訴状によりますと、遊漁船の船長と遊漁船の事業者登録を行っていた新潟県に対し、適切な安全管理を怠り事故の発生原因になったと指摘しています。
また、事故発生日の前年に加入を義務付けられていた損害賠償保険の加入がなされておらず、被害者の遺族及び生存していた被害者は損害賠償を受け取ることができなかったというものであります。
さらに、双方は新潟県に対して、遊漁船業の実質上の営業許可に当たる<登録業務>を行い、保険の加入状況を管理する立場にあったが、無保険の状態のまま放置し、必要な措置をとらなかったというものです。
これから審理が進むわけですが、訴訟の推移をみたいと思います。
そこで、今日は基礎の基礎から数回にわたって書き込みたいと思います。
まず<業(なりわい)>とは、【継続反復して他人から報酬を得ること】と定義していますから<継続>しなければなりません。
時々では趣味の域か、または、ブランティアの領域ですから<業(なりわい)>とはいえません。
病に伏せたり、ケガをして船に乗れない状態であればそれは<休業>ということですから範疇に入りません。
さて、遊漁船業ですから<遊漁船>という船舶がなくてはなりません。
遊漁船業の適正法制では、第ニ条に(定義)が定められていて『遊漁船業とは、船舶により乗客を漁場に案内し、釣りその他農林水産省令で定める方法により漁類その他の水産動植物を採捕させる事業をいう。』としています。
すなわち、事業を推進するための道具として<船舶>を用いて行うものですから船舶がなくてはなりません。
その<船舶>とは、自己所有でもいいし、他人からの借用でもいいのですが借用の場合は他人との間で<傭船契約書>を結んでおく必要があります。
なぜなら、万が一、海難事故でも発生しようものなら事故責任の所在を明らかにしなければならないからです。
事業に使用する船舶は【船舶法】という法律で定めています。
船舶法第一条には、下記の船舶を以って日本船舶とする。と定めていて
①日本の官庁又は公署の所有に属する船舶
②日本国民の所有に属する船舶
③日本の法令により設立した会社でその代表者の全員及び業務を執行する役員の3分の2以上が日本国民なる者に属する船舶
④前項③に定める法人以外の法人で日本の法令により設立し、その代表者の全員が日本国民の所有に属する船舶
としています。
ゆえに、外国人所有の船舶では遊漁船業は開業できないということになっているようです。
さて、明日は<船舶>の【態様】について論じてみたいと思います。
海中には12人の乗組員が取り残されているといわれており、留守家族の気持ちを察すれば何と表現してよいかわかりません。
一刻も早い救出を祈るばかりです。
この間の救助捜索も大変なことだったことでしょうが、官民挙げての出動で相当の心労も多かったと思われますが、官である海上保安部の<専従捜索>は今日の日没をもって終了することになります。
留守家族におかれましては、後ろ髪をひかれる思いでしょうが、これが<官>の限界です。
それでも通常のパトロールは続けられるとのこと、一刻も早い犠牲者の発見がありますようお祈りいたしますとともに、海上保安官の2週間の捜索のご苦労に感謝したいと思います。
24日午前5時半ごろ、宮城県気仙沼市沖の大島から東南東約8㌔の海上で転覆した小舟(0.3㌧)の船底に捕まりながら21時間も漂流していた漁業者(61歳)が救助されたそうです。
転覆したのは23日の午前8時ごろ、母港を出港していましたが沖合いにでている間に海が荒れてきて小舟が転覆、船底の腹を空に向けてひっくり返りました。
漁業者は救命胴衣を着けていましたので、船底の腹を空に向けた状態の上によじ登り、船体のロープを体に結びつけたまま離れないようにして救助を待っていたそうです。
そして、海上保安部の航空機がそれを発見、巡視艇に救助されたのです。
漁業者は、発見された際には体はずぶぬれの状態で、航空機に手を振ったといいます。
それでも、良かったですね。海に抵抗したら海にしっぺ返しを受けますが、海と仲良くすれば海と共有することができるということを証明したようです。
それを証明したのが<救命胴衣>でした。
海に入る時は<救命胴衣>の着用を心掛けましょう。
乗組員14人は僚船に救助され全員助かりました。
この巻き網漁船は、5隻の漁船とともに<奈留島>に帰港するところでしたが、当時の現場付近海域の気象・海象は、風速3㍍・波高1㍍の航行条件としては穏やかな状況でした。
このような条件下でも、転覆沈没するとは海は恐ろしいものです。
