大リーグ挑戦を表明していた大谷翔平選手のエンゼルス入りが決まったようだ。
報道によると年俸が約6100万円と破格の安さだ。これは、大リーグの新労使協定によるもので、25歳未満の新人ドラフト対象外海外選手の年俸は最大この額に制限されているそうだ。
ちなみに、2013年にヤンキース入りした田中将大投手の場合、7年総額で約161億円だったそうで、大谷選手も、あと2年待てば、田中投手以上の契約を結べる可能性があったと記事は伝えている。世俗の名利ばかりが気になる私たちとは異なり、彼は自ら描いた夢を純粋に追い求めているということなのだろう。
大谷選手は高校入学後から大リーグへの憧れが強かったという。
実際、ドラフト会議直前には大リーグ挑戦を表明。それに対し、日ハムはドラフト1位で指名することを公表、その通り、ドラフト会議で単独1位指名し、交渉権を獲得した。
だが、大谷選手は大リーグでやりたい気持ちは変わらないと日ハムの指名挨拶の訪問にも応じなかった。
結局、日ハムの熱心な口説きに応じ日ハムへ入団したものの、それも大リーグへ続く道と考えてのものだったようだ。
大谷選手は、日ハム入団翌年のルーキーイヤーから投手と打者の「二刀流」を実践、徐々に結果を残していくことになる。
2年目に、投手として11勝4敗、打者としては打率2割7分4厘で本塁打10本の日本プロ野球史上初となる同一シーズンで二けた勝利と二けた本塁打を記録。
3年目は15勝5敗、2割2厘の5本塁打に終わったものの、4年目には10勝4敗で打率3割2分2厘の22本塁打と再び同一シーズンでの二けた勝利と二けた本塁打を達成。
5年目の今シーズンは怪我の影響でシーズンを通し満足のいくプレーが出来なかったようだ。3勝2敗の打率3割3分2厘、本塁打8本は、彼にとっては不本意な成績だったろう。
大リーグ挑戦を正式に発表した日の記者会見で、大谷選手は日本プロ野球界でのプレーを振り返り「この5年間に自信は持ってもいいのかなと思っている」と語った。
持って生まれた才能を努力によって磨き上げ、結果を出すことによって周囲を認めさせ、常識を超えてきた大谷翔平選手。
「個人的には継続してきたものをさらに伸ばしたい。どこか一つをあきらめるということは、今の時点で考えていない」と強い決意を披露してみせた。
そして、その通り主体的に動き、大リーグ通算614ものホームランを打っている指名打者のアルバート・プホルスを1塁に回し、指名打者の座を、また、ローテーションを変更してまでも先発の座を用意し、投打ともに彼を最も必要とする姿勢を示したエンゼルスへの入団を決めた。
日本プロ野球で私たちファンに見せてくれた「二刀流」は、これまで誰にも真似することの出来ない偉業であった。来春からは大リーグという檜舞台で大谷選手の挑戦が新たに始まる。そして、私たちはその夢の続きを目撃することになるのだろう。
果てしない人間の可能性を教えてくれるスーパースターの挑戦に心が震える。