落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 洗礼者ヨハネの登場と説教

2007-12-06 20:48:47 | 講釈
2007年 降臨節第2主日 2007.12.9
<講釈>洗礼者ヨハネの登場と説教  マタイ3:1-12

1. イエスの思想形成と初期キリスト教
イエスの思想形成と初期キリスト教会における思想論争において、洗礼者ヨハネの果たした役割は小さくない。福音書によると、イエス集団とヨハネ集団との関係は、イエスの生前からかなり微妙で、その微妙な関係は、イエスの死後、初期キリスト教会の思想形成にもかなり影響を与えたものと思われる。福音書における洗礼者ヨハネについての叙述を理解するためにも、両者の関係をその歴史的経過を検討しながら確認しておく必要があるであろう。その際に、とくにマタイ福音書は重要な位置を占めているように思われる。
マルコ福音書における洗礼者ヨハネとイエスとの関係はただ事実だけを記録するという姿勢である。マルコは両者の違いについて、断食するか、しないかの違いとしてだけ語る。つまり、両者は基本的には同じ方向を目指しているが、その生き方が違う。それに対してマタイではマルコが語らない、ヨハネの説教のほかに二つのことを付け加える。一つはマタイ11:2-19ともう一つは17:9-13とである。前者はヨハネがイエスに対して「来るべき方は、あなたでしょうか」と尋ねる記事で、ここでは、イエスのヨハネについての理解が述べられている。いわば、イエス集団におけるヨハネ集団の位置づけである。後者の記事では、それをもう少し展開させ、ヨハネをメシヤ到来の先駆者として位置づけられる。これらの記事には明らかに初期教会の成立後の認識が反映している。
ルカ福音書に至っては、誕生物語を語ることによってヨハネの「先駆者像」をより鮮明にする。
2. 洗礼者ヨハネの登場
洗礼者ヨハネは荒野で生活し、「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(4節)という。それは旧約の預言者エリヤを彷彿とさせる服装であり、生き方を示している。それは単に「預言者らしい生き方」というよりも、彼自身が説教の中で語っているように「アブラハムの子」であることを徹底する生き方であった。そして、それは取りも直さず「差し迫った神の国」に相応しい生き方でもあった。
彼が生涯をかけて語ったメッセージは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」という言葉に凝縮することができる。神の国はもうそこまで来ている。もし、あなたがたが神の国に相応しくない生き方をしているならば、すぐに「悔い改め」て、その印としての洗礼を受けなさい。そうしないと、すべて滅ぼされてしまう。
彼の説教を聞いた人々は、彼に従いヨルダン川において洗礼を受けた。洗礼という新しい「儀式」を除けば、彼の活動は旧約聖書の預言者そのものである。むしろ、ユダヤ教思想を徹底的に体現した姿がそこに見られる。ここでいう「神の国」とは神の支配ということで、神への絶対服従が要求される。まさに、「アブラハムの子」になるとはそういう意味であった。マタイは21:32で、イエスにこう言わせている。「ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった」。この言葉の中に、洗礼者ヨハネが登場した頃の状況が明白に語られている。ヨハネの説教は「義の道」を示すものであった。一般のユダヤ人たちはヨハネ言葉を受け入れた。しかし、ユダヤ人指導層の人びとはヨハネを信じなかった。
3. 洗礼者ヨハネとイエス
さて、ここに一つ重大な問題がある。
マタイ福音書の著者は洗礼者ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」というメッセージを掲げて歴史に登場したとする。これはマタイ独自の見解である。彼に先行するマルコ福音書では洗礼者ヨハネは「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」と語る。イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というメッセージを掲げて世界に登場するが、洗礼者ヨハネはそうではない。ところが、マタイは洗礼者ヨハネとイエスとに同じメッセージを語らせる。しかも、「洗礼者ヨハネが現れて」(3:1)という「現れて(パラギネタイ」とイエスが登場する場面で「ヨハネのところにへ来られた」(3:13)という「来られた」とは同じ単語が用いられている。つまり、マタイはかなり意識的にイエスの登場と洗礼者ヨハネの登場とを同列化しようとしている。
それで、洗礼者ヨハネがこの言葉を語ったというのは、元来はイエスの言葉であったものをマタイが意図的にヨハネにも同じ言葉を語らせたのだというのが、一般的な解釈である。しかし、そうだろうか。むしろ、この言葉はヨハネにオリジナリティがある。7節以下で語られているヨハネの説教の内容は、要するに「神の国が近づいているのだから、大急ぎで悔い改めよ」ということである。神の国が来てしまったら、もう間に合わない、ということが重要である。それ程、神の国の到来とは恐ろしいものである、というのがヨハネの説教の内容に外ならない。そうすると、イエスの言葉をヨハネの口に入れたというよりも、イエスがヨハネの言葉を継承している。あるいは、その点でヨハネとイエスとは同じ視点に立っている、というべきであろう。
これをヨハネの立場から読み直すと、ヨハネの説教の11節、12節の言葉の意味あいが明白になる。「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」。
要するに、わたしがしているのは「水による洗礼」にすぎないが、メシアが来られるときは「聖霊と火による洗礼」がなされるのであって、そこではもはや「悔い改め」が通用しない。ヨハネが「後に来る者」に対して期待した点はそこにある。ところが、イエスはヨハネが期待するようには働かなかった。イエスにとって「神の国」とは恐ろしい裁きの場ではなく、赦しと愛の場、神の恵みの場であった。言うならば、ヨハネの期待は裏切られた。だからこそ、ヨハネはイエスを「来るべき方」(マタイ11:2)なのかどうか疑問を持ったのである。
