パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

シエラクラブ

2006-03-24 23:22:38 | 環境ネタ
 シエラクラブとえいば、名実ともに米国を代表する環境NGOとして名高すぎるほど名高い団体ですが、昨夕、そのシエラクラブで過ごすこと40年、うち17年?は代表だったというMichael McCloskey氏のワークショップが環境法ジャーナル(一応私も参加していることになっている)主催であったので参加しました。ロースクールを出てすぐにシエラクラブに入って、最近(といっても2000年)退職したそうで、齢を重ねた味わい溢れる方。
 一応彼の新著のプロモーションも兼ねていたようです。
   

 いやぁ~、面白かった 長い闘いを終えたすがすがしさっていうのもありますが、Policy Makingの際のストラテジーを考える上での含蓄がありまくりでした。いくつかピックアップします。

○ロビイングの鉄則
 彼が言うには、最近のNGO活動が人気取り競争(popularity contest)になっていて、昔からのロビイングの鉄則(彼が大学時代に学んだそう)が忘れられようとしている、すなわち、
 ①自分が何を本当に実現したいか知ること
 ②誰がpowerを持っているか見定めること
 ③ターゲットがどのように影響されるか知ること
によって、ケース・バイ・ケースで調整が必要なのに、これができていない。
 さらにいうと、ロビイングの過程では、敵ではなく友を作ろうとすべきで、実際あるイシューでの敵が別のイシューでは味方になることがままあったと。

○Achievable Goal
 ゴールを立てて、何でもやった(ロビイング、裁判、メディア、映画作り(アカデミー賞受賞)が、ゴールは実現可能じゃなきゃダメで、そうじゃなきゃ相手にされない。
 これは私もその通りと思ってきた一方、時に実現可能性を重視するあまり自制し過ぎではなかったかと反省することもあり、バランス取りが難しいのです。んで、目標を決める際にどうやってバランスと取るかと言うと、生身の声を聞くとか、バックデータを集めるとか、整然とした理論武装をするとかやりようはいくらでもあるのですが、結局本当に最後まで突き詰めると、見極めるのはセンスの良し悪しとしか言いようのないアート(語弊があるのは承知の上ですが)の世界の問題だと思ってきたのです。大先輩方のこの本この本も同旨と理解。それでいいのか、という反省が公共政策じゃなくてロールクールにいる理由でもあり(法律は論理ですからね)、とは言えやはり、センスの幅はゼロにはならないのではなかろうか、などと悶々と自問自答は続いているわけです。
 いい機会だと思って、彼がどうやって”achievable”かどうか判断するのか聞いてみたのですが、
 「う~ん、答えられないなぁ」「軍事理論、兵法などは役に立つけど」「結局は本能(instinct)だよ、僕にはあったのさ」
っていうお答え。がっかりしたというよりは、「やっぱり同じじゃん」とむしろホッとしました。

○国立公園と生物多様性
 質疑の中で国立公園の民営化の話になったのですが、彼はずっと自然保護を扱ってきたのでいろいろ考えを持っていて、その要点は現在の国立公園は「過小評価されている」ということでした。全てがBio Diversityの観点のみから評価される、これは危険なことで、Bio Diversityだけで測りきれるものではない、歴史的な経緯(開拓から守ってきた)にも目を向けるべき、と熱っぽく語っていました。
 面白かったのは、日本の自然公園法制には最近(平成14年改正)まで生物多様性の価値さえ含まれていなかったからです。元々大正時代(アレ、明治後半だったっけ?)に、アメリカのNational Parkを参考に、国威発揚の一貫として誇れる自然を保護しよう、としてできた国立公園制度だけあって、「風景地の保護」が目的とされてきたわけです。自然生態系それ自体に価値が認められるようになって、鳥獣保護法や種の保存法も生態系を保護するように運用されてきましたが、自然公園の持つ価値が「風景」だけに過小評価されているのはオカシイというのが(里山的な、風景が素晴らしいとは言えない地域の管理が行き届かなくなるなどで)覆いがたくなって、改正にいたったわけですね。
 んで、これだけでは足りない、と。何だか周回遅れのような気にさえなってしまいましたが、地方分権後の公園管理の激変は現在進行形でもあり、何のための「自然公園」なのか、平成14年改正で一件落着にしてはいけないなと考え直しました

○宗教と環境
 これも質疑の中で、ロビイングの実をあげるために宗教界と手を結ぶべきか、という話になりました。Eco Jusice Churchsの主張(極端に言うと「神の創りし世を守り賜へ」)は、「(私はやったことはないけど)ストラテジーの一部にはなりうるだろうねぇ~」と言う答え。「一部」とさりげなく言ったところにこのアプローチの限界も見える気がしますね。
 っと思った矢先にれおれお氏がThe Great Warmingという映画を紹介してました。これまた有名なFoEが、キリスト教系・ユダヤ教系などとともに参画しているそうです。このあたりの多様性も米国NGOの強みでしょうねぇ~。Eco Justice的な考え方は、恥ずかしながら見聞したことがありませんでしたが、少なくとも知っておく必要がありそうです。


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