シニア花井の韓国余話

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妥協を悪と見なす韓国社会【コラム】         

2014年10月08日 01時58分00秒 | Weblog
(投稿者注)
韓国人は間違いなく妥協が不得手だ。
妥協が不得手であると同時に、配慮が不得手である。
その原因は自己チューから来ている。
妥協と配慮が不得手なために、話し合いが不得手になる。
もめなくていいのにもめることになる。
対日問題にしても、自分の考えに凝り固まり、自分の考えに酔ってしまい、話し合いが出来ない。
外交でもそのままなのでお付き合いが難しい。
困った隣人である。


韓国大手新聞 朝鮮日報14年10月5日記事抜粋
 今年7月にこの世を去ったバイオリニスト、ペ・イクファン米インディアナ大教授の生前のインタビューを読んでひやりとした。ペ氏は1985年、世界3大コンクールに数えられるエリザベート王妃国際音楽コンクールで2位になり、韓国人バイオリニストとして最高の成績を残した演奏者だ。
 ペ氏は韓国の室内楽が発展しない理由について「妥協を非常に恥ずかしく思う民族性のせいだろう」と述べた。弦楽四重奏はよい演奏のため演奏者4人が互いに批判しながら歩み寄っていく必要があるが、韓国人は妥協を自分が弱いせいと考え、よい音楽のための譲歩とは考えないというわけだ。妥協することを恥と思う風潮のために協業ができないという話を、まさか音楽家から聞くとは思わなかった。
 韓国人の「反妥協的なDNA」が特に強いとは思わない。だが、妥協よりもはっきりとした原則や路線をごり押しする側が力を得て、事を台無しにするケースはたくさん目にした。
 旅客船セウォル号沈没事故に関する特別法の制定をめぐり、大統領府と与党が大統領をかばおうとばかりしているのもそうだし、2度にわたりまとめた特別法の合意案を覆して長きにわたり国会を空転させ、歳費だけを使っている野党議員らを見ても、同じようにため息が出る。政治家は妥協し、歩み寄る技術を身につけていなければならないが、活動家のように自らの主張を訴えることにばかり躍起になっている野党は実に理解し難い。
 全北大のカン・ジュンマン教授が先ごろコラムで「キツネのような知恵で社会を実質的に変化させようと努力するのではなく、ライオンのように咆哮(ほうこう)しながら自らの存在を示すことにきゅうきゅうとしている進歩(革新派)は『常識のない進歩』と映ってしまう」と忠告したのも、よっぽど思うところがあったせいだろう。
 実際に、光復(日本による植民地支配からの解放)以降の韓国現代史は、急進的な革命ではなく譲歩と妥協を通じた改良で意味のある発展を遂げた。1987年6月29日の民主化宣言や90年の3党合併は密室での陰謀、野合の代表的なケースに挙げられ、一時は否定的な評価ばかりだった。だが、政治学者らはここ数年、民主化宣言と3党合併を積極的に評価する研究を相次ぎ発表している。韓国社会が流血事態を起こさず民主化に向かう上で、産業化勢力と民主化勢力の妥協が重要な役割を果たしたというものだ。
 金大中(キム・デジュン)政権と盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が、韓国現代史のアキレスけんとされていた地域差別問題と「既得権勢力」に対する恨みを和らげることができたのも、保守陣営との妥協のおかげだろう。韓国が第2次世界大戦以降、産業化と民主化を同時に成し遂げたほぼ唯一の成功例に挙げられるのは、こうした妥協があったからこそだ。
 それにもかかわらず、妥協をことさら悪と考えるムードは、韓国社会にまん延している。知識人の責任も大きい。この10年余り「美しい分裂」をうんぬんして大衆をそそのかしたとのそしりは免れない。フランスの左派知識人、レジス・ドゥブレは「かつての知識人は時代を明瞭に解釈していたが、今の知識人は時代の闇を深めるだけ」と述べ「知識人の終末」を宣言した。
 妥協をタブー視する現在の韓国社会の空気は、革新派が口にする「民主主義の強固にする」という目的のためにも不幸なことだ。小学生のころから妥協のルールや妥協の言葉を教えなければならないだろう。妥協を罪と見なす限り、民主主義は不可能だ。
金基哲(キム・ギチョル)文化部次長


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