落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

降誕日前夜説教 ベツレヘムの星

2004-12-19 15:51:57 | 説教
2004年 降誕日前夜 (2004.12.24) 
ベツレヘムの星  マタイ2:10
1. アガサ・クリスティ
ヨーロッパやアメリカなどキリスト教国といわれる国々では、クリスマスのシーズンになると、大人も子どもも、それぞれの家庭や教会などで、クリスマスの歌(キャロル)を歌ったり、クリスマスの話をしたり、聞いたりする習慣があります。クリスマスの話と言っても、大体同じ話の繰り返しなので当然、だんだん飽きてきます。そうすると、話の上手な人が多少アレンジをして面白く聞かせる習慣が生まれてきます。そこで、有名な作家たちがそれぞれ趣向をこらして新作のクリスマスのお話ができてきます。本日紹介したいお話は、アガサ・クリスティという有名な小説家の作品です。アガサ・クリスティと言えば、名探偵ポアロが登場する推理小説があまりにも有名で、とくにトリックの名手と言われ「ミステリーの女王」として有名です。彼女も、生前はクリスマスのシーズンになるとそれにちなむいくつかの作品を書き、「クリスマスにはクリスティを」というキャッチフレーズがあったほどだと言われています。
さて、その中でも今晩ご紹介する「ベツレヘムの星」は名作と言っても言い過ぎではないと思われます。
2. 「ベツレヘムの星」
クリスマスの物語はヨセフの許嫁であった、つまり未だ結婚していない処女マリアに天使が現れて、男の子の誕生を伝えることから始まります。夫となる予定のヨセフは許嫁が妊娠するという出来事により大いに悩みますが、ヨセフにも天使が現れ、いろいろ悩んだあげくに、マリアを受け入れました。いろいろなことがありましたが、ベツレヘムの田舎小屋の馬小屋で、男の子は無事に生まれました。ここまでは聖書の物語です。
3. 両親の思い
クリスティーの「ベツレヘムの星」はここから始まります。生まれたばかりの男の子は、すやすやと飼い葉桶の中で寝ています。その寝顔を見ながら、ヨセフとマリアはこの子の将来についていろいろと想像し、相談したことでしょう。どんな人生がこの子を待っているのだろうか。これは何もヨセフやマリアだけの話ではなく、おそらくどんな夫婦も考えることだと思います。子どもの寝顔というものは可愛く、またそれを見ることは両親にとって幸せな一時です。若い二人は、何があっても、どんなに犠牲を払っても、この子を「神の子」と呼ばれるのにふさわしい立派な子どもに育てなければならない、と改めて決心するのでした。
特に、ヨセフとマリアには特別な思い、悩み、心配があったと思われます。なにしろ、この子は普通の子ではなく、「神の子」なのですから。どんなに輝かしい将来がこの子を待っているのか、とくに母親マリアにとっては大きな希望でもありました。それは又同時に、マリアにとっては、結婚前に出産して周囲の人たちからいろいろと噂されたことに対する回答でもありました。この子が成人して人々のために働くときが来れば、周囲の人々の冷たい目も驚きと賛美の声に変わるに違いないという思いもあったことでしょう。母親マリアは毎日、飼い葉桶の中の幼子を見おろしながら、希望と確信とをもって、この子の将来を想像しておりました。
4. 天使の登場
ある日、いつものように母マリアは飼い葉おけの中の幼子を見おろしておりました。馬小屋には、馬と牛のほか誰もいませんでした。幼子にほほえみかけていると、彼女の胸は誇りと幸せでいっぱいになりました。そのとき、とつぜん、羽ばたきの音が聞こえ、振り返って見ますと、戸口に光り輝いてまぶしいばかりの天使が立っています。
天使は、あの時と同じように、「おそれることはない、マリア。あなたは神さまから特別な恵みを受けています。今日はあなたに何か指図するために来たのではありません。むしろ、神さまから許可を得て、あなたにこの子の未来を見せてやるためにきたのです」と、言います。マリアは驚いて「えっ、この子の未来をですか」と、問い返します。天使は、本当にこの子の未来を見たいならば、手を差し出しなさい、と言い、マリアは思わず手を差し出しました。すると、天使の翼が広がり、景色が一変します。「母よ。あなたの子どもの未来をのぞいて見るがいい」。
第1の光景「ゲッセマネの祈り」
マリアの目の前には、美しい情景が展開します。空には星が光り、どこかの庭でひとりの男がひざまずいて祈っています。母マリアはそれがわが子だとすぐに気が付いきました。息子が一人で祈っている。その姿を見てマリアは安心し、うれしくなりました。「あの子は信仰深い人間に育ってくれた」。しかし、その次の瞬間、息子が苦悶と絶望と悲しんでいる顔をしていることに気が付きました。息子はたった一人で苦しんで神に祈っている。彼の悩みは何だろう。息子の額からは血の汗がしたたっています。息子イエスの声がかすかに聞こえてきます。「父よ、できることなら、この苦悶のさかずきをわたしから過ぎ去らせてください」。だが、神はなんとも返事をなさらない。母マリアは思わず天使に問います。「なぜ、神さまはあの子の祈りに答えてくださらないのですか」。天使は静かに「それは神のみこころではないのだ」と答えました。庭の向こうでは、彼の仲間らしい男たちが眠りこけています。マリアは悲しみと憤りをこめて「今こそ、彼にはあの人たちが必要な時なのに、彼らは知らん顔をしている」と、いいました。
第2の光景「ビアドロロサ」」
