日本橋三越本店 新館7階ギャラリー
2009年12月27日(日)-2010年1月18日(月)
最終日前日の日曜日ということに加え、数日前に秋篠宮ご夫妻もお見えになったという記事が新聞に載っていたので、相当の混雑を予想しつつ出かけてみたら案の定であった。足を踏み入れた途端、これじゃまともに観られないなぁ、と思ったが、最初に出迎えてくれた『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(下に画像あり)に心を奪われ、意を決して中へ。
まず「アンコールワット」のおさらいとしてパネルの説明から抜粋。
カンボジアで9~15世紀にかけて繁栄したクメール人の王朝であるアンコールワット朝期に、国力の繁栄や信仰の対象として建立された遺跡群を「アンコール遺跡群」と呼ぶ。その数2300ヵ所に及び、主要遺跡は60数ヵ所ある。アンコールワットはその中で最大のもので、クメール語で「寺院のある町」を意味する。建立者はスーリヤヴァルマン2世で、30年の歳月をかけて完成。当初はヒンドゥー教寺院だったが、14世紀頃から仏教寺院へ衣替え。東西1500m、南北1300m。
本展ではプノンペン国立博物館の所蔵品56点に、シハヌーク・イオン博物館が所蔵する上智大学の発掘品11点を加え、計67点が展示。
構成は以下の通り:
第一部 『めくるめく神々の祭典』
第二部 『アンコール文明』
第三部 『平和への祈り~神話が生きるひと・もの・こころ~』
では、人壁の隙間をかいくぐって観た、心に残った展示品を数点挙げます:
ジャヤヴァルマン7世の尊顔(頭部) (12世紀末~13世紀初頭)
思わずポストカードを買ってしまった。部屋に飾っておいたら心の安寧が得られそうな気がして。その深遠なる表情は、深き宇宙のごとし。
アンコール美術は「東南アジアにおけるギリシア美術」と言われるそうだ。砂岩の柔らかい肌触り、深い瞑想に集中して綴じられた目、かすかな微笑みを湛えたふくよかな唇、我々東洋人の目にとっても親しみやすい深すぎない彫り。そんな穏やかなお顔が並び、こちらの心も落ち着きを取り戻していくような心もちになっていく。ゆっくり対峙できたら尚良かったことでしょう。
『七つ頭のナーガに見守られた禅定仏尊顔』 (12世紀末~13世紀初頭)
ナーガとは観てのごとく蛇神。仏陀が涅槃の境地に入るため7週間に渡る禅定を行っているときに地中から現れ、七つの頭を広げて仏陀を守ったという。
『両手をつないだシヴァ神とウマー妃』 (11世紀)
手を取り合うこの二人に対面した瞬間、こちらも思わず彼らのような微笑みがフッと出てしまう。穏やかな夫婦愛のみならず、普遍的な平和の基本形の一つのような気がした。
『鎮座する閻魔大王ヤマ天』 (13世紀~14世紀)
高さが153cmもある存在感のある坐像。髭を生やしているけれど、背中の女性的な艶めかしさはドキリとするほど。
『天空へ飛び立つヴァルナ神』 (10世紀後半)
ヴァルナ神を乗せて飛び立とうとするのは、羽を広げて空を見上げる4羽の鵞鳥。変な観方かもしれないが、腕の破損の仕方がシュールレアリスムの作品のようだった。
さて、次は異形の神々たち。
『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(10世紀末)
入り口で出迎えてくれた像。去年の阿修羅展で観た迦楼羅立像もそうだったが、鳥と合体した神様はなぜかとても魅力的。
『象の腕力と人間の知性を持ったガネーシャ坐像』(10世紀)
ガネーシャはシヴァ神と神妃パールヴァティーの子で、日本では歓喜天と言うそうだ(知りませんでした)。
『四面尊顔のブラフマー神(梵天)』 (11世紀初頭)
否応なしに阿修羅像を思い出してしまうが、こちらは四面で耳も一人二個ずつついている。この仏像が身につけている布に刻まれた模様は“ポケット型ドレープ”と呼ぶそうだが、他の作品にも多々観られた。
『飛び跳ねるガルダ(神鷲)』 (19世紀)
もう一つガルダ像。木彫作品も数点展示されているが、そのうちの一つ。顔の表情、身体の動きがとてもダイナミックで迫力あり。
この他ブロンズ製の作品数点や、『リアム・ケー』という物語の色鮮やかなテンペラ画の連作(各場面ごとのストーリーもきちんと説明されていたが、とてもじっくり読みながら観られる状況にあらず)なども展示されていた。
カンボジアは行ったことがないし、この先行くことがあるかどうかもわからない。そんな私にとって、本展はアンコール美術の片鱗を観ることができるとても貴重な機会だった。
余談ながら同じフロアーで「三越美術特選会」をやっていて、私が到着した頃にちょうど松浦浩之さん、天明屋尚さん、そしてミヅマ・アートギャラリーの三潴末雄さん、山本豊津さんの4氏によるギャラリー・トークが終わるところだった。会場にはコンテンポラリー・アートの作品も結構な数が並べられていて、期せずして天明屋尚さんの作品を沢山観られたのは嬉しかった。しかし奈良美智さんの1億円近い作品には作品の形のごとく目がまん丸に!
