落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

聖霊降臨後第23主日(特定25)説教 基本的人権

2005-10-19 20:51:00 | 説教
2005年 聖霊降臨後第23主日(特定25) (2005.10.23)
基本的人権   出エジプト記22:20-28
1. 生きる権利
本日のテキストでは、「寄留者」、「寡婦」、「孤児」、「貧しい者」が、すべての人と同じように生きる権利を持ち、その権利はすべての人によって守られなければならないということが強調されている。当たり前といえば、これほど当たり前のことはない。ここでは「権利」という形ではなく、「義務」「掟」という形で、むしろ社会的弱者の基本的人権を犯してはならないという命令として述べられている。他人の権利を尊重しなければならないという規定の根拠は「自分の権利」を侵してもらっては困るということにある。しかし、ここではその当たり前のことが、誰でも同じような境遇になる可能性を秘めているからである、ということとして説明されている。
誰でも「寄留者」になるかも知れない。誰でも「寡婦」になるかも知れない、誰でも「孤児」になるかも知れない。自分がそうならなくても自分の家族が、特に自分の子どもが同じような境遇になるかも知れない。誰でも、生活に困り、借金をしなければならなくなるかも知れない。そういう「不幸の可能性(危険性)」を抱いている。そのことについては当たり前すぎて、それ以上の説明は不要であろう。
2. 基本的人権
ここで述べられている「生きる権利」のことを現代では「基本的人権」という。広辞苑によると、基本的権利とは、「人間が生まれながらにして有している権利」と定義されているが、それは確かにそうに違いないが、「何を生まれながらにして有しているのか」ということになると、何も規定していないと同じである。
インターネットで、「基本的人権」という言葉を検索していると、非常に面白い定義に出会った。「基本的人権とは、人間が、ひとりの人間として人生をおくり、他者との関わりを取り結ぶにあたって、最大限に尊重されなければならないとされる人権のことである(http://ja.wikipedia.org/wiki)」という。この定義は基本的人権における他者との関わりということを重視している点は評価できるが、「一人の人間として人生をおくり」という言葉が曖昧で定義としては不十分である。
わたし自身は次のように定義したいと思っている。基本的人権とは、「すべての人間は人間として生きる権利をもち、その権利をお互いに尊重し合わねばならない」。
日本においても憲法によってその権利は保障されている。この「わたしの権利」は誰からも犯されてはならない。特に、国家権力も侵すことができない。と同時に、わたしには「他人の権利を侵してはならない」、あるいは「他人の権利を尊重し、守る」という「戒め」ないしは「義務」がある。この権利と義務とが表裏一体になっているのが基本的人権である。
3. 杉原千畝の仕事
先日(2005.10.11)、大阪の読売テレビが制作した「日本のシンドラー。杉原千畝物語、六千人のビザ」が放映された。杉原千畝役に反町隆史、その妻幸子には飯島直子が当てられ、感動的な作品に仕上がっていた。これは第二次大戦中、多くのユダヤ人をナチスの迫害から救った日本人外交官の人生を妻幸子の著作をもとにドラマ化したものである。
当時、杉原さんはリトアニアの領事であった時のことである。その頃、リトアニアにはナチスドイツによる弾圧から逃れてきた大勢のユダヤ人難民が滞在していた。しかし、リトアニアも他のヨーロッパ諸国と同様安住の地ではあり得なかった。1940年7月18日、彼らは必死の思いで、ソ連経由で安全地帯に逃れるべく、日本領事館に日本の通貨ビザを得ようとして押しかけたのである。オランダやフランスも既にナチスに占領され、ソ連から日本を通って他の国に逃げる他、もはや助かる道がなくなっていた。杉原領事は大勢のユダヤ人の中から5人の代表を選び話を聞いた。
数人のビザなら領事の権限で発行できるが、数千人のビザとなると本国の許可がいる。電報を打って何回も問い合わせたが、日本政府は再々にわたり「ユダヤ人難民にはビザを発行しないように」という回答であった。彼らにビザを与えないということは、彼らにとって「死」を意味した。外務省の命令に従わないでビザを発行することは、杉原領事にとって免職を含む厳しく処分されることは明白であった。なぜなら、それは日本にとってドイツとの関係は、当時ほとんど唯一の国際関係であり、ドイツとの間に不調和音を鳴らすことは、日本にとっては命取りになる。外交官としては、そのことは誰よりもよく知っていることであった。一晩中考えぬいた末、杉原領事は外務省の意向に背き自らの判断でビザを発行することを決断した。妻幸子もその決断を支持した。
