【1区】
西村智奈美 13万6千<民・前>(2)
吉田六左エ門11万8千<自・元>(3)
川俣 幸雄 02万1千<共・新>
03に続き、民主・西村と自民・吉田の事実上の一騎打ちとなった。
吉田は、旧亀井派を脱会、郵政賛成へと転向し、改革派を打ち出した。
その一方でで吉田陣営は過去の「実績」を持ち出した。
中越地震では浪人中にもかかわらず省庁を奔走したことをアピールした。
新潟市の建設業者が震災復旧で仕事が回ってきていたこともあり、旧来の自民支持層には一定の効果が合った。
しかし、無党派層の支持は、西村60、吉田30弱であり、吉田の「改革派」戦略は空振りに終わった形になった。
【2区】
近藤 基彦11万4千<自・前>(3)
鷲尾英一郎10万2千<民・新>(1)
細井 良雄01万4千<共・新>
近藤と民主新人・鷲尾英一郎の事実上の一騎打ちであった。
桜井新・参院議員らと激戦を経てきた近藤にとって、地盤のない新人を相手に、確固たる地盤を築く絶好の機会だった。
しかし、多くの保守票が鷲尾に流れ、鷲尾に比例での当選を許した。
近藤は票田柏崎・燕で鷲尾に敗れ、西蒲・三島両郡でも接戦に持ち込まれ、近藤のおひざ元・佐渡市でも1万3千を奪われた。
安泰ムードと市町村合併が後援会の運動量の激減を招いた。
桜井支持者の根強い反近藤意識や、郵政法案の採決での棄権の影響もあった。
00衆院選、近藤は、「実績」の桜井新を相手に「若さ」で初当選を果たした。
しかし今回、「若さ」を鷲尾が最大限生かし、近藤を追い詰めた。
鷲尾選対のボランティアは20歳代が中心。
これに対し、近藤の後援会は60―70歳代が中心。
後援会の若返りがなければ、次は勝てないだろう。
鷲尾は保革問わず票を取れるタイプ、近藤にとって相当な脅威になる。
【3区】
稲葉 大和11万2千<自・前>(5)
宮崎 増次07万3千<社・新>
鈴木 泰02万4千<国・新>
田中 真一01万4千<共・新>
自民前職・稲葉大和の当選確実は開票直後、次点・宮崎との票差は4万弱、新潟唯一の無風区だった。
稲葉陣営が今衆院選で掲げた目標得票数は12万5千、しかし、実際の得票は11万余に過ぎなかった。
安定した戦いで5期連続当選を果たした稲葉だが、保守票の結集には失敗した。
稲葉は新潟では、小選挙区制の恩恵を最も受けている政治家である。
初当選した93衆院選、稲葉は最下位当選、同じく自民の岩村は次点に泣いた。
つづく小選挙区制が導入された96衆院選で、無所属・岩村、新進・白沢三郎との保守乱立を小差で逃げ切り再選をきめた。
そして、00衆院選は旧自由・白沢との保守対決を制し3選を果たした。
最初の最下位当選で得た選挙区唯一の自民公認という金看板を使い、他の保守候補を淘汰していったのだ。
保守系ただ1人の候補として臨んだ03衆院選は、15万票という空前の得票を目標に掲げた。
岩村と白沢の支持層を取り込めば達成可能だった。
だが、得票は11万弱に終わり、社民新人に前回の3万5千弱から7万と得票の倍増を許した。
非稲葉の保守支持層は、00衆院選で白沢が獲得した5万5千、04参院選で田中が3区で集めた6万である。
国民新・鈴木泰は、この6万前後の票にターゲットを絞った。
まず宮崎陣営が、近藤正道参院議員らを通じて、田中の支援を取り付けた。
阿賀町生まれの鈴木は、民主公認での3区出馬を模索するも、民主・社民の選挙協力による「3区は社民」との既定方針から、国民新党での出馬を選択した。
鈴木が国民新党からの立候補を決めると、田中自身は鈴木支援に傾く。
しかし、既に宮崎で動き出している後援会員が反発し、田中陣営の行動は、一本化できなかった。
一方、稲葉は、田中系と目される首長や無所属県議を事務所開きや集会に招くなど取り込みを試みたものの増票には結びつかなかった。
