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峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

ショーン・ホワイトというスタイル

2018年02月15日 | スポーツ

平昌オリンピック6日目、午前10時半からスノボ男子ハーフパイプの決勝が行われた。

注目の3選手の試技の順番は、平野歩夢選手、スコッティ・ジェームズ選手、そしてショーン・ホワイト選手、この順番が選手の心理面に微妙な影響を少なからずとも与えたことは間違いないだろう。

最終的に優勝を争うことになったのは平野選手とショーン選手、見えない火花が激しく散っていた。
先ず1本目、平野選手は、グーフィースタンス(右足を前にして滑る構え)からドロップイン。最初のヒットは彼特有のいつもの高いメランコリー。
切り返して、ここで最高難度のダブルコーク1440を決める。
しかし、次のキャブダブルコーク1080の着地で尻もちをつきスコアは35.25で終わる。

これを見たショーン選手、ダブルコーク1440を1本決め、その後のエアーも手堅くまとめた。
トップに立ったことを確信したショーン選手は、吠えながらヘルメットを取り、ギャラリーに向かって放り上げた。
出来の良さに興奮して思わずというより、多分に平野選手にプレッシャーをかける意味合いが強いように感じた。
結果は94.25、1本目が終了した時点でショーン選手がトップに立つ。

続く2本目、ここで決めなければ苦しくなる平野選手はドロップイン後、ルーティーンのパイプの底から約12、3mにも達しようかというメランコリーを決め、そこから勝負に出る。連続してのダブルコーク1440へのトライだ。それを鮮やかに決める。オリンピック史上、初めて連続してダブルコーク1440が成功した瞬間だった。
繋げてダブルコーク1260、さらにバックサイドのダブルコーク1260を決める。これもオリンピック史上初となるバックトゥバックのダブルコーク1440と1260を4連続で決めたみせた。
ほぼ完璧な試技だった。スコアは95.25、この時点で1本目のショーン選手のスコアを超えた。

その後、スコッティ選手の試技を挟んでショーン選手の2本目の試技が始まる。
平野選手に逆転された以上、連続しての1440を決めなければ金メダルはないショーン選手、当然、1440を試み成功したが、その後、着地に失敗する。

そして、最終ラン。
平野選手は、再び連続しての1440を決めようと試みるも失敗に終わった。オリンピック史上初めて成功したトリックだ。そうそう成功するわけもなかった。

そして、ショーン選手の登場だ。
ここで連続して1440を成功させれば金メダルの可能性は残る。それにトライできなければ金メダルはない。
銀メダル以上が確定しているショーン選手に一切の躊躇は無かったはずだ。

ここまで数々の修羅場を乗り越え幾多の栄光を手にしてきたショーン選手にとって、己を奮い立たせ再びオリンピックでの栄冠を勝ち取るための絶好のお膳立てが揃ったようにも思える展開ではあった。
そして、それはまるで筋書きがあるかのように、ショーン選手の完璧なトリックへと繋がっていった。


きっと そこから始まる

2018年02月14日 | スポーツ

平昌オリンピックが佳境に入っている。

それにしても改めて思うところがあった。

スノボ男子ハーフパイプの平野選手、スキー・ノルディック複合個人ノーマルヒルの渡部暁斗選手、そしてスピードスケート女子1000mの小平奈緒選手、今日の競技で金メダルが期待された選手だ。だが、何れもが銀メダルに終わった。

それが、じゃんけんだろうが、UNOだろうが、将棋だろうが、勝負に勝つのは難しい。
ましてや大会で優勝するのは至難のわざだ。
それは、小さな町の大会であってもオリンピックであっても同じだ。

再び改めて思う。
勝つことは、勝ち続けることは難しい。
優勝するというのは勝ち続けるということだ。それは、例えどんな小さな大会であっても至難だ。
だからこそ、勝者は称賛される。

翻って、負けるのは当たり前のことなのだ。
敗者よ、敗れて下を向くことはない。
明日の戦いに備えよう。

そして、その戦いに負けても恥じることはない。
何故なら、それが当たり前なのだから。
にっこり笑って、負けを受け入れよう。

きっと、そこから何かが始まる。


ダブルコーク1440

2018年02月14日 | スポーツ

平昌オリンピック5日目、注目していたスノーボード男子ハーフパイプの予選が行われた。

この競技を初めて目にしたのが2006年、フィギュアスケート・荒川静香選手の金メダル獲得で日本国中が湧いたトリノオリンピックだった。
さらにその4年後2010年のバンクーバーオリンピック、圧倒的な強さを見せて金メダルに輝いたショーン・ホワイト選手のことをブログに記している。
この時のハーフパイプの日本代表は、服の着こなしや謝罪会見での言動で激しいバッシングを浴びた國保和宏選手だった。

