落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>感謝祭

2007-02-23 14:57:25 | 講釈
2007年 大斎節第1主日 (2007.2.25)
<講釈>感謝祭   申命記26:(1-4)5-11

1. 信仰告白
5節から10節までの言葉は、古代イスラエルにおける収穫感謝祭の式文の一部であると言われている。毎年、収穫の時、初物を捧げる礼拝がなされ、そのとき、民衆は声を揃えて、これを唱えるとのことである。自分たちの土地に種を蒔き、収穫を得、それによって生活する、といういわば当たり前の生活、この当たり前の生活がイスラエルの人々にとっては大変な恵みであった。
「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました」(5~10節)。自分たちは、もともとどういう存在であったのか、それがいかにして、誰によって、今現在こうしているのか、ということを率直に告白している。そのこと自体が神の恵であるという感謝、これこそが本当の感謝である。この言葉は、感謝であると同時に信仰告白でもある。
2. 定着への願望──遊牧民から農民へ──
イスラエルの人々は、もともと遊牧民族であった。むしろ、それは彼らの民族的誇りでもあり、価値観の根底をなすものであった。土地に執着し、地べたにべったりとくっついて生きている生き方は彼らの軽蔑するものであった。むしろ、身軽に、どこにでも生きていけるということが、彼らの誇りであった。彼らの先祖アブラハムは「生まれ故郷を離れ」神の示す地に出かけた(創世記12:1)。これが彼らの生き方の原点であった。ある意味で、それは現在にも通じる「かっこよさ」である。そういう生き方を「格好いい」と感じる人々にとって、一定の土地に定着する人々の生き方には「汚れ」さえ感じていたようである。
「わたしの先祖は、滅び行く一アラム人であり、」というときそれは彼らの最も古い民族的な記憶が込められている。ここで「滅びいく」という言葉にはマイナス・イメージが感じられるが、むしろこれは「さまよえる」という意味であり、常に危険にさらされて生きるというイメージである。この生き方を「滅び行く」と感じたときに、農民の生活に対する価値観が変わる。むしろ、そういう生き方をしたいと願うようになる。一つの土地に定着して生きるということが民族的願望となる。この価値の転換は、彼らがエジプトで生きたという経験に基づくものであったであろう。しかし、エジプトでは彼らの願望は成就しなかった。
モーセによる出エジプトの出来事の背景にはこういう民族意識の変化があったものと思われる。当初、彼らは出エジプトしてすぐにでも「約束の地」と呼ばれているカナンの地に侵入したかったに違いない。しかし、彼らはそれができなかった。何度も、何度も試みたが常に失敗であった。それが40年間も続くのである。カナン民族の守りはそれ程堅かった。というよりも、むしろ遊牧民としての生き方から農民としての生き方への変換がそれ程難しいことだったということではなかろうか。武力によって征服したからといって、そう簡単に農民になれるものではない。
3. アベルの宗教からカインの宗教へ
遊牧民には遊牧民に相応しい宗教があり、農民には農民に相応しい宗教がある。ヤーウェの神は遊牧民の神である。そのことが端的に表現されているのが、創世記第4章に描かれているカインの捧げものとアベルの捧げものに対するヤーウェ神の態度である。
カナンの地に侵入したイスラエルの民にとって、農民の神は魅力的であった。というよりも、宗教というものは生産技術(文化)の切り離せない関係にあり、カナンの地に定着して農民として生きるということは農業の神を受け入れなければやっていけないことがある。つまり、農業技術を学ぶと言うことは農業と切っても切れない関係にある農業の神を受け入れる必要があったということで、ここから、イスラエルの民はヤーウェなる神とバールの神との間に挟まって右往左往することになる。
4. 礼拝の中心
収穫感謝という祭儀は基本的には農業祭りであり、より多く収穫があったことに対する感謝である。神の恵は収穫の多さ、少なさによってはかられる。もちろん遊牧民にとっても収穫の大小は無視できるわけではないが、遊牧民にとっては厳しい自然環境において、あるいは外敵の襲撃から家畜や家族の生命が守られていること、それ自体が感謝の対象となる。従って、イスラエルの民がカナンの地に定着し、農業生活を始めたとしても、根本的なところで感謝の内容が異なっている。彼らにとってはカナンの地で生きているということ、自分たちの土地の上に種を蒔き、収穫できること、それ自体が感謝である。収穫が多いとか少ないということは問題ではない。
5. 宗教と文化
さて、この問題は単に収穫感謝祭の意味付けの問題にとどまらず、宗教と文化との根本的な関係に関わる。P.ティッヒは「宗教の形式(form)が文化であり、宗教は文化の内容(content)である」と語る。いろいろなところで同様の言葉を繰り返しているので、ここでは引用個所を省略する。要するにティッヒが言いたいことは、宗教が本質的には普遍性を語り、永遠性を問題にするということは、それ自体「形」がないということを意味している。宗教というものが現実世界に存在する場合には必然的に文化という外形をとる。ついでに言い添えると、あらゆる文化はその根底において「宗教的なもの」を持っている。
遊牧民として生きてきたイスラエルの民が農民として生きるというときに、一種の衣替えがなされる。しかし、完全な変容に至るためにはそれ相応の時間の経過が必要でありそれまでの間にその信仰は文化的葛藤(conflict)がある。その葛藤が、本日の収穫感謝祭における信仰告白に示唆されている。ヤーウェの神を信奉しつつ、バールの神の習俗を受け入れる。言い換えると、バールの神の祭りを受け入れつつ、そこにヤーウェの神への感謝を捧げる。
その意味では、キリスト教信仰を日本社会において生きるわたしたちの問題もここにある。キリスト教は必ずしも西欧の宗教ではないにせよ、西欧文化そのものを形成する原動力になったことは事実であり、キリスト教信仰はヨーロッパ文化と固く結びついて、その普遍性を主張する。そのキリスト教信仰が日本という非ヨーロッパの文化においてどのような葛藤を生み出すのか。そこには古代イスラエルの文化的葛藤以上の困難さがあるであろう。しかし、わたしたちはそれをわたしたち自身の課題として克服しなければならない。さまざまな「日本の祭り」においても、あるいは葬送儀礼においても、わたしたち日本人キリスト者はいかに関わるのか、その葛藤は単純ではない。
6. 喜びの分かち合い(11節)
さて、もう一度古代イスラエルにおける収穫感謝祭の問題に戻ろう。農業であれ、牧畜であれ、豊かな収穫を得るためには、共同作業が必要である。当然そこに共同体というものが成立し、仕事を分担することによって、より多くの収穫を得ることができる。神に対する収穫の感謝は、共同体全体の感謝であり、喜びの分配である。
本日のテキストにおいて、「あなたの神、主があなたとあなたの家族に与えられたすべての賜物を、レビ人およびあなたの中に住んでいる寄留者と共に喜び祝いなさい」(11節)という命令が添えられていることは重要である。これは命令というような事柄ではなく、収穫を感謝するということは「共に生きている」ということの感謝である。ここではレビ人と寄留者とが特に触れられているが、いわば彼らは労働を共にしなかった人々であろう。レビ人とはいわば実業に関わらなかった人々であり、寄留者とはいわば「客人」である。彼らは労働に直接参加しなかったかも知れないが、共同体の一員であることには相違はない。彼らも共に生きている人々である。この人々も喜びを分かち合う。これこそが本当の感謝祭である。


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