パンダとそらまめ

ヴァイオリン弾きのパンダと環境系法律屋さんのそらまめによる不思議なコラボブログです。
(「初めに」をご一読ください)

体験的NGOの育て方

2006-04-18 23:41:39 | ロースクール
昨日のゼミのクラスメートの発表の中で、むしろDicta(傍論)的ではあったのですが、彼女自身が設立者のNGOの生成をクリアカットに説明している部分があって非常に感心してしまいました。

Step1;種蒔き期「やりたいことにお金を費やす段階」
 何をやるにもお金が要るわけですが、お金をもらってくるには目に見える「結果」が必要、結果を得るためには何かしらプロジェクトを仕上げなきゃいけない、加えて経験ある団体の指導を受けた、そうこうしているうち(ここがメインテーマで守秘義務であんまり書けないところですが、とあるリーガルチャレンジをしたんですね)に認められていったと。
Step2;第一収穫期「やりたいだけのお金はある段階」
 んで、結果が出るとお金ももらいやすくなるってことで、いろんな団体からお金をもらって「サバイバル」のための収入だけは維持できるという状況になるわけですね。活動自体は軌道にのるわけですが、自転車操業的な状況に変わりはないのかも。
Step3;安定成長期「やりたいことをやって収入も得られる段階」
 さらに成果を挙げると、余裕資金もできて、専門家にコンタクトしたり、新たに人を雇ったり・・・で、ますます成果を産みやすくなるというわけですね。Step1の時期には7人だったのか50人にまで増えて、今や同国有数のNGOとか。

 そんなの何やるにもこの手の段階を踏むのは当たり前じゃんと片付けるのは簡単なのですが、経験もないまま正義感だけでやっていく最初の段階の苦労は想像に難くないわけで、その後の見通しを持って活動するかどうかって結構大事だと思うのです。最近フィールド・トリップなりこまごまながら自分の足を使ったりしていると、この手の団体による政府代替というとヘンですが、“Public”を政府一人が背負わなくてよくなる意味は非常に大きいんじゃないかと思うことしきりで、何とか力を伸ばせないかなぁ~とモンモンと考えることが増えているんです。ここで「背負う」というのはadvocacyにプラスして、Pluralistic Policy Making過程の中での「背負う」ということにとりあえずさせてください。
 例えば(話が飛びます)、公取 v. 新聞協会で公取側に立ってシステマティックに活動するようなNGOっていますかね? ややこしいのは、通常ならNGOにとって主戦場になるメディアがああいう状況ってことで(地方議会の意見書なんて普段は見向きもしないくせに)、従って「背負う」ならメディア「世論」上四面楚歌の中でロビイング合戦に参戦するか、違う媒体を使うか(ネット)、土俵を変えてしまうか(司法)という具合になるでしょうが。こうもPolitical Processが歪む/失敗すると、「独立」行政委員会とはいえ政府の一員がやる大変さは想像に難くないわけで(公取というのは特定の(業界)応援団体を持たない点で私のエリアの環境と近しいってこともあります)、同様に背負う人たちがいると話が違うだろうことも想像に難くないわけです。訴訟で公取が特殊指定を廃止しないinactionにチャレンジするのは行訴法が変わったとはいえ主婦連ジュース訴訟的standingなで斬りが待っているでしょうし、何より主張とは裏腹に公取を疲弊させることにより新聞協会を支援することになるでしょうが、同じ訴訟でも販売店と組んで一芝居打つとか、非新聞系マスメディア(NHK)に取り上げてもらうとか(すでにカバーしてましたっけ?)、何とかやりようがあるんじゃねぇーかと直感的に思ってしまいます。

 といってもやっぱりリソースが要りますよね。実績を出すのに資金が足りない、資金調達には実績がいるという卵・鶏状態に逆戻りになっちゃうわけですが、ここに何かスパイスかけられないかなぁ~、いやそういう所にgovernmentが介入してもろくなことはないんじゃねぇかとかモンモンはしばらく続きそうです。ちなみに3年前ほどにできた環境保全活動・環境教育推進法の制定動機は、量的拡大だけじゃなくって質的拡大(「背負う」人を増やすこと)にもあったハズですが、ほとんど唯一の実体規定の人材認定等事業者登録って、(3年以上の実績を求めたりして)Step2以降にしか効かない気がします。ピントがずれているような・・・。

話がアチコチぶっとんでる気もするのですが、オチなしのつぶやきでした