落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

聖霊降臨後第14主日(特定17)説教「シリアの女 マルコ7:1-8,14-15,21-23」

2012-08-27 13:40:12 | 説教
みなさま
次主日の説教をお送りします。取り上げられているテキストはかなり難しいところです。説教者としてはあまり取り上げたくないエピソードです。ここで見られるイエスの態度には疑問があります。こういうイエスの態度は見たくないと思います。当然、福音書記者もこのエピソードには抵抗感があったかも知れません。だからこそ、この出来事は実話であったか、どうかというよりも、初期の教会において使徒たちが思い悩んで問題に対する答えをこの伝承の中に見出したのだと思います。この問題にはイエスも悩み苦労されたのだ。そして、その問題に対する解決の糸口をイエスは示しているのだと、思ったのでしょう。
次の主日は八幡聖オーガスチン教会での礼拝奉仕です。

S12T17(S)  2012年9月2日
聖霊降臨後第14主日(特定17)説教「シリア・フェニキアの女   マルコ7:1-8,14-15,21-23」

1.テキストについて
祈祷書で指定されている福音書はマルコ7:1-8,14-15,21-23である。そして次の主日の福音書はマルコ7:31以下であり、なぜか7:24-30がはずされている。
その1つの理由は、これの平行記事がマタイにあり、そちらの方が取り上げられているので、あえて省略したのであろうとも思われるが、外にも多く見られる平行記事では省略されていないので説明不足である。
次に思い当たることは、ここで述べられている出来事はあまり褒められたことではないので、わざわざ礼拝において取り上げる必要もないと考えたのだろうか。

2.マタイとの比較
この記事をマタイ福音書の平行記事と比較してみると、マタイは非常に重要な点を書き換えている。書き換えて部分は7点ほどあるが、重要な1点だけを取り上げる。
マタイはマルコにない重要な言葉を挿入している。カナンの女性があまりにもしつこいので、イエスは女性を無視して弟子たちのほうを向いて「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と述べる。マルコにはこの言葉はない。この言葉が述べられているためにここでの会話がユダヤ人と異邦人の問題とされ「小犬のたとえ」も異邦人蔑視の言葉とされ、イエスは頑なな民族主義者とされてしまう。しかし、これはマタイ福音書だけのことであって、マルコ福音書には民族差別的な問題はない。

3.イエスが国外で行った唯一の病気治療
このエピソードの重要なポイントは、これがイエスが国外で行ったほとんど唯一の病気治癒の出来事であったということである。以下マルコの叙述に従ってこの出来事をたどってみる。
ここではイエスが単独でか、あるいは弟子たちと共にか、ハッキリしないが、ともかくティルスの町のある人の家に入った。その目的や事情は全て省略されている。その際に非常に重要なことは「だれにも知られたくないと思っておられた」という。つまり隠密行動である。理由はわからない。しかし、それはばれてしまって一人の女性が訪問してきた。新共同訳では「人々に気づかれてしまった」と翻訳しているが、ここの「人々」という言葉ない。おそらくその女性だけが何らかの情報提供によって知ったのであろう。 彼女はこの地生まれのギリシャ人だという。つまり氏素性がハッキリしている。相談は彼女の娘が悪霊に憑かれたので、何とか助けて欲しいという。イエスは明確に「それはできない」という。その理由は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」。つまりイエス自身の第1の使命は自分が保護すべき「子供たち」にパンを与えることであって、子供以外の者、たとえばそれがペットである小犬であっても、その小犬にパンを与えることによって、子供への使命が妨げられることはできないという意味であろう。もっとハッキリと言うと、「あなたの娘さんの病気を癒す」という行為が問題となって「子供にパンを与えるという私の使命」が妨げられることは避けねばならないということであろう。つまり女性の願いを聞き入れるということにはそれだけの危険が伴っていたということである。

