柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

入院しました。

2023年03月27日 14時20分00秒 | 日記
今朝、とある病院に入院しました。
明日、全身麻酔による(切端咬合と顎関節症の治療のため)顎の骨切手術を行います。
3番目なので正午前後になるそうです。

さっき、病室でお昼ごはんを食べました。

晩ごはんも普通に食べていいそうです。

今夜を最後に2ヶ月程度は咀嚼が必要なものは食べられないそうなので、ゆっくり味わって食べます。

(術後は鼻からのチューブと点滴。傷が治ってきたら流動食)

わたし、わりかし、病院食、好きです。
栄養バランスがとれてて、いいじゃないですか。
病院生活も痛みを抜きにすれば、静かでいいです。
(明日、明後日は集中治療室です。考えないようにしてるけど、痛いんだろうな……)

食後に、大船渡の岩渕正之さんからいただいた、かもめの玉子(紅茶味)を食べました。
(お菓子もしばらく食べられないし……)

岩渕さん、ごちそうさまでした。
いつも助けてくださり、ありがとうございます。







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2023年03月22日 02時45分29秒 | 日記
今朝方、久しぶりに東由多加が夢に出てきた。

夢、というか、わたしが寝ているベッドも、部屋の細部も、全てがそっくりそのまま現実なんですよ。ただ、足もとの布団が不自然に盛り上がってて、あれ? なんだ?と思って、そうっと布団をめくったら、いたんです、東が、両膝をかかえて……

でも、いま、ここで、東と暮らすわけにはいかないし、どうしよう? どうする? どうすればいいんだろう? と困ってしまって……

そしたら、東はすうっと消えてしまった。
目覚めた瞬間、無意識から意識に後悔が浮かび上がり、今日一日悲しい気持ちでいっぱいだった。

お彼岸の最中に、せっかく姿を現してくれたのに、ひと言も言葉を交わすことが出来なかったなんて……

東の命日は、2000年4月20日です。

今年は、RainTheatreと常磐線舞台芸術祭を実現させなきゃならないし、顎の手術も控えているから、日程的にも経済的にも東のお墓参りをする(長崎に行く)ことは出来ないけれど、RainTheatreは、必ず、誕生させます。

人生の大半を劇場で過ごした東はきっと喜び、芝居を観にきてくれるに違いない。









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顎の手術を受けます。

2023年03月21日 18時06分00秒 | 日記
話すと長くなるので、ここに至るまでの詳しい経緯は話しませんが、
子ども時代の歯列矯正の失敗による
切端咬合・顎関節症がひどくなり、
いま手術をしないと取り返しがつかない状態(現状もなかなか辛い状態)なので、
下顎の骨切り手術を受けます。

3月24日 病院近くのホテルにチェックイン
25日 PCR検査後、ホテルに自主隔離
26日 ホテルに自主隔離
27日 入院・検査
28日 全身麻酔手術・集中治療室
29日 集中治療室
30日 集中治療室
31日 一般病棟に移動
4月1日〜8日 入院

順調に行けば、4月8日に退院できる予定ですが、顔面がかなり腫れ上がるし、口が動かせないので、4月中は通常の会話・飲食はできないでしょう。

わたしが手術・入院中に、
息子の柳丈陽は、ミニシアター・小劇場「Rain Theatre」オープンの準備を進めなければならないし、「常磐線舞台芸術祭」を開催するための諸々を固めなければなりません。


関係者のみなさんには多大なご迷惑をおかけいたしますが、スケジュールを睨むとこのタイミングしかないので、何卒よろしくお願いいたします。

(小説は手術まで書き進めるし、集中治療室から出たら、スマホで書き進めます。なんとしても、退院までに脱稿したい……)

