l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子

2009-05-16 | アート鑑賞
サントリー美術館 2009年3月28日-5月17日



先週末に、気になっていたこの展覧会もあと1週間で閉会ということにハタと気づき、急いでサントリー美術館に向かった。明日までの開催ですが、間に合う方は是非行かれることをお薦めします。

構成は以下の通り:

1 憧れのカットグラス
2 薩摩切子の誕生、そして興隆
3 名士たちの薩摩切子
4 進化する薩摩切子
5 薩摩切子の行方

では、各章ごとにカタログの解説をかいつまみながら、160点に及ぶ展示作品の中から印象に残った作品を数例のみ挙げていく:

1 憧れのカットグラス
「薩摩藩のガラス製造は、第10代藩主島津斉興(なりあき)(1791-1859)によって開始される。19歳で家督を継いだ斉興は、増す一方の累積赤字を解消するために財政改革に取り組み、他の藩より優れていた薬種の事業を推し進める。56歳にして「中村製薬館」を開くが、薬品の強い酸に耐えうる器としてガラス器が必要となり、今度は「硝子製造竃(かま)」が創設された。こうして薩摩のガラス産業は薬瓶から出発。特筆すべきは、斉興がかねてからガラス器に強い関心を持っていて、イギリスやアイルランド製のガラス製品を入手していたことと、ガラス製造を始める上で江戸の硝子(びいどろ)師、四元亀次郎(よつもとかめじろう)を呼び寄せたことである」

ここでは、イギリス、アイルランド、ボヘミアのガラス製品や江戸切子など、薩摩切子に影響を与えた作品が並んでいた。確かにアイルランドに行くとガラスやクリスタル製品がお土産として売られているなぁ、などと久しぶりに彼の国を懐かしく思い出した。ボヘミア製品は、まるで中世の西洋のお城の砦を思わせる縁のザクザク感と色の配色がとても装飾的。ロートなどガラス製の実験器具なども並んでいたが、薬瓶から出発してこんなに美しい薩摩切子が生まれたという背景はおもしろい。

2 薩摩切子の誕生、そして興隆
「薩摩ガラスの製造は、息子斉彬(なりあきら)(1809-1858)の代に大きく飛躍。近代的洋式工場群「集成館」にて、大砲、銃、紡績業などとともにガラス製造も推し進められ、海外輸出も視野に入れた美術工芸品として急成長した。1851年、斉彬は前述の四元亀次郎に紅色ガラスの製造を命じる。数百回の試験ののち、日本で初めての深紅の色ガラスが薩摩に誕生、大評判に。1855年にガラス工場が設けられ、贅沢品から日用品まで製造されるようになり、事業は最盛期を迎える。造形、文様など西洋のガラス器を模したものも少なくない、東西の美の融合が特徴の薩摩切子だが、その最盛期は斉彬が藩主であったわずか7年半。1858年に斉彬が急死すると事業は縮小し、1863年に薩英戦争によって工場が破壊されると衰退の一途をたどる」

この章と次の3章は、薩摩切子の真髄とも思える作品群が並ぶ。次から次へと立ち現れる美しい作品たちに惚れぼれ。

#71 『薩摩切子 緑青色被蓋物 1合』 (19世紀中頃)
一瞬にして私の心を奪った作品。この緑青は江戸時代の吹きガラス作品にしばしば見られるそうだが、薩摩切子においては珍しく、数点を確認するのみとのこと。いずれにせよ、この色合い、フォルムは何とも言えず完璧である。展示作品中、どれでも好きなのを一品あげると言われたら、私は躊躇なくこれを頂きたい。



#76 『薩摩切子 藍色被瓶 1口』 (19世紀中頃)
画像ではわかりにくいかもしれないが、透明部分から透けて見える反対側のカットが、光の屈折で実際の大きさよりかなり細かく映る。まるで内側に別の文様があるのかと錯覚するほど。文字で書くとたいしたことないが、実際に観ると幻惑的。



#91 『薩摩切子 紅色被鉢 1口』 (19世紀中頃)
この、斜格子の中に魚子(ななこ)文を配した模様は、薩摩切子の作品に頻繁に使われている代表的な文様。英語では「ストロベリー・ダイヤモンド・カット」と呼ぶそうである。確かにこのような赤い作品を観ると、苺の表面のようである。



#97 『薩摩切子 紅色被皿』 3枚
数百回の実験ののち、薩摩藩が初めて成功した紅色ガラスを使った作品。深い紅色もさることながら、「ぼかし」のグラデーションは独特。



#99 『薩摩切子 藍色被船形鉢 1口』 (19世紀中頃)
吉祥文「蝙蝠(こうもり)」と「巴」文が彫られた船形鉢。凝った意匠。



3 名士たちの薩摩切子
「藩を代表する美術工芸品として製造された薩摩切子は、将軍家、諸大名への献上品として用いられることも多かった。斉彬の功業を明らかにするために企画された「薩摩切子陳列会」(1921年10月23日、於 東京の島津邸)には、当時薩摩切子と認定された128点が並ぶ。その多くが、侯爵、伯爵、子爵など上流階級の名士の所有だった」

