湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ ヨーロッパの伯爵家に嫁いだ日本人

2016年01月23日 16時19分34秒 | 日常・その他
ハプスブルク家について書かれている本をみていたら、
ハプスブルク家と君臣の関係にある由緒ある伯爵家に嫁がれた
日本人女性のことが載っていました。

日本人女性の名は「青山みつ」さん。
相手は「ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵」(*)です。
  日本人最初の正式な国際結婚といわれています。

 結婚後は「クーデンホーフ=カレルギー光子」と
 名乗られていたそうです。

  * : 双方とも貴族であるクーデンホーク家とカレルギス家の者が
     結婚して領地が合わさり、その子(光子さんの夫君になる
     ハインリヒさん)の時代に、
     クーデンホーフ=カレルギー伯爵になったとのことです。  

光子さんは初代である夫君が亡くなられたあと、
クーデンホーフ=カレルギー伯爵第2代当主となられています。

  青山みつさんが東京で結婚されたのが1892年(明治25年)18歳のときで、
  1896年に夫君の母国(オーストリア=ハンガリー帝国)に渡られています。
  その頃のハプスブルク家には世紀の美貌と謳われた
  オーストリア=ハンガリー帝国皇后「エリーザベト(愛称シシィ)」さんが
  おられました。
  光子さんは観音菩薩のような優しい表情をされています。
  エリーザベトさんが亡くなられたのが1898年(60歳)ですから、
  西洋と日本の美人二人が宮廷で顔を合わせているかもしれません。


また、光子さんの次男の「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー」
(幼名:青山栄次郎)さんは汎ヨーロッパ主義を提唱されてEUの基礎を築かれた方で
「欧州連合の父」の一人と言われており、
その母である光子さんは「EEC(欧州経済共同体)の母」と言われているそうです。
 

 大使公邸の小間使いとして奉公していた骨董品屋の三女が、
 伯爵に見初められて結婚し、日本を出てボヘミアのロンスペルク城に入り、
 華やかなウィーン社交界にデビューする ・・・
 おとぎ話のような成り行きですが、双方ともに相当な覚悟がいったことでしょう。



    離れて独りで暮らしていますが、
    私の家族に今日(1月23日)が誕生日の○○歳になる長女がいます。
       ☆☆☆ HAPPY BIRTHDAY ☆☆☆
    別に伯爵でなくても構わないので、
    いい相手にめぐり合えたらと思っています。


・・・・・・・・・・・ ギャラリー 040 (「結婚」に因んだ絵) ・・・・・・・・・・・
                  ライセンス(3点とも): (パブリック・ドメイン)


 ■タイトル:花嫁(Bride)

 ・画家:上村松園(Uemura Shoen)
 ・制作年:1935年
 ・収蔵:?


 ■タイトル:ラガルテラの花嫁(Typical Lagarterans(Lagarteran Bride))

 ・画家:ホアキン・ソローリャ(Joaquín Sorolla y Bastida)
 ・制作年:1912年
 ・収蔵:ソローリャ美術館<スペイン>

  ※「ラガルテラ」はスペインにある地名で、
    この絵の煌びやかな衣装にあるような
    刺繍で有名な村だそうです。      


 ■タイトル:皇帝フリードリヒ・バルバロッサの結婚
         (The Marriage of Frederick Barbarossa)

 ・画家:ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ(Giovanni Domenico Tiepolo)
 ・制作年:1752年-1753年
 ・収蔵:ナショナル・ギャラリー<イギリス>

  ※タイトルに "バルバロッサ(赤髭)" と付いているので、
    この絵の人物はハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝
    フリードリヒ3世ではなく、
    ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世
    と思われます。

コメントを投稿