2009年12月27日(日)-2010年1月18日(月)
最終日前日の日曜日ということに加え、数日前に秋篠宮ご夫妻もお見えになったという記事が新聞に載っていたので、相当の混雑を予想しつつ出かけてみたら案の定であった。足を踏み入れた途端、これじゃまともに観られないなぁ、と思ったが、最初に出迎えてくれた『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(下に画像あり)に心を奪われ、意を決して中へ。
まず「アンコールワット」のおさらいとしてパネルの説明から抜粋。
カンボジアで9~15世紀にかけて繁栄したクメール人の王朝であるアンコールワット朝期に、国力の繁栄や信仰の対象として建立された遺跡群を「アンコール遺跡群」と呼ぶ。その数2300ヵ所に及び、主要遺跡は60数ヵ所ある。アンコールワットはその中で最大のもので、クメール語で「寺院のある町」を意味する。建立者はスーリヤヴァルマン2世で、30年の歳月をかけて完成。当初はヒンドゥー教寺院だったが、14世紀頃から仏教寺院へ衣替え。東西1500m、南北1300m。
本展ではプノンペン国立博物館の所蔵品56点に、シハヌーク・イオン博物館が所蔵する上智大学の発掘品11点を加え、計67点が展示。
構成は以下の通り:
第一部 『めくるめく神々の祭典』
第二部 『アンコール文明』
第三部 『平和への祈り~神話が生きるひと・もの・こころ~』
では、人壁の隙間をかいくぐって観た、心に残った展示品を数点挙げます:
ジャヤヴァルマン7世の尊顔(頭部) (12世紀末~13世紀初頭)
思わずポストカードを買ってしまった。部屋に飾っておいたら心の安寧が得られそうな気がして。その深遠なる表情は、深き宇宙のごとし。
アンコール美術は「東南アジアにおけるギリシア美術」と言われるそうだ。砂岩の柔らかい肌触り、深い瞑想に集中して綴じられた目、かすかな微笑みを湛えたふくよかな唇、我々東洋人の目にとっても親しみやすい深すぎない彫り。そんな穏やかなお顔が並び、こちらの心も落ち着きを取り戻していくような心もちになっていく。ゆっくり対峙できたら尚良かったことでしょう。
『七つ頭のナーガに見守られた禅定仏尊顔』 (12世紀末~13世紀初頭)
ナーガとは観てのごとく蛇神。仏陀が涅槃の境地に入るため7週間に渡る禅定を行っているときに地中から現れ、七つの頭を広げて仏陀を守ったという。
『両手をつないだシヴァ神とウマー妃』 (11世紀)
手を取り合うこの二人に対面した瞬間、こちらも思わず彼らのような微笑みがフッと出てしまう。穏やかな夫婦愛のみならず、普遍的な平和の基本形の一つのような気がした。
『鎮座する閻魔大王ヤマ天』 (13世紀~14世紀)
高さが153cmもある存在感のある坐像。髭を生やしているけれど、背中の女性的な艶めかしさはドキリとするほど。
『天空へ飛び立つヴァルナ神』 (10世紀後半)
ヴァルナ神を乗せて飛び立とうとするのは、羽を広げて空を見上げる4羽の鵞鳥。変な観方かもしれないが、腕の破損の仕方がシュールレアリスムの作品のようだった。
さて、次は異形の神々たち。
『門番の役目をするガルダ(神鷲)』(10世紀末)
入り口で出迎えてくれた像。去年の阿修羅展で観た迦楼羅立像もそうだったが、鳥と合体した神様はなぜかとても魅力的。
『象の腕力と人間の知性を持ったガネーシャ坐像』(10世紀)
ガネーシャはシヴァ神と神妃パールヴァティーの子で、日本では歓喜天と言うそうだ(知りませんでした)。
『四面尊顔のブラフマー神(梵天)』 (11世紀初頭)
否応なしに阿修羅像を思い出してしまうが、こちらは四面で耳も一人二個ずつついている。この仏像が身につけている布に刻まれた模様は“ポケット型ドレープ”と呼ぶそうだが、他の作品にも多々観られた。
『飛び跳ねるガルダ(神鷲)』 (19世紀)
もう一つガルダ像。木彫作品も数点展示されているが、そのうちの一つ。顔の表情、身体の動きがとてもダイナミックで迫力あり。
この他ブロンズ製の作品数点や、『リアム・ケー』という物語の色鮮やかなテンペラ画の連作(各場面ごとのストーリーもきちんと説明されていたが、とてもじっくり読みながら観られる状況にあらず)なども展示されていた。
カンボジアは行ったことがないし、この先行くことがあるかどうかもわからない。そんな私にとって、本展はアンコール美術の片鱗を観ることができるとても貴重な機会だった。
余談ながら同じフロアーで「三越美術特選会」をやっていて、私が到着した頃にちょうど松浦浩之さん、天明屋尚さん、そしてミヅマ・アートギャラリーの三潴末雄さん、山本豊津さんの4氏によるギャラリー・トークが終わるところだった。会場にはコンテンポラリー・アートの作品も結構な数が並べられていて、期せずして天明屋尚さんの作品を沢山観られたのは嬉しかった。しかし奈良美智さんの1億円近い作品には作品の形のごとく目がまん丸に!
こんな仏たちに見守られた土地で、あんな大量虐殺が引き起こされたなんて、何という矛盾なのだろうと考えていました。
こんばんは。
ポル・ポト時代にカンボジア人の遺跡保存官の多くが不慮の死を遂げ、遺跡を守る専門家がいなくなった、という説明には私も胸が苦しくなりました。
ほんの一部の人以外、どの国の人々もあの仏像たちのように穏やかな顔で平和に暮らしたいだけなのに。。。