信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

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長野県治水砂防協会犀川支部視察研修&日岐と小舟集落上空からの風景

2023年10月17日 | 私の活動報告

 10月17日(火)は秋晴れとなり気持ちの良い空が広がり、昼間は過ごしやすい体感でした。

 午前7時40分に家を出て、8時に犀川砂防事務所に集合し、4年ぶりに下伊那郡方面へ長野県治水砂防協会犀川支部の視察研修を行いました。

 最初に中川村と松川町の小渋ダムに行き、国土交通省 中部地方整備局 天竜川ダム統合管理事務所 尾畑所長と桑原管理課長から、主に土砂バイパス事業について説明していただきました。

 土砂バイパス事業とは、多量の土砂流入により貯水池の土砂堆積が進行して、ダムの貯水機能が維持できないため、洪水時に貯水池に流入する土砂を含んだ流水の一部を、ダム貯水池を経由せず下流にバイパスするための土砂バイパス施設を設置しています。

 当施設は、令和3年度に土砂バイパストンネルの復旧工事を実施して、インバートの復旧に際しては、耐摩耗性の向上のため、コンクリートの高強度化(50→ 70N/mm2 )とともに、現行の厚さ45cmからの増厚を行い、局所洗掘・流出範囲拡大の要因となったインバート基礎脆弱部(土砂部、中央排水溝設置部)については、コンクリートによる置き換えを行ったなどの説明を受けました。

 令和2年7月の梅⾬前線に伴う⼤⾬による出⽔においては、⼟砂バイパス施設を17⽇間、連続使⽤約380時間(過去最⻑)で、⼩渋ダム貯⽔池へ流⼊する⼟砂のうち、 約176万m3(ダンプトラック約36万台分)を抑制することができたことやとのことでした。

 次に、大鹿村 塩川床固工事事業について、国土交通省 天竜川上流河川事務所 小渋川砂防出張所 中谷所長から説明していただきました。

 水や土砂の流れる勢いが強くなると、川底や川岸が削られ、その削られた土砂が溜まって川底が浅くなり、氾濫が起こりやすくなる状況を防ぐために塩川床固工事事業が行われていました。

 この地域を襲った三六災害の後に床固工事を行いましたが、建設から50年が経過し老朽化したため、今回の工事を実施しもう1年ほどで竣工する予定で、当地域の岩を使って行われるなど景観への配慮と工事費の削減、地域住民の意向も反映されていました。

 次に大鹿村中央構造線博物館に行きました。当館は休館日でしたが、熊谷村長と教育委員会の方から説明していただきました。

 当館は、長野県と静岡県の県境、南アルプスの主峰赤石岳の山麓にあり、関東から九州へ日本列島を縦断する大断層「中央構造線」のほぼ真上に建っていました。

 中央構造線と大鹿村の岩石標本の展示を中心に、地震と地殻変動、地盤・土砂災害と地形のでき方などを知ることができる村営の博物館です。

 中央構造線をはじめに発見したのは、ナウマン象の名前の由来となったドイツ人地質学者エドムント・ナウマンで、ナウマンは、明治時代に日本の地質調査をしていて、西南日本を縦断する大断層を発見し、「大中央裂線」と名付けました。

 さらに、この大断層を境に日本海側を内帯(ないたい)、太平洋側を外帯(がいたい)と呼んで区別したとのことでした。

 内帯と外帯の岩石を中央構造線で分けて展示してあり、緑色岩、チャート、かんらん岩、花崗岩、れき岩など、それぞれの岩石についても詳しく説明していただきました。

 続いて、リニア中央新幹線工事の南アルプストンネル長野工区、小渋川坑口付近を車中から河原所長の説明を受けながら視察をしました。

 昼食後は大西公園に行き、熊谷村長から説明していただきました。三六災害の時に中央構造線の内帯側で、山の斜面が一気に崩れ、対岸の集落の42人が犠牲になったとのことでした。

 かつては大西公園のあった場所を川が流れていたため、山裾が削られて斜面が不安定になり、屏風が倒れるように崩れたとのことでした。

 崩壊跡の、下側の白く見えるところが花崗岩源マイロナイト、真ん中らへんの黒っぽいところが変成岩源マイロナイト、上の赤みのある部分が花崗岩です。昭和36年以降も少しずつ崩壊地が上に拡大していて、斜面が安定するまで、まだしばらくかかりそうとのことでした。

 また大西公園では、1000本ほどの桜が植わっており、大西山の反対方向を望むと、天気が良かったので、小渋川のまっすぐな谷の向こうに赤石岳が見え、みんなで記念撮影をしました。

 次の場所へ行く車中からリニア中央新幹線の飯田市長野県駅予定地の工事現場を見ながら、また河原所長から説明をしていただきました。

 次に天竜川総合学習館「かわらんべ」に行き、飯田市高田副市長と寺澤館長から説明をしていただきました。

 最初に「かわらんべ」の屋上に行き説明を受け、「川路・龍江・竜丘地区の治水対策事業」により、全面盛土方式によって安全な土地となったことで、企業の進出や宅地化が進み、安全性が飛躍的に向上し、当施設は大堤防上に建設された「天竜川防災拠点」でした。

 私から犀川支部の研修視察の御礼と我が管轄地域の概要などをお話しし、高田副市長から歓迎の挨拶と当地域の治水対策などの説明をしていただきました。

 当施設は、災害発生時の応急避難施設に指定されており、万が一災害が発生した場合には、関係機関による災害対応の拠点として使用されるとのことでした。また、日頃から防災に関する知識・備えなどの普及啓発の活動をしていました。

 当施設は、(一財)飯田市天竜川環境整備公社が運営していました。当公社は、長野県知事より、一般財団法人認可を受け、公益目的継続事業として「河道掘削事業」及び「河川環境整備事業」の2事業を実施し、天竜川の恒久治水対策として、河床堆積土砂の掘削、砂利採取販売により経営されていました。

 最後は、三遠南信自動車道に架かる天竜峡大橋(全長280m高さ約80m)に寄り、天龍峡大橋の車道の下に設けられた歩道「そらさんぽ天龍峡」から、眺下に天竜川や飯田線を見ながら、記念撮影をして帰路につきました。

 三六災害から60年が過ぎましたが、伊那谷は災害との戦いの歴史があり、その教訓を後世に継承し、地域とともに水害・土砂災害に備えた地域づくりを目指し、伊那谷の未来を考える取り組みが行われていました。

 大鹿村の熊谷村長、飯田市の高田副市長はじめ関係の皆さんには、何かとお忙しい中、詳しく分かりやすく説明をしていただくなど、我々の視察に対して丁寧にご対応くださいまして心から感謝申し上げます。

日岐と小舟上空からの風景

△▽ 毎朝恒例の撮影は、朝少し早かったので我が家から日岐と小舟上空にフライトさせて撮影した風景です。

 本日生坂村では、保育園で内科検診、中学校で村内奉仕活動、5班の皆さんの元気塾などが行われました。



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