稲葉は、03・05とも対抗馬は民主ではなく、退潮傾向の社民の新人候補であり、2大政党制の並みからは、いまだ無縁である。
【4区】
菊田真紀子 11万5千 <民・前>(2)
栗原 洋志 09万4千 <自・新>
武藤 元美 01万9千 <共・新>
96衆院選で席を争った渡辺と博久の代理戦争ともいえる。
菊田は04知事選で、旧自由党系の渡辺や参院議員・森裕子と一緒に、自民県連と泉田裕彦を支援し、これを当選させている。
これで、多賀を推薦した民主・社民・連合とにねじれの関係が生じた。
菊田陣営は関係修復に奔走した。
だが、連合幹部は「自民も旧自由系も同じ」と事実上の自主投票を示唆し、社民党が、知事選での対応を理由に推薦を見送ろうとするなど、「新潟方式」は完全には機能しなかった。
当選後、菊田は完全な関係修復に継続して取り組んでいる。
菊田との同世代対決を狙った洋志は、菊田が警戒した「若さ」の草の根選挙は実現できなかった。
その結果、地元の旧新津市を除く全開票所で菊田を下回った。
博久の2男が、旧新津市区の合併に伴う新潟市議増員選に当選したが、押しのけられた形の議員には博久の支援者が多く、大きな反発が残った。
これを主因として、地元旧新津市で勝ちはしたが、菊田に600票差余りまで迫られる結果となった。
ただ、投票日の出口調査で栗原の無党派層の支持率は、菊田の5割弱には及ばないが4割に達した。
博久の票に1万票上積みするなど、世代交代による一定の効果はあったといえる。
【5区】
田中真紀子 10万5千 <無・前>(5)
米山 隆一 08万3千 <自・新>
斎藤 実 01万8千 <共・新>
田中は今回、選挙戦術をガラリと変えた。
選挙運動の主軸は田中の関連企業であった。
後援会「まきこ会」や父・田中角栄元首相の後援会「越山会」の旧会員が前面で動いた前回選挙とはまるで違った。
新人相手に5回目のベテランが2万票差では、負けたも同然だ。
越山会時代から続く「田中」との縁の流れの中で、後援会、支援企業などが複雑に絡み合う5区保守系の特殊事情、比例当選した長島忠美を選挙区で擁立できなかった遠因がそこにある。
米山の手足にならざるを得ない県議、市議、支援団体の一部には、「田中」との関係から動かない層もあった。
自民支持層は米山が56%、田中は42%まで食い込んだ。
この選挙を通じて、5区は新たな不安定要素を抱え込んだ。
長島が選挙区に転出するという憶測である。
星野は全否定しているが、比例単独は政治情勢で左右される。
【6区】
筒井 信隆 11万4千 <民・前>(4)
高鳥 修一 10万2千 <自・新>(1)
武田 勝利 01万1千 <共・新>
政権交代を訴えた民主前職・筒井信隆が四選を果たし、郵政民営化で賛成の踏み絵を踏んだ自民新人・高鳥修一も比例で復活当選を果たした6区。
勝負を分けた大票田・上越市で筒井が6万7000票、高鳥は5万票。
無党派層が、民営化賛成の高鳥に流れたが、筒井は保守票切り崩しに成功した。
筒井は、上越経済人連盟会長・大樹会長・田中弘邦の支援を求める。
大樹は自主投票を決め、上越市でも水面下では、田中に近い経済人は筒井支援に動いた。
出馬断念の元自民県議・風間直樹の支持者や郵政法案反対の田中直紀の支持者の一部までが、筒井支持にまわった。
高鳥は郵政賛成に転向し、自民公認を得た。
筒井には及ばなかったものの、陣営の予想を上回る10万票を獲得した。
追い風をつかんでの復活当選劇に郵政効果をみる。
高鳥は03衆院選で15%だった無党派の支持が、38%に跳ね上がった。
市町村合併による保守系議員の大量失職、父・修が築き上げた「周山会」の高齢化、さらに、田中弘邦の離反、高鳥陣営の組織力低下は否めなかった。
高鳥の選挙は、「風頼み」という民主のような選挙であった。