上野の森美術館 2008年11月15日-2009年1月18日
生誕120年を記念して2006年に東京国立近代美術館にて開催された「藤田嗣治展」の記憶もまだ色褪せない中、今再びこの画家の大がかりな展覧会が上野で開かれている(1月18日まで)。
目玉は、1992年にパリ郊外の倉庫で発見され、修復に6年の歳月を要したという幻の大作4点。フランス・エソンヌ県でそれらを常設展示する美術館建設を計画中のため(昨今の経済不況で中止にならなければいいが)、日本で一同に会するのは最初で最後の機会、とのことである。ならば、と会場に足を踏み入れてみたが、日本人画家である藤田嗣治(1886‐1968年)が、フランス人レオナール・フジタに帰着する過程を追った多種多様な作品が並び、見応えのある展覧会であった。
展覧会は以下の4章で構成されていた:
第1章 スタイルの確立―「素晴らしき乳白色の地」の誕生
第2章 群像表現への挑戦―幻の大作とその周辺
第3章 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ―エソンヌでの晩年
第4章 ジャペル・フジタ―キリスト教への改宗と宗教画
第1章 スタイルの確立―「素晴らしき乳白色の地」の誕生
私は若い頃フジタの「すばらしき乳白色」にそれほど魅力を感じられず、国立西洋美術館の常設展にある1点も、いつもその前を素通りしていた。が、最初に挙げた2年前の回顧展のお陰でこの乳白色についていろいろ知る機会を得て、心して鑑賞するようになった。キャンバス地作成に始まり、下地に塗る白鉛や石膏などの混合をまるで科学の実験のごとく繰り返し、今日作品で鑑賞される乳白色の完成に至る過程は、ほとんど執念の成せる技。当時のパリ画壇で、東洋人ながら「エコール・ド・パリ」の寵児となり、ピカソまで唸らせ、ヨーロッパにその名を轟かせたフジタという日本人画家の偉業には心から敬意を払いたい。
と書いたところで何だが、フジタの裸像は、確かに個性的で美しいとは思うが、私の感性には油絵としてそれほど迫ってはこない。あの面相筆を使ったしなやかな線描も含め、日本人の私には逆にあまりに東洋的過ぎるのかもしれない。一般にはそれほど評価の高くない晩年の華やかな絵画群の方が、フジタの楽しげな筆の動きが想像でき、個人的に鑑賞していて楽しい。
第2章 群像表現への挑戦―幻の大作とその周辺
さて、目玉の4連作。『ライオンのいる構図』『犬のいる構図』『争闘Ⅰ』『争闘Ⅱ』(1928年)とタイトルのついた4枚の絵は、それぞれ縦横3mもある大作。がしかし、正直言ってその大きさと描き込みには圧倒されつつ、離れて観ても、近寄って観ても、どうも主題がよく伝わってこなかった。群像表現を念頭においた労作には違いないのだが、構図のバランスが観ている私の中で落ち着かず、人物の筋肉の表現も美的に感じない。『争闘Ⅰ』の中心で棒を振り上げる男性の肉体などは、背中の筋肉がボコボコに盛り上がり過ぎて異様に感じるほど。
それに反して、紙の上に水彩、墨で描かれた『猫』(1936年)の美しさはどうだろう。背を丸めたり、飛び上がったり、立ち上がったり、横たわったりと様々な姿態・形相の猫たちがリズミカルに横長の画面に流れていく。私はこちらの群像(?)の方が好き。
第3章 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ―エソンヌでの晩年
画家のアトリエを再現した展示は、現場における画家の息遣いを感じさせられいつも胸に迫る。パレット、夥しい数の様々な太さの絵筆、絞り出すフジタの指を思わせるねじ曲げられた使用途中の油絵の具のチューブ、小ぶりの瓶に入れられた、鮮やかな粉末の顔料。
フジタは手先がとても器用で、家具作りからお裁縫、お料理まで何でもこなしたらしい。今回もフジタの手になる衝立、箱類、お皿などいろいろな物が展示されていたが、これらの制作に没頭しているときは、きっとフジタにとって息抜きとなる楽しい時間だったのだろう。
第4章 シャペル・フジタ―キリスト教への改宗と宗教画
『礼拝』(1962-63年)
