ときどき、
ピースウィンズ・ジャパンの大西健丞(けんすけ)さんと、仕事や人生のあれこれについてお話をします。
人付き合いが極端に悪い人見知りのわたしが、
珍しく頻繁に会っているのが、
大西さんで、
同世代なんだけど、お兄さんのような頼り甲斐のある親友です、大西さんは。
(親友と断言できる人は、5人もいないです)
●大西さんが代表を務めるピースウィンズ・ジャパンの活動の1つ。
犬好きの方に、是非読んでいただきたいです。
「私たちは犬の殺処分ゼロを目指しています」
それから、
大西さんが連れて来られた、もうお一方の離婚の話になり……
恋人に裏切られたら、許すか、許さないか、
と大西さんに質問されて、
その時は、曖昧に口を濁したけど、
わたしは、許したことがありません。
性的行為を伴わない裏切りでも、許さなかった。
10代半ばから30歳まで同棲していた東由多加が他の女性と付き合った時は、すぐにわたしも復讐のために、あからさまに(東が深く傷つくやり方で)別の男性と付き合ったし……
東はたびたび浮気をする癖に、わたしが荷物をまとめて家を出ると、どこまでも追いかけてきて、結局15年間(2000年4月20日に東が54歳で死ぬまで)関係を絶つことが出来ませんでした。
東は、相手の男性の家だろうが、友人のアパートだろうが、鎌倉の母の家だろうが、深夜だろうが、明け方だろうが、タクシーでやって来ては(東は車の運転免許を持ってなかった。アル中だったし)、
「帰ろう。彼女とはもう別れた。おれはあなたがいないと生きていけない」
と強引に連れ戻されました。
時には、劇団員を何人も連れてきて羽交い締めにされ、自宅に軟禁されてーー。
無茶苦茶な人との目茶苦茶な生活でした。
20代半ばの時に、2年間付き合っていたJと別れたのは、
二人で過ごしている時にJが元カノからもらったCDを流したからーー。
そのCDの由来を聞いた瞬間、「さよなら」と立ち上がって服を着て、Jの家を出て、二度と会わなかった。
何ヶ月かして、Jから手紙が届いたことを憶えている。その文面と、筆跡も。とても優しくて、とても悲しい内容の手紙だった。
30歳の時に半年付き合ったKと別れた最大の原因は、
Kが元カノの仕事の相談に乗るために、元カノと二人で晩ごはんを食べたからーー。
その後、Kがわたしのマンションに居る時に元カノから電話がかかってきて、彼は慌ててベランダに出てガラス戸を閉め、手摺りに寄りかかってタバコを吸いながらぼそぼそ話してたけど、部屋に戻ってきた時に「今の電話、だれ?」と問い詰めたら、元カノだと言って……
Kを許せなかった理由は、もう一つあって、彼は「妻とは、離婚を前提に別居している」とわたしに説明し、わたしのマンションで寝食を共にしてたんだけど、それが嘘だったから。実際は、Kの妻は海外に短期留学していて、帰国する9月以降は、もう寝泊りすることはできない、と言われーー。
東も、Jも、Kも、3人ともヘビースモーカーで、大酒呑みで、料理好きで、いつも、わたしにごはんを作ってくれた。
何を話したのかはほとんど憶えてないけど、何を作ってくれたのか、どんな味だったのかは、はっきりと憶えている。
東は、わたしがラーメン屋やレストランや居酒屋に入りたがると、「よせよせ、おれがつくった方がうまかけん」と言って、たいていの料理は作ってくれたし、料理番組や料理本を見ては、ノートにレシピをメモしてレパートリーを増やしていた。
Jは、「おなか空いた」と電話すると、ごはんとおかずとお味噌汁を作って(東と暮らしていた)マンションの近くまで車で持って来てくれて、わたしは家を出て、彼の車の中でごはんを食べた。
Kは、毎朝、わたしが一人暮らしをしていた広尾のマンションのキッチンに立ち、フレンチトーストを焼いてくれて、わたしはミルクとバニラと卵の甘い匂いで目を覚ました。
味覚って、五感の中で、いちばん強い。
ここは色んな人が(もしかしたら、当事者も)見ていて、昔話をすると差し障りが生じる可能性があるので、これくらいでやめときます。
わたしの実体験としては話せないことが多すぎる。
小説の器に盛り付ける形でしか表に出せない出来事や感情がたくさんある。
それを、明日からの小説に書こうと思います。