そして、ここからが、本題なのですが、

手術前に、お願いがあります。

もちろん、わたしの手術費を集めるカンパのお願いなどではありません。

「Rain theatre」をオープンに漕ぎ着けるためにみなさまのお力が必要なのです。

3月21日現在、
75名の方に、
142万500円のご寄付をいただいています。

Rain Theatreのオープンは、
4月20日の予定です。

目標額は2815万円。
1ヶ月を切りました……

「ご寄付のお願い」をお読みいただいた上で、ご友人やご家族にお知らせいただけると、嬉しいです。







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十三回忌の前日に…

2023年03月10日 13時50分00秒 | 日記
ブログを1年近く更新していないにもかかわらず、毎日500〜1000人の方に訪れていただき、申し訳ないやら有難いやらで、いま、困った顔をしています。
 
Twitterのフォロワーは6万9千5百人いますが、アンチもかなり混ざっているし、なんとなくフォローしとこうか、という方も多いと思います。
 
でも、このブログを訪れるのは、長年、柳美里の小説を読みつづけてくださっている読者のみなさんです。
 
そう思って、本日3月10日、東日本大震災の前日に、みなさんにお願いをします。
 
(明日は、東日本大震災で命を失った方々の沈黙に寄り添い、沈黙のうちに悼み、祈る日にします)
 
2022年は、わたしのもとに不運と不幸が訪れました。
 
1月末のオミクロン感染から始まり、3月16日のM7.4(震度6強)の地震で我が家とブックカフェ「フルハウス」の店舗は再び「一部損壊」となってしまいました。
2021年2月13日の福島県沖を震源とするM7.3(震度6強)の地震で、既に「一部損壊」となっていたのです。借金をして建物を補修し、破損・廃棄した様々なものを購入し直したのですが、1年後に再びーー)
 
詳しくは書きませんが、その後も不運と不幸は絶え間なくつづき、どうしてこんなにつづくんだろう? どうして?と気が付けば空を見上げていることが多かった。
 
 状態がひどくなり、1年間で僅か(400字詰め原稿用紙)20枚しか書けませんでした。
 
昨年末に、ダメ押しのような事件が起き、(なにがあったんだ?と思われた方は、Twitterのタイムラインを遡ってください)心身共に打ちのめされましたが、
2022年から2023年に変わった節目の力を借りて、わたしは、2020年からコロナのパンデミックで開催延期をしていた「常磐線舞台芸術祭」を実現すべく、現在急ピッチでプログラム作り、組織作り、資金集めを進めています。
 
 
「常磐線舞台芸術祭」の開催期間は、7月31日〜8月13日までの2週間です。
 
その前に、フルハウス裏の古い倉庫を、ミニシアター兼小劇場「Rain theatre」として生まれ変わらせなければなりません。
 
福島県の相双地区は、巨大地震、大津波、12年が経ってもおさまらない余震、原発事故の諸々の影響、難問続きの廃炉作業、台風による水害、コロナの感染拡大などによって、「復興」に向かおうとするたびに突き飛ばされて躓いたり倒れたりしてきました。
 
よく、「未曾有の複合災害」と言われますが、「未曾有」の被害に対しては、統計やノウハウや緻密さだけでは太刀打ちできません。
 
旧「警戒区域」で、帰還住民3割(約3800人)の南相馬市小高区で、本屋を開くこと、飲食店を経営すること、劇団を旗揚げすること、その全てを「無謀」だと反対されてきましたが、わたしは一つ一つ実現してきました。
 
原発周辺地域に必要なのは、まさに断固とした「無謀さ」だと考えています。
 
この3年間、「三密を避ける」「ソーシャルディスタンス」「不要不急の外出をしない」などの感染予防策が、政府や地方自治体によって呼び掛けられてきました。
感染予防策としては正しいのですが、原発事故によって人と人との繋がりを寸断された旧「警戒区域」に最も不足しているものは、まさに「密」なのです。
 
帰還者、避難者が最も必要としているのは人と人との「親密な繋がり」なのです。
 
「Rain theatre」は、座席数50の小劇場•ミニシアターですが、「未知との遭遇」の瞬間を生み出したいと思っています。  
  
演劇、映画、コンサート、朗読会、実演会、トークセッション、ポートフォリオレビュー、ワークショップによって、他者が創り出した世界にぎりぎりまで接近し、時にはその世界に飛び込み、自分ごと全部持って行かれるような体験をする。
 
