落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

聖霊降臨後第22主日(特定24)説教 日の昇るところから

2005-10-13 20:54:07 | 説教
2005年 聖霊降臨後第22主日(特定24) (2005.10.16)
今日は幼稚園の運動会のため、午前7時半より説教なしの聖餐式が行われる。従って、この説教は実際に「語られる」予定はない。その意味で、初めから「読まれる」ことを想定している。

「日の昇るところから日の沈むところまで」   イザヤ書45:1-7
1. キュロス王
キュロスという人物は、ペルシアの王である。細かい歴史的経過は省くとして、ともかくキュロスはBC537年バビロンを滅ぼしてペルシア帝国を樹立した。そして、その翌年「キュロスの勅令」と呼ばれる解放令を発表した。これは、古代社会では画期的な内容であった。これまでの古代帝国では支配されている民族の自治権はほとんど認められず、宗教も文化も根こそぎにされるのが普通であった。バビロンなどはその典型で、そのために支配された民族の指導層を壊滅するために指導層を捕囚するということがなされた。(戦後、進駐軍の指令により日本の指導層のかなりの部分がいわゆる公職を追放された。これも、戦勝国の敗戦国に対する一種の「捕囚」であろう。)
捕囚ということは何もイスラエルの民だけになされたことではなく、バビロンに支配されたすべての民族に対してなされた筈である。それが、戦勝の証しであった。しかし、ペルシア帝国ではそれぞれの民族の宗教や文化を認め、一定のルールの下に自治権を認めるという政策がとられた。もちろん、それは何も「人道的見地」からというわけではなく、支配を永続化するための支配の方法に過ぎなかった。
キュロスの勅令が歴代史下36:23に記録されている。「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属している者はだれでも、上って行くがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」この文章がそのままキュロスの勅令そのものとは思えないが、少なくともイスラエルの人々はそういう風に理解した。ともかく、この勅令に基づいて、イスラエルの人々は捕囚から解放されて祖国に帰ることができた。
2. 「油注がれた人」
さて、本日のテキストで先ず注目すべき点は、このペルシアの王キュロスに対して、預言者が「油注がれた人」という称号を付加していることである。この「油注がれた人」とは、「神から選ばれた救済者」を意味する。文脈によっては「王」という意味を示したり、「救い主」という意味になる。つまり、旧約聖書にとっては非常に重要な役割を示す言葉であり、事柄である。イスラエルの歴史において最初の王サウロは預言者サムエルによって選ばれ、王として「油を注がれた」。その次の王ダビデも同様である。「油注ぎ」という儀式は王だけではなく、預言者にも祭司にも適用された。この「油注がれた人」という言葉が救い主を意味する「メシヤ」という言葉の語源である。つまり、新約聖書の「キリスト」という言葉はヘブル語の「油注がれた者(メシヤ)」のギリシア語訳である。
さて、こういうイスラエル人にとって重要な言葉を、ペルシアという異国の王キュロスに適用することは、ただごとではない。と、思うのは「キリスト」という称号に異常なほどの尊厳を与えてきた、キリスト者のこだわりなのかも知れない。むしろ、旧約聖書を残した人々は「メシヤ」という言葉をもっと自由に使っていたのかも知れない。
3. 旧約聖書と世界史
個人的なことになるが、子どもの頃から旧約聖書を読んだり、そのお話を聞いて育ったわたしにとって、「ペルシア王キュロス」(歴代誌下36:20)の登場には強烈な思い出がある。旧約聖書の英雄たちのお話しを「歴史」として聞いていた少年にとって、高校生になるまで一つの「ひそかな」疑問があった。「ひそかな」という意味は、ある種の「秘密」、ないしは「恥ずかしさ」を含むものである。それは、わたしの家庭内で語られる古代史における「世界的な出来事」と学校の世界史で学ぶ古代史とのギャプである。学校での古代史にアブラハムやヨセフやモーセやダビデやダニエルなど「世界」を揺るがすような英雄たちが少しも登場しないのは何故かという疑問であった。旧約聖書で描かれているイスラエルの歴史は、世界史の中でどういう位置づけがなされるのか。そういう幼稚な疑問に対して「ペルシア王キュロス」の登場は、旧約聖書と世界史とを結ぶ接点となった。
わたしの幼稚な思い出に耽るためにこれを語るのが目的ではない。いろいろな議論があるが、それらをすべて省略して、結論を先取りすると、ここにはイスラエル人がペルシアのキュロス王に「メシヤ」という称号を与えることによって、確かに旧約聖書のイスラエル史が当時の地中海世界に結びつけられている。
4. グローバリズムということ
最近、いろいろなところで「グローバル」という言葉を聞く。特に経済の世界ではかなり以前から「資本は国境を越える」ということが語られ、事実「多国籍企業」ということが現実化している。日本の経済などはまさにその恩恵を受け、また同時に被害も受けている。今や、どこの国も民族も単独で何かを決めたり、活動することはできなくなっている。中国だって、北朝鮮だって同じである。それは、単に経済の領域だけではなく、ほとんどすべての領域において「グローバル化」ということは現実化している。この場合の「グローブ」という言葉は「球体」を意味し、「全地球的」という内容を指す。それは、以前なら「国際的」とか「世界的」という言葉を用いていたが、それらの言葉がかなり「制限された全体」を意味していることが明白になってきたので、その「制限」を取っ払う意味で「グローバル」という言葉が用いられるようになってきた。