航行の安全には十分お気を付けください。
平成16年(2004)12月、鹿児島県十島村口之島沖で発生した瀬渡し船(4.39㌧)で乗客5人が死亡した事故で、業務上過失往来危険罪に問われた元=船長(58歳)の初公判が21日か鹿児島地方裁判所で開かれました。
被告である瀬渡し船の船長は<起訴事実>を認め、検察側は冒頭陳述で事故当時は波が高く、転覆の恐れがあったのもかかわらず、船長は転覆会日野措置や救命胴衣着用の指示などを怠ったとして禁固3年を求刑し、即日で結審しました。判決は、5月22日に行われる予定です。
今月1日に長崎県・平戸沖で転覆沈没した巻き網漁船<第11大栄丸>の引き揚げ調査が21~24日まで下記海域で行われることになりました。付近を航行する船舶は十分ご注意くださるとともに、海域への入域はご遠慮ください。
【日本測地系】
北緯 33°17´16″ 東経 129°16´40″
★調査地点を中心とした半径1000㍍以内への入域制限が行われ、警戒船が出動しています。
<三角波>とか<追い波>とか<向かい波>などが海難事故の場合に出てくる言葉ですが、今回の長崎県・平戸沖の事故ではどのような減少だったのでしょうか?再度、検証してみたいと思います。
海を見ていると限りなく続く波が岸に砂浜に押し寄せてきますが、波の山と波の山の間隔が50~100㍍の規模が襲ってきたのが今回の事故のようですが、135㍍の船の全長がすっぽりはまってしまったのですから、波の高さは3㍍以上あったことは確かなようです。
今回の場合は、右後方から襲ってきた大きな波が船体にのし上がって舵が利かなくなったといいますから、【ブローチング現象】が起きたといわれています。【ブローチング現象】の発生条件は、 ①波の山と波の山の頂上との波長が船の長さの1.25倍~3倍程度といわれています。 ②船の速度が波の速度と同じかやや遅い速度といわれています。 ③高い波を斜め後ろ10~40度の角度から受ける場合といわれています。
この発生条件を検証すると、船が母港を出港する場合は自船の船長と波の波長・波高を熟知して、海象・気象状況を把握していることが海難事故を防ぐ最大の条件のようです。そうすれば、出漁の場所とその現場までの航路の状況は事前に把握する必要があるでしょう。
まして、乗船した乗り組合員の家族又は、遊漁船に乗船した釣り客の家族のことを一身に委ねた船長の責任は相当に重い宿命を背負っているのは当然の責務です。
そして、16年前の1993年2月21日の未明、同じ港から出港した<第7蛭子丸>が同港の北側で沈没、19人の行方不明者と1人の救助者のみを出す海難事故が発生したのでした。
前記した今回の事故は、アジ・サバを採捕するために出漁したばかりの事故でしたが、後記した16年前の事故は漁が終わり帰港する途中にシケにやられ規定以上の重量の漁具を通んでいたため、横揺れで漁網が崩れて復元力を喪失したのが原因だったそうです。
海の仕事は、船長の【判断力】が勝負といわれています。
笹の葉だって、あの葉切れ一つが上流で流れ始めたものが黙って下流まで自然に流れていくように船だって抵抗しなかったら無事に辿り着くという船長(操縦士)もいます。
しかしながら、前回と今回とで31名の尊い命が行方不明となりました。無事を祈るばかりです。
昨年9月、新潟県佐渡ヶ島沖で発生した遊漁船(3.2㌧)が沈没した海難事故で、乗船していた釣り人の遺族二人が遊漁船の船長を相手取り、約6000万円の損害賠償を求めて新潟地方裁判所に提訴することがわかりました。
遺族側によると、遊漁船の船長が船の適切な管理を怠り、海難事故を発生させたとし、また、遊漁船の営業を営むために義務とされている【損害賠償保険】の加入が義務付けられているのもかかわらず、一昨年10月で期限切れになり継続手続きを怠っていたものです。
この海難事故では、遊漁船の船長は死亡しており船長の親族が被告になって損害賠償請求の相手側になるものと思われます。
さらに、遺族は新潟県の遊漁船担当部署では、遊漁船業の実質営業許可にあたる<登録業務>を扱っているにもかかわらず、保険の加入状況を監督する立場にありながら、無保険状態のまま放置し、登録の取り消しなどの必要な措置を取らなかったとして、新潟県にも損害賠償責任を提訴する予定だそうです。
海難事故は、平成20年9月20日の午後4時ごろ、事故を起こした遊漁船は釣り客10人と船長の1人を乗せて網代港から佐渡ヶ島沖に出港、翌日の午前に沈没したもので、3人が死亡、7人が救助されました。