パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

萌えあがりとエチオピア料理

2006-04-17 23:56:26 | 生活
 今週に入って新緑が本当に気持ちよくなってきました。ワシントンスクエアの木々も春の喜びを爆発させて萌えあがっているようです。
   
   

 夜はゼミのあと、エチオピアの友人が予約した近くのエチオピア料理の店、Meskeremへ。大学から半ブロックも離れていないので便利。   注:この写真はイメージ
   
 当然初めてだったのですが、南インド料理によく似ていましたぁ~。インジェラ?というクレープみたいなもの(見た目はドーサですが、ちょっと厚い)が主食で、ビーフやらチキンやら野菜やら豆やらの付けあわせをインジェラで手づかみにして食べます ちなみにインジェラは小麦じゃないらしくて、ちょっと酸味があります。スパイシーさはNYという土地柄控えめだとか。パンダさんと一緒にまた来てみようかな 

春はやっぱり

2006-04-16 23:59:16 | 生活
いいですね今日もとっても街路に美しく咲く花たち。青く澄みわたった空の下で木々が笑っている春はパンダは大好きですまた街によってその花たちも様子が違うんですよね。スタテン島はマンハッタンやパンダたちが住んでいるアストーリアよりも自然に満ち溢れているので、本当にきれいでした
なぜ、日曜日にスタテン島!?それは実は昨日あるオーケストラのオーディションを受けたからなのです。いやはや一仕事終わりました結果はどうであれ、結構落ち着いて演奏できたと思います。英語のインタビューの方がテンパッテました結果がいつでるかは?、朗報が届くといいですが・・・でもそんなちょっとした解放感からか今まで気づいていなかった自然を楽しめたのかもしれませんね
今日はイースター。ということで、宗教上お祝いをする方々がいっぱい。パンダが通っているスタテン島のLさんのお宅も奥様がキリスト教!ということで、イースターにちなんだウサギのチョコとカラフルに色づけされたエッグをしてくださいましたそのせいもあって、街も家族連れの方々で賑わってましたよ。でもキリスト関係者たちのはクローズしていましたがね
そうそう、その影響もあってか後に行ったホット・ヨガのシャワーのお湯が出ないイースターと関係ないじゃんって思いますが、故障しているボイラーの担当者がここしばらく休みモードかなんとかで直せていないということ・・・こりゃまいりましたよ

夜はNYで初めて焼き鳥屋に行きましたというのも英語クラスの友人のお誕生日パーティーをするため。なんで焼き鳥屋なんって感じですが、好き嫌いなくいろいろな種類を楽しくと共に食べれるかな?と思って。そらまめさんも一緒に行ったんだけど、かなり美味しかったよねこのお店、なんだか人気がすごくあって開店17:30~には行列。そして待ちの人が常にいる状態まっ、ちょっと狭い!というのもありますが、reservationをしておいてよかったって感じです。ちなみにそらまめさんも、楽しめた

 うんうん、ジャパニーズフードはずーっと流行っているらしくて、NYという土地柄いろいろアレンジされているんだけど、ここ(鳥人 Totto)のは一切フュージョンなしのディープな日本だったね(味・雰囲気とも)。なつかしくてちょっと食べ過ぎちゃった気がするし、「日本」を体験したみんなも満足そうだったね

に帰ってからは、二人揃ってタイム。そしてパンダは明日の英語学校の準備の料理にも追われつつというのも明日午前中の先生が先週“Potluck Party”を提案したからですこのパーティーはそれぞれがあり合わせの料理を持ち寄るパーティーのことです。ということで、パンダはかぼちゃの煮物と高野豆腐と椎茸煮を用意。でも出来上がって眺めたら、色が茶色でクラ~イことに気づきちょっぴりですが、がんばって作ったモンこちらのカボチャは日本と違うため、ちょっと楽をして初めて冷凍カボチャを使ったら、煮くづれしてしまいました普通のカボチャと同じ水分量じゃ、あたりまえだけど煮くづれしますよねうまく計算できませんでしたが、何はともあれ作ったことに意義ありそして明日の各国からやってくる料理達を楽しむぞ

