが、震災復興への心意気は、政府の不手際を除いて、一つのこころになろうとする輪ができつつあると思う。それが救いである。何もかも海の藻屑に、津波で粉々にされた町に佇みながらも目の光は失っていない。地獄に落ちてもはい上がる気力は持っている。この人達は心の進化をしているのだろう。
 さて、エゴをすてて生きることが出来るのか、今、それが問われているのではないだろうか・・・。少しの進化であるがまずはそれでいいと思う。
 あの焦土に流れた「リンゴのうた」は聞こえて来ないのか・・・。あのときに日本人は進化しなくてはならなかったのだ。だが、何か間違った國を造ってしまったのではないか・・・。

長くなる・・・。

2011-03-21 02:09:22 | 独り言
長期戦になる・・・。

 被災地への支援物資が届くようになった。がそれば十分ではなかろう。にぎりめし一個に比べたらよくなったという程度なのである。ガソリン、灯油が依然届いていないのだ。一番酷いのは原発の退避勧告で逃避してきた人たちがいる地域だ。支援物資やガソリンや灯油はくるのだがいわき市に入ろうとしない運転者が多いという。運転手を捜さなくてはならないらしい。これは風評差別である。もっとも起きてはいけないことなのである。菅が幾ら貝割れを食べたとて解決できる物ではなかったことがその査証であろう。
 私はこのブログで海へ客船や貨物船を待機させてはどうかという提言をした。二次津波を警戒していたのかそれはなされなかったが、今ようやく船によって救援物資が届くようになった。自動車や貨物列車とは比べものにならないくらいの物量が揚げられるのである。言ってみれば一番効率が良いのだ。間に合って良かったと思っている。飛行場もようやくその役目を果たせそうなのもうれしい。これから陸続と物資は被災地へ流れ込み被災者の手元に届くことは頼もしい限りである。
 今日がれきの中から八十歳のお年寄りと十六の少年が助けられたと言うことは大きな光である。まだ生存している人がいるかも知れないのであることを実感出来た。諦めずに救助に全力を注いで欲しいと思う。
 原発の事故で三号機へ向けての放水は焼け石に水だとか気休めだとかと言う声を聞くが何もしないよりした方がいい。素人考えでも信じてそれをして貰いたいと思っている。だが、なぜ、他のところからの送電線を引くことを早くやらなかったかと言う疑問である。重油の貯蔵庫が津波で流されてディぜールの発電機が使えないと分かった時点でなぜ送電線を引くということが思いつかなかったのか不思議なのである。電力のプロである、一番に思いつくのが当たり前なのではなかったろうか。いささか遅すぎるの感がある。現場も本社もこんな状態になるとは想定していなかったのではないか。現場の意見が吸い上げられなかったのは、現場に入っているのは東電の社員ではない、すべてと言っていいほど下請けの社員であったのだ。聞く話に寄れば東電は下請けの社員を差別していたと聞く。だから聞く耳を持たなかったと言うこともある。メーカーの東芝、日立の社員にすら差別的であったと聞いた。そう言う東電体質があった言うことはあ事実てあったらしい。悲しいことにそれを管理監督する保安院は素人団体であったことである。許可を出し検査をし認可をする人たちが素人とは何という組織なのであろうか。テレビに出て説明している人は一年半前は特許庁にいたと言うことである。
 放水が万良く事故を終息させてもそれからが大変なのである。炉の中の燃料棒と使い済み燃料棒を五年間は冷やし続けなくてはならないのだ。大きく壊れて壁も天井もなくなった三号機四号機は燃料棒の貯蔵プールがあるのでそこから放射能が飛散するのである。いかに冷やしても僅かであるが漏れるのである。ロシアではそれをコンクリートで固めたのであるが日本もそうしなければならなくなるのか、東京ドームのような物で覆わなくてはならないことになるのだ。使い済み燃料の貯蔵庫として建設中の青森の施設はまだ出来ていない。果たして今回の事故で大きな反対運動が起こり出来なくなるかも知れないのだ。そうなると使い済み燃料は香炉の建て屋の中に造らなくてはならなくなる。これはこの事故で立証されたように危険きまわりないものになるのだ。今になっても福島第一原発は廃棄とするが第二は大丈夫だから運転する気でいるのだ。まさに気が触れたとしか言いようがない。地震と津波はもう来ないという理論らしい、が考えても見てくださいもう四十年も稼働している炉なのである。そして監督しているのが素人の集まりの保安院では心もとなくて夜も眠られないのだ。保安院の上層部は天下りの人たちがひしめいているらしい、東電の幹部もこれまた天下りの温床なのである。責任を取らない団体なのである。
 ああここまで書いて何かむなしい感じがしている。寒さに震えている。
 自衛隊の方達、東京消防隊の方達、警察官の方達、それに東電の社員の命を捨てた行動には頭が下がりお礼の言葉もありません、が、東電の社員とは下請け会社の社員であるのです。現場に入っているのは東電の社員は僅かであとは安い賃金の下請けの社員なのです。危ない仕事は東電の社員はしないのです。そのことも認識しておいていただきたいのでする。無事に収まれば東電の社員の誉れになり、しくじれば下請けの社員がと言うことになるのです。大手のやりそうなことで、メディアはそのことをはっきりと報道しなくては下請けの社員は浮かばれません。
 いやらなったのでこの辺で辞めます。