2006年トリノオリンピック、スノーボード・ハーフパイプ競技に17歳で出場した國母選手は、その後、徐々に実績を上げてバンクーバーオリンピックでも代表入りを果たした。
このバンクーバーオリンピックのハーフパイプ競技ではショーン・ホワイト選手が編み出した「ダブルコーク1080」という大技の成否がメダル獲得に繋がっていた。
結局、國母選手はこのダブルコークを決めることができずメダル圏内から消えた。

一方、ショーン・ホワイト選手は予選を通過した後、決勝の1本目でダブルコーク1080を決めた。
2本目に入る時には既に金メダルを確定させていた彼は、この大会のために用意していた大技「ダブルマックツイスト1260」を披露、他を圧倒してみせた。

横に3回転・縦に2回転するダブルコーク1080、横に3回転半・縦に2回転するダブルコーク1260は、その後、さらに横4回転・縦2回転のダブルコーク1440へと進化し、連続しての1440の成否が今回のオリンピックでの金メダル獲得の鍵となっている。

先月のW杯で100点満点を出した、予選98.5のトップ通過のショーン・ホワイト選手か。それとも、世界選手権2連覇の予選96.75で2位通過のスコッティ・ジェームズ選手か。はたまた、先月のXゲームで、ショーン・ホワイト選手は出場していなかったものの、史上初のダブルコーク1440を連続して決めた、予選95.25で3位通過の平野歩夢選手か。金メダル争いは間違いなくこの3選手に絞られるだろう。

独特のしぶい技を繰り出すスコッティ選手はともかく、ショーン選手と平野選手の間では、どちらがより高く、より精度の高い1440を連続して決められるか否かが勝負の分かれ目となるだろう。
決戦の時が待たれる。


表現者

2018年02月12日 | スポーツ

平昌オリンピック大会3日目、昨日の午前中にスノーボード男子スロープスタイルの決勝が行われた。

予選は滑走が2本、決勝はそれが3本許されている。いずれも高い方のスコアで順位が決まる。
予選に比べ、後半の見せ場となる大きなジャンプ台からの横方向へ4回転、あるいは縦方向へ3回転しながらのジャンプでの転倒が目立った。
解説者の話では、そもそもコースの設定の難度が高い上、この日は気温が下がっていてコースの雪が硬く、ジャンプに臨む前のスピードの調整が難しくなっているとのことだった。

そんな中、ラストチャンスの滑走3本目に圧巻の滑走を見せたのがアメリカの17歳の若者、レドモンド・ジェラルド選手だった。
1本目、2本目ともにジャンプの転倒でそれまでのスコアはいずれも40点台、とても表彰台を望めるような得点ではなかった。
それが3本目は、それまでと見違えるようなスタイリッシュで、お洒落で、独創的な滑走で87.16の高得点をマークし、一気に大逆転、見事に金メダルを手中に収めた。

ところで、このスノーボード・スロープスタイルに挑む選手たちを、アナウンサーは競技者であり表現者であると言い表した。

スノーボード・スロープスタイルのコースは全長約600m、高低差約200mの中にレール・障害物とジャンプ台が複数設置されている。選手は、そこを滑走するわけだが、普通のスキー・スケート競技のように定められたコースを滑るのとは異なり、それらの複雑なバリエーションの中からいくつかのレール・障害物を自身で選択しつつ、様々な技を繰り出しながら一気に滑り降りる。

同じ技は2回使っても点数が伸びない。したがって、7,8個の技を繰り出さなければならないわけだが、それをどのように構成すのかが重要になってくる。また、回転を3回転にするか4回転にするか、さらにそこに縦回転をいれるのか、はたまた時計回りにするか半時計回りにするのか、右足を前に入っていくのか左足なのか等々、それらの組み合わせで演技の難易度が大きく変わってくる。

得点は、レール・障害物のセクションでは技の難易度、ヒット数、スタイルなどから採点され、ジャンプセクションでは技の回転数、難易度、スタイルなどから採点される。
特に要求されるのが独自性と独創性のようだ。
誰も使っていないコースを通る。誰も使っていない技を決めて見せる。なるほど、それは一つの自己表現ではある。