Maury Show - DNA鑑定バラエティ

2006-04-14 23:50:10 | 生活
昨日今日とレポートを仕上げてました。必修ゼミでプレゼンした後修正して提出することになっていたのですが、プレゼンの後気が抜けてサボっていました いやぁ、入学の2ヶ月も前から「コンセプト1枚紙を提出するように」、1ヶ月前には「4~5枚の概要紙に」と言われてそうこう考えると9ヶ月以上もやってたんですね。こうやって課題が片付くとホッとしますが、ロースクールも残り少なくなって寂しくなってきます

 全然話が変わりますが、昨日朝食時に珍しくテレビをつけっぱにしていたら(大抵何かを焦って読んでいます)、おそろしい番組を見てしまいました。Maury Showといって、一言で言うとDNA鑑定バラエティです。仲のよさそうな夫婦がスタジオに現れて、突然奥さんが「○○はあなたの子じゃないかもしれない」とか告白して、真の父親かもしれない男性までスタジオに登場して(スタジオの観衆から罵声の渦)、お互いが罵倒しあって(阿鼻叫喚です、もう)、「さっさと結果を見せろよ」という話になり、やおらプレゼンターが封筒からDNA鑑定結果を取り出して、「▲▲、You are the father!!!」というそれだけのやり取りが何回か続く・・・(夫の婚外子と疑われるヴァージョンもあった)。どこからが本当でどこからが演技なのか見分けつかない真に迫ったリアクションが続いて(全部本当なのか)、もう頭がおかしくなりそうです ネオコンの極端さはこういうものへの反作用だったのかぁと実感をもってしまいました。

World Bank Chief Outlines a War on Fraud

2006-04-12 23:58:46 | ロースクール
 今日のNY Timesの記事、“World Bank Chief Outlines a War on Fraud ”(世銀総裁が不正との戦いを概説)で、ウォルフォウィッツ世銀総裁の11日ジャカルタでの発表Good Governance and Development: A Time For Actionが取り上げられていました。先週授業でカバーしたばかりのイシュー。経済成長には、汚職・腐敗を断ち切ることが必要だという議論で、彼自身が単純化していますが、
 (P)eople want opportunities, they want a better future for their children. But without a government that can deliver on its promises, without a government that listens and treats its citizens fairly, those hopes and dreams cannot be realized. To put it more plainly: people need government that works.
 (人々は、チャンス、子供達のための未来を求めているが、市民の声を聴き、等しく扱い、市民に約束する政府なしには、彼らの夢や希望は実現することはないだろう。要すれば、人々には正しく機能する政府が必要なのだ)

ってことなんですね。

 そもそもネオコンの代表者みたいなウォルフォウィッツを世銀総裁に、という話になった時点で、これが狙いだったのかぁと今にして思うのですが、「ネオコン」だからダメ、また十字軍ぶりやがって と切って捨てるのはあまりに勿体無い気がします。実感として日本国内でCorruptionにまみれた業界ってえてして国際競争力に劣るように思えますし、中国地方政府のCorruptionを扱ったクラスメートのプレゼンはいかに無駄にリソースが消費されるか追体験するのに十分でした。何度か紹介しているイーストリのElusive Quest for Growthでは、“経済全体への税”だとらえて経済成長への悪影響を説いています。ただ、クラスメートのプレゼンの時も議論になったのですが、どの国にもCorruptionはあるので、ナゼ途上国のCorrutpionだけ成長を阻害するのかとなると俄かに答えにくいですよね。
 この点、読んでいない伝聞なので恐縮なのですが、イーストリの宿敵?ジェフリー・サックスはThe End of Povertyで、因果関係をひっくり返して、
 "Africa's governance is poor because Africa is poor" 
 (アフリカの統治がひどいのは、アフリカが貧しいからだ)

としているそうで、だから包括プラン実施のために援助を増やしましょう!と議論が進むそうです。イーストリはブックレビューで資金集めキャンペーンなら言い訳になり得る本とこきおろし、この間のThe White Man's Burdenの出版記念?講演でもサックスの写真つきで揶揄していましたが、やっぱりいくらお金をつぎ込んでもうまくいってこなかったことを考えると世銀が大々的に“War on Fraud”に突き進むことそれ自体はいいことなんじゃないでしょうか

