自主作品「線路端の猫戯子」は撮影期間20年の映像による長編叙事詩。
廃止された長野電鉄木島線と屋代線をコンセプトに自分自身を重ねて構成した作品です。
今年は木島線廃止から10年、屋代線廃止から20年の節目。
3月に前編/後編合わせて4時間を超える超大作を完成させました。
計画では完成したらそれなりの会場で一般公開するつもりでしたがあの時点では困難。
でも YouTube なら会場より広い範囲で観てもらえるだろうとアップ。
ところが先日全編通して確認したら後編の一部でミスがありました。
膨大な小項目の集合で構成したのですが項目のダブりが見つかったんです。
オリジナルデータを Premiere に読み込んでダブりをカット。
Shotcut で MP4 にエンコード。
とりあえず古い動画はそのまま置いといてアップロードしました。
この作品のベースにした「信州中野発木島行」は木島線最後の一年、四季を、
"電車の走る姿"ではなく"電車のある田舎の日常風景"として記録したものでした。
撮影開始は2001年4月。21世紀最初の年です。
折も折り、日本は平成不況の真っ只中。私は大手電機メーカーの地方工場に所属していましたが、
会社によるリストラという名の大量解雇が迫っていました。
自分では意識していませんでしたが、撮影中に偶然出会い私を取材した新聞記者の記事、
"木島線に自分を重ねて"という見出しで納得。「確かにそうだ」。
「信州中野発木島行」は木島線赤岩駅近くの公民館で公開。他の複数のメディアにも取り上げられました。
「線路端の猫戯子」は前作に加えてその後続いて廃止が決まった屋代線も最後の1年を記録、合体したものです。
更に1975年に作った8ミリの自主映画も組み込みました。
その自主映画では屋代線若穂駅で撮影した映像があって、それは私の青春そのものだったからです。
それによって客観的な作品ではなく「私」の視点、一人称の作品になると考えました。
両路線共ラストラン近く、鉄道オタクや撮り鉄の皆さんが大挙押し寄せるのを横目で見ながら思いは複雑。
自分もこの人たちの一人に過ぎないのか、否、自分は違うぞ。
自分は皆さんが来る前、なんでもない電車のある田舎の情景を映像で残そうとしているんだ。
例え急遽状況が変わってこの路線が残ることになっても自分の映像の価値は変わるものじゃない。
とにかくこの作品は誰が何と言おうが(誰も何も言ってませんが)自分自身の作品で最高傑作です。
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