北京の青空もf16

2006年 帰国。いつの日かまた中国へ

銀座で二人展

2007-04-10 08:15:27 | その他
今日から妻と友人の二人展が銀座 月光荘「こんぱる」ではじまる。今回は妻のイラストと友人のクラフト作品のコラボレーションだ。妻はこの数ヶ月、夜遅くまで作品制作に取り組んでいた。昨日も夜中までキャプションを作っていた。
2年前のグループ展に参加した時と比べると作品の質、量ともにレベルアップしている。展示の方も、本人としては満足のできらしい。なるべくたくさんの人に観てもらえればと思っている。ぼくは土曜日に顔を出す予定。ついでに銀座の写真ギャラリーやカメラ店をぶらぶらする予定だ。そちらも楽しみ。

「なかなかリバーシブル」
真田貴子 永井久美子 二人展
     2007年4月10日(火)~4月16日(月)
     11時~18時30(最終日16時)
     月光荘 画室こんぱる


お手上げ

2007-04-07 09:25:30 | その他
2級建築士の受験用テキストは、中古を買うことにした。新品では2800円のテキストが中古では800円。テキストは4冊必要なので、この差は大きい。昨日、amazonのマーケットプレースで注文した2級建築士「構造」のテキストが届いた。
表紙の痛みもなく、中古としてはきれいだ。ページをめくると、黄色の蛍光ペンでアンダーラインが引かれているに気づいた。小さな字で書き込みもある。見た感じ若い女性ではないだろうか。見知らぬ同志を見つけたようで、ちょっと嬉しい。ところが、5ページ目以降は開いた形跡すら無い。その先には、見たこともない数式が山ほどでてくる。もとの所有者は最初の4ページでお手上げになってしまったようだ。ちゃんと勉強しないとやばいかも。まるで警告を受けたかのように、気の引き締まる思いがした。

春になると

2007-04-05 23:34:06 | その他
「4月=新学期」と心の中に強く刷り込まれているのだろうか。春になる度に新しいことを始めたくなる。今週から英語会話と仕事関係の資格試験の準備を始めた。
英語会話は今まで何度となく挫折を味わってきた。10年ぶりの再挑戦である。方針は一度にたくさんやらないこと。毎日、昼食のあと30分と、帰宅してからの30分に時間を限定した。教材は10年前に買ったNHKのCDブック。まずは発音に注意して音読することから始めてみよう。半年後には、CDブック1冊分の英語が頭の中に入っているはずだ。
仕事関係の資格試験は、2級建築士である。これは半ば業務命令。でもこれを取得すれば、住宅設計をしてもよいのだ。将来はマイホームを設計しようか(笑)。しかし、計画、法規、構造、施工という4分野の学科試験に合格した後、さらに製図試験がまっている。
春の大きな夢は、秋には実っているだろうか。

受胎告知

2007-04-02 22:29:39 | その他
上司から、竣工写真を撮るように頼まれ、東京国立博物館に行った。
月曜日は休館日。静まり返った博物館の中で、我々が向かった先は、本館特別室5。ここには今、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が1点だけ展示されている。
撮影の目的は「受胎告知」ではなく、展示室内の通路に飾られた内照式のパネルだ。「受胎告知」は絶対に撮影しないようにと言われている。数カット撮影した後、撮影は後輩に替わってもらい、ダ・ヴィンチの作品を観覧した。
これはダ・ヴィンチ20才の時の作品で、すでに遠近法が確立されているという。また、背景の遠近を色によって描き分ける技法は、後の「モナリザ」にも用いられているそうだ。
トーンは限りなく滑らかで、繊細かつ力強く描かれた天使と聖母の姿は美しかった。明暗のトーンから生まれる立体感は特に目を奪われた。いつも写真を見慣れているせいか、顔料に粒子がない(あるいは見えないくらいに小さい)ことも、とても新鮮だった。静寂に包まれながら、久しぶりに贅沢な時間を過ごすことができた。

なかなか

2007-04-01 23:43:11 | 写真
3ヶ月ぶりに2Bの暗室に行った。7月に参加するグループ展に出展する写真を焼くためだ。写真のセレクトはすでに終わっている。12枚ほど展示するつもりだ。
最初に基準になる写真を決めて、その濃度に合わせて他の写真を焼いていく。6時間かけて焼いたのは7枚のカット。露光違いを2、3枚ずつ焼いてみた。この調子ならあと2回も暗室に入れば、展示に必要な写真は全部焼けるだろうと思った。
ところが師匠のOKがでない。OKが出たのは3カットだった。うまく焼けないカットはセレクトからはずして、セレクトを見直したほうがよいかもしれないとも言われた。OKをもらったものは2、3枚焼いて納得できたのに対して、OKがでなかったプリントは、7枚以上焼き直している。自分としては苦労したつもりになっていたので、師匠の言葉は重く感じられた。写真を見返すと、濃度が合っているのかどうかがよく分っていないことに気づいた。
さきほどまでの楽観的な見通しは呆気なく崩れ去った。幸い時間はまだある。納得いくまで、じっくり取り組もう。

鼻濁音

2007-04-01 00:28:57 | 中国語
標準的な日本語には、鼻濁音がある。が行音が文節の頭以外に来たときに、鼻に音が抜け、鼻濁音化するのだ。マンガ、シギン、カンゲン、イチゴ、などなど。一応これが美しい日本語言われている。だが実際には消滅していく傾向にあるという。また、四国や中国地方より西ではもともと鼻濁音はほとんどないそうだ。
最近知ったのだが、ぼくの出身地である長野県は、東北地方と並んで鼻濁音がよく残っている地域なのだ。自分が話す言葉を注意していると、見事に鼻濁音になっている。ところが、妻にはほとんど鼻濁音がない。わずかにnのあとの音が鼻濁音になるだけだ。ちなみに彼女は東京出身。世代的にもぼくより若い。これまで、ぼくは濁音と鼻濁音の区別をまったく意識していなかった。文節の頭以外の「が行音」は、鼻濁音以外なかったのだ。
このことに気づいて、北京時代にあれほど苦労した中国語の発音矯正の謎がひとつ解けた。中国語にはこの「が行音」の鼻濁音は存在しないのである。始めのうちは、老師に何度注意されても、注意されていることの意味すら分からなかった。例えば「インガイ」という単語のガは、無意識の内に鼻濁音になってしまうのだ。イーガというガの音も当然ンガになってしまう。老師が濁音と鼻濁音を交互に発音しても、始めは音の違いすら区別できないのだ。自分でも、どうして鼻濁音になってしまうのか、まったく訳がわからなかった。老師はいままで何人も日本人の学生を指導して来たのだが、鼻濁音がこれほど強い学生はいなかったのだろう、どうしてぼくが発音すると鼻濁音になってしまうのか不思議で仕方がないといった感じだった。結局、鼻濁音から解放されるのに、3ヶ月以上かかってしまった。
いつか老師にあったら、なぜあれほど鼻濁音に苦しんだのか、その理由をぜひ説明したいと思っている。中国語を学ぶ場合には、長野県出身者ならではの苦労があるのだ。