l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

セザンヌ―パリとプロヴァンス

2012-06-04 | アート鑑賞
国立新美術館 2012年3月28日(水)-2012年6月11日(月)



公式サイトはこちら

ポール・セザンヌ(1839-1906)は南仏のエクス=アン=プロヴァンスに生まれましたが、画家を志して1861年に初めてパリに上京するも、挫折やら何やらで、晩年に至るまで20回以上もパリとプロヴァンスを行き来していたそうです。

そこで、画家の創作活動の場となった、フランスの「北と南」という切り口で作品を眺め、その画業を観ていきましょう、というのが本展。その意図は、主題で分け、さらに北・南という作品の制作場所で分けられた展示の構成からも明瞭に伝わってきます。

確かに解説のポイントを押さえながら観ていくと、セザンヌが、あの筆をシャッシャッシャッと斜めに走らせる「構築的筆触」を生み出し、モティーフを「円筒、球、円錐」で捉える抽象的な表現にいきつく過程が、私のような素人目にも何となく理解されたような気がしました。

また、本展はオルセー美術館、パリ市立プティ・パレ美術館など、世界8ヶ国、約40館から約90点もの作品の集まった、国内最大のセザンヌ展とのことで、初期の珍しい作品も並びます。

展覧会の構成は以下の通りです:

Ⅰ 初期
 Ⅰ-1 形成期 : パリとプロヴァンスのあいだで
 Ⅰ‐2 ジャス・ド・ブッファン

Ⅱ 風景
 Ⅱ‐1 北 : 1882年まで
 Ⅱ‐2 南 : 1882年まで

Ⅲ 身体
 Ⅲ‐1 パリ : 裸体の誘惑
 Ⅲ‐2 パリ : 余暇の情景
 Ⅲ‐3 プロヴァンス : 水浴図

Ⅳ 肖像
 Ⅳ‐1 親密な人々 : 家族と友人の肖像
 Ⅳ‐2 パリ : コレクター、画家の肖像
 Ⅳ‐3 プロヴァンス : 農民、庭師の肖像

Ⅴ 静物
 Ⅴ‐1 北を中心に : 1882年まで
 Ⅴ‐2 南を中心に : 1882年まで

Ⅵ 晩年


では、チラシに載っていた作品を中心に、印象に残ったものを少し挙げておきます。

≪砂糖壺、洋なし、青いカップ≫ 1865‐70年



パレット・ナイフで豪快にパレットから絵具をすくい取り、画布に盛りつけたような厚塗りの画面。30x41cmの小品ながら、背景の暗さもあいまって息苦しいほど。のちの、塗り残しもある薄塗りの作品が想像できないような初期の作品です。

クールベの影響もあるとのことですが、私は同じセクションに展示されていた≪林間の空地≫(1867年)の方に、よりそれを感じました。

「四季」 ≪春≫≪夏≫≪秋≫≪冬≫ 1860‐61年頃



「ジャス・ド・ブッファン」は、エクス市郊外にセザンヌのお父さんが購入した別荘。「風の館」という意味だそうで、南仏の爽やかな風がそよぐ、素敵な場所だったのでしょうね。その別荘の大広間を飾るために描かれたのがこの4連作。縦が314㎝もある大作です。大作なのはいいのですが(そして初期の作例として希少価値もありましょうが)、なんだかペラペラな印象。下にIngres(アングル)とサインがあって、若かりしセザンヌの、巨匠アングルへの当てつけか何かなのか?とも。

≪首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ≫ 1873年



第1回印象派展(1874年)に出展され、収集家に売れた作品。カミーユ・ピサロと出会ってなかったら、この作品も生まれなかったのではと思わせる作風です。画面がやや窮屈な感が無きにしもあらずですが、最初期の厚塗り画面と比べると、ずい分風通しの良い油彩画作品という印象です。

≪サント=ヴィクトワール山≫ 1886-87年



戸外で自然を観察して、その中に見える色彩を筆で表現することを学んだセザンヌは、それを踏み台に次のステップへ。「印象派を美術館の芸術のように堅固で永続的なものにする」試みを始めます。