「未知との遭遇」とは、「他者との出遇い」に他なりません。
 
わたしたちは、自分の心が悲しみや苦しみなどの感情に大きく波立っても、それを悟られまいと普段と変わりなく日常生活を営んでいます。
でも、その感情は抑制されているだけで、無くなりはしません。独りであまりにも大きな悲しみや苦しみを抱え込むと、感情が暴発して心が壊れてしまうこともあります。
 
ブックカフェ「フルハウス」は、誰にも打ち明けられない悲しみを抱えた方々の「悲しみの器」として、どこにも居場所が無いと感じている方々の「魂の避難所」としての役割を担ってきました。
 
ミニシアター兼小劇場「Rain theatre」が担うのは、人と人とを隔てる心の距離を踏み越える、人と人との「親密さ」を取り戻す場所としての役割です。
 
3月10日現在、
61名の方に、
94万6千円のご寄付をいただいています。
 
ありがとうございます。
 
目標額は2815万円です。
 
「Rain theatre」のオープン予定日は、
4月20日、東由多加の命日です。
 
あと1ヶ月ちょっとしかない、と考えるよりは、まだ1ヶ月以上ある、と考えて、
わたしは、みなさんにお願いをします。
 
まず、「ご寄付のお願い」を読んでください。
ご協力いただけると、嬉しいです。
 
さらに、ご友人やご家族にお知らせいただけると、もっと嬉しいです
 
きっと、実現できます。
 

https://sites.google.com/site/yumiribibliographicdata/OSPA


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23回忌

2022年04月20日 12時32分00秒 | 日記
どなたかが供えたばかりのお花がちょうど紫と青だったので、わたしたちの供花と合わせて生け直しました。

蝋燭に火を灯し、線香を焚いて、手を合わせ、東由多加に語りかけようとしたら、
「この22年……」という言葉しか出てきませんでした。

東の死から22年が過ぎました。








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なんの色が好き?

2022年04月19日 23時10分00秒 | 日記
明日、4月20日は、東由多加の23回忌です。

今日は、22歳の息子と二人で、お線香、蝋燭、チャッカマン、東が好きだった日本酒、煙草(ハイライト)、和菓子(柏餅)を購入した。

お墓に供える花束を購入するために、長崎浜町アーケードの花屋に入った。

どういう色が好きだったっけ?
と迷っていたら、
息子が「東さんは、上品な感じがいいよ」と紫と白の花を選んだ。

生前、もう30年前になるが、クリスマスイブに渋谷の西武デパートに行った時、ダナキャランニューヨークに入り、「これ、きれいな色だね、似合うよ」と東にプレゼントしたセーターがちょうどこんな色だった。

明日、お墓参りをします。










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コロナに感染しました。

2022年02月09日 10時16分00秒 | 日記
今日でコロナ発症11日目、自宅療養期間が終わりますが、しばらく、ひとには会わない方がいいと思うので、静養しつつ仕事に復帰します。

コロナの病状は、Twitterで毎日ツイートしていましたが、NHKのサイトにまとめていただいたので、読んでください。


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新春対談

2022年01月04日 11時26分00秒 | 日記

『福島民友』紙上で、内堀雅雄・福島県知事と対談を行いました。

 
【新春対談(上)】内堀知事×柳美里
 福島「復興の地」へ
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220103-676705.php

