落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>「シリア・フェニキアの女 マルコ7:1-8,14-15,21-23」

2012-08-26 14:52:59 | 講釈
S12T17(L) 2012年9月2日
聖霊降臨後第14主日(特定17)
<講釈>「シリア・フェニキアの女 マルコ7:1-8,14-15,21-23」

1.テキストについて
祈祷書で指定されている福音書はマルコ7:1-8,14-15,21-23である。そして次の主日の福音書はマルコ7:31以下であり、なぜか7:24-30がはずされている。
その1つの理由は、これの平行記事がマタイにあり、そちらの方が取り上げられているので、あえて省略したのであろうとも思われるが、他にも多く見られる平行記事では省略されていないので説明不足である。
次に思い当たることは、ここで述べられている出来事はあまりもイエスらしくないことなので、わざわざ礼拝において取り上げる必要もないと考えたのだろうか。

2.マタイとの比較
この記事をマタイ福音書の平行記事と比較してみると、マタイは非常に重要な点を書き換えている。書き換えて部分は7点ほどある。
(1)マルコではイエスは「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられた」(24節)とある。つまり、ここでのイエスはいわば隠密行動であったことが明記されている。なぜイエスは「ティルス地方」において隠密行動をとらねばならなかったのだろうか。このような重大な問題についてマタイは触れることを避けて、この言葉は削除している。
(2)マルコはこの女性を「ギリシャ人でシリア・フェニキア生まれ」(26節)であったとし、マタイは「この地で生まれたカナンの女」(マタイ15:22)とする。新約聖書では「カナン人」という表現はここにしか用いられていないが、非常に曖昧な表現で現実的には民族としてというよりも元々からここに住んでいた原住民というような意味であろう。つまり所属民族が明白でない人への俗称と思われる。
(3)マルコはこの出来事をイエスの隠れ家の中での出来とし(24節)、イエスと女性とだけの会話としている。それに対してマタイは公道での派手な出来事に設定している。従って女性の言葉もイエスの言葉も公開されたものである(23節)。
(4)イエスの弟子たちに対する「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」という言葉は公衆の面前での言葉である。この言葉はマルコにはない。この言葉によりこの出来事が民族問題になっている。そのために「小犬のたとえ」が他民族を蔑視する表現とされ、物語全体が偏狭な民族差別意識に矮小化されてしまっている。
(5)マタイではこの女性は初めからイエスを「ダビデの子」(同22節)と呼びかけている。しかしマルコではそういう言い方はしていない。カナンの女がイエスに「ダビデの子」と呼びかけるのはおかしい。
(6)マタイではイエスによる屈辱的な拒絶に対して女は「ごもっともです」と言い、謙虚さを表に出して情に訴えている。しかしマルコでは「しかし」と反論し理詰めで訴える。
(7)マタイにおいてはイエスはカナンの女の信仰を「立派な信仰だ」と言って、彼女の娘をその場で癒している。つまり娘を同行していた。それに対してマルコでは彼女に執拗さに負けてイエスは「それ程いうなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」と述べ、彼女をまるで迷惑者を追い返している。つまりイエスはその場では娘の病気を癒していない。


3.マルコが語りたいこと
ここまで改変されてしまうと、マルコの描く「シリア・フェニキアの女」の出来事とマタイが描く「カナンの女」の出来事とは全く別なものと考えた方がよさそうである。誤解をされると困るので断っておくと、同じような出来事が2回あったということではなく同じ1つの出来事が伝承の過程において、あるいはそれを取り上げた編集者の意図において異なったものになってしまったという意味である。さて、もう一つ厄介のことにマタイが描く方の物語の方が理解しやすいのでそちらの方に関心が寄せられマルコの描く「シリアの女」の方は無視されがちであるということである。その結果イエスの民族意識が非常に偏ったものになってしまう。むしろ偏った民族意識はイエスにあったのではなく編集者であるマタイの方にあったのであろう。特に問題になるのは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」という言葉と「子供たちのパンを取って小犬やってはいけない」という格言じみた言葉とが組み合わされるとイスラエル民族対異邦人という図式が露骨に見えてくる。同じ格言じみた言葉も単独で用いられると必ずしも民族的対立が問題になっている訳ではないことは明白である。それではそれは何を意味しているのか。そのことが同時にティルス地方でイエスが隠密行動を取っている意味も問い直されてくる。興味深いことは、ここで問題になっていることは悪霊追放という治療行為だけであるということであろう。神の国だとか、礼拝のことだとか、神のことなど宗教的な事柄には一切触れられていない。従って、ここでパンという言葉で暗喩されていること、つまりイエス自身が使命としていることは病気治療である。繰り返すとイエスが「まず、子供たちに十分食べさせなければならない」と考えている課題は病気治療である。この病気治療といういわば「神の恵み」を「子供たち」に食べさせることのプライオリティが主張されているのである。ここには当然「あなたたちにはあなたたちの保護者がいるでしょう」という意味が込められている。