解説者は、技が決まるたび「かっこいいですね!」「おしゃれですね!」「しぶいですね!」「遊んでますね」とコメントしていた。他の競技ではなかなか聞けない言葉がこの競技のユニークさを表している。

スノーボード・スロープスタイルやスノーボード・ハーフパイプ競技は、エクストリームスポーツと呼ばれ、スポーツとしての側面の他に、ファッションや音楽といった若者の文化にも大きな影響力を持つと言われているようだ。
これらの競技が正式種目に加わったことで冬季オリンピックは様変わりの様相を呈し始めている。


魅せられて

2018年02月10日 | スポーツ

平昌オリンピック、きょうは午前10時頃からお昼を挟み午後3時まで、スノーボード男子スロープスタイル予選をテレビ観戦した。
この競技は前回のソチ五輪から採用された競技とのことだったが、私自身は初めて見る競技だった。

日本から出場したのは國武大晃選手と大久保勇利選手の2人、國武選手はきょうが誕生日の16歳、大久保選手は17歳と2人とも若い
スタイリッシュでお洒落なスノーボード・スロープスタイル競技にすっかり魅せられた。

そういえば、昨日の男子モーグル予選1回目で決勝進出を決めた堀島選手と原選手は共に20歳、また、フィギュアスケート団体・男子ショートプログラムの宇野昌磨選手も20歳だった。
若い力の躍動は美しく、その台頭は、なんとも心強い。ややもすると絶望に打ちひしがれそうになる古い人々の心の灯となるはずだ。
一方でレジェンド・葛西選手の45歳は別格にしても、年月を重ね心技体を磨いてきたアスリートの活躍にも期待したい。

間もなく、ジャンプ男子ノーマルヒル決勝1回目、レジェンド・葛西紀明選手の登場だ。女房どのと一緒に精一杯、応援しよう。


アグレッシブに攻めろ

2018年02月06日 | スポーツ

一昨日、世界ボクシング評議会(WBC)フライ級タイトルマッチが王者・比嘉大吾選手の故郷・沖縄で行われ、デビュー戦以来の連続KO勝利を狙うチャンピオン比嘉選手が挑戦者の同級9位・メキシコのモイセス・フエンテス選手に見事1RKO勝ちし、2度目の防衛に成功した。

比嘉選手はこれで連続KO勝利を15と伸ばし、沖縄の先輩である浜田剛史さんらの持つ日本記録に並んだ。ちなみにデビューからの15連続KO勝利は日本新記録だ。

比嘉選手のボクシングの特徴は、何といってもそのアグレッシブなファイトスタイルにある。
敢えて危険に挑み前に出るボクシングは、観る者の魂を揺さぶらずにはいられない。プロボクサーとして重要な資質の1つだろう。

比嘉選手の構えは、多く右利きの選手が採る左手と左足を前に出すオーソドックススタイルだ。ボクシングの世界で、しばしば「左を制する者は世界を制す」と言われるが、比嘉選手の左は実に巧みで強いように思う。

デビュー戦では左・右・左のボディーブロー3連打で1Rわずか50秒でKO勝ちした。
WBCのタイトルを獲った対ファン・エルナンデス選手戦では6回に先ず、デビュー戦同様左右のボディーブローでダウンを奪う。さらに、左右のコンビネーションブローで2度目のダウンを奪い、3度目も左右のコンビネーションブローでダウンを奪う。そして、それでも立ち上がってきたエルナンデス選手に容赦なく左右のコンビネーションブローを繰り出し、最後は強烈な左のレバーブローでマットに沈めた。

初めての防衛戦でも6回に上背のある挑戦者のトマ・マソン選手に左右のボディーアッパーカットを中心にコンビネーションブローを浴びせ、7回にも同様の攻撃でついにはレフリーが試合を止めた。
そして一昨日の試合、1Rの1分30秒過ぎ、左ジャブでフエンテス選手をぐらつかせたのをきっかけにラッシュをかけ、残り45秒に右ストレートが顔面にクリーンヒットし、最後は得意の左ボディーブローから返しの右ボディーブローでフエンテス選手の戦意を喪失させた。

比嘉選手のパンチの特徴は、何といっても左のボディーブローからのフックとアッパーカットを中心にしたコンビネーションにある。
しかし、フック、アッパーだけではなく、左のジャブ、あるいは右のストレートも鋭く強い。特に、彼のジャブはストレートパンチのように切れて強い。
課題は、相手のパンチをもらい過ぎるところか。