【新春対談(下)】内堀知事×柳美里






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泣けない。

2021年11月12日 14時48分00秒 | 日記
泣きたい。

大声で。

泣いて、その涙で、怒りのあまり崩落して足もとに転がっている岩みたいな心の角を丸くして、泣いて、泣いて、全部流してしまいたい。

心を、わたしの目の届かないところに流してしまいたい。

心を、消したい。

今のわたしは、生きることを志向できていない。








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インタヴュー記事について

2021年11月09日 10時39分00秒 | 日記


先ずこれは、柳美里の原稿ではなく、時事通信の記者によるインタヴュー記事です。
わたしが記者の前で語ったことの全てが掲載されているわけではありません。

「小学校低学年のとき、同級生に『お前の家に投票用紙はないだろう』といじめられたことがあって」

という記事中の言葉に対して、

「そんな小学校低学年の子どもなんているはずがない」
「在日の被害妄想」
「やはり朝鮮人は嘘つき」
などのさらなる誹謗中傷が沸き起こっていますが、

インタヴュー中、わたしはこのような言葉を続けています。

「やはり小学生の時に『国勢調査におまえんちは入らないだろ。おまえはナントカ人だからな(『朝鮮人』と言ったら教師に怒られるので、クラスメイトたちは『朝鮮人』という言葉をNGワードとして避けた)とも言われました。わたし自身、投票や国勢調査の仕組みをよく知らなかったので、同じ歳の子どもから『投票用紙』『国勢調査』なんて言葉が出てくるはずがない、と思いました。親だな。家庭で父親と母親がしゃべっている会話を聞いた子どもがそれをそのままわたしにぶつけているんだな、と……」

それからというもの、わたしは、保護者たちが小学校に集まる授業参観や運動会や学芸会に恐怖をおぼえるようになりました。

わたしは、小学校の担任にも、「おまえは日本語をしゃべれるのか?」などの質問をぶつけられ、驚きのあまり何も言葉を返せなかったことがあります。

小学校低学年の時は、「バイ菌」というあだ名で呼ばれていました。「バイ菌がよそうとバイ菌が感染る。汚くて食べられない」とクラスメイト全員が給食を食べることをボイコットしたため(派手に嘔吐する仕草をして笑いをとる男子もいた)担任教師が困り果て、クラスで(おそらく学校中で)一人だけわたしは給食当番から外されました。

記事の枠(文字量)の関係と、選挙の話題からは逸れるので省かれましたが、教師や保護者の差別意識が校内のイジメに関与(加担)しているケースは、現在でもある、と思います。

SNS内で大人たちが安易に用いている憎悪にまみれた差別や排除や誹謗中傷の言葉を、子どもたちがよくわからないままコピーして学校という社会で使う可能性は高い。

あなたは、匿名という仮面で顔を覆っているからといって、その指で打った言葉に対する責任から免れるというわけではありません。

あなたは顔を持ち、あなたがSNSで発した言葉が向かう先にも、顔がある。そのことを自覚した上で慎重に言葉を選ぶべきです。

Twitterにあふれるヘイトまみれの言葉に、あなた方の子どもたちも曝されているのです。


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術前、術後

2021年10月09日 11時38分00秒 | 日記
手術によって両足の親指が真っ直ぐになった。

でも、「リハビリをがんばらなければ、真っ直ぐになった動かない親指になっちゃうんで」と執刀医に釘をさされたので、手術の痛みが落ち着いたら、固まる前に、痛くても親指を上下に動かさないといけない。

上に45度、下に90度、って痛いだろうなぁ……






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痛みの中でみた夢

2021年10月09日 10時56分00秒 | 日記
最初に消灯したのは、22時ぐらいだったと思う。
左足の傷口がどうにも痛くて眠れないので、痛い時にのむようにと渡されているロキソプロフェン Na錠60mgを、23時にのんだ。
(毎食後、痛み止めのカロナール錠500を、胃薬のレバミピド錠100mgと共に服用し、抗生剤も1日2回点滴してもらっています)
しかし、痛みはおさまらない。
左親指に火をつけられて燃やされてるみたいな痛みで、思わず処方箋袋を手にするが、ロキソプロフェンは間隔を6時間あけなければいけないと注意されている。
(わたしはたびたび出血性胃炎と十二指腸潰瘍で喀血して入院し、喘息の持病もある)
痛みを堪えながら、Twitterのタイムラインを見たり、本を読んだりしていて、午前2時半に目薬をさして、「蒸気でアイマスク 完熟ゆずの香り」を目にあてて、眠ることを試みる。

紺のブレザーに紺のタイトスカート姿の女性事務員が、わたしが寝ているベッドをまたいで部屋から出て行ったり、足元に土偶の目と口だけみたいな顔が寄り集まっていたり、夢とも幻覚ともつかないものに悩まされた後、わたしはどこか別の部屋に寝ていた。
階下で東が帰ってきた音がした。
体は動かせない。
指一本動かせない。
劇団員が酔っ払った東を担いで階段をのぼってくる音がして、「危ない! やめて!」と叫ぼうとしても、声が喉につかえて出てこない。

