落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 分け隔てしない 使徒言行録10:34-38

2009-01-05 15:56:42 | 講釈
2009年 顕現後第1主日 2009.1.11
<講釈> 分け隔てしない 使徒言行録10:34-38

1. 教会暦の考え方
教会暦には、「降誕後第1主日」というように「~~後~主日」と呼ばれる期間と「降臨節」というように明確に「~~節」と呼ばれる期間とがある。「節」と呼ばれる期間の各主日の意図(インテンション)はかなり明確であるが、そのほかの「期節」の主日には特別な日を除いて「特別な意図」(森紀旦『主日のみ言葉』96頁)はなくなる。その意味では、顕現節は聖霊降臨節が「期節」ではないのと同様に「期節」ではない。ただ、伝統的に「被献日」(2月2日)を挟んで、前半は降臨日に関連づけられ、後半は復活日に関連づけられているらしい。
顕現後第1主日は、同時に「主イエス洗礼の日」として特別なインテンションが付加されている。これは明らかに1月1日の「主イエス命名の日」と対応している。東方教会では伝承としては、主イエスの洗礼は顕現日(1月6日)に含まれていたが、西方教会でも顕現日を守られるようになって、分離されたらしい。この主日の福音書はいずれも主イエスの洗礼の場面が読まれるのは当然であるが、旧約聖書と使徒書は毎年同じ箇所が選ばれている。当然、それにはそれだけの意味がある。
使徒書については、二つの意図が想定される。一つはこの場面の延長線上に「洗礼」という出来事が含まれているということ、もう一つは「洗礼という恵み」が非ユダヤ人にも開放されたということであろう。従って、この主日に使徒書から説教をする場合、そのことを十分に念頭に入れておかないと、この主日のインテンションは生かされない。
2. 使徒言行録について
新共同訳聖書の付録「聖書について」では、使徒言行録について以下のように説明している。まず、著者はルカ福音書と同じ人物であると断った上、「イエスがもたらした救いの告知がペトロ、パウロなどによってエルサレムに始まり、サマリア、シリア、ギリシアから、ローマまでに広がる経過を描いている」と説明している。簡潔な紹介であるが含蓄に富んでいる。著者の関心はイエスの教え「イエスの御名」による救いはユダヤ人のみならずすべての人に及ぶべきものであるという点にある。そのような視点で本日のテキストを読むと、自ずから本日取り上げられている「コルネリウスの家での出来事の重要性が理解できる。この事件こそ、教会がユダヤ教という特集宗教団体から世界へ開かれた普遍的宗教へと展開する記念的事件である。
普通、キリスト教が普遍的宗教へと展開したのは「異邦人への使徒」としてのパウロの出現とパウロの活躍が強調されるが、実はパウロが活躍する前に、ペトロによって、その糸口が開かれたということが重要である。
3. コルネリウスの家での出来事
使徒言行録を読む限り、コルネリウス家における出来事は唐突である。キリスト者の誰かが福音を伝えたわけでもないし、友人の中にキリスト者がいたわけでもない。ただ、彼は「イタリア隊」の百人隊長であり、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(10:2)と紹介されているだけである。おそらくローマの軍人であるので、非ユダヤ人であったと想像される。「信仰心あつく」という言葉からは、その信仰の内容が何であったのかということは想像の域を出ない。ただ、10:22の「百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人」という言葉から、彼がユダヤ教に改宗した非ユダヤ人であると推測される。ともかく、天使がコルネリウスに現れ、ヤッファに滞在中の「ペトロと呼ばれるシモン」に会うように指示する。早速、コルネリウスは3人の部下を選びペトロを迎えに行かせる。その後の経過を見るとコルネリウスの家からヤッファまではかなり離れていたようである。少なくともコルネリウスとペトロとが何らかの「接触」があったということは完全に否定される距離である。
一方、ペトロの方も不思議な幻を見る。この幻経験も意味深長である。しかも、同じ経験が3度も繰り返される。ペトロが経験しことは後に述べる。ともかく、ペトロはその不思議な経験の意味を考える。ちょうどそこに、コルネリウスの部下が到着し事情を話し、コルネリウスの家に案内する。その態度は非常に丁重であるが、見方によっては一種の「拉致・連行」といっても過言ではない。ペトロは彼らに従って、コルネリウスの家に向かう。