フジタは69歳で日本国籍を抹消してフランス国籍を取得、73歳でカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。洗礼を受けたことによってよりフランス人に近づけた感じがすると語り、この時点でチャペルの装飾をしてみたいとの言及もあったという(最も宗教画自体は『生誕』などフジタの画業の早い時期から観られるが)。レオナールはレオナルド・ダ・ヴィンチにあやかったとのことだから、やはり最晩年のフジタは西洋画家として、ルネッサンスという西洋絵画の出発点に回帰していったのではあるまいか。映像で紹介されていたフジタのチャペル「平和の聖母礼拝堂」内部の壁を飾るフレスコ画群を観ているうちに、私の頭に西洋画の金字塔、ミケランジェロの『最後の審判』がよぎった。やはりタブローではなく、壁画。フジタは非常に早描きの画家だから、フレスコの技法も合っていたと想像される。何せこのチャペルのフレスコ画を3カ月で完成させているのだ。その時フジタ、80歳。
尚、個人的には『花の洗礼』(1959年)と『イヴ』(1959年)がとても良かった。文句なく美しい。
『花の洗礼』(1959年)
『イヴ』(1959年)
以上、自分が今まで接したフジタの作品からの印象のみで、勝手に述べました。
生誕120年を記念して2006年に東京国立近代美術館にて開催された「藤田嗣治展」の記憶もまだ色褪せない中、今再びこの画家の大がかりな展覧会が上野で開かれている(1月18日まで)。
目玉は、1992年にパリ郊外の倉庫で発見され、修復に6年の歳月を要したという幻の大作4点。フランス・エソンヌ県でそれらを常設展示する美術館建設を計画中のため(昨今の経済不況で中止にならなければいいが)、日本で一同に会するのは最初で最後の機会、とのことである。ならば、と会場に足を踏み入れてみたが、日本人画家である藤田嗣治(1886‐1968年)が、フランス人レオナール・フジタに帰着する過程を追った多種多様な作品が並び、見応えのある展覧会であった。
展覧会は以下の4章で構成されていた:
第1章 スタイルの確立―「素晴らしき乳白色の地」の誕生
第2章 群像表現への挑戦―幻の大作とその周辺
第3章 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ―エソンヌでの晩年
第4章 ジャペル・フジタ―キリスト教への改宗と宗教画
第1章 スタイルの確立―「素晴らしき乳白色の地」の誕生
私は若い頃フジタの「すばらしき乳白色」にそれほど魅力を感じられず、国立西洋美術館の常設展にある1点も、いつもその前を素通りしていた。が、最初に挙げた2年前の回顧展のお陰でこの乳白色についていろいろ知る機会を得て、心して鑑賞するようになった。キャンバス地作成に始まり、下地に塗る白鉛や石膏などの混合をまるで科学の実験のごとく繰り返し、今日作品で鑑賞される乳白色の完成に至る過程は、ほとんど執念の成せる技。当時のパリ画壇で、東洋人ながら「エコール・ド・パリ」の寵児となり、ピカソまで唸らせ、ヨーロッパにその名を轟かせたフジタという日本人画家の偉業には心から敬意を払いたい。
と書いたところで何だが、フジタの裸像は、確かに個性的で美しいとは思うが、私の感性には油絵としてそれほど迫ってはこない。あの面相筆を使ったしなやかな線描も含め、日本人の私には逆にあまりに東洋的過ぎるのかもしれない。一般にはそれほど評価の高くない晩年の華やかな絵画群の方が、フジタの楽しげな筆の動きが想像でき、個人的に鑑賞していて楽しい。
第2章 群像表現への挑戦―幻の大作とその周辺
さて、目玉の4連作。『ライオンのいる構図』『犬のいる構図』『争闘Ⅰ』『争闘Ⅱ』(1928年)とタイトルのついた4枚の絵は、それぞれ縦横3mもある大作。がしかし、正直言ってその大きさと描き込みには圧倒されつつ、離れて観ても、近寄って観ても、どうも主題がよく伝わってこなかった。群像表現を念頭においた労作には違いないのだが、構図のバランスが観ている私の中で落ち着かず、人物の筋肉の表現も美的に感じない。『争闘Ⅰ』の中心で棒を振り上げる男性の肉体などは、背中の筋肉がボコボコに盛り上がり過ぎて異様に感じるほど。
それに反して、紙の上に水彩、墨で描かれた『猫』(1936年)の美しさはどうだろう。背を丸めたり、飛び上がったり、立ち上がったり、横たわったりと様々な姿態・形相の猫たちがリズミカルに横長の画面に流れていく。私はこちらの群像(?)の方が好き。
第3章 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ―エソンヌでの晩年
画家のアトリエを再現した展示は、現場における画家の息遣いを感じさせられいつも胸に迫る。パレット、夥しい数の様々な太さの絵筆、絞り出すフジタの指を思わせるねじ曲げられた使用途中の油絵の具のチューブ、小ぶりの瓶に入れられた、鮮やかな粉末の顔料。
