落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 不可能を可能とする マタイ 14:22-33

2008-08-04 15:35:51 | 講釈
2008年 聖霊降臨後第13主日(特定14) 2008.8.10
<講釈> 不可能を可能とする マタイ 14:22-33

1. 5000人の給食と水上歩行
イエスの水上歩行の奇跡物語は、マタイ福音書、マルコ福音書、ヨハネの福音書が伝えている。むしろ、こうなるとなぜルカは伝えなかったのが疑問になるぐらいであるが、それは一応ここでは深入りしない。3つの福音書とも、水上歩行の物語は5000人の給食物語とセットになっている。この奇跡についても5000人の給食物語と同じように昔から色々な手品の種明かしのような解釈がなされてきた。しかし、いかにありそうな説明を聞いても、そんなことは「あり得ない」というのが率直な気持ちである。出来事そのものは確かに「ありそうもない」。しかし、「ありそうもない」この出来事を「あったこと」として福音書は語る。何があったのだろうか。
2. 資料の分析
とりあえず、先ず資料の分析から始めよう。資料問題についてはほとんど問題はない。マルコ福音書をほとんどそのまま継承している。ただ、いつものようにマタイはマルコの用語に多少変更を加えている。
先ず、第1の変更は湖の向こう側の「ベトサイダ」という地名を省略している。要するに、この物語において、船の向かう地名なんかどうでもいいではないか、とマタイは考える。
第2に、マタイは弟子たちの乗った船の位置について「何スタディオンか離れており」と距離を述べている。マタイは、船が湖の真ん中辺りにあったことを示す。湖岸近くでは奇跡にならない。
第3に、イエスが「弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て」と述べるのを省く。山の上から、しかも真夜中で湖の状況は見えるはずがない、とマタイは考えたのか。
第4に、水上を歩くイエスは、マルコ福音書では「そばを通り過ぎようとされた」(マルコ6:48)と語るが、マタイは素直に「イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた」と述べる。マルコのよれば、イエスはそのために来たのに、「通り過ぎるのは」変。
最も大きな変更は、次のペトロとイエスとの対話とペトロ自身が水上歩行をする場面であり、マルコ福音書にはこの部分はない。ヨハネ福音書にもこの部分はない。おそらく、マタイ独自の付加であろう。
3. 水上歩行の不可能性
人間は水の上を歩くことは出来ない。不可能なことが出来たから奇跡である。この物語を語り伝えた人々も実際に水の上を歩いているのを見たこともないし、経験もしていない、はずである。しかし、これを「あったこと」として語った。彼らはこれを真実と思った。本当のことと信じた。この信仰の背景にはこれに似た経験を彼らはしたからであろう。
この物語で最も重要な点は、ペトロである。イエスが水の上を歩かれたのは神の子だからということでけりはつく。しかし、ペトロも歩いた。この物語の痛快な点は、ペトロも歩いたということである。ペトロも歩けるなら、わたしも歩ける。ペトロに可能ならばわたしたちにも可能である。問題は一挙に現実性を帯びてくる。ペトロはイエスと同じように歩いた。あのペトロが歩いた。それならばわたしたちもイエスと同じように歩ける。
4. ペトロの問題
12弟子の中でもペトロはいろいろ問題の多い人間である。「おちょこちょい」といえば確かに「おっちょこちょい」である。勇敢だといえば、確かに勇敢である。臆病者といえば確かに臆病者である。要するに、12弟子の中でのペトロは「典型的な人間」「人間らしい人間」である。言い替えると、わたしたちはみんなペトロである。ペトロが行ったこと、言ったこと全部わたしもしそうだし、言いそうである。だからこそ、イエスはペトロを弟子の代表のように接している。ペトロも自分を弟子の代表のように思っている節がある。この場合の代表とは選ばれた代表者というよりも「典型的人物」という意味での代表である。
ペトロの行動の中での最大の汚点は、イエスが十字架刑に処せられるとき、普段あれほど偉そうにしていたペトロが逃げ出したことである。ペトロは3年間イエスに従って生活したにも関わらず、いざという時イエスと共に死ぬことができなかった。実は、これは、勇気とか忠誠心とかいうよりも愛の問題であった。イエスの死とは、「隣人のために命を捨てる愛」を意味している。従って、教会は伝統的にイエスと共に死ねなかったペトロの行為を愛の問題として理解してきた。だから、復活後のイエスが執拗にペトロを問い詰めた問題は「ヨハネの子シモン、わたしを愛するか」ということであった(ヨハネ21:15~17)。この問いに対して、ペトロは単純に「ハイ、愛しています」とは答えられず、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよくご存じです」(17節)としか答えられなかった。
5. 愛の問題
イエスは人々に互いに愛し合うように教えられた。教えられたというより、命じられた。ここにイエスとわたしたちとの接点がある。イエスの身近にあり、共に生活し、共に旅をした弟子たち、特にペトロはその点を最もよく知っていた。イエスから「隣人を愛せよ」と命令されたとき、もちろんそうしようとした。そうできると思った。そんなに難しいこととは思わなかったに違いない。しかし、愛とはそんなに簡単なことではない。愛は究極においてその人のために死ねるかというところまで含まれている。イエスが「友のために死ぬ」という、「同胞のために死ぬ」というところまで進んだとき、ペトロは逃げ出した。つまり、自分には「イエスのようには愛せない」という告白である。キリスト教のつまずきは、わたしたちがイエスのように愛し、生きれると思っていることと、それは不可能であるということとの間にある。前者においては現実的な挫折がない。後者においては現実的な絶望のみが支配している。信仰は不可能を可能にする恵である。奇跡物語がつまづきなのではない。愛がつまづきなのである。キリスト者は信仰を語ることによって愛の不可能をあまりにも簡単に言い過ぎる。愛を信仰にすり替えている。
この奇跡物語はペトロがイエスのように歩けたということを語る。つまり、あのペトロがイエスのように愛せた。もっと言うと、使徒ペトロはイエスのように死ねた。不可能が可能になった。奇跡が起こった。キリスト教信仰はこの面をもっと語るべきであるし、それはわたしたちの現実的な課題でもある。
6. クオヴァディス伝説について
現在でもローマ郊外にドミネ・クオヴァディス教会が建っているが、ここで昔、迫害が激しくなったローマから立ち去ろうとしたペトロがキリストに会い、"Domine Quo Vadis"(主よ、何処へ)と聞いた場所である。その時、キリストは、「あなたが信者たちを危険なときに見捨てたので、も一度十字架にかかるために、ローマへ行く」と答えられた。これを聞いて、ペトロはローマに引き返し、最後には「主の十字架と同じ十字架では申し訳ない」といい、あえて逆さ十字架にかかって、殉教したとされる。

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