4. ヨハネの説教
Q資料はこのヨハネの説教を群衆に語りかけたものとしている。ルカはほぼそれを踏襲している。しかし、マタイはこの説教を「ファリサイ派やサドカイ派の人々」に対するものとしていることには注目すべきである。説教の対象を群衆一般とするか、特定の人びとに対するものとするかという違いは大きい。それは説教の内容そのものを解釈を決定づける。
マタイは先ず6節で一般群衆はヨハネのもとに来て「罪を告白し」て、洗礼を受けたと述べ、その状況の中で、「ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て」、「蝮の末」以下の説教をしている。つまり、この説教は「ファリサイ派とサドカイ派」に限定されたものである。ここにユダヤ人を群衆と指導層とを分けるマタイ独自の考え方が示されている。当然、これは編集者であるマタイの仕事には違いないが、この姿勢は洗礼者ヨハネ自身の姿勢によるとマタイは考えているわけで、なぜ、そうなのか、ということをわたしたちは考えねばならない。
実は、ユダヤ人を指導層と民衆とに分ける姿勢はイエスにも見られるものである。ここでのヨハネの説教はマタイ23章に記録されている「律法学者とファリサイ派の人々」に対する厳しい非難の説教と同じ主旨である。言い換えると、ここでのヨハネの説教はそのままイエスの説教でもあると言える。洗礼者ヨハネのイエスとは同じ視点に立ち、同じ所から、同じ方向に向かっている。洗礼者ヨハネを「道を備える先駆者」とし、イエスを「後に来るメシア」という理解は、教会成立後にパターン化された教会的認識である。
5. 洗礼ということ
現在では、洗礼はキリスト教会にとって中心的な儀式になっている。わたしたちは洗礼を受けて教会のメンバーになる。一世紀の終わり頃に書かれたヨハネ福音書によると、「イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた」(3:2)という記事があるが、その直後に、それを訂正するかのように「洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである」(4:2)と書き加えられている。この記事などは、生前のイエスの活動というよりも、教会成立後の弟子たちの活動を描いているようである。イエス自身は洗礼者ヨハネから受洗したことは確かであろうが、弟子たちが洗礼を受けたという記事はない。福音書では、イエスはほとんど洗礼ということについて興味を示していない。
使徒言行録には「イエスのことについて熱心に語る」アポロという人物が「ヨハネの洗礼しか知らなかった」(使徒言行録18:25)という記事が見られる。つまり、「イエスの御名による洗礼」というものと「ヨハネの(悔い改めの)洗礼」とが区別されていなかった雰囲気が見られる。キリスト教会において洗礼といういわば「入門の式」が定着するのは、「悔い改める」ということが、キリスト教に入門することを意味するようになった後のことであろう。あるいは、「悔い改める」ということと洗礼ということは固く結びついて、初期教会に入ってきたのかも知れない。洗礼という儀式はイエスの頭を飛び越えて洗礼者ヨハネの流れから直接に受け入れた。洗礼者ヨハネはただ単にイエスに洗礼を授けた先導者としてだけではなく、初期教会の思想形成や礼拝式の確立等に大きな影響を与えたのである。
先に引用したヨハネ福音書3章の記事を読むと、ヨハネ集団とイエス集団とが対立しているような印象を受けるが、ここでは対立というよりも「友好的平行」とでもいうべき関係である。ここでは、「ヨハネの洗礼」とか「イエスの名による洗礼」という区別もあるようには思えない。その流れは、イエスの在世当時から、使徒言行録のアポロの時代まで続いている、と考えるのが妥当であろう。
洗礼者ヨハネもイエスも「律法学者やファリサイ派の人びと等」ユダヤ人の指導層に対する批判の姿勢は同じであるが、ただ「神の国」に対する理解が異なる。洗礼者ヨハネは「神の国」は差し迫っており、そこに入るためには今の生活を「悔い改める」ことが必要であると考える。それに対して、イエスは「神の国」はすでに「あなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)と語る。断食論争では、ヨハネの弟子たちは「神の国」の到来に備えて断食せねばならないが、イエスは「花婿は一緒にいる」(マタイ9:15)のだから断食の必要はない、という。
6. 洗礼者ヨハネは何を怒っているのか。
さて、ここで洗礼者ヨハネはファリサイ派やサドカイ派の人々に対して何を怒っているのか。この点について確認しておこう。この説教を何度も繰り返し読むと、一つのことがはっきりしてくる。それは、「差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか」ということである。結論を先取りしてしまえば、それを教えているのは彼らである。彼らが人びとに「神の怒りは免れる」と教えているのである。この点は少し複雑である。彼らは「律法の厳しさ」を教えていた。それは事実である。しかし、律法の厳しさとは、逆にいうと律法を守っておれば大丈夫、ということでもある。その律法も、安息日の規定や食物規定を厳守するとか、神殿への捧げものを怠らないとか、そういうレベルの話しである。ルカが一人のファリサイ派の人のことを述べている。「ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』」(ルカ18:11,12)。まさに、これで神の怒りを免れることができるというのが彼らの教えである。洗礼者ヨハネもイエスも、こういう教えに対して憤っている。わたしたちが神の前でしなければならないこと、そしてできることは、ただ一つ「悔い改める」ということに外ならない。あの徴税人がしたように、「目を天に上げようともせず、胸を打ちながら『神様、罪人のわたしを憐れんでください』」(ルカ18:13)と祈るだけである。
「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩編51:19)。

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