4.イエスにとってのティルス地方
この物語を理解する上で、舞台となった「ティルス地方」ということに注目しなければならないであろう。ティルスは シリア地方の中心的都市であった。紀元前15世紀から前8世頃まで地中海地方の交易の中心地として栄えたが、紀元前9世頃アッシリアの興隆により衰退した。この地域が現在のレバノンである。ここはパレスチナと国境を挟んで隣接している。ティルスとガリラヤ湖畔の都市カファルナウムまでは直線距離で約60キロほどで、 国境を挟んでいるとはいえ別に線が入っているわけではなく、あるいは鉄条もが張られている訳ではなく、日常的には人々は行き来していたものと思われる。 イエスがガリラヤ湖畔で人々に説教をした際にも「ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆」(マルコ3:8)が聴衆のリストに挙げられている。
しかし日常的買い物だとか観光などは自由でも、やはりに国境は国境であり、お互いに自国にとって有害な者や物品については制限があったのであろう。特に他民族とかなり異なった風俗習慣に固執し維持しているユダヤ民族と他民族との交流には相互に一定の緊張関係があったであろうことは十分に想像できる。特に一神教にこだり偶像礼拝を厳しく忌避するユダヤ人社会は他国からは奇妙に思えたことであろう。ユダヤ人であるイエスが国境を越えてシリアの国に入りティルスを訪れた背景にはこういう事情がある。

5.イエスが国外で行った唯一の病気治療
このエピソードの重要なポイントは、これがイエスが国外で行ったほとんど唯一の病気治癒の出来事であった。以下マルコの叙述に従ってこの出来事をたどってみる。
ここではイエスが単独でか、あるいは弟子たちと共にか、ハッキリしないが、ともかくティルスの町のある人の家に入った。その目的や事情は全て省略されている。その際に非常に重要なことは「だれにも知られたくないと思っておられた」という。つまり隠密行動である。理由はわからない。しかし、それはばれてしまって一人の女性が訪問してきた。新共同訳では「人々に気づかれてしまった」と翻訳しているが、ここの「人々」という言葉ない。おそらくその女性だけが何らかの情報提供によって知ったのであろう。 彼女はこの地に生まれのギリシャ人だという。つまり氏素性がハッキリしている。相談は彼女の娘が悪霊に憑かれたので、何とか助けて欲しいという。イエスは明確に「それはできない」という。その理由は「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」。つまりイエス自身の第1の使命は自分が保護すべき「子供たち」にパンを与えることであって、子供以外の者、たとえばそれがペットである子犬であっても、その子犬にパンを与えることによって、子供への使命が妨げられることはできないという意味であろう。もっとハッキリと言うと、「あなたの娘さんの病気を癒す」という行為が問題となって「子供にパンを与えるという私の使命」が妨げられることは避けねばならないということであろう。つまり女性の願いを聞き入れるということにはそれだけの危険が伴っていたということである。