目に映る自然をそのまま写生するのではなく、受け取った印象を頭の中で理想的に再構築した風景。観察した時間帯に左右されることなく、自分の中で表情の変わることのない風景のイメージ。

「自然に即してプッサンをやり直す」というキーワードもありますね。巨匠プッサンの創りあげた、理路整然としたような秩序をもった風景を意識し、≪サント=ヴィクトワール山≫の連作が生まれていきます。

本作品でも、上の方を這う松の枝は遠景の山の稜線に沿うような曲線を描いて伸び、言われなくてはわかりませんでしたが、中景の平野は本来このような俯瞰できる角度には見えません。手前の垂直に伸びた松の木、水平に横切る橋、斜めに走る道。これらの要素が、セザンヌの目指したプッサンの前景、中景、遠景の秩序なのだと思います。

ついでに、「緑はとても快活な色彩のひとつで、眼に最も良い色なのです」というセザンヌの言葉が展示室の緑色の壁に書かれていました。どんな文脈で語られた言葉なのかわかりませんが、ちょっと唐突でおもしろく感じました。眼に良いなんてことも考えながら、パレットに緑色を絞り出し、サント=ヴィクトワール山の連作を描き続けていたのかな。

≪水の反映≫ 1888-90年頃

何が描かれているのかちょっと判然としない作品ですが、下へ斜めへと走る、シャッシャッシャッという筆触のブロックが織りなす画面は、さながら楽器のスケール練習を思わせます。

≪サンタンリ村から見たマルセイユ湾≫ 1877-79頃

もう一つ、本展でなるほどと思ったのは、南プロヴァンスの「強烈な陽光と深緑の木々」が、セザンヌに形態を平坦で捉えることを着想させたという点。本作に描かれる遠方の白壁の家々も、解説にあるとおり、”トランプのカードのよう”に簡略化されて描かれています。南の強い陽光のもとで見る風景は陰影が際立ち、色彩も鮮やか。風景画のみならず、南国の気候が対象物の三次元の捉え方について画家にインスピレーションを与えたことが想像されます。

≪赤いひじ掛け椅子のセザンヌ夫人≫ 1877年頃



「りんごのようにポーズをとる」とセザンヌに高く評価された妻、オルタンス。新日曜美術館のセザンヌ特集では、セザンヌがオルタンスのことを「たまっころ」と呼んでいたというエピソードが紹介されていましたが、とにかくセザンヌにとって人物もりんごも描く対象としては同じスタンス。この作品では、同じ寒色系の色を、オルタンスの顔と彼女のスカートにのせ、全体の色の調和を探求しているように感じられます。

≪アンブロワーズ・ヴォラールの肖像≫ 1899年



セザンヌの個展を初めて開いた画商ヴォラールの肖像画。こちらのモデルはポーズを保てずに動いてしまい、「りんごが動きますか!」と画家に怒られてしまいました。でも一回のポーズに2,3時間、それを百回以上やれと言われても、なかなかできるものではありません。いずれにせよ、以前観たルノワールが描いたヴォラールの肖像画よりこちらの方がずっといいです。

セザンヌの30代の頃の自画像もありましたが、逆八の字に釣り上がった眉にぎょろっとこちらを見る目と、一徹な感じが強烈に伝わってきました。

≪壺、カップとりんごのある静物≫ 1877年



形態把握の探求には、動かない静物を描くのが一番。そしてセザンヌといえばりんご。とはいえ、この作品を観た時、下に敷かれた布の不自然さが真っ先に目につきました。解説を読み、背景の壁紙の模様と呼応していると知り、ああ、そういうことかと。従来の主役、わき役という観方を捨てないと、到底セザンヌの意図は理解できません。

非常に断片的なご紹介となりましたが、最後の方では画家のアトリエ再現や、絵の具ののったパレット、画中に登場する瓶などのオブジェが展示され、セザンヌという画家がより身近に感じられました。

閉会までもう日があまりありませんので(6月11日月曜日まで)、もしご興味があればお急ぎを!


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