 んで世銀が何を実現したいのかというと、
 An independent judiciary, a free press, and a vibrant civil society and(areのタイプミスと思われる) important components of good governance. They balance the power of governments, and they hold them accountable for delivering better services (略). Some countries can achieve growth for many years without all of those factors. Indeed, Indonesia's history in the 1970s and 1980s is an illustration of that. But the devastating economic crisis that followed here shows how fragile growth can be when institutions that keep governments accountable, transparent, and responsible, are systematically weakened.
 (司法の独立、自由報道、活発な市民社会は、良い統治の重要な要素である。これらは政府の力を抑制し、政府サービスの質の向上に責任をもたらすものである。ある国々はこれらの要因なしで成長を成し遂げたし、実際70,80年代のインドネシアがそうであった。しかしその後訪れた破壊的な経済危機は、政府をAccountable, Transparent, Responsibleにする仕組みが弱い時に経済施長がいかに脆いものであるかを示すものだ)

んで、何をするかというと、
 We will increase our investments in such key areas as judicial reform, civil service reform, the media, and freedom of information and decentralization of public service delivery.
 (我々は、司法改革、行政改革、報道、情報公開と分権化への投資を増やす)


 うーん、ネオコンの面目躍如なのかもしれませんが、浄化作用があるかないかの違いが決定的に重要なのはその通りでしょうね。日本の戦後のジャーナリズムと野党の役割に歴史的価値を求めるなら間違いなくその主要な業績にCorruptionの浄化・抑止(とそれによる経済成長への貢献)があげられると思います。 
 気になるのはだからといって政府が弱い方がいいということではないんじゃないか、もっと細かく言うと処方箋に含まれる“decentralize”というのはCorrution対策にならないんじゃないのかなぁ、ということです。実はイーストリは先の疑問(なんで途上国の汚職だけが悪いのか)に答えて、集中型汚職(権力者に贈賄)と分散型汚職(道を通るたびに警官に呼び止められて賄賂を払う)があり、分散型汚職の方が経済成長に悪影響だ、と示しています(Tragedy of Commons状態になるんですね)。んで分散型汚職は政府の力が弱いことにより起こると。ふーん、確かに日本では少なくとも徳川時代には強力な政府が誕生していましたし、戦後の混乱で闇市黙認など分散型汚職が広がりそうになってもGHQというこれまた強力なパワーがありましたしね。
 もっともインドネシアという既に(多分)強力な政府がある国だから分権化、という話をしているのかもしれません。要するにどこでも通用する解決策じゃないのでは?と思ったのでした

AdvocacyとPrejudice

2006-04-11 23:30:54 | ロースクール
 仕事柄、よくある「署名活動」(MLなどでの賛同アピール含む)というのを目にすると、なんとも言えない切ない感情を抱いてきました。正義感などから「何とかしたい、何かしたい」気持ちは分かるけど、もらう立場になって考えると、どう贔屓目に見積もってもほとんどノーインパクトなんですよね なぜかというと、概して、受け手側に回答する義務があるわけでもなくどう扱うかは受け手のさじ加減一つになっているからで、結局受け手側の組織ダイナミズムに影響を与えない限り、あるいは、受け手側が考えたこともないInputを提供しない限り、出てくる結論は一緒だからです。

 なぜこんなことを書いているかと言うと、ここ2日、私の所属するProgramの“中断”を目前にして、同級生が「“Realsitic Chance”は分かっている」と言いつつ提案した署名付きレターを送ろうという話の協力を求めてフラフラ60人ほど?署名を集めたからなのです。自分がやってみて思ったのは、「アブナイ」ということで、何がアブナイかというと、「何かをした気になる」ということなんですね。何もしてないんですけど。生産的でも変化をもたらすわけでもないのに仕事をしたと勘違いしそうでアブナイと思ったことは仕事中何度もありましたが(誤解を恐れずに端的に言うと結果主義者なんです)、advocacyの場面でも同様の危険が潜んでいるのですね。元シエラクラブ代表の方がロビイングの鉄則をクリアカットに要約してナルホドと思っていましたが、効果的だと分かっている方法でも、かけるコストに限りがあるので必ずしも動けないんですね。いざやってみると確かに署名集めは(ファンダーに掛け合うとか、ランキング会社に通報するぞと脅すとかよりも遥かに)簡便で、日本にいた時に署名集めを見るたびに思っていた歯がゆい気持ちもやや薄れてきました。彼らなりの「合理的」な行動だったんですね。
 そうこう考えると、adovocacyを活発にするにはそれなりのコスト負担に耐えうる受け皿がやっぱり必要で、先週のフィールド・トリップでも実感しましたが、そうやって受け皿を用意することは、その受け皿が政府代替的な機能を果たす意味で、換言すると政府の負担(なかんずく非生産的な負担)を減らす意味で、政府にとっても悪いことじゃないなぁという気が強まってきました。

