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四国八十八カ所 第八十一番 白峯寺

2015年03月09日 | 日記

 四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 13回目

 平成26年12月21日 第八十一番 綾松山 白峯寺を参詣しました

 白峰寺は 五つの峰からなる五色台の白峰にあり 大師が810年この山に登り

山頂に如意宝珠を埋め閼伽井戸(あかいど)を掘って 衆生済度を祈願し霊場に定められ

後に智証大師が 白峯権現から霊地のお告げを受け 瀬戸内海で光を放つ流木で 

千手観世音菩薩を刻み本尊とし 仏堂を建てたと伝わっています  

   

 白峯寺への遍路道の右手に 西国三十三観音の石仏が祀られています

 同じく右手に十三重塔が2基

源 頼朝が 崇徳上皇の供養のために 建立したと伝えられ 

 手前 元享四年(1324年 )奥 弘安元年(1278年)銘が刻まれ

鎌倉時代の様式を現した貴重な石塔で ともに国の重要文化財です

道の左側に 新しくトイレが建っていました

 

 七棟門の前に 出迎え修行大師像

 

白峰寺境内図

境内への山門 七棟門 1718年に再建されたものです

門をくぐり 右手に 客殿 県の有形文化財です

 七棟門から正面に 護摩堂 入り口が 納経所になっています

 護摩堂を左に折れると右手に 経蔵?

つづいて七福神で 唯一の女神 弁財天 が祀られています 

恋愛、学業成就 諸芸上達のご利益があります

 つぎに 水子地蔵樽

つぎに 石積み地蔵さんが祀られています

 

護摩堂を左折すると正面に勅額門(後ほど)があり その右手

杉の木立の中の石段を30段余り上がると左手に薬師堂 

 金剛界大日如来 薬師如来 胎蔵界大日如来像が祀られています

大日如来さまは 未 申歳生まれの守り本尊です 

お堂前に七福神の福禄寿も祀られ 財運 招福 延命長寿 出世のご利益があります

(各諸堂には 干支の守り本尊を祀られ 七福神の石像が置かれています)

 石段を挟んで右手に 鐘楼

 さらに石段を上がると右に 行者堂

地蔵菩薩 神変大菩薩 閻魔王 虚空像菩薩が祀られています

虚空菩薩さまは 丑 寅 生まれの 守り本尊は です

 お堂前に七福神の寿老人が祀られ 幸福 家庭円満 延命長寿のご利益があります

 

右手に回向堂

 さらに石段を上がって正面に 本堂 1599年の再建です

ご本尊は 智証大師作といわれる 千手観世音菩薩で秘仏です

ご真言 おん ばざらたらま きりく 

千の慈悲の手と目を持ち 一切の悩みから救い すべての願いを叶え

除病 、長寿、夫婦円満 安産などに ご利益があります また子年の守り本尊です 

七福神の毘沙門天が祀られ 武道成就 厄除 家内安全 夫婦和合などのご利益があります

本堂と大師堂の間に 仏足跡

本堂の右に大師堂 1811年の再建です

 

 本堂の左に阿弥陀堂

観世菩薩 阿弥陀如来 勢至菩薩が祀られています

阿弥陀さまは午 戌 猪年の守り本尊です

七福神の布袋さんが祀られ 千客万来 運隆盛 家庭円満のご利益があります

 大師堂から右に地蔵堂

善如龍王堂

瑜祗塔(ゆぎとう)本堂前にあります

密教の根本である 金剛界と 胎蔵界の精神は同じものですよ・・・の塔です

  

護摩堂を左折すると奥正面に 勅額門(ちょくがくもん) 

1156年保元の乱で敗れ 讃岐に流され崩御された 崇徳上皇の供養の為に

 後小松(ごこまつ)天皇が書かれたという額を掲げている門で 額は複製です 

実物は国の重要文化財で 宝物殿に収納されています 

  

 勅額門をくぐると  どっしりとした 頓証寺殿(とんしょうじでん) 

崩御された 崇徳上皇の御廟所です

1680年 松平頼重 頼常両公の再建と言われています

お堂前に 卯年の守り本尊 文殊菩薩 兎の石像も祀られ

七福神の恵比寿さんも祀られています

商売繁盛 除災招福 五穀豊穣 大魚などのご利益があります

 

第七十五代崇徳天皇の御陵頓証寺殿の左裏手

 静寂を讃える杉の木立の中にあり白峯御陵」と言われています

1164年9月21日46歳で崩御されています  

  

頓証寺殿の左に 上皇没後4年目の1168年西行法師が

御廟に詣で 霊前に捧げた歌碑があります

「松山や 波に流れて きし舟の やがて空しく なりにけるかな」

「よしや君 昔の玉の 床とても かからん後は 何にかはせん 」

歌碑の側に 石の上に座った西行法師の石像があります

御陵の前に座り読経をされていたといわれています

頓証寺殿の左前に白峯山の相模坊大権現像

相模の国の修験の行者で 白峯山に入山 無限の神通力 

法力があり 大権現と呼ばれ 白峯山の守護神 また崇徳天皇の

守護神として祀られ 人々の諸願も 叶えてくれる権現さまです

ご本尊(実物)は秘仏で 石像は 前仏として建立されています

  

 勅額門手前玉章の木(たまずさのき)の ケヤキの木があります

樹齢八百余年で枯れ 二代目だそうです

 「啼けばきく 聞けば都の 恋しさに この里過ぎよ 山ホトトギス」と 

ホトトギスの鳴き声に 上皇が詠まれ  ホトトギスは上皇の意を察し 

葉をくちばしに巻いて 声を忍んで鳴いたと伝えられています

 巻いた葉の形が 玉章(巻手紙)に似ていたといわれ

 玉章の木の葉を身につけていると よい便りがあるそうです

           

 車窓よりパチリ

白峯寺への遍路道脇に高家神社があります 別名「血の宮」と呼ばれています

保元の乱に敗れた崇徳天皇は 讃岐国に流され 無念の最期を遂げられ

遺体の置かれた八十場から 荼毘に付すために白峰山に運ぶ途中 雷雨に遭い 

この社で棺を休めたところ 棺から血が流れ落ちたことから「血の宮」と

呼ばれるようになり その血は白峯に辿り着くまでぽつぽつと落ち 崇徳天皇の無念の死は 

怨霊の力だと伝わり 上皇の霊を慰める高屋神社が建立されたと伝わっています

        

写真は残念ながら撮れませんでしたが 血の宮から少し上がった所に

青海神社「煙の神社」があります 白峯山で荼毘に付した時

その煙は都を慕われた 上皇の怨霊の力で都の方になびいたといわれ 

煙がこもった山麓地に宮を建てて 上皇の霊を奉祀したそうです

白峰寺遍路道から眺めた瀬戸海の絶景

「かんぽの宿坂出」で昼食でした

つぎは82番札所 根香寺バスで15分です

おしまい         


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