いずれにしても、当分、彼の試合から目が離せない。


惜しまれる引退

2018年01月01日 | スポーツ

昨年の11月9日にWBA世界フライ級のベルトを返上していた世界3階級制覇の井岡一翔選手が昨日、記者会見し、正式に引退したことを明らかにした。
井岡選手の父親のベルト返上に関する記者会見で、引退もあり得るとの話が出ていたようだったが、まさか現実のものになるとは思ってもいなかった。

引退を決意した経緯について、念願だった3階級制覇を果たしたところで引退しようと思ったが、その後、防衛を重ねていく中で、ボクシング以外の新たな目標が見つかり、昨年4月の5度目の防衛戦の前に引退の意志が固まったと語っている。

しかし、引退後のビジョンを問われると今は言えないと言葉を濁した。
また、引退に当たって父親でもあるジムの会長とはどんな話をしたのかとの問いには「自分の気持ちを伝えて報告しました。分かったと返答がありました」と、父親との微妙な距離感を感じさせる答だった。

一方、「3階級制覇も妻の存在なしには達成できなかったですし、防衛を続けられたのも妻の後押しがあったからです」と昨年5月に結婚した妻の存在の大きさを隠そうとはしなかった。

井岡選手は現在28歳、プロのキャリアは23戦して22勝(内13KO勝ち)1敗、オーソドックススタイルから多彩なコンビネーションブローを繰り出し、高いディフェンステクニックを持つ傑出したボクサーである。

今回の引退表明について、井岡選手本人が決断したことだろうから、それについてとやかく言う筋合いなど全く無い。
それでも一ボクシングファンとしては、とにかく現役世界王者で、日本人初となる4階級制覇も視野に入れていた稀に見る魅力的なボクサーの引退は何としても惜しまれる。


小さな大打者

2017年12月19日 | スポーツ

その選手の存在を知ったのは今年のワールドシリーズ、ヒューストン・アストロズ対ロサンジェルス・ドジャースの第5戦においてだった。
ドジャース3点リードの5回裏、アストロズの攻撃で2死1,2塁の場面、リリーフにはポストシーズン、中継ぎとして大活躍を見せてきた前田健太投手がマウンドに登っている。打席で迎え撃つのはテレビ画面を通してもはっきりと分かるほどの小柄な選手だ。

やがて、その小柄な選手に似つかわしくない豪快なスイングから繰り出されたバットは、渾身の力で投げ込まれた前田投手のボールを見事に芯で捉えた。それは、アストロズの劣勢をひっくり返す見事な同点3ランであった。

その選手の名前こそ、シーズン打率.284、114打点、127四死球、そして2位に9本もの差をつける52本塁打を放った驚異のルーキー・ヤンキースのアーロン・ジャッジを大差で破り、2017年アメリカンリーグのシーズンMVPを受賞したホセ・アルトゥーベ選手その人だ。

ホセ・アルトゥーベ選手は、ベネズエラの出身で1990年5月6日生まれの27歳、身長167㎝・体重75kg、ヒューストン・アストロズに所属する右投げ右打ちの2塁手で背番号は27。

メジャーデビューは2011年で、2014年に首位打者(.341)、盗塁王(56)、最多安打(225)の3つのタイトルをとっている。
2016年にはシーズン最多安打を3年連続とし、本塁打も24本と長打力が一気に開花。

2017年のシーズンは、史上5人目となる4年連続200本安打を記録、最終的には打率.346、24本塁打、81打点で2年連続3回目となる首位打者に輝いた。また、ディビジョンシリーズ第1戦で史上9人目となるポストシーズンでの1試合3本塁打を記録した。
これまで首位打者3回、盗塁王2回のタイトルを獲得している。

ホセ・アルトゥーベ選手は、現役メジャーリーガーで最も身長が低いそうだ。そんな選手が大男にさえ出来ないような豪快なホームランをかっ飛ばしている。
人間の限りない可能性を教えてくれるアスリートがここにもいた。

 

 


第72回甲子園ボウル

2017年12月17日 | スポーツ

アメリカンフットボールの大学日本一を決める第72回甲子園ボウルが午後1時5分から甲子園球場で行われた(中継はNHKBS1)。
母校・日本大学が東日本代表として3年ぶりに出場するというので戦前から楽しみにしていた。

