落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>「歴史から学ぶ 詩78」

2011-07-26 13:13:08 | 講釈
S11T13Ps078(L) 
聖霊降臨後第7主日(特定13) 2011.7.31

<講釈>歴史から学ぶ 詩78

1.詩78について
詩78は出エジプト(紀元前1200年頃)から始めて、アッシリアによって北のイスラエル王国が滅ぼされる(紀元前722年)に至るまでの約500年間のイスラエルの歴史を鳥瞰している。そのほとんどの基礎的な資料は旧約聖書の特に出エジプト記から歴代誌下までの記事によるものと思われる。ただし詩78における歴史解釈には申命記主義史観が顕著である。この思想はバビロニア捕囚期以後に形成されたものである。その意味では南のユダ王国の滅亡に触れられていないのはふしぎである。
つまりシロの敗戦に至る歴史を歌った「詩文歴代誌」であった詩を、捕囚期の神学的反省によって神の契約と律法に対する民の違反の歴史として編集しなおし、最終的にはダビデを理想の王とする立場から、神による北王国の棄却、南王国の選びの記録としてまとめたものであろう。大半が物語り文体で、詩119に次いで長い詩である。

2. 申命記主義的史観
先ずはじめに、この詩の理解の要である「申命記主義的史観」について簡単にまとめておく。イスラエルの民はヤハウェから選ばれ、特別な律法が与えられたヤハウェの民である。イスラエルはその律法に従う限りヤハウェの特別な恵みと祝福を受けることができる。それがヤハウェとの契約である。ところがイスラエルは繰り返し、律法に従わずヤハウェとの契約を破ぶる。しかし、その都度それを反省し、ヤハウェはイスラエルを赦す。そのことがこの詩の各段落末10、17、22、32、37、42、56で、表現を替えつつ、リフレーンのように繰り返される。しかし神の怒りも頂点に達し、北のイスラエル王国は滅ぼされ、歴史から消え去る。
この詩の目的は、まだ完全に滅亡していない南のユダ王国の人びとに対して、この歴史から学び、神に立ち帰ることを語る。それが72節のダビデ王国復権への希望である。

3.詩78の表題と構成
新共同訳によるとこの詩には「マスキール。アサフの詩」という表題が付いている。マスキールとはおそらく「教訓詩」という意味であろうと。またアサフとは作者を示す語であろう。ダビデの詩(73編)に次いで多く13編も見られる。おそらく、この表題と1節~2節の序文とはこの詩の最終編集者の手によるものと思われる。
この詩の資料構成はかなり複雑で、43節~51節が最古の資料によるものと思われ、それに対する序文が3節~4節であろう。次に、12節~42節が一つのまとまりを示しており、それに対する序文が5節~8節であろうとみなされる。そして最後に付加されたのが52節~64節でその部分に対する序文が10節~11節であろうと思われる。
以上のように分析をすると9節だけが残るが、ここには北のイスラエル王国を示す「エフライムの子ら」という語句が見られ、おそらくもともと60節と61節の間におかれていた句が何らかの理由により現在の場所に移動されたのであろう。

4.語句の釈義
2節に見られる、「たとえ」と「神秘」は新共同訳では「箴言」と「言い伝え」と訳されている。もともとの意味は「諺」と「諸々の謎」という意味であろうと思われる(岩波訳)。マタイ福音書ではイエスが「譬え」を用いて語ることについて、この句を引用している(マタイ13:35)。そこでは「たとえ」を用い「天地創造の時から隠されていたこと」と訳されている。つまり、ここには過去の歴史というものを教訓として学ぶという視点と同時に現実の歴史そのものを「神の神秘(謎)」として捉えるという史観が見られる。つまり、現在の現実も根本的なところで「神秘」である。

最古の資料とみなされる43節から51節までの歴史
ここでは出エジプトにいたる最後の段階でのエジプトの王に対する神の行為が描かれている。出エジプト記7章14節から11章にいたる「災いの物語」である。この出来事について詩人は「エジプトで与えられたしるし」と呼び、「不思議なみ業」という。神の行為について、あの時の神は「怒りを押さえようともせず」と言い、神の怒りの怖ろしさを強調する。私たちは、あの時の神の怒りによってエジプトの奴隷状態から救出された。この部分に対する序文(3節~4節)において詩人は「先祖たちがわたしたちに伝えたこと」であり「子孫に隠さず、語り告げるべきこと」だという。

次に12節から42節がこの詩のかなり長い中心部である。この部分と52節から64節の部分は、出エジプトからシロでの敗戦に至るイスラエルの歴史を、申命記主義的史観から再編集したものであろう。
43節で「エジプトでのしるし」と「ゾアンの野で行われた不思議」と言われているが、43節から51節では「エジプトでのしるし」しか語られていなかった。その意味では順序が逆になっているが、ここでは「ゾアンの野で行われた不思議なみ業」が語られている。ここで名があげられている「ゾアンの野」とは、出エジプト記には見られない古い町である。民数記13:22,イザヤ19:11、30:4等に見られるが同一の町かどうか不明である。
この部分への序文が5節から8節までで、ここで重要な言葉は8節の「先祖のようにかたくなに逆らう世代、移り気で神を畏れない世代とならないため」という言葉で、ここで取り上げられている歴史的事象はこのことを証明する例示である。つまり、この史観に立って出エジプトにおける出来事を再構成しているのである。ただ、気になるのは、岩から水が湧き出た出来事が3回(15,16,20)、マナの出来事が3回(20,24,25)、ウズラの出来事が3回(20,27,28)繰り返されている点であろう。おそらく、3種類の歴史書を合体してのであろうと思われる。30節から42節では以上の出来事についての言わば総括文が繰り返される。
22節後半「怒りはイスラエルに燃え上がった」は別人による挿入であろう。
24節「天の小麦」はここだけの表現である。
49節「憤りと憤激と苦難」は説明的挿入か。
51節「ハム」はノアの三人の息子の一人でエジプト人の先祖とされる。

