9月4日に開催された2月19日の銚子沖で発生した海上自衛隊イージス艦<あたご>と漁船<清徳丸>の第一回に続いて昨日11日に第二回が開催されました。
指定海難関係人は、当時の艦長、衝突時の当直士官だった水雷長、交代前の当直士官であった航海長、戦闘指揮所の監督官の船務長の4名の尋問が行われました。
まず、海上自衛隊側の海事補佐人が独自に作成した<航跡図>を証拠書類として提出し、補佐人は『清徳丸が右転せずに進めば艦尾約820㍍を通過していた。』と、述べました。
この<航跡図>は海難審判理事所の理事官が提出した【清徳丸】の僚船3隻の供述証書やレーダー図、及び漁船との衝突を参考に補佐人が作成したそうです。
これについて、審判官が水雷長に対し『引き継ぎ後、自分改めて方位や距離を確認する習慣はありませんか?』と質問にしたのに対し、水雷長は『今回は引き継ぎの内容を完全に鵜呑みにした。』と、証言しました。
さらに、相手船団の船舶数について『ひと固まりとして見ていたが、10隻近くいるという印象をもった。』と証言しました。
また、漁船が衝突コースから遠ざかっていたと判断し、艦首方向にいた僚船の見張りを優先していた。と主張し、そのうえで、衝突直前の目を離したすきに漁船が急に進路を変えたと思われる。そして、急な右転が事故につながった。と、証言しました。
一方、方位を正確に測るジャイロコンパスを使用しないで、窓枠と漁船の赤灯とのずれだけで監視を行っていたことを認めた。
ところが、交代前の当直士官だった航海長は『レーダーなどで確認した結果、3隻しか確認していなかった。距離などを考慮すると、交代前には、新たな船がレーダーなどで見える範囲に入り、水雷長は自分が引き継いだ船以外にも見ていた可能性がある。』と指摘しました。
第3回は12日に行われ、都築は明日書き込みます。
指定海難関係人は、当時の艦長、衝突時の当直士官だった水雷長、交代前の当直士官であった航海長、戦闘指揮所の監督官の船務長の4名の尋問が行われました。
まず、海上自衛隊側の海事補佐人が独自に作成した<航跡図>を証拠書類として提出し、補佐人は『清徳丸が右転せずに進めば艦尾約820㍍を通過していた。』と、述べました。
この<航跡図>は海難審判理事所の理事官が提出した【清徳丸】の僚船3隻の供述証書やレーダー図、及び漁船との衝突を参考に補佐人が作成したそうです。
これについて、審判官が水雷長に対し『引き継ぎ後、自分改めて方位や距離を確認する習慣はありませんか?』と質問にしたのに対し、水雷長は『今回は引き継ぎの内容を完全に鵜呑みにした。』と、証言しました。
さらに、相手船団の船舶数について『ひと固まりとして見ていたが、10隻近くいるという印象をもった。』と証言しました。
また、漁船が衝突コースから遠ざかっていたと判断し、艦首方向にいた僚船の見張りを優先していた。と主張し、そのうえで、衝突直前の目を離したすきに漁船が急に進路を変えたと思われる。そして、急な右転が事故につながった。と、証言しました。
一方、方位を正確に測るジャイロコンパスを使用しないで、窓枠と漁船の赤灯とのずれだけで監視を行っていたことを認めた。
ところが、交代前の当直士官だった航海長は『レーダーなどで確認した結果、3隻しか確認していなかった。距離などを考慮すると、交代前には、新たな船がレーダーなどで見える範囲に入り、水雷長は自分が引き継いだ船以外にも見ていた可能性がある。』と指摘しました。
第3回は12日に行われ、都築は明日書き込みます。