北京の青空もf16

2006年 帰国。いつの日かまた中国へ

渡部師匠の指導術

2007-04-15 23:12:06 | 写真
今日は4時から2Bの暗室で再びグループ展用の写真をプリントした。3時間の作業で3カットを仕上げた。
今までの写真をすべて長テーブルに並べて問題がないかチェックした。自分としては、できるだけプリントの濃度を合わせ、トーンを揃えたつもりだ。ちょっと緊張しながら、渡部さとる師匠の感想を待った。「すごくいいね」この一言を聞いて、心の中でほっと一息ついた。いままで他の人が「すごくいいね」と言われるのは聞いていたが、自分が言われたのは初めてだった。正直に言うと、昨年ワークショップの終了グループ展に参加でできなかったので、他の仲間に比べ、一歩及ばないのではないかという不安が常にあったのだ。まだグループ展まで時間があるので、もう少しプリントを増やし、セレクトを考えていけばよさそうだ。「これがこの印画紙のぎりぎりのトーンだね。バライタで焼いてもこれ以上のトーンはあまりでないよ」これはかなり褒められているのではないだろうか。おまけに「ワークショップに参加しただけで、感度分の16を身につけんだから、すごいね」と言われてしまった。これはちょっと褒め過ぎだ。天気の良い日に光が当たっているところを撮っているだけなのだから。夕方やちょっと暗めの場所は、まだ上手く撮れない。
しかし、そこは師匠、褒めるだけではなく、すかさず次のハードルを示してきた。「フジの印画紙レンブラントもよさそうだよ。次はレンブラントも使ってみたら」と。この先はバライタをやってみようかなと思っていた矢先の言葉に、思わずうなってしまった。相手の状況を的確に見極めて、ちょっと上の目標を示す。2Bの人たちがメキメキと腕をあげていく師匠の指導術の一端を垣間見た気がした。ここまで書いて、写真家の横木あらおさんが以前ご自分のブログで「渡部さんは日本一の写真の先生だ。受講生は渡部さんの指導を受けられることを感謝しなければいけない」と書いていたことを急に思いだした。これを読んだ時は、半分はリップサービスか?と思っていたけれど、ひょっとすると、横木さんが書いていたことは本当なのかもしれない。

写真をめぐる身近な状況

2007-04-15 11:04:01 | 写真
土曜日、友人のT君家族と月光荘画室こんぱるで待ち合わせし、近くの中華料理店へ。
Tはデザイナーで写真、絵画、インテリア等にも興味を持っている。Tから「おしゃれでセンスが良く、それでいて他とはちょっと違う写真はどこで売っているのか」と質問された。聞くと、最近フレームを買ったらしい(しかも3つも!)。しかし、そこに入れたくなるような写真が見つからないのだという。さりとて、自分で撮った写真を飾る気はないらしい。
中国の写真をみせるが、これという決め手がないらしい。グレーが多すぎると、部屋の雰囲気が暗くなるとか、正方形のイメージはフレームにあわないとか言っている。普通は写真に合わせてマットとフレーム買うもんだろ、というと「もう買っちゃたからね」と笑っている。彼のことだから、さぞかしおしゃれなものを選んだのだろう、それにフレームに合わせてインテリア的な写真を探しているのも彼らしい。個展をこまめに回って気に入った写真を探すのはどうかと言うと、それはめんどうだし、時間もないという。写真の楽しみ方としては、確かに「飾る」ということももちろんあるはずだ。伝統的な日本家屋の床の間にだって掛け軸が飾られているではないか。潜在的があるはずだと感じた。そう考えると、飾ることを前提とした写真というのは意識して撮ったことがないことにも気づいた。見せ方と撮り方に大きく関わる問題だ。じぶんはアマチュアでおまけに素人なので、いろんなことを考えてみようと思った。