わぁぁぁぁぁ!という東の叫び声と、階段を落ちる音がした瞬間、金縛りが解ける。
扉を押し開けると、真っ直ぐにつづくコンクリートの非常階段があり、東の衣服と毛布みたいな布だけが散らばっている。
東が死んだ。
死んで、いなくなった。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
という自分の絶叫で目覚めた。

目を開けると、病室だった。
仰向けのまま読書灯に手を伸ばし、泣いている自分の顔を照らす明かりの中で、東は死んだんだ、東の死からもう21年経ってるんだ、と自分を納得させた。

時計を見ると、午前3時半。

4時間半あいたので、ロキソプロフェンをのんだ。


(写真は、昨夕看護師さんに消毒の仕方を教えてもらった時に、術後初めて見た傷口です)










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手術の翌朝

2021年10月08日 06時55分00秒 | 日記
手術中は、全身麻酔と、両足に直接打っていただいた神経ブロックの局所麻酔のおかけで、意識も痛みもありませんでした。

意識の無いまま手術室から病室に運ばれて、朦朧とする中で看護師さんから名前を呼ばれました。手術中に気管チューブを挿れられていた喉の奥が痛いので声が出しづらく、もごもごと、喉が痛い、気持ち悪い、吐きそう、と訴え、ベッドの頭部分を上げていただき、枕の横のガーグルベースに胃液と唾を吐きました。

昨日は夜まで麻酔の痺れが残っていて、足の感覚も痛みもなかったんです。

22時41分頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード6.1の地震があり、わたしが入院している都内の総合病院も震度5の揺れに見舞われました。

日付が変わる頃から捻挫したような鈍痛が現れたので、痛み止めのロキソニンを飲み、それでも地震やら痛みやら小説のことやらでなかなか寝付けず、午前3時頃にうつらうつらしました。

2時間後の5時過ぎに、足の痛みで目覚めました。鈍痛ではなく、肉と骨を切ったということがわかる鮮やかな痛みです。

ロキソニン、と処方箋袋を手にしたんですが、胃が弱いので朝食後にのんだほうがいいかも、と我慢しました。

我慢しています。

痛みにも個性みたいなものがあり、左足の方が主張が激しい。開けてくれぇ! 開けろぉ! 開けないとドアをぶっ壊してやる!開けないと殺すぞテメー! ドンドンドンドンッ!みたいな凶悪な感じで。
右足は、黙って拳を尖らせて、コンコンッ、コンコンッと強めに、速く、休まずノックする紳士的な感じ。

しかし、両足とも、痛いことにはかわりない。

6時22分かぁ……

朝食って、8時だったっけか……

いま、看護師さんに検温と血圧(だいたい下が40前後、上が80前後の低血圧で、脈拍も50ぐらいの遅脈なので、え……と驚かれ、測り直されそうになるので、いつもそうなんですよ、と説明します)と酸素濃度を測っていただき、痛みの具合を訊ねられたので、「かなり痛いですね」と答えたら、「我慢しないで、お薬のんでください」と言われたので、飲みます。

あぁ、お水を買っておけばよかった……














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痛みや失敗を先取りして…

2021年10月07日 07時53分00秒 | 日記
なんだか、あんまり、寝れなかった。

手術は、11時から。
右足1時間、左足1時間、計2時間の手術です。










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生まれて初めてボツにされた原稿

2021年10月06日 17時58分00秒 | 日記
柳美里は、岸田國士戯曲賞の選考委員を3回(3年)で辞することとなりました。
白水社の判断で未掲載(ボツ)となっていた選評と、辞任に至った経緯を、9月21日刊行の『ゲンロンβ65』に発表しました。

この一文は、抗議や批判ではなく、一つの問題提起であり、わたしの岸田國士戯曲賞に対する恩返しです。

岸田國士戯曲賞が、新しい劇作家の才能に光を当てると同時に、文学作品(読み物)としての戯曲の魅力を広く伝えられる場になりますように。

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