フジタは手先がとても器用で、家具作りからお裁縫、お料理まで何でもこなしたらしい。今回もフジタの手になる衝立、箱類、お皿などいろいろな物が展示されていたが、これらの制作に没頭しているときは、きっとフジタにとって息抜きとなる楽しい時間だったのだろう。
第4章 シャペル・フジタ―キリスト教への改宗と宗教画
『礼拝』(1962-63年)
フジタは69歳で日本国籍を抹消してフランス国籍を取得、73歳でカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。洗礼を受けたことによってよりフランス人に近づけた感じがすると語り、この時点でチャペルの装飾をしてみたいとの言及もあったという(最も宗教画自体は『生誕』などフジタの画業の早い時期から観られるが)。レオナールはレオナルド・ダ・ヴィンチにあやかったとのことだから、やはり最晩年のフジタは西洋画家として、ルネッサンスという西洋絵画の出発点に回帰していったのではあるまいか。映像で紹介されていたフジタのチャペル「平和の聖母礼拝堂」内部の壁を飾るフレスコ画群を観ているうちに、私の頭に西洋画の金字塔、ミケランジェロの『最後の審判』がよぎった。やはりタブローではなく、壁画。フジタは非常に早描きの画家だから、フレスコの技法も合っていたと想像される。何せこのチャペルのフレスコ画を3カ月で完成させているのだ。その時フジタ、80歳。
尚、個人的には『花の洗礼』(1959年)と『イヴ』(1959年)がとても良かった。文句なく美しい。
『花の洗礼』(1959年)
『イヴ』(1959年)
以上、自分が今まで接したフジタの作品からの印象のみで、勝手に述べました。
後年のイラストレーターの描くような作品は
美しき乳白色の作品とまったく異なりますね。
同じ画家とは思えません。
藤田とフジタのちがいなんでしょうね。
私もイブに惹かれました。
今年も元日に鶏の餌やりに行きました。
特に『ハンマースホイ展』は興味深く拝見させて頂きました。今回は、初めてのコメントさせて頂きます。
私はフジタの『乳白色』は素晴らしいと思いますし、『しなやかな線描』も感動します。しかし晩年の作品も心の自由さが伺えて、微笑ましく心地よいです。
しかし、そんな晩年の作品の評価があまり良くないのが残念に思っていました。
なので、このブログを読んで嬉しく思いました。
今回の展覧会はパスしようと思っていましたが、このブログを読んで、行ってみたくなりました。もうすぐ会期も終わりなので、急いで行ってきます。
『イヴ』はほとんどの男性がうっとりするのではないでしょうか?
確かに少女マンガっぽくもありますが、完全に俗っぽくならず、
気品を残しているところがフジタ。乳白色を確立した上での
裸体表現だと思います。筋肉の陰影表現もまろやかで
自然ですよね。
最後の一行にクスッ。お疲れ様でした。
☆藍色さん
コメントありがとうございます。拙ブログを読んで頂いている
とのこと、とても嬉しいです。全くの素人鑑賞者の駄文ゆえ、
頂いたお言葉に大変恐縮しております。
でもこのフジタ展は是非行かれることをお薦めします。
06年の回顧展を観ているし、例の大作4点以外はさらっと
流せるかと高を括っていたのですが、今回は「レオナール・
フジタ」の視点から、この画家のことを再度考えされられる
場となりました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
また、今回は、今まで気にもとめていなかったのですが、『素晴らしき乳白色の地』のひび割れが妙に気になってしまいました(今回発見され修復された大作は、木枠から外され、巻かれていたということで、これは例外ですが)。やはり、彼の繊細な裸婦の作品には邪魔なものです。あれだけ苦心して陶器のような滑らかな絵肌を作り上げたはずですから。最高の状態を維持する事は不可能に近いということは解っていますけれど、フジタが、現在展示されている作品を観て、どう思うのだろうと。
展覧会に間に合われたようで、良かったです。
私も最後の章であのような密度の濃い展示になっているとは
思わず、観るのに一番時間がかかりました。
確かにフジタの裸婦像では、観る側の眼は白い肌の描写、
絵肌に集中しますから、ひび割れは他の油絵作品以上に
目立ち、気になりますよね。私は専門家ではないので
よくわからないのですが、もし可能ならば、フジタだったら
修復して欲しいと思うのではないでしょうか?