6.病気治療についての縄張り
イエスと女性との間にある問題点を理解するためには、当時(イエスの時代も使徒の時代も含む)の地中海地方(ヘレニズム社会)における宗教と医療との関係を理解しておく必要がある。日本の教会と聖書学においてはイエスと聖書とを広くこの世界全体の中に位置付けることがほとんどなされていなかった。医療と宗教に関してはもう既に論じた(聖霊降臨後第7主日、特定10<講釈>)のでここでは簡単に触れておく。
宗教と医療とが切っても切れない関係にあることは昔も今も同じである。とくに近代医療が成立する以前は医療と宗教とは一体であった。それはまさに病気が悪霊によるという理解と表裏の関係にある。
ここでユダヤ社会においては他民族と違って厄介な問題があった。つまり病気治療を受けるということは一種の宗教行為と見なされたのである。当時に地中海世界ではユダヤ教は唯一の一神教で激しく偶像を礼拝を否定する。当然、宗教と医療において周辺諸民族から孤立化する。そういう状況においてイエスはユダヤ人社会における病気治療を表看板として活動しかなりの評判をえたのである。当然、隣国のシリアでもイエスのことは評判になっていたらしい。マルコはガリラヤ湖畔でのイエスの説教を聞いた人々のリストの中に「ティルスやシドン」からの人々(3:8)をあげている。
ところでティルスの町には、病気治療で有名な「エシュルン神殿」があった。エシュルン神の素性については不明な点が多くハッキリしたことはわからないがギリシャ神話における治癒神アスクレピオス神と同一かどうか議論されている。この神殿では常時かなり大勢の患者たちが「入院」しており、かなり高度な治療が行われていたといわれている。また、大勢の神殿医師たちがおり、彼らは「蛇の彫刻をした杖」を携えてヘレニズム社会全体を巡回して医療活動を行っていたといわれている。彼らは当然ユダヤにも入り込もうとするが、偶像が妨げなって入り込めない。
そこでイエスとエシュルン神殿の間に暗黙の了解ができていたものと思われる。つまり、イエスがシリアに入ってきて、あるいはユダヤから出て来てヘレニズム社会に出てくることに非常な警戒心があったものと思われる。だからこそイエスはシドンに入りティルスの町に入るのに非常に警戒心を持ち隠密行動をしなければならなかったのだと思われる。と同時にこの女性に対しても一定の警戒心を持っていたのであろう。国境を越えて他国に入るということはそういうことでもある。
後日談になるが、初期のキリスト教とアスクレピオス神とはかなり激しく闘争関係にあったらしい。使徒時代以後のいわゆるアポロジスト(護教家)たちの文書にはアスクレピオス批判が多く語られている。テルトゥリアヌスやユスティヌス等の文書にもアスクレピオス信仰への批判が述べられているという。この論争はコンスタンティヌス皇帝によるキリスト教の公認(313年)によって一応決着し各地のアスクレピオス神殿は破壊されたが、その後も地方では論争が続き、最終的には5世紀に入ってシリア教会がアスクレピオス信仰の根絶を発令し、徹底的な破壊が行われたことによると言われている。考えてみると教会内部ではキリスト論争が繰り返され、三位一体論が議論されている頃、それと平行して対外的には「イエスの名による病気治療」と治癒神アスクレピオス神との間で激しい闘争が展開していたことになる。

7.民族問題ではなく「縄張り」の問題
イエスの一見突き放したような言葉に対して女性は感情的な反発をすることなく、非常に冷静に論理的な反論をする。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」。つまりイエスによって娘の病気が癒されるということは「当然の権利」ではなく「恵みのおこぼれ」、いわば「例外的な恩恵」であり、特別なことであるということを十分に自覚した上で、それでもなおその恩恵に与りたいという願いである。癒して頂いたら、寄付をしますとか、イエスの弟子になりますとも言わない。ただ単純に「例外的な恩恵」を願う。おそらく、この態度にイエスは感動したのであろう。というよりも、これを書いているマルコはそこにキリスト教信仰の基本的姿を見て取ったと言うべきか。この間にはいろいろな議論が展開したものと思われる。
イエスは最終的に「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」。この言葉の中で「それほど言うなら」という言葉が意味慎重である。いわば、彼女の言葉に感動してイエスは縄張りを破る。
この物語の結びは「女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」のである。この物語において注目すべきことは、女性の娘は来ていなかったということで、全てはイエスの女性との間の会話だけで娘の病気は癒された。誰が見ていても娘の病気が治ったという事実はいわば「自然治癒」である。ただその秘密はイエスと女性との間だけのことである。しかも、もう一つこれらの会話の中でイエスは一言も「神」のこと、「神の国」のことに触れていない。「信じるかどうか」ということにも触れていない。
要するにマルコはこの出来事を民族問題でもなく、宗教問題でもなく、病気治療の縄張りの問題として描いている。





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