 庭の薔薇が日に日に芽を出し大きく枝を広げだしている。遅い水仙もようやく花を開きました。時の巡りは確実に春なのです。そんな花を見ても悲しいのはなぜでしょう。みんなが春を喜ぶことが出来ないと言う現実を知っているからなのです。ありがとうと大きな声では言えません。見て少し頬を膨らませるだけ。
 起きテレビを付ける前に昨日よりは良くなっていますようにとスイッチを入れています。そんな毎日です・・・。心に大きな穴が開いているようなのです。
 これからの日本がどうなるのか考えています。広瀬隆さんは二千五十年には日本はなくなっているかも知れないと書いてあった本をもう十年くらい前に読みました。それが現実感を帯びてきたことに恐怖を感じています。
 だが、四季は色々の草花を咲かせて励ましてくれるでしょう。何もここで落ち込んでいられないのです。再生しかないのです、これからみんなが幸せになれる本当の国作りが始まるのです・・・。


今日も寒くなっている・・・。

2011-03-09 21:51:57 | 独り言


 今日は寒くなっている・・・。

 今日は寒い日だ。三寒四温と言うが寒が続いているように思う。こんな天候が続くから風邪が中々抜けてくれない。こんばんは零下二度
になるらしい。ことしは寒波で凍結し水道管が破裂するという事件が二件あっので今回も心配している。まあ、ままよ三度笠で気にしないことにする。
 私は太っているのて冬になると血圧が上がるのですが、と言って降下剤を飲んでいるのですが冬には効き目が薄かったのです。この二年青汁牛乳と緑茶を飲み始めてから冬でも血圧の変化は見られなくなっている。私は塩分を気にした生活をしていないのです。減塩はしたことがないのです。今の血圧は上が126で丁度良いのです。やはり食べ物と飲み物が作用するのだと確認しました。そして、あまり気にしない生き方をしています。この調子なら何処へでも行けそうです
 今計画しているのは鹿児島の指宿へ開通する九州新幹線に乗って行くことなのです。三月のおわりか四月の中頃を考えています。東京へ何度も行っていましたが九州は始めてです。グリーン車で三万五千円くらいで行けそうなのでそれにするつもりです。家人が障害者なのでゆったりとと考えています。障害者割引もありますから安く行けそうです。三時間あまりの旅なので乗り心地を考えています。たぶん、みんな鹿児島へ鹿児島へと混雑すると思いますので普通指定席はとれそうにないというのも原因です。ここは多少贅沢でもと考えています。
 家人とは久しぶりの長旅です。良い思い出が作れることを考えています。
 昨年の煙草値上げの時に買い置きしていた物がなくなりつつあります。五万円近く安く吸いました。買うときに買い置きがなくなるときには禁煙をする予定にしていました。さて、どうなるのでしょう。禁煙治療は精神科の薬を飲んで脳をたたくと言うことなのではたしてどうなのか。鬱の時には抗鬱薬で改善をしたが、その薬がどんな物かむずかしいので考慮中です。薬に頼らなくては禁煙が出来そうにありません。精神力が欠如していますから。鬱の患者にはヘビースモーカーが多いのです。良いこともあれば悪いこともある。
 人生様々なのである。やはり何にも考えずに「のんびりゆったり自分流」で生きて行けたら私に取って幸せなのだが・・・。
 明日から「麗老」の連載を考えています。毎日三枚程度で長くは載せないようにしょうと思っています。さて、どのように書けるか、毎日書いた物を載せるつもりです。