落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈>試み

2006-02-27 20:42:59 | 講釈
2006年 大斎節第1主日 (2006.3.5)
<講釈>試み   マルコ1:9-13

1. 試み
この福音書の1:12-13は、確かにマルコ福音書全体に対して一つの部分である。しかし、この部分はこれ以外の他の全体に対して異質な佇まいを示している。このテキストを無視して、読み過ごしても全体を理解する上で何の支障もない。気付かない者は気付かなくてもいい、とでも言うかのようである。まさに、「聞く耳ある者は聞きなさい」(マルコ4:9,23)という態度である。要するに、このテキストは読む人の感性を試みている。
2. 離陸
わたしは乗っている飛行機が離陸するとき、それを何度経験しても緊張する。特に、旅客を乗せた飛行機がゆっくりと滑走路の一番端まで進み、方向を転換して、停止すると、ジワッと手のひらが汗で濡れる。当たりは、空港特有の喧噪から離れ、そこは人ひとり見えない荒野である。その時飛行機は荒野にひっそりと佇んでいる。特に、伊丹空港においては、特に顕著である。大都会に囲まれた空港であるにもかかわらず、空港を印象づける大型の看板も見えず、殺風景なほどである。飛行機のこれから向かう目標は遠く、もちろん、ここからは見えない。しかし、しっかりとその目標は定められている。そこで、飛行機は静かに管制塔からのゴーサインを待つ。しかし、その数秒間、あるいは数分間、コックピットの中のパイロットは、忙しくすべての計器類を最終チェックしていることだろう。この巨大な鉄のかたまりと乗客を無事に上空まで上昇させることができるのか、遠い目的地まで安全に運ぶことができるのか、細心の注意力を発揮して最終チェックがなされ、離陸の瞬間を待つ。
やがて、飛行機は甲高くエンジン音を上げ始める。しかし、まだ動かない。十分、エンジンの回転が高まったところで、パイロットが車輪を締め付けていたブレーキをゆるめると、飛行機は滑走路を走り始め、一挙にスピードを上げたかと思うと、飛行機は美事に宙に浮き、上昇を始める。わたしはこの瞬間の緊張が忘れられない。時々、どこかに行くためというより、この瞬間を身体で、特に背中で、思い出すために飛行機に乗りたくなる。
3. 荒野での試み
主イエスが洗礼を受けられた後、人々の前で活動を開始する前、「40日間」「荒野で」過ごされたという伝承は、かなり早くから存在していたと思われる。ただ、そこで何をしておられたのか、ということについてはイエス自身の証言以外には得られない。おそらく、イエス自身もそのことについてはほとんど何も語られなかったと推測する。従って、すべては弟子たちを初めイエスを知る人たちのイマジネイションである。3つの共観福音書はイエスは荒野で「試みられた」と言う。それに対して、なぜか、ヨハネ福音書はこの点について何も語ろうとしない。
問題は、この「試み」ということの内容である。マタイとルカの叙述はかなり似ており、恐らく同じ伝承(Q資料と呼ばれているものであろう)を受け継いでいると思われるが、マルコはそれらとはかなりちがった視点から描かれている。恐らく別の伝承を採用しているのであろう。それに加えて、Q資料の伝承に対して批判的であったのかも知れない。よく考えてみると、イエスにとってその生涯のすべての時が「試みと誘惑の時」であって、何も「荒野における誘惑」を取り出し、語る必要はないのだろう。
4. 荒野の方向性
「荒野」とはただ単なる場所ではなく、イメージである。「荒野」はわたしたちを「引きつけ」あるいは「反撥する」「磁場」である。その意味において、荒野というイメージには方向性がある。「荒野へ」なのか、「荒野から」なのか。洗礼者ヨハネは「荒野の声」であり、人々はその声に呼ばれて「荒野へ」向かう。イエスは霊に導かれて「荒野へ」せき立てられる。なぜ霊はイエスを「荒野へ」せき立てたのだろう。これはわたしの独断であるが、「荒野」こそイエスの出発点であろう。イエスは「荒野から」出て来て、「町や村で」活動したのである。
5. 五木寛之の「青年は荒野をめざす」について
わたしにとって「荒野」という言葉は青年時代の思い出と重なる。わたしは若き日々の一時期、五木文学に凝ったことがある。今の言葉でいうと、「はまった」と言うべきか。しかし、それはなにもわたしだけのことではなく、当時の若者がほとんど経験したことでもあった、と思う。数多くの作品の中でも特に「青年は荒野をめざす」という作品は、題名そのものの魅力と共に、わたし自身が音楽をしていたということもあり、むさぼるように読み、同じような旅をしたいと思ったものである。小説の内容はほとんど忘れてしまったが、「青年は荒野をめざす」という題名は非常に魅力的であった。当時は、この「荒野」という言葉の意味をほとんど考えずに、ただその響きと小説の筋だけに魅力を感じていただけのことであった。しかし、今、考えてみるとこの「荒野」というイメージは「放浪」というイメージと重なり、住み慣れた生活空間から世界へと飛び出す青年の希望を描いていることがよくわかる。まさに「荒野へ」であった。「荒野」は未知の世界であり、自由の世界であり、希望の世界であった。