天使がふたたび翼をはばたかせたかと思うと、今度は小高い丘へと続く道を3人の男たちが登っています。男たちは死刑囚のようです。ローマ兵や群衆たちが男たちをはやし立てています。そのとき、まん中の男がよろめいて転びそうになりました。その顔を見たマリアは鋭く叫びます。「なんとまぁ、いいえ、そんなはずはありません。わたしの息子が死刑囚だなんて」。
第3の光景「十字架」
しかし、天使が三度翼をはばたかせると、丘の上にはすでに3本の十字架が立てられていて、息子イエスは真ん中の十字架で苦悶している姿が見えました。息子の唇から「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という言葉が聞こえてきます。もう、マリアはいたたまれず「これは全部嘘だ。何かの間違いだ。こんなことは信じられません。わたしどもは神を畏れ、正直に暮らしている家族でございます。今見せてくださったことはみんな、嘘に違いありません」と、うめきます。天使はおごそかに、「これは全部本当のことなのです。わたしは朝の天使であり、朝の光は真実なのです」。マリアの目から涙がとめどなく頬を伝って流れました。
5. 母マリアの悩み
「あぁ、どうしたらわたしの可愛い息子を、この苦しみに満ちた生涯から救い出せるのだろうか」。わたしに何ができるのか。何をしなければならないのか。「ああ、いっそのことこの子は生まれてこないほうがよかったのに。産声一つだけで、死んでいたら、その方が息子にとって幸せだったのに。そうすれば清らかなままで神の元に帰ることができたのに」。
すると、天使は優しい声で、「だからこそ、わたしはこうして来たのだよ、マリア」。マリアは天使に問い返します。「どういうことでございましょう」。「あなたはすでにあなたの息子の未来を見てしまった。この子を生かすも殺すも、あなたの言葉ひとつにかかっているのです」。
「神さまはこの子を取り上げようとなさるのですか。もともと、この子は神さまが授けてくれたものです。自分の身を裂かれるような思いではありますが、もしそれが本当に神さまの御心ならば、わたしは神さまの御心に従います」。
すると天使は、今度は厳しい声で「そうではない。選ぶのはあなたなのだ。この子を生かすか殺すか、いまこの場であなたが選ぶのだ」。しかし、マリアは心を決めることができません。すぐに考えのまとまる女ではなかったからです。沈黙が続きます。長い沈黙の間、マリアはさきほど見た光景をもう一度思い浮かべておりました。庭で見たあの苦悩。あさましい最期。死の間際まで友だちにも、神さまにも見捨てられた男。そして、今、目の前で安らかな寝息をたてて眠っているこの幼子。この子は今は清らかで汚れを知らず、幸せなのだ……。彼女はなおも、考え続けました。
マリアは自分が見た未来を幾度となく思い浮かべているうちに、奇妙なことに気が付きました。たとえば、右側の十字架にかかっている男。その顔は息子に向かって、愛と信頼と讃美の表情を浮かべている。また、庭で眠っている仲間たちを見おろしていたときの、息子の顔。悲しそうでしたが、決して失望している顔ではありませんでした。むしろ、仲間たちに対する深い憐れみと理解と大きな愛をたたえておりました。マリアは思いあたりました。「そうだ、あの顔はいい顔だった……」。天使は催促するように言います。「もう心は決まりましたか、マリア。息子を苦しみから救ってやるかな」。
6. マリアの決断
マリアはゆっくりと確信を持って答えました。このマリアの答えがこの小説のテーマであると思いますので、クリスティーの言葉をそのままに読みます。これはまた、全世界の子を持つ親たちへのメッセージでもあります。
「わたしのような愚かな女に、神さまのいと高い御心を知ることはできません。神さまはわたしにこの子を授けてくださいました。この子に命を与えてくださったのが神さまならば、なんでわたしがその命を奪うことができましょう。わたしが見たものは息子の人生のほんの一部だけで、全部ではありません。この子の命はこの子自身のもので、わたしのものではありません。それをわたしが奪うのは、許されないことでございます」。
「もういちど考えなおしてごらん」。天使はしつこく迫ります。「この子をわたしの手に預けないか。わたしがこの子を神さまのみもとに連れて行ってやるから」。
「もしそれが本当に神さまのお指図ならば仕方がございません。でも、わたしは自分からあなたに預けようとは思いません」。マリアのこの言葉と同時に、大きなはばたきの音と、目もくらむばかりの光とともに、天使の姿はかき消えました。
マリアが呆然としていると、夫のヨセフが馬小屋に入ってきました。マリアの話を聞いたヨセフは優しく、しかし厳然と言ました。「それでよかったんだ。ごらん、坊やが笑っているよ……」。確かに幼子は微笑みながら「よくやった」とでも言っているかのように、小さな手を母親の方に差し出しました。
7. 結び「どんでん返し」
クリスティのミステリーはこれでは終わらない。ここから後に、クリスティらしいどんでん返しが待っています。実は、あの光り輝く天使とは、アダムとエヴァを騙し、堕落させ、また主イエスのご生涯の中で主イエスを誘惑した堕落天使サタンでした。誘惑者サタンは母マリアの決断により、傷つけられた自尊心と憤怒に身を震わせながら、流れ星のように地獄へと落ちて行きました。この小説の題名「ベツレヘムの星」とは、そのときの光であり、あの東の星占学者たちが見た「東の星」であったと付け加えられています。
<アガサ・クリスティ作「ベツレヘムの星」(早川書房)を声を出して読めるように書き改めています。>

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