パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

AdvocacyとPrejudice

2006-04-11 23:30:54 | ロースクール
 仕事柄、よくある「署名活動」(MLなどでの賛同アピール含む)というのを目にすると、なんとも言えない切ない感情を抱いてきました。正義感などから「何とかしたい、何かしたい」気持ちは分かるけど、もらう立場になって考えると、どう贔屓目に見積もってもほとんどノーインパクトなんですよね なぜかというと、概して、受け手側に回答する義務があるわけでもなくどう扱うかは受け手のさじ加減一つになっているからで、結局受け手側の組織ダイナミズムに影響を与えない限り、あるいは、受け手側が考えたこともないInputを提供しない限り、出てくる結論は一緒だからです。

 なぜこんなことを書いているかと言うと、ここ2日、私の所属するProgramの“中断”を目前にして、同級生が「“Realsitic Chance”は分かっている」と言いつつ提案した署名付きレターを送ろうという話の協力を求めてフラフラ60人ほど?署名を集めたからなのです。自分がやってみて思ったのは、「アブナイ」ということで、何がアブナイかというと、「何かをした気になる」ということなんですね。何もしてないんですけど。生産的でも変化をもたらすわけでもないのに仕事をしたと勘違いしそうでアブナイと思ったことは仕事中何度もありましたが(誤解を恐れずに端的に言うと結果主義者なんです)、advocacyの場面でも同様の危険が潜んでいるのですね。元シエラクラブ代表の方がロビイングの鉄則をクリアカットに要約してナルホドと思っていましたが、効果的だと分かっている方法でも、かけるコストに限りがあるので必ずしも動けないんですね。いざやってみると確かに署名集めは(ファンダーに掛け合うとか、ランキング会社に通報するぞと脅すとかよりも遥かに)簡便で、日本にいた時に署名集めを見るたびに思っていた歯がゆい気持ちもやや薄れてきました。彼らなりの「合理的」な行動だったんですね。
 そうこう考えると、adovocacyを活発にするにはそれなりのコスト負担に耐えうる受け皿がやっぱり必要で、先週のフィールド・トリップでも実感しましたが、そうやって受け皿を用意することは、その受け皿が政府代替的な機能を果たす意味で、換言すると政府の負担(なかんずく非生産的な負担)を減らす意味で、政府にとっても悪いことじゃないなぁという気が強まってきました。

 Adovocacy活動のついでに。そんなこんなで今のプログラムには満足しつつもビターな感情を抱いているところに、「とうとうコロンビアを抜いた!」と書いてある学内新聞を発見したので怒り心頭になってしまいました。例のUS News社のロースクールランキングの今年版で1つ順位を上げて、NYUがコロンビアと並んで4位になった所までは知っていたのですが、「同率4位でもNYUが先にリストされるようになった」と大々的に報じているではないですか。「もー、そんなにランキングが気になるのかよ、それよりも足元でもっと大事なことがあるだろぉ」と思って猛烈に腹が立ったのですが、いざ読んでみると、「“A Law School at NYU”に名前を変えたので、アルファベット順で同率4位でも先になりました。」  なーんだパロディ学内新聞だったか(笑)。偏見を持っているところに都合のいい情報が来ると飛びついてしまうものですが、見事にハマってしまいました。 やられた Prejudiceにはご注意ください