当時、わたしたちはそういう夢を抱いていた。しかし、現在の青年にとってこの「夢」はもはや「夢」でなくなってしまっているように思う。今の状況では、毎日繰り返されるこの日常生活こそが「荒野」なのかも知れない。その意味では「荒野」とはめざす場所、引きつけられる磁場ではなく、わたしたちを縛り付けている場所、そこから逃げ出したい場所になっている、のだろう。
6. 三島由紀夫の「荒野」
70年安保で、国中が騒然としていた中、三島由起夫は東京・市谷にある自衛隊本部総監室前のバルコニーの上から、100人程の自衛隊員を前にして大演説をし、「天皇陛下万歳」を三唱して割腹自殺した。1970年11月25日のことである。その同じ月、三島の代表作「豊饒の海」の最終章が書き上げられた。この「豊饒の海」に着手する1年あまり前、1966年10月、三島の自宅に一人の青年が押し入ってきた。この青年はすぐに警察の手に引き渡された。事件そのものは大したことではなかったが、三島はこの小事件を素材にした短編「荒野より」を書いている。この中で、三島はあの青年はどこから来たかと問い、三島自身の心の「荒野から来た」のだと書く。この作品の中で、三島は「荒野」について以下のような文章を残している。
「それは私の心の都会を取り囲んでいる広大な荒野である。私の心の一部にはちがいないが、地図には誌されぬ未開拓の荒れ果てた地方である。そこは見渡すかぎり荒涼としており、繁る樹木もなければ生い立つ草花もない。ところどころに露出した岩の上を風が吹きすぎ、砂でかすかに岩のおもてをまぶして、又運び去る。私はその荒野の所在を知りながら、ついぞ足を向けずにいるが、いつかそこを訪れたことがあり、又いつか再び、訪れなければならぬことを知っている。明らかに、あいつはその荒野から来たのである」。
三島にとって、「荒野」とは日本精神の原野であり、日本精神が生まれた出発点であった。三島はそこに「いつか、再び、訪れる」ことを望んだのだろう。それが三島の「天皇陛下、万歳」であり、現実の否定につながっている。しかし、現実は「荒野」の上に築かれており、現実の底を割ったところに「荒野」は現存する。
7. 荒野と試み(誘惑)
荒野とはわたしたちの生き方を鮮明にするリトマス試験紙のようなものである。「荒野」をどう捉えるのかということによって、今ここで生きている自己の生存の根拠が明らかにされる。「荒野へ」なのか、「荒野から」なのか。わたしたちは「荒野で」試みられるのではなく、あるいは「荒野で」誘惑されるのではない。むしろ、誘惑は巷にこそあふれており、わたしたちは都会で試みられるているのである。「荒野」とはわたしたちの住む場所に対するアントニム(反対概念)である。それ故に、現在の生活に倦み疲れている現代人を魅惑する。「荒野で」誘惑されるのではなく、「荒野が」誘惑である。
8. マルコの「荒野」観
マルコは「荒野」についてどのようなイメージを持っていたのだろうか。マルコはイエスは「(荒野で)サタンから誘惑された」とだけ述べるが、誘惑の内容については一言も語らない。むしろ、荒野では、野獣と共に生き、戯れ、天使によって仕えられていた、という。荒野はイエスにとって決して悪魔との戦いの場所ではなく、誘惑の場所でもない。むしろ、旧約聖書の預言者たちが語る終末論的楽園である。
狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。(イザヤ書1:6-9)
荒野はイエスにとって「楽園」である。比喩的に言うなら「エデンの園」であり、終末論的待望の世界である。
「誘惑(=試み)」というなら、そこに留まり続けたいという願望が誘惑であろう。その思いを断ち切って、「町や村に出て行く」こと、それがイエスの使命である。「そのために、わたしは出て来たのである」(マルコ1:38)。
9. 荒野をめぐって、洗礼者ヨハネとイエス
「荒野」をめぐって、洗礼者ヨハネとイエスとは反対方向を向いている。ヨハネは「荒野の声」であり、人々を荒野へ呼びかける。それに対して、イエスは荒野を出発点として「町や村に」出て行く。荒野へ出て行くことを「出家」というなら、「荒野から」町へ出て行くことは、何というのだろう。いろいろ、言葉をめぐらして、結局「受肉」という言葉しか思い当たらない。

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