 Adovocacy活動のついでに。そんなこんなで今のプログラムには満足しつつもビターな感情を抱いているところに、「とうとうコロンビアを抜いた!」と書いてある学内新聞を発見したので怒り心頭になってしまいました。例のUS News社のロースクールランキングの今年版で1つ順位を上げて、NYUがコロンビアと並んで4位になった所までは知っていたのですが、「同率4位でもNYUが先にリストされるようになった」と大々的に報じているではないですか。「もー、そんなにランキングが気になるのかよ、それよりも足元でもっと大事なことがあるだろぉ」と思って猛烈に腹が立ったのですが、いざ読んでみると、「“A Law School at NYU”に名前を変えたので、アルファベット順で同率4位でも先になりました。」  なーんだパロディ学内新聞だったか(笑)。偏見を持っているところに都合のいい情報が来ると飛びついてしまうものですが、見事にハマってしまいました。 やられた Prejudiceにはご注意ください 

春来るらし

2006-04-10 23:47:39 | 生活
 春を通り越してもう初夏だね!と思って失敗したのが先週 軽く寝込んじゃったり、雪がふったりしましたが、今度こそどうやらホンモノのよう。ワシントンスクエアの桜(?)も満開です。
   
      

皆陽射しに誘われてスッカリ夏の頃の活気が戻ってきました
   

ちなみに、週末はあいにくの雨だったのですが、ロールクールの中庭の花(なんだろ、これ?)は満開でした。花散らしになったのか今日来て見たらすっかり散ってしまっていてちょいと残念。
   

そろそろ木々も芽吹いてきました。近所のアテネスクエア!もまた子供達で賑わいそうです 

小心者・・・

2006-04-09 23:54:11 | 生活
昨日のはどこへやら?今日はでした。春のぽっかぽっか陽気が大好きなパンダでありますが、chamber musicのmake up lessonがあり、「あ~、たまには学校に行かない日があってもいいのに・・・地下鉄にも乗り飽きたな~」なんてブツブツ言いつつも今日も学校へ
そんなパンダ。ただいまこれから迎えるテスト達に不安いっぱいなようです。そらまめさんのお話によるとどうも昨夜は英語の夢を見ていたようです。パンダは全く覚えていないのですがということで詳しくはそらまめさんにバトンタッチ。


 うんうん、パンダさんが寝てから暫く勉強してて、そろそろ私も寝るかと思って寝室に入ったら、寝ていたハズなのに急にむくっと起きて「ウケミでいいの?」と大きい声で言うじゃないですか 訳が分からず「えっ、何の話?」と聞き返したら、さらに大きい声で 「washingでダメなの?」 と言うじゃないですか。う~ん、何がwashingで受身なの?、アレ、もしかして英語のグラマーの話なんて考えている間に聞こえてきたのはスヤスヤした寝息  なんと、(大きな)寝言だったのね。最近ライティングを直したりしてるからでしょうか。やっぱり覚えてなかったのね。
これをうっている間もクスクスと思い出し笑いをするそらまめさん。ひど~い

その後の夢は、ヴァイオリンの試験←これは自信も覚えてます
テストで弾いているときにパンダの師匠が「練習不足だわ」と言って、部屋を出て行ったのですこれはかなりのショック

いやはやこんな夢ばかり見ている小心者の自分が情けないパンダであります。昔からパンダは少し気になることがあったり、不安なことを考えながらとそれを夢に見て苦しくなる傾向があるのでありました。まっ、早くこれらから脱出したいな。そしてこんな夢なんか見ない強い精神力の持ち主になりたいと願うパンダでありましたでもきっと夢をみる・・・ってことは不安いっぱいだからだよねそれを解消するためには練習と勉強あるのみだよねまだまだなパンダでありました。


話は変わりますが、昨夜またもやスチューデント券でベートーヴェン唯一のオペラ「fidelio」を観てきました。舞台が牢獄であるため、暗いお話だし地味かななんて思っていましたが、音楽理論を教えてもらっているLさんに勧められ行って来たわけです。行ってよかったです本当に素晴らしいオペラでした。主役のメゾソプラノの歌手がめっちゃうまいし、メットのオケの演奏の素晴らしさに脱帽でしたそして改めてベートーヴェンの合唱を含む音楽の素晴らしさに感動をした一日となりました一緒に行った英語学校のクラスメイトのRさんも大喜びでした。今回一緒に行けなかったそらまめさんにも「見たほうがいい」と来週木曜日の最終をお勧めしているパンダでありました。
パンダのchamber concert ではベートーヴェンのヴァイオリンソナタを演奏するので、少しでもこの経験がいかせるといいな~って思ってますいやはや本当に良かった