4.病気治療についての縄張り
イエスと女性との間にある問題点を理解するためには、当時(イエスの時代も使徒の時代も含む)の地中海地方(ヘレニズム社会)における宗教と医療との関係を理解しておく必要がある。日本の教会と聖書学においてはイエスと聖書とを広くこの世界全体の中に位置付けることがほとんどなされていなかった。医療と宗教に関してはもう既に論じた(聖霊降臨後第7主日、特定10<講釈>)のでここでは簡単に触れておく。
宗教と医療とが切っても切れない関係にあることは昔も今も同じである。とくに近代医療が成立する以前は医療と宗教とは一体であった。それはまさに病気が悪霊によるという理解と表裏の関係にある。
ここでユダヤ社会においては他民族と違って厄介な問題があった。つまり病気治療を受けるということは一種の宗教行為と見なされたのである。当時の地中海世界ではユダヤ教は唯一の一神教で激しく偶像を礼拝を否定する。当然、宗教と医療において周辺諸民族から孤立化する。そういう状況においてイエスはユダヤ人社会における病気治療を表看板として活動し、かなりの評判をえたのである。当然、隣国のシリアでもイエスのことは評判になっていたらしい。マルコはガリラヤ湖畔でのイエスの説教を聞いた人々のリストの中に「ティルスやシドン」からの人々(3:8)をあげている。
ところでティルスの町には、病気治療で有名な「エシュルン神殿」があった。この神殿では常時かなり大勢の患者たちが「入院」しており、かなり高度な治療が行われていたといわれている。また、大勢の神殿医師たちがおり、彼らは「蛇の彫刻をした杖」を携えてヘレニズム社会全体を巡回して医療活動を行っていたといわれている。彼らは当然ユダヤにも入り込もうとするが、偶像が妨げなって入り込めない。
そこでイエスとエシュルン神殿の間に暗黙の了解ができていたものと思われる。つまり、イエスがシリアに入ってきて、あるいはユダヤから出て来てヘレニズム社会に出てくることに非常な警戒心があったものと思われる。だからこそイエスはシドンに入りティルスの町に入るのに非常に警戒心を持ち隠密行動をしなければならなかったのだと思われる。と同時にこの女性に対しても一定の警戒心を持っていたのであろう。国境を越えて他国に入るということはそういうことでもある。

5.民族問題ではなく「縄張り」の問題
イエスの一見突き放したような言葉に対して女性は感情的な反発をすることなく、非常に冷静に論理的な反論をする。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」。つまりイエスによって娘の病気が癒されるということは「当然の権利」ではなく「恵みのおこぼれ」、いわば「例外的な恩恵」であり、特別なことであるということを十分に自覚した上で、それでもなおその恩恵に与りたいという願いである。癒して頂いたら、寄付をしますとか、イエスの弟子になりますとも言わない。ただ単純に「例外的な恩恵」を願う。おそらく、この態度にイエスは感動したのであろう。というよりも、これを書いているマルコはそこにキリスト教信仰の基本的姿を見て取ったと言うべきか。この間にはいろいろな議論が展開したものと思われる。
イエスは最終的に「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」。この言葉の中で「それほど言うなら」という言葉が意味慎重である。いわば、彼女の言葉に感動してイエスは縄張りを破る。

6.結び
この物語の結びは「女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」のである。この物語において注目すべきことは、女性の娘は来ていなかったということで、全てはイエスの女性との間の会話だけで娘の病気は癒された。誰が見ていても娘の病気が治ったという事実はいわば「自然治癒」である。ただその秘密はイエスと女性との間だけのことである。しかも、もう一つこれらの会話の中でイエスは一言も「神」のこと、「神の国」のことに触れていない。「信じるかどうか」ということにも触れていない。
本日のメッセージを一言、いや二言にまとめると次のようになる。
(1)神の恵みは人間が設定した規則や縄張り(枠組み)を超える。
(2)信じたら与えられるのではなく、信じなくても与えられる。

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