コルネリウスの家では、ペトロをまるで「神」であるかのように歓迎する。ペトロとコルネリウスとはお互いにそれぞれの不思議な経験を語り合う。その結果、彼らの経験は二つに割れた貝殻が符牒するようにぴったりと一致する。その結論として、ペトロは「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(34~35)と宣言する。これが本日のテキストである。とうぜん、コルネリウスとその家族、関係者がすべてその場で洗礼を受ける。早速、ペトロはこの出来事をエルサレムの教会(教団本部)に報告し、教団も非ユダヤ人の入信を正式に承認した(11:18)。
4. 神と人間
神が人間を分け隔てなさらない、ということは誰でも直ぐに思いつく真理である。日本人にとってだけ神であるとか、イギリス人には特別な愛情を注がれる神だとか、というようなことは神にとってあり得ないことである。同様に、大人に対しても子供に対しても、男に対しても女に対しても神は全く同じ神であり、そこには区別も差別もない。神の前ではわたしたちは全て人間であり、一人一人が自分の名前で呼ばれる一人の人間として立っている。
信仰さえも、神にとって「分け隔ての材料」にならない。信仰者も、無信仰者も同じように一人の人間として神の前に存在している。日本人だからということで、あるいは子どもだからということで、さらには信仰者だからということで、神は特別な好意をお示しになるわけではない。わたしたちは全て一人の人間として、神に対して全てがさらけ出されている。神はその人のありのままの姿を見ておられる。
しかし、その神はあくまでも「考えられた神」、「神とは何か」という問いに対する答えとしての理論に過ぎない。人間は具体的な状況においては、自分と神との特殊な関係、特権的な関係を主張する。神と自己との「特別な関係」を生きている。それが恵みという思想の根拠である。もし、神がすべての人間に完全に平等であるならば、恵みという思想は成り立たない。自分に対して特別だから恵みなのである。ここに宗教という存在の深い矛盾が潜んでいる。
5. ペトロの悟り
だから、ここでのペトロの叫びのような宣言、「神は人を分け隔てなさらない」という言葉は、神についての哲学的反省を語っているのではなく、自分自身のことについて語っているのである。「神は人を分け隔てなさらない」という言葉は、今までもよく知っていたけれども、それはただ頭でだけ理解していたことであった。今、分け隔てしている自分のありのままの姿を見せつけられ、非常なショックを経験し、語っているのである。いわば、それは一人の差別者の告白である。
恐らく、ペトロは一人のキリスト者として、しかもキリスト教界における第1人者として、差別の問題を克服していると信じていたに違いない。しかし、現実の問題として、教会の中のユダヤ人・非ユダヤ人の対立の中でどうしても「ふっきれないもの」があった。食べ物の問題、習慣の問題、そこには非常に厳しい溝があった。
6. ペトロが経験したこと
さて、あのときペトロが経験した不思議な出来事について考えてみよう。ペトロはあの日、いつものように午後の祈りを捧げていると、天から大きな風呂敷包みが降りてくる幻を見た。その風呂敷包みの中にはあらゆる獣や鳥が入っていた。そして、「これを全部ほふって食べなさい」という神のみ告げがあった。これはユダヤ人として大変なことであった。なぜなら、ユダヤ人には「食べてよい獣と鳥」(清いもの)「食べてはならない獣と鳥」(けがれたもの)との区別が厳密で、それを犯すことは厳しく戒められていた。ところが、神はそれを全て食べよ、と命じられる。その時また、「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という言葉が響いてきた。こういうことが3度も繰り返された。この幻はどういうことなのか、と思いめぐらしているとき、まさに丁度その時、コルネリウスという人物の使いの者がやって来たのである。
ペトロは、コルネリウスの家で、彼の経験と自分の経験とが組み合わされたとき、自分が見た幻の意味をはっきりと理解した。その結論が、「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」である。神が現実の中で、ユダヤ人も非ユダヤ人も関係なく平等に働いているという事実を彼は経験したのである。
福音の神髄に触れる、ということはこういうことである。頭で理解することではない。現実の生活の中で神が働いておられるという、厳粛な事実に触れることである。勿論、この場合だって、コルネリウスの使いが迎えに来たとき、今までの価値観に従って、非ユダヤ人の家を訪問することを拒否していたら、この経験はなかったであろう。ここが重要である。多くの人は、この点でまず大きなチャンスを失っている。また、コルネリウスの家を訪れても、彼に対して傲慢であったら、この経験はなかったであろう。これが、神の恵みを悟る秘訣と言えば秘訣である。

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