Make the Road by Walking

2006-04-07 23:59:27 | ロースクール
 今日の午後は必修プログラムの一貫で先学期もあったフィールドトリップへ。Make the Road by WalkingというNGOを訪問しました。乗ったことのないMラインに揺られてウィリアムスバーグからブルックリンを奥へ15分ほどのBushwick界隈へ。Bushwickは、もう完全な純粋スパニッシュ界隈で(昔はドイツ・オランダ・スカンジナビアだったらしい・・・)、あとで皆で食事したエクアドル料理の店員もスペイン語しか話せなかった(もう、ウーノとかしか分からない)。
 Make the Road by Walkingは一般向けリーガルエイド団体というよりも、メンバー制のPublic Service団体で、教育サービスや法律サービスを提供しています。この団体はメンバーの不満(言語アクセスなど)を吸い上げて彼らの希望を反映させようと頑張っているわけで、政府以外のalternativeなパブリックとして立派に機能していているんですね。地域コミュニティーが瓦解して、日本ではこの手の(中央・地方含めて)政府以外のパブリック機能がNGOの興隆とは裏腹に弱くなっているように思いますが、見習うことが多そうです

環境法ジャーナルColloquia

2006-04-06 23:25:18 | 環境ネタ
 今日はNYU環境法ジャーナル主催でThe New Power Generation: Environmental Law and Electricity Innovation(新電力:環境法と電力技術革新)なるColloquia(シンポジウムみたいな感じ)が開催されました。年一回やっている大きなイベントで、ジャーナル出版と合わせた活動の柱(と言っても私はフリーライド) 何度も言いますがスタッフは本当に優秀で、今日の会議もとってもよくオーガナイズされていました。電力部門の技術革新に対する法の役割というのが全体のテーマで、①既存法の役割 ②国内法の役割 ③国際法の役割 という3部構成。残念なことに授業が重なっていたので午前中と午後最後だけ参加。

参加した範囲で心に留まった点をいくつか。

○FERC
 FERCなる独立行政機関がDOE内にあるのも知らなかったのですが、そこの3人しかいない(ホントは5人いるはずだけど2人空席)コミッショナーの一人のSuedeen G. Kellyがパネリストに。今よく聞くビンガマン上院議員のスタッフだったこともあったんですね。んで、彼女によれば、
○天然ガス価格高騰(ここ2年で3倍)、生産減少、石炭価格上昇など、今ほどエネルギー情勢がチャレンジされている状況はない
○しかし、アメリカにリソースはある、例えば石炭+クリーンコール、風力、太陽
○技術革新を妨げているのは、
 ・コスト
 ・(自然)独占による過小市場
 ・規制による非意図的投資抑制・・・典型的なのはClean Air Actの既設施設無罪放免+新増設に厳しい規制でしょうね
○従って、
 ・Energy Policy Act of 2005でTax Creditを作ってコストの絶対額を下げる
 ・人為的な市場創造、例えば20州以上のRPS、
  電力市場インフラとしての送電網の整備・そのための地域指定?
 ・規制の見直し
などを行っているなどなど。Tax Creditは実際は使いにくいとか突っ込みどころはいろいろあるようですが、非常に理路整然としていて、面白いプレゼンにパワーポイントは必要ないというお手本のようでした

○"Kyoto will EXPIRE"
 いや、この会議に限らず最近参加したこの会議でも聞いた表現なのですが、アメリカと京都議定書の関係を語る時にこちらの環境サイドの方が語るのは大体「今の京都議定書に入るなんてことは今更あり得ないけど、京都議定書が定めているのは2012年までだから、その後の将来約束の話はこれからで、involveされていくだろう」っていうストーリーラインです。ここで京都議定書の第一約束機関が2008年~2012年までであることを表現するのに“Expire”(期限切れ)っていう表現をよく使うんですね。いや確かにその通りなんですが、いくつかの次期約束期間の規定例えば3条9は附属書Bの改正を要求していて、“Expire”してきれいサッパリ真っ白な状態に戻りますとは条文上はできないので、環境サイドでさえこの点を認識していないのかなと何となく引っかかりますね。まぁ政治力学で無視するのは簡単ですけどね
 