こういう状況の中で杉原領事がユダヤ人に最初のビザを発行したのは、7月25日木曜日、最初にユダヤ人難民が領事館に押しかけて1週間目であった。初日に杉原領事が発行したビザはたった4通である。2日目は18通、3日目は47通、4日目には堂々と外部に向かって「ユダヤ人難民にビザを発行する」と宣言する。その日の発給121通。もう、手書きでビザを書けなくなり、ユダヤ人たちの提案によりついにゴム印を調達する。それからは嵐のように、雪崩のようにビザを発給しまくる。外務省外交資料館に保存されている資料「杉原リスト」によると、最後に発給された日は8月26日である。その日に、リトアニアの日本領事館は閉鎖され、それ以後は異動先のホテルで、通過ビザの代わりに「渡航証明書」を発給し続ける。
先の「杉原リスト」によると2139人の名前が記されている。おそらく、その家族や公式記録から漏れている人を合わせると、杉原が助けたユダヤ人の数は6000人とも8000人ともいわれている。後に杉原自身が当時のことを回顧し、「苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している」と語っている。(『決断・命のビザ』より 渡辺勝正編著・大正出版刊)
第二次大戦が終結し、日本もドイツも戦争に敗れ、杉原一家は収容所生活を送った後、1947年4月やっとの思いで日本に戻ってきた。終戦後2年目である。戦後の日本は民主国家となり、平和国家となり、戦時中の自分たちの行為はそれなりに評価されるものと思っていたに違いない。ところが、杉原一家を待っていたものは、厳しい処分であった。杉原領事の人道的な行動は戦後の外務省においても認められなかった。日本は少しも変わっていなかった。外務省から突然依願免官を求められ、杉原は47歳にして外務省を去ることとなった。
さて、千畝とその妻幸子とが外務省からの厳しい命令に反してでも、ユダヤ人6000人のビザを発行した行動を支えた思想を杉原自身が別のところでこう語っている。「彼らは(ユダヤ人を)同じ人間と思っていない。それが我慢できなかった」。「同じ人間だと思う」ということ、これが基本的人権の根本原理である。
4. 借金
わたしたちは、杉原千畝とその家族が経験したような厳しい状況に置かれるわけではない。もし、わたし自身が同じような状況に置かれたら、どういう行動に出るだろうか。考えることさえできない。しかし、杉原領事の行動をわたしたちとは無関係な遠いところの出来事とは思わない。むしろ、身近なこととして感動する。政治的にどういう立場に立とうと、たとえ自分はそういう勇気はないと思いつつも、彼の行動に共感し、感動する。それが基本的人権の「基本的」ということの意味である。
本日の旧約聖書のテキストは「基本的人権」に関する規定である。しかし、本日の旧約聖書のテキストは「基本的人権」という非常に重要なことを語るのに、杉原領事の行動のような大きな事件を取り上げない。むしろ、わたしたちが日常的に経験するような「ささやかな出来事」を実例としてあげる。誰でも、何時でも、日常的に経験するささやかな出来事を取り上げる。決して、大金ではない。一寸した借金である。この一寸した金の貸し借りという出来事の中に、基本的人権に係わる基本的な問題が潜んでいる。
注目すべき点は、お金を貸したり、借りたりするという実にささやかな関係が、実は人間関係において、強い立場と弱い立場とを生み出すのである。お金を貸すといういわば「愛の行為」が人間関係における上下関係を生み出す。どうしても借りた者は貸し主に対して弱くなる。貸した方はそんな気がなくても貸した相手に対して強い立場に立つことになる。一寸した貸し借りによって、人間関係が上下関係が生じる。
だからこそ、金の貸し借りということにおいては、貸す者には借りた人間に対する細かい配慮が要求される。上下関係を生み出さないお金の貸し方は可能か。これが問題である。それができないなら貸さない方がいい。貸さないであげても結果は同じである。貸すことによって借りる人間の尊厳を犯してはならないということに尽きるだろう。それができない人間には「貸す資格」がない。特にこの点について、神は厳しい目で貸す者の行動を監視している、という。なんと厳しいことだろう。基本的人権について監視しているものは法律でも憲法でもなく、神の目である。

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