谷沢健一のニューアマチュアリズム

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IBLJと鍵山誠氏(その2)

2008-07-21 | プロとアマ
 YBC東京臨時事務局では、加藤副部長が待機していた。神保町界隈は、食事をするには旨くてリーズナブルな値段の店が多い。栄養をつけたければ「いもや」があるし、私の好物のピザなら「ボーナマイヤー」があり、ボルシチをすすりたくなれば「ろしあ亭」がある。他にもここには書くわけにいかない隠れた名店もある。この日は、用意しておいたカレー・コリアン・和食の3選択枝から、鍵山氏がチョイスしたインドカレーの「SHANTTI」にした。
 料理もそこそこに、鍵山氏は、独立リーグの現状や方向性、NPBとの交流、スポンサーやマスコミとの関係、北信越(BCリーグ)との連携など、大いに語ってくれた。口にしたカレーのようにスパイスの利いた内容を、マイルドなラッシーのような言葉で、2時間以上話し続け、さらに昔懐かしい音楽喫茶の風情を残している「白十字」に場所を移して、語り合った。
 野球界は今、流動期である。過去から現在を見れば、そしてプロ球界だけを見れば、安定期だと見る人も少なくないだろう。しかし、過去から現在そして未来まで構想すると、揺動し流動する時期に入っていると見る人の方が多い。「鍵山さんたちは、今、歴史の1ページを書いているんですよね」と言った加藤副部長の言葉が、私の思いを代弁していた。鍵山氏はややはにかみながら、それに頷いたようだった。
 鍵山氏は私のブログを頻繁に読んでくれているそうで、クラブチームの内情もかなり分かっておられる。独立リーグとクラブチームの関係は、今後、共通理念・共通利益もあるだろうが、利害の対立も生じるだろう。お互いの位置づけはまだ確定していないが、双方とも、プロ球界の中心者たちよりは、日本の野球界全体について考えている(実行力はさておいての話だが)ということは確かでないだろうか。
 YBCも来月は中日本大会、9月には日本選手権予選、10月はJABA伊勢大会と、公式試合が2桁を数えるだけの強さになった。そういう忙しいスケジュールをこなしつつ、選手たちの思いが様々に揺れ動く時期も近づいてくる。選手たちは、より技術の高い集団でプレーしたいと望み、自分の実力と可能性を常に試したいと挑む。中には、YBCからIBLJを目指す者も出てくるだろう。それは、歓迎すべきことであり、同時にYBCが独立リーグに遜色のない戦力のチームにならねばならないと、改めて心を決めることである。

IBLJと鍵山誠氏(その1)

2008-07-21 | プロとアマ
 鍵山誠氏に電話したのは10日程前であった。鍵山氏は、言うまでもないが、四国・九州ILリーグの代表取締役社長である。今年から新たに九州の2チーム(福岡・長崎)が加盟し、その拡大した状況や着実に選手を育成している実績(すでに13名をNPBに送り出している)などが話題になった。
 苦労も多いはずだが、電話の声はそれを微塵(みじん)も感じさせない41歳の若々しさとバイタリティに満ちたものだった。「谷沢さん、上京の折に、是非、お会いしてもっと突っ込んだ話を。」という明るい声で電話が切れた。が、1週間も経たぬ7月16日、電話がかかってきた。同じ声だった。「今日から東京にいますので、お忙しいと思いますが、云々・・・」その行動の敏速さには敬服するしかなかった。
 私もたまたま授業や講演など昼間の仕事があったので、互いに身体の空く18日夜に歓談しようということになった。その日は、鍵山氏もプロ球団に挨拶に行くので、神保町のYBC東京事務局でおちあうことにした。
 YBCは昨年3月、四国ILの香川、徳島へ遠征した。その際、石毛氏と田口事務局長の尽力で、戦力差がありすぎるというのに対戦できることになった。ところが、香川との試合直前に石毛氏の四国IL社長辞任発表という緊急事態が勃発し、グランドには田口氏が出迎えてくれたものの、石毛氏の姿がなかった。事情もわからず、私の胸中はただ憂慮の2文字に覆われたが、新社長だという青年と会うことになって、石毛氏のパイオニア精神は、別の形でこの青年社長・鍵山氏へ受け継がれているのを知った。