日大フェニックスは、秋季リーグ戦最終節で法政に23-26で敗れた。また、春期オープン戦でも関学に6-30と敗れている。
一方の関学ファイターズも、関西学生リーグの最終戦で立命館に7-21で敗れた。しかし、西日本代表決定戦ではその立命館に34-3と圧勝して甲子園ボウルに駒を進めていた。また、関学は昨年度の覇者であり、2011年から昨年までの6年間で5度の日本一の座についている。やはり、関学優勢かなとの思いでテレビの前に陣取った。

日大フェニックス対関学ファイターズの対戦は、両校のチームカラーから「赤と青の対決」と呼ばれている。これまで甲子園ボウル72回の歴史の中で両校の対決は29回を数え、ここまで日大の16勝10敗2引き分けと、日大が大きく勝ち越している。
ただし、甲子園ボウルでの優勝回数は日大の20勝、関学の24勝と関学がリードしている。

午後1時5分、いよいよ試合開始だ。
先ず、注目したのが先取点だったが、関学が最初のシリーズであっさりとタッチダウンを決め、その後のキックも決めて7点先取、日大のディフェンス陣が関学のランを止められない。これは、厳しいゲームになるなと覚悟を決めた。

ところが、日大に攻撃が移っての2プレイ目でクォーターバック・1年生の林選手が関学レシーバー陣の度肝を抜くロングパスを放つ。これは失敗に終わったものの、3シリーズ目に再びロングパスを放ち、見事にタッチダウンに結び付けた。
結局、このQB林選手の2つのロングパスが関学ディフェンス陣を混乱に陥れ、オフェンス陣のリズムをも狂わすことになったように思う。

逆に日大は、この思い切った林選手のプレーで、全てがうまく回転し始めた。林選手はパスだけでなく、ランも圧倒的なスピードで関学ディフェンス陣を翻弄した。特にスクランブルプレー、そしてそこからのパスが絶妙だった。

また、彼は、ランニングバックの能力も見事に引き出していた。林選手と同じく1年生の川上選手、同じく1年生の宗選手、3年生のウイリアム選手など、ランニングバックが鮮やかにフィールドを駆け巡った。

かつて、70年代から80年代にかけ、名将・篠竹幹夫監督率いる日大フェニックスは黄金期を築いた。
しかし、1990年、京都大学を降し3連覇を達成した後、日本一はおろか、関東学生リーグでも全く勝てなくなってしまった。代わって頭角を現してきたのが法政大学だった。

長い年月を経て日大フェニックスが再び甲子園に戻ってきたのが2007年のことだ。実に17年振りの晴れ舞台への登場だった。しかし、そこから昨年まで4回甲子園ボウルに出場するも、日本一の座は遠かった。

そして、今日、見事に関学に23-17で勝利し、実に27年振り21度目の優勝を飾った。
関学の後半の粘りも見事だった。最後まで、どちらが勝つか分からない手に汗握る好ゲームだった。興奮した。

日大のアメフト部の愛称は「フェニックス」、その名の通り、日本大学アメリカンフットボール部は不死鳥のように蘇った。
おめでとう。

試合終了後、スタンドで校歌の斉唱が行われた。私もそれに合わせ、久し振りに校歌を口ずさんだ。


王座戦4連覇

2017年12月13日 | スポーツ

第71回全日本大学ボクシング王座決定戦が9日、茨城県立水戸桜ノ牧高等学校常北校で開催され、関東大学ボクシングリーグ戦優勝の母校・日本大学が関西大学ボクシングリーグ戦優勝の芦屋大学を8対3で降し、王座戦4連覇で通算28回目の大学王者となった。
選手のみなさん始め、梅下監督、コーチ、OBのみなさん、おめでとうございます。

この大会の最優秀選手賞に4年生の李健太君が選ばれた。彼は、昨年、長崎駅前の「カモメ広場」で開催された「こころ夢未来高等学校」のボクシング部創設のイベントに、王座戦ミドル級で勝利した高倉久生君と共に、日大ボクシング部OB会・櫻門会の齋藤睦男会長に引率されてやって来ていた。

齋藤先輩と長崎市の田中先輩共々、一緒に夕食をとってあれこれ話した現役の両君には特に思い入れがある。
ちなみに、高倉久生君は先月、福井県福井産業会館で22日~26日に開催された第87回全日本ボクシング選手権にて、ライトヘビー級のクラスで見事に優勝を飾っている。

日本大学ボクシング部は来年創部90周年を迎えるが、選手のみなさんが花を添えてくれた。後輩選手諸君の活躍は楽しみであり、励みにもなる。来年の優勝祝賀会、そしてOB会総会が楽しみだ。