yurikago-sa

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四国八十八ケ所 第八十七番札所 長尾寺

2015年04月04日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 14回目

 平成27年1月11日 第八十七番  補陀落(ふだらくざん)長尾を参拝しました

長尾寺は聖徳太子の開創とも伝えられ 739年行基がこの地を訪れ道端の

やなぎの霊木で 聖観世音菩薩を刻み 小堂を建て安置し 法相宗で

開基されたのが 始まりとされています 806年~810年弘法大師が 

唐に渡る前に この地を訪れ 入唐が成功するよう護摩修法を行って

国家安泰と五穀豊穣を祈願し 人々に護摩符(お守り札)を

丘から投げたといいます  825年唐から帰国した時に 堂宇を建立し

真言宗に改宗 霊場とされ その後兵火により 本堂以外は消失 

1596~1615年領主 生駒一正公が再建され 1683年 

藩主松平頼重の命で堂宇を整備し 天台宗に改めたと伝わっています

詫び 84番~高野山まで 平成13年9月~「お遍路徒然」で一度投稿をしていたブログに

写真を加えながら投稿をしますのでよろしく 

長尾寺 境内図

 長尾の町並みに建つ 仁王門 

           

 仁王門の手前左右に経幢(きょうどう) 石柱の面に経文を刻んだ石柱です 

 左 弘安六年七月  右 弘安九年五月の銘が入り  四角の柱に

八角の笠と宝珠( 宝珠が写っていませんが)を乗せています 国の重要文化財です

鎌倉時代の讃岐の将兵の慰霊柱と伝えられています 

 

奉納の 大草鞋

  

仁王門は 鐘付の鐘楼門 1694年の建立です

 仁王門をくぐると 大楠のもとに手水場

境内に並んだ堂宇 

左から 護摩堂 本堂 大師堂

 

仁王門から正面に 本堂 1683年 藩主松平頼重公が堂宇を再建されました

ご本尊は 聖観世音菩薩  度重なる火災に不思議と難をのがれ

 讃岐七観音の随一と指定され秘仏です

ご真言 おん あろりきゃそ わか

苦難を除く仏さま ご真言を唱えるだけでどのような災害も救って下さいます

        

本堂の欄間の彫刻に 箒が刻まれています 

お釈迦さまの弟子の周利槃特(しゅりはんどく)は弟子の中でも頭が悪く 

仏の教え経文がなかなか記憶できず お釈迦さまは一本の箒 

一枚の布を与え「塵を払い垢を除かん」と唱えさせ 彼はお坊さん達の履物のチリを払い 

箒で各所を掃除しつつ 一心に「塵を払い垢を除かん」の意味を考え唱え 

チリを払い掃除することに徹底し 汚れが落ちにくいのは人の心も同じ だと悟り 

ついに仏の教えを理解して阿羅漢(聖者の位)になられた 伝説の箒物語です 

 お釈迦様の教えは

「わずかなことでも 根気よく 徹底して やればいつかは悟りは開ける」   

ではないでしょうか

本堂の左に 護摩堂

 

護摩堂の左の一角に 地蔵尊像と並んで 静御前剃髪塚があります

 源義経の妻 静御前が義経死後得度して下ろした黒髪を埋めています

 

剃髪塚などの左後ろに 本坊

お休み処納経所

屋根の相輪がりっぱな 大師堂 

 

 大師堂の縁に おびんづるさま

自分の痛いところを左手で びんづるさまのその箇所を右手で擦ると

ご利益があるそうです

 

大師堂の右に薬師堂 と 東門

薬師堂には 弁財天 薬師如来 枳尼天(とぎにてん) が祀られています

枳尼天は白狐に乗った天女像で 仏の神さまです

薬師堂に向かって右にある 東門は 栗林公園の 嶰の口御門(かいのくちごもん) と

いわれ 大正2年 御門が改修される時 当時の住職が払い下げをうけ

再現されたもので 昔は長尾寺の正門だったそうです

 

薬師堂の左の一角にきちっと整頓された石仏が並んでいます

画像は お釈迦さま 阿弥陀さま 薬師如来さま 

あらゆる霊を供養し 供養の大切さを教えて下さる三界萬霊地蔵尊も祀られています

        

     

大鏡力餅 (ダウンロード画像)

 お正月の7日 大師が入唐のとき 護摩修法を行い五穀豊穣を祈念して

 護摩符(お守り札)を投げたのが由来で 大会陽福奪(だいえようふくばい)

として伝わり 五穀豊熟と国土安穏を祈念する法要が営まれ

 福と書かれた福餅を投げる 福奪が行われます

また 三盆にのせた 150kgの大餅を運ぶ「大鏡力餅運搬競技」の 

行事も行われ 県内外から多くの人が参加して競い

1月7日は広い境内は大勢の人々で賑わうそうです

 すっきり並んだ堂宇や石仏の長尾寺を後に

次はいよいよ結願の寺 第88番大窪寺へバスで約20分です

おしまい



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