湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 糞害(フンガイ)に憤慨

2017年11月02日 23時53分20秒 | ちょっとした出来事?
※これから食事という方はご遠慮ください。
   

今朝9時から、空家解体工事の着手前打ち合わせを業者の方と現地でしました。

打合せは1時間ほどで終わり、一旦帰宅することにしました。

道路へ出る狭い階段を降りようとしたとき、そこに猫の糞(フン)があったことを思い出しました。

前日、整理・分別作業に行ったときに発見していたブツ(物)です。
そのブツは猫の糞の見本のようなきれいな形をして、同系色の落ち葉の上に鎮座していました。
踏まないように家人に注意を促しましたが、そのままにしていました。


しかし、その糞が見当たりません。
よくよく見ると、その糞は形状が変わってそこにありました。立体的なものから平面的なものへと変化していたのです。
糞自らで変わるはずはなく、何者か(恐らく人)に変化させられていたのです。

つまり、ウンの悪い誰かが "踏んづけてしまった" ということです。
結果として "糞付けて(フンツケテ)しまった" ということにもなっているでしょう。


私があれほど注意をしていたにも関わらず家人が踏んでしまったのかと呆れましたが、もしかしたら今日打合せをした解体業者の方かもしれない、そして、そのほうが可能性が高いのではと思い至りました。
迂闊にも解体業者の方への注意喚起をしていなかったからです。

業者の方へスマナイことをしたと思いながら家へ戻ると、玄関の外にポツンと置いてある1足の靴が目に入りました。
私の茶色の靴です。
外に出してある理由がわかりませんでした。

カヅちゃんに尋ねたら
『玄関の中が臭いので調べたら、その靴の踵に糞が "しっかり" 付いている』
『今忙しいので外に出してそのままにしている』
ということでした。

前日履いていた靴です。
あろうことか、家人に注意を促したばかりの当人(私)が、そのあと糞(フン)を踏んづけていたのです。
己の迂闊さに「糞ッ」(ここでだけ "クソ" と読みます)となりました。
(もちろん、普段の私はこのような下品な言葉を口にしません)

もの忘れがひどく、注意力も散漫になりました。
嗅覚も鈍ったのかもしれません。

猫の糞害に憤慨しつつ、水をかけながら糞をブラシで洗い落としました。
複雑な惨めな思いも胸にしながら ・・・


ウン(運)が付いたかもしれないので、今日の宿直勤務の行きがけにロト6でも買うつもりです。


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ギャラリー 066
      猫が描かれている絵
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ライセンス(4点とも): (パブリック・ドメイン)


■タイトル:猫と女性(Woman with a Cat)

・画家:ピエール=オーギュスト・ルノワール
   (Pierre-Auguste Renoir)
・制作年:1875年
・収蔵:ナショナル・ギャラリー(ワシントン)


■タイトル:プロポーズ(The Proposal)

・画家:ウィリアム・アドルフ・ブグロー
  (William-Adolphe Bouguereau)
・制作年:1872年
・収蔵:メトロポリタン美術館

※聞き耳を立てている猫のセリフ
 『いつかのひと(女)と違うじゃない』
 『猫なで声で よく言うわ』


■タイトル:厩舎で下女中を愛撫する老人の農夫
(An Old Peasant Caresses a Kitchen Maid in a Stable)

・画家:ダフィット・テニールス (子)
  (David Teniers the Younger)
・制作年:1650年
・収蔵:ナショナル・ギャラリー (ロンドン)

※おかみさんにご注進してきた猫のセリフ
 『お楽しみのあとの修羅場、これを見るのが またお楽しみ』


■タイトル:祈る老婆
(Old Woman in Prayer / Prayer without End)

・画家:ニコラース・マース
  (Nicolaes Maes)
・制作年:1656年
・収蔵:アムステルダム国立美術館

※人はパンのみにて生くる者に非ず。猫はパンを食べずに生きるべし
 (猫の体にパンは良くないそうです)

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