○原子力の役割
 この手のネタの議論だと、「原子力を見直しましょう」という議論がつきもので、まあオプションとして議論されること自体は当然ではないかと私は思うのですが、今日の話し手は筋金入りでした。論旨はスッキリし(過ぎ)ていて、
①現実的に考えて、頼りになるのは原子力と石炭
②環境面を考えれば、原子力しかない
ってことで、もうありきたりなストーリーで
 ①石油は不安定、料金高騰で天然ガスには頼れない、風任せ・天気任せなリニューアブルはベースにはなりえない
ってことで、
 ②石炭に頼るなんて環境面で悪夢、原子力はクリーン
と、ランニングコストが安いよとか廃棄物管理も安全ですよとかとかも加わって、まぁここまでは聴いたことがあり過ぎなぐらいなのですが、面白い(?)のはここからで、ここで「安全性は?」と聞かれると「絶対安全です!」と答えるのが日本の原子力広報だと思うのですが、彼は筋金入りで、
 ○最近の研究によると、急激な環境破壊よりも、ゆっくり進む環境破壊の方が生態系への悪影響が大きい
ふんふん、だから石炭がよくないって言いたいんでしょと思っていると、彼の雄弁はここで止まらず、起こるとは思っていないと前置きしつつ、
 ○仮にチェルノブイリが30年おき、いや10年おきに起こったとしても、石炭よりは環境にいい
とまで言い切っちゃいました。ここまでくるとキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!とでも言いたくなりますが、「起きません」とただ強弁するよりも、よっぽど潔くてある意味ステキでした。

法学と神学~テキスト、教会と裁判所

2006-04-05 23:53:23 | ロースクール
 昨日パンダさんが心配してくれたとおりちょっとひっくり返っていました 抗生物質が効いたのかあるいは13時間寝たのが効いたのか分かりませんが、今日の午後には何とか持ち直しました。でもおかげで今日午前の講義にはスキップ 盛り上がってきて山場にさしかっているのに

 っとまぁ、そんな嘆きは置いておいて、午後の講義の内容が面白かった。扱ったのはSanford LevinsonのConstitutional Faithというマテリアル(の抜粋)で、カトリックとプロテスタントとの考え方の違いと同様な見解の相違が、憲法解釈の態度にもあるんじゃないかってことでした。

 カトリックとプロテスタントは
①何が教義か をめぐってカトリックは聖書のみならず教会・教皇の伝統的見解も重視するのに対し、プロテスタントは聖書のみに重きを置き、
②誰が教義を説くのか についても、カトリックは教会のみが正しい教えを伝えると考えるのに対して、プロテスタントは一般市民全員が聖書を解釈するのだと説いた(だから聖書を翻訳・活版印刷した)
点で大きく異なっているが、これは憲法解釈の場面でも同じだ、というわけです。ちなみに、同様の見解の相違はユダヤ教とイスラム教内部でもあるそうで、Levinsonは触れていませんが、考えてみれば仏教においても、玄奘三蔵の壮大な旅は原典を求めての旅であった(帰国後翻訳に没頭したハズ)わけですし、日本でも鎌倉仏教は念仏/題目/禅を通して誰もが成仏できるという考えだったハズで、そうするとどのメジャー宗教の内部でも似通った考え方の違いがあるんですね。

 んで、法律の場面だと、
①何が憲法か について、成分化されたテキストのみを重視するか、成分憲法には含まれていない憲法的価値があると考えるか
②誰が憲法を解釈するか についても、裁判所のみが判断するのか、裁判所以外の者も正しく解釈できると考えるか
で見解が分かれてくると。。。例えばPolitical Processを重視して裁判所が判断しない・あるいは出しゃばらない場合は、②の場面で“プロテスタント的”ってことですね。条文じゃない例えば行政庁の解釈通知だったり、国会審議の答弁だったり、コンメンタールだったり、ノーアクションレターの回答だったりをどの程度重視すべきかを考えたりすると、憲法解釈のみならず法解釈全般に当てはまりそうな分類な気もしますね。
 
 分類自体がドグマティークに場面・場面での答えを導くものではありませんが、考えをシェイプする手助けにはなりそうです