5. 民族主義と世界観
さて、「旧約聖書の世界」という場合、それはイスラエル民族を中心とし、それとの関わりがある範囲の世界という意味であり、非常に狭い範囲の出来事しか含まない。たとえ、エジプトが出てきても、バビロンが登場しても、それはあくまでもイスラエル民族との関わりの範囲である。その範囲の「世界認識(世界観)」でイスラエル人たちは生きていけた。日本人だって、明治時代までは、さらに厳密に言うならば日露戦争の頃まではそれでやっていけた。ところが、日露戦争に「勝ってしまって」から、国際列強との関係が密になってくると、それではやっていけなくなってしまった。こちらから「見ているだけ」の世界ではなく、世界から「見られている」という関係である。当然、国際的感覚というものが必要になり、大正時代以後の日本人の「世界観」は確かに変わってきた。
イスラエルの場合は、バビロンの捕囚まではイスラエルの民族意識だけで何の不自由もなかった。ところが、民族が根こそぎバビロンに移されると、そうはいかなくなり、だんだんと世界観が変わってくる。言うならば、バビロン世界とイスラエル民族との関係についての明白な意識が必要になってくる。とりあえず、そこでは、神は「イスラエルを懲らしめる為に用いられる異民族」としてのバビロンという程度の理解で何とか関係づけることができた。この範囲では、「世界」という観念はまだ未熟で、「世界」というよりもむしろ「すべての異民族」という言い方の方がふさわしいであろう。つまり「見ている世界」である。
6. 「世界意識」の成立と変化
ともかく、狭いパレスチナという「世界」で生きてきた人々が、突如バビロンという当時の国際社会の中に連れ出されたのである。当然イスラエルの人々の「世界観」は変わる。捕囚の期間は歴代誌下36:21では「70年」ということになっているが、実際はBC597年からBC538年までの約60年である。バビロンで誕生した人々、つまり故郷であるパレスチナの風土を知らない、またイスラエル民族の伝統的な生活習慣から切り離された環境で生まれ、育った人々が、もう60歳台であり、三世代目がイスラエル人社会の中心になっている。バビロンに捕囚された人々の意識が大きく変化するには十分な期間である。
捕囚一世の世代の人々は、バビロンという国を「神の刑罰の執行官」として絶対化していた。しかし、捕囚二世の人々にとっては、必ずしもそういう認識ではあり得ない。バビロン人の生活と意識とが、自分たちとは異なるということを認めつつも、それを相対化する視点が育つ。当然、神と世界との関係についても新しい理解が求められる。長い話しをはし折って結論を述べると、「イスラエルにのみ働きかける神」から「世界へ働きかける神」、「われわれの神」から「世界の神」へと発展する。われわれの神は世界に働きかけ、世界を支配する神である。このような神と世界との認識の変化が、バビロンを滅ぼしてイスラエルを解放した新興勢力ペルシア王キュロスを「メシヤ」と呼ぶ意識の背景となったものと思われる。
7. イザヤ書45:1-7
本日のテキストは、伝統的にイスラエルの民が持っていた信仰を、この新しい状況にぶっつけた時に電気エネルギーがショートしたような火花である。「主が油を注がれた人キュロス」(1節)なんと大胆な言葉であろう。これまでのイスラエルでは考えられないような発言である。ここには狭い伝統的な民族主義は吹っ飛んでしまっている。そして、今、強大な力で地中海世界、これこそが彼らの全世界に君臨するペルシャ王キュロスを「(われわれの)メシヤ」と呼ぶ。イスラエルの神が彼を救済者にした。しかし、キュロスはそのことを「知らない」という。彼がそれを知っているか、知らないか、そんなことは関係ない。ここでは2回もキュロスはそれを知らないという言葉が繰り返されてる。キュロス自身はそれを知らなくても、イスラエルの神はキュロスを王とした。イスラエルを回復するためにキュロスをメシヤとした。やがて、キュロス自身もそれを「知るようになる」、という。実際、キュロスがそれを「知るようになった」とは思えない。しかし、それも問題ではない。重要なことは、イスラエルの民はすべて、「それを知るようになる」という点である。
旧約聖書のこのテキストの中に、現代のわたしたちが抱えている問題のすべてを解決するメッセージを読み取ることは無理であろう。しかし、その問題意識と方向性とを解読することぐらいは可能である。今わたしたちが抱えている問題、それは「グローバリズム」という名前の「新装民族主義」である。そこでは、「神」は「われわれの神」であっても、「彼らの神」ではない。「われわれの世界」の中に「彼らの居場所」はない。そこには「世界に働きかける神」は見えない。そこには本当のグローバリズムは育たない。
真のグローバリズムは原初的な民族主義を跳躍板(スプリングボード)として、それぞれの民族を相対化する視点から生まれる。それぞれの民族が一つの全体を構成する部分であることを認識し、民族性を一人称の民族性を大切にすると同じように二人称の諸民族も大切にすることによって、初めて「わたしたち」という真のグローバリズムが生まれる。そのとき初めてわたしたちは、わたしたちに語りかける神は同時に「日の昇るところから日の沈むところまで」(6節)、働きかけている神が見えてくる。

