落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

降誕日説教 美しい足

2004-12-20 07:17:10 | 説教
2004年 降誕日 (2004.12.25) 
美しい足  イザヤ52:7-10
1. クリスマスの行事
クリスマスの季節を迎えると様々な行事がある。一つは昨日持たれたキャンドルサービスである。なぜ、クリスマスの前夜にキャンドルサービスが行われるのか。専門家はいろいろと起源や歴史を説明するであろうが、わたしは一口で言って、クリスマス前夜のキャンドルサービスは「待ちきれない礼拝」である、と思う。
その他にも、キャロリングという習慣もある。町に出かけて、クリスマスキャロルを歌う行事であるが、起源や歴史はともかく、クリスマスの喜びを周りの人々に伝える行動である。野宿をして羊の群れの番をしていた羊飼いたちは突如現れた天使たちによって、御子イエス・キリストの誕生を伝えられた。早速、ベツレヘムに御子を捜しに行き、御子に出会い、拝した帰り道、羊飼いたちは「天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていった」(ルカ2:20)という逸話に基づいていると理解しても、時代錯誤かも知れないが、その意義という点から考えると、そんなにひどい間違いでもないであろう。
2. クリスマスに読まれる旧約聖書
降誕日の聖餐式のために定められている旧約聖書の日課は3箇所ある。いずれもイザヤ書からの言葉であるが、その第1のものが本日読まれた。ここには「良い知らせ」を伝える者がほめ讃えられている。この「良い知らせ」について、既に様々なことが語られている。今さら、何を加える必要があろうか。本日は、ただ一つのことだけを語りたい。それはこの「良い知らせ」とは聞いた人は、必ずまた他の人に語りたくなる種類の喜びである、ということである。
3. クリスマスの喜び
わたしたちの人生にはいろいろな種類の喜びがある。一人で密かに喜びをかみしめる種類の喜びもある。たとえば、年末大ジャンボ宝くじが当たったとする。それがわずかの金額であればささやかな幸運として人に話すこともあるが、と言ってそれを聞いた人と喜びを分かち合うということはほとんどないだろう。金額が大きくなればなるほど、人々はそれを秘密にする。また、自分にとってうれしいことがあっても、そのことの故に誰かが悲しい思いや、残念な思いをしているような事柄の場合、無邪気に喜び廻ることは控えなければならない。
しかし、クリスマスの喜びは男でも女でも、大人でも子どもでも、民族を越え、年代を越え、すべての人々に語り、分かち合いたくなる喜びである。聖書を読むと、先ず天使たちが御子の誕生を喜んだ。そして、その喜びを羊飼いたちに伝えた。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる」。これがクリスマスの喜びの出発点である。これを聞いた羊飼いたちは早速出かけ、御子の誕生を確かめた上、「天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていった」(ルカ2:20)。主イエスが初めて神殿に宮参りに出かけたとき、神殿で奉仕をしていた老人シメオンと老女アンナは、御子イエスを見て、喜び「救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した」(ルカ2:38)。
4. 弟子たちの使命
主イエスの弟子たちの第1の使命は、「神の国の到来」という喜びを人々に伝えることであった。(マタイ12:7)この使命は、主イエスに始まり今日にまで至っている。教会の第1の使命はこの喜びを「すべての民族」(マタイ28:20)、「地の果てにまで」(使徒言行録1:8)伝達することである。
使徒パウロは本日のイザヤの言葉を引用して、福音を宣べ伝えることの大切さを語っている(ロマ10:14-17)。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まり(同17節)、語る人がいて、聞くことが成り立つ。

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