52節から64節までは、42節に続く歴史でカナンの地での定着の歴史が語られる。ここでの主題も42節までと同じ史観に立っている。とくに57節の言葉はこの部分を総括する言葉である。「先祖のように背き、裏切り、頼みにできない狂った弓のようになった」。「狂った弓」という表現は面白い。どっちの方向に飛んでいくのか見当がつかない。イスラエルの民はそういう状態になってしまっている。だから、神はイスラエルを見放した。
<高い所を設けて偶像を祭り、神の怒りとねたみを招いた。神はこれを見て激しく怒り、イスラエルを厳しく退けられた。シロにある神のみ住まい、人びとの中に設けられた幕屋を見放し、神はその力である契約の箱と、栄光を敵の手に渡された。神はその民を剣に渡し、ご自分の民に燃える怒りを降り注がれた。若者は戦火に倒れ、おとめは結婚の歌をうたわず、祭司たちは剣で殺され、やもめたちは嘆くすべを知らなかった。>(58節~64節)
54節「聖地」はシオンではなく「シロ」(60節)であろう。
60節エフライム族の古い町シロに置かれていた神の箱がペリシテ人に奪われた事件を指す(1サムエル4:1-5:1、エレミヤ7:12-15、26:6、9)。

そこまでが歴史である。65節以下は、「にもかかわらず」という将来に関わる展望で、ダビデを理想の王とする立場からの追記である。いわば、この部分を含めて、バビロニアにおける捕囚中に形成された「申命記史観」である。ここで注目すべき点は「ダビデ王」に対する言及である。

4.「食物がまだ口の中にあるのに、彼らはなおむさぼり求めた」(30節)
この長い歴史文書から説教をするとなると並大抵ではないし、時間的にも無理がある。それで以上述べたことを全て背景に押しやって、説教では一つの点だけを取り上げて語る。今日取り上げたい言葉は、30節の「食物がまだ口の中にあるのに、彼らはなおむさぼり求めた」という言葉である。この言葉の背景になった出来事は砂漠地帯での食糧問題である。出エジプトした人びとは一応「成人男子だけで60万」(出エジプト12:27、民数記1:46)とされるが、実際には一部の奴隷の逃亡というような小規模、多くても数百人規模の出来事であったのであろう(山我哲雄『聖書時代史』31頁)。それにしても、それだけの人間が砂漠で生き延びるためには水と食糧とは「絶対必要」なものであった。
この時の経緯について出エジプト記16章に詳しく描かれている。

出エジプトして暫くは何とか携帯した食料で食いつなぐことができたが、それも底をつき食糧と飲料水が重要な問題になってきた。それで人びとは指導者であるモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
それを天から見ていた神はモーセに言われた。「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
モーセとアロンとはそれを人びとに伝えた。モーセはそれに付け加えて、「あなたたちはわたしたち(モーセとアロン)のことをどう思っているのか。あなたたちがわたしたちに不平不満を言っているが、実はそれらの言葉はわたしたちに対してではなく、実は、主に向かって不平を述べているのだ」。
モーセが語ったとおり、その日の夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。
イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。また、だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない』。ただし、よく気を付けるように、神はわたしたちが指示通りにするかどうかご覧になっている。」
イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。彼らの中の何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った。
そこで、彼らは朝ごとにそれぞれ必要な分を集めた。日が高くなると、それは溶けてしまった。
イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで40年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。

詩78では、マナの出来事とうずらの肉の出来事が3回も繰り返されている。ウズラの出来事が3回(20,27,28)
(1) 神は荒れ野で食事を出すことができるだろうか。岩を打って水をわき出させた神は、食物を与え、その民に肉を備えることができようか(19-20)。
(2) 神は大空に命じて、天の扉を開き、彼らの上にマナを降らせ、天の小麦を食物として与えられた(23-24)。
(3) 人びとはみ使いのパンを食べ、神は彼らに飽きるほどの食物を与えた(25)。
(4) 神は東風を天に起こし、力を現して南風を吹かし、彼らの上に肉を塵のように、飛ぶ鳥を、浜辺の砂のように降らせた。宿営の中に、天幕の周りに、神は鳥を落された(26-28)。
にもかかわらず、彼らは「神は彼らの望みを満たされ、彼らは食べて満ち足りた。食物がまだ口の中にあるのに、彼らはなおむさぼり求めた(29-30)。

ここでの「食物がまだ口の中にあるのに、彼らはなおむさぼり求めた」という表現は面白い。祈祷書の訳では「食物がまだ口の中にあるのに、さらに求めたということが神の怒りをかったという意味に理解されている。つまり、食べ物に関して、神は豊かに与えたにもかかわらず、彼らは「必要以上に」求めた。それを「むさぼり」という。これはこれで、スッキリした翻訳になっている。しかし、その翻訳は正しいのだろうか。
新共同訳では、30節は、31節のつながり、次のように訳されている。
<彼らが欲望から離れず、食べ物が口の中にあるうちに、神の怒りが彼らの中に燃えさかり、その肥え太った者を殺し、イスラエルの若者たちを倒した。>
(以下省略)

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