やはり献上品というだけあって、一つ一つの作品にとても時間がかかっているのがわかる凝った作りの展示品が並ぶ。画像は取り込めなかったが、#112の雛道具一式には目を見張った。沢山の杯、丸皿、角皿、瓶などミニチュアの薩摩切子がずらりと並んでいて、しかも全てに繊細な手彫りのカットが施されている。おそらく篤姫所用、とのことだが、この職人技は凄いとしか言いようがない。

#105 『薩摩切子 脚付杯 1口』 (19世紀中頃)
徳川宗家に伝わる無色の脚付杯で、この作品を筆頭に#111までそれぞれカットの異なる計7個が並ぶ。無色というのも、涼やかでいいものである。その日の気分で杯を選び、冷酒を飲んだらさぞや美味しいだろう。



#120 『薩摩切子 緑色被栓付瓶 1合』 (19世紀中頃)
今度は緑色。類例は少ないそうだ。カットも彩色もどちらかというとさっぱりしていて、この色に合っているように思う。



4 進化する薩摩切子
「制作後期になると、色彩、カット、ヴァリエーションも多様になり、一層モダンなデザインへ。その一方、薩摩と交流のあるガラス職人が呼ばれて他の場所で薩摩風の作品を作るなど、現在薩摩切子と称される器の中に「集成館」以外の場所で作られたものが含まれている可能性も否定できない」

全体的にデザインも洗練されてきて、カットも色々な文様を組み合わせた複合技が主流になってくる。現代っぽい感覚を覚えた。

#126 『薩摩切子 紫色被ちろり』 1口 (19世紀後半)
「ちろり」とは、もともと湯に入れて酒を温める器具で金属製であるが、ガラス製のちろりは冷酒用に作られた、という説明を読む前に、観た瞬間に「ああ、これで冷酒をちろりといきたい」と思った私だった。



#131 『薩摩切子 黄色碗 5口』 (19世紀後半)
ちょっと黒っぽいが、黄色が新鮮。



5 薩摩切子の行方
「1863年、薩英戦争でのイギリス艦による砲撃でガラス工場は灰燼に帰した。文献によれば、集成館事業自体は再興されるもガラス製造は再開されなかった。しかし、1866年に鹿児島を訪れたイギリス人外交官、アーネスト・サトウや、公使パークスも、ガラス器製造の現場を目撃したと記しており、幕引きの時期については断定は難しい。いずれにせよ、薩英戦争以後に事業縮小となり、職人も離散」

ここでは、"薩摩系切子"とつく19世紀から20世紀にかけて作られた作品が並ぶ。紅色の作品の下に映る薄赤い影が幻影的で、ドラマティックな薩摩切子の生涯を思わせた。

最後に余談ではあるが、第三章にて展示されていた、イギリスのブリストル産の壺について書いておきたい。

     上下とも、『藍色金彩蓋付壺 1合』 イギリス ブリストル (19世紀)


薩摩硝子陳列会に薩摩切子として紛れて出陳されていたそうだ。実は私はブリストルに8か月滞在したことがあり、第二章で展示されていた、全面藍色の作品群を観ているうちにそれとなくブリストルを思い出していた。よって、第三章でこの2作品に対面したときは思わず顔がほころんだ。ブリストルはこの藍色(ブリストル・ブルー)のガラス製品で有名で、古いものは博物館などにも展示されているが、私はブリストル・クリームという甘いシェリー酒の入った現役のボトルとして親しみを持つ。

締めに、そのブリストル・クリームの思い出を一つ。ある晩、ヨーロッパの様々な国から来た同居人たちとカード・ゲームをしていて、負けるごとに罰ゲームとしてこのブリストル・クリームを小さなコップに1杯ずつ飲むこととし、10杯までいったらその人の負けというルールを設定した。私は負け続け(ただでさえノロマな私がラテン民族にかなうわけがない)、9杯まで飲み干したのだが、最後の最後にイタリア人が負けた。というわけで、どうも最後までお酒に紐づく薩摩切子展であった。


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2 コメント

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Unknown (一村雨)
2009-05-17 08:21:08
私が見に行ったときはコレクターのようなお年寄りが二人
作品の前でいろいろ語り合っていました。
こういうガラス製品は、現在も同じようなものも数多く
作られたりするので、薄学な自分にはその価値が今一つ
分からなかったのですが、眺めているうちにその美しさに
取り込まれてきました。
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Unknown (YC)
2009-05-17 15:57:04
☆一村雨さん

こんにちは。

私も友人の結婚祝いに江戸切子のペアグラスを送ったりした
ことがありますが、ただきれいだなぁ、と思うのみでした。
薩摩といえばどちらかというと陶器のイメージですが、
このようなガラス製品も作られていたのかと、歴史、実作品
ともに勉強になりました。

実は母の日ということで母を連れて行ったのですが、母も
美しいものを観られて喜んでいたようなので良かったです。

後ほどTBさせて頂きます。
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