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3 コメント

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Unknown (元聖公会会員)
2005-10-13 22:57:08
”古代史における「世界的な出来事」と学校の世界史で学ぶ古代史とのギャップ”

私もかつて同様な疑問をもったことがあります。(同感!)

ところで、説教の無い聖餐式(聖奠)とはどういうことでしょうか!

あまりにも人間的一般行事優先ではありませんでしょうか。

主イエスをお喜ばせるよりも人間を喜ばせるためと思えてなりません。信仰を持たない人々や、一般の人々との行事をとおした精神的一致を強め優先し、気にかけていると思えるからです。これこそ、サタンの望むところではないでしょうか。こんなに良い説教ができているのですから!

聖餐は確かに具体的な形で礼拝の本質がどこにあるのかを明らかにしてくれますが、礼拝を現実に礼拝たらしめる聖霊は、聖奠としての聖餐それ自体によってもたらされるわけではないと思います。あくまで聖霊は、み言葉(説教)と共に働くのであり、説教が伴わないところでは聖霊の導きを期待することは出来ないと信じます。聖餐が説教と切り離されるならば、その時礼拝は、直ちにある種の魔術、人間がどうにかして、神の恵みを操作し制御することの出きる宗教儀式になりさがることになってしまわないのでしょうか。

お祈りします:西大和聖ペテロ教会の文屋牧師と教会員は神様の恵みにすがって救われることを切に願っております。罪と悪とを心から憎み悲しんでおります。色々な事情に阻まれて説教を省略した聖餐式をもちますがお許しください。それゆえ、あなたの御子イエス・キリストの御名によって憐れみを垂れ、福音の約束に従って罪をお許しください。汚れと腐敗を洗い去り、聖霊の恵を日ごとに増し加えてください。願わくは、今から後、とこしえに罪に死に、義に生きるものとしてください。主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン
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コメント ありがとう (文屋善明)
2005-10-14 20:24:36
サクラメントにおける説教の重要性については十分すぎるほど認識しています。しかし、そのことについて「まともな」議論をするつもりはありません。「たまには」説教のない聖餐式があってもいいと思っています。

ただ、この点について、これは体験しなければわからにことですが、「説教のない聖餐式」は実にスッキリしていて、人間くささが無くて、気持ちがいいもので、一度体験するとやみつきになるほどです。「まぁ」、聖公会の礼拝における「説教」はその程度のものなのかも知れません。わたし自身は、非常に個人的な感覚ですが、「説教のない聖餐式」が好きです。

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Unknown ()
2005-10-14 21:50:11
説教の無い聖餐式について、文屋先生の個人的な感覚と断ったうえで「説教の無い聖餐式」がお好きと申されますので、私もこれ以上議論はいたしません。

私が聖公会を離れた一番の原因は、「説教の無い聖餐式」を体験し、何度も何度も祈り、どうしても信仰的に受け入れられなくなったからです。当時とても苦しかったです。苦渋の離脱でした。
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