goo blog サービス終了のお知らせ 

選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

06中央市長選

2006-04-09 | 山梨・長野・新潟
 4月9日、中央市長選挙の投開票が行われた。 投票率70%
 玉穂町、田富町、豊富村が合併、初代市長を決める選挙。


当選 田中久雄 86  無・新

落選 山口敦司 74  無・新

 山口は旧・田富町長。


05甲州市長選

2005-11-21 | 山梨・長野・新潟
 11月20日、甲州市長選挙の投開票が行われた。

 塩山市・勝沼町・大和村が合併、初代市長を決める選挙。


当選  田辺  篤 168 無・新

落選  須山邦昭  48 諸・新

(投票率75%)


  田辺は旧・塩山市長。


05衆院選~新潟 (仮)

2005-09-11 | 山梨・長野・新潟
【1区】
西村智奈美 13万6千<民・前>(2)
吉田六左エ門11万8千<自・元>(3)
川俣 幸雄 02万1千<共・新>
 
03に続き、民主・西村と自民・吉田の事実上の一騎打ちとなった。
 吉田は、旧亀井派を脱会、郵政賛成へと転向し、改革派を打ち出した。
 その一方でで吉田陣営は過去の「実績」を持ち出した。
 中越地震では浪人中にもかかわらず省庁を奔走したことをアピールした。
 新潟市の建設業者が震災復旧で仕事が回ってきていたこともあり、旧来の自民支持層には一定の効果が合った。
 しかし、無党派層の支持は、西村60、吉田30弱であり、吉田の「改革派」戦略は空振りに終わった形になった。

【2区】
近藤 基彦11万4千<自・前>(3)
鷲尾英一郎10万2千<民・新>(1)
細井 良雄01万4千<共・新>
 
 近藤と民主新人・鷲尾英一郎の事実上の一騎打ちであった。
 桜井新・参院議員らと激戦を経てきた近藤にとって、地盤のない新人を相手に、確固たる地盤を築く絶好の機会だった。
 しかし、多くの保守票が鷲尾に流れ、鷲尾に比例での当選を許した。
 近藤は票田柏崎・燕で鷲尾に敗れ、西蒲・三島両郡でも接戦に持ち込まれ、近藤のおひざ元・佐渡市でも1万3千を奪われた。
 安泰ムードと市町村合併が後援会の運動量の激減を招いた。
 桜井支持者の根強い反近藤意識や、郵政法案の採決での棄権の影響もあった。

 00衆院選、近藤は、「実績」の桜井新を相手に「若さ」で初当選を果たした。
 しかし今回、「若さ」を鷲尾が最大限生かし、近藤を追い詰めた。
 
 鷲尾選対のボランティアは20歳代が中心。
 これに対し、近藤の後援会は60―70歳代が中心。
 後援会の若返りがなければ、次は勝てないだろう。
 鷲尾は保革問わず票を取れるタイプ、近藤にとって相当な脅威になる。

【3区】
稲葉 大和11万2千<自・前>(5)
宮崎 増次07万3千<社・新>
鈴木  泰02万4千<国・新>
田中 真一01万4千<共・新>

 自民前職・稲葉大和の当選確実は開票直後、次点・宮崎との票差は4万弱、新潟唯一の無風区だった。
 稲葉陣営が今衆院選で掲げた目標得票数は12万5千、しかし、実際の得票は11万余に過ぎなかった。
 安定した戦いで5期連続当選を果たした稲葉だが、保守票の結集には失敗した。

 稲葉は新潟では、小選挙区制の恩恵を最も受けている政治家である。
 初当選した93衆院選、稲葉は最下位当選、同じく自民の岩村は次点に泣いた。
 つづく小選挙区制が導入された96衆院選で、無所属・岩村、新進・白沢三郎との保守乱立を小差で逃げ切り再選をきめた。
 そして、00衆院選は旧自由・白沢との保守対決を制し3選を果たした。
 最初の最下位当選で得た選挙区唯一の自民公認という金看板を使い、他の保守候補を淘汰していったのだ。
 保守系ただ1人の候補として臨んだ03衆院選は、15万票という空前の得票を目標に掲げた。
 岩村と白沢の支持層を取り込めば達成可能だった。
 だが、得票は11万弱に終わり、社民新人に前回の3万5千弱から7万と得票の倍増を許した。
 
 非稲葉の保守支持層は、00衆院選で白沢が獲得した5万5千、04参院選で田中が3区で集めた6万である。
 国民新・鈴木泰は、この6万前後の票にターゲットを絞った。
 まず宮崎陣営が、近藤正道参院議員らを通じて、田中の支援を取り付けた。
 阿賀町生まれの鈴木は、民主公認での3区出馬を模索するも、民主・社民の選挙協力による「3区は社民」との既定方針から、国民新党での出馬を選択した。
 鈴木が国民新党からの立候補を決めると、田中自身は鈴木支援に傾く。
 しかし、既に宮崎で動き出している後援会員が反発し、田中陣営の行動は、一本化できなかった。
 一方、稲葉は、田中系と目される首長や無所属県議を事務所開きや集会に招くなど取り込みを試みたものの増票には結びつかなかった。

 稲葉は、03・05とも対抗馬は民主ではなく、退潮傾向の社民の新人候補であり、2大政党制の並みからは、いまだ無縁である。
 
【4区】
菊田真紀子 11万5千 <民・前>(2)
栗原 洋志 09万4千 <自・新>  
武藤 元美 01万9千 <共・新>
 
 96衆院選で席を争った渡辺と博久の代理戦争ともいえる。 

 菊田は04知事選で、旧自由党系の渡辺や参院議員・森裕子と一緒に、自民県連と泉田裕彦を支援し、これを当選させている。
 これで、多賀を推薦した民主・社民・連合とにねじれの関係が生じた。
 菊田陣営は関係修復に奔走した。
 だが、連合幹部は「自民も旧自由系も同じ」と事実上の自主投票を示唆し、社民党が、知事選での対応を理由に推薦を見送ろうとするなど、「新潟方式」は完全には機能しなかった。
 当選後、菊田は完全な関係修復に継続して取り組んでいる。

 菊田との同世代対決を狙った洋志は、菊田が警戒した「若さ」の草の根選挙は実現できなかった。
 その結果、地元の旧新津市を除く全開票所で菊田を下回った。
 博久の2男が、旧新津市区の合併に伴う新潟市議増員選に当選したが、押しのけられた形の議員には博久の支援者が多く、大きな反発が残った。
 これを主因として、地元旧新津市で勝ちはしたが、菊田に600票差余りまで迫られる結果となった。
 ただ、投票日の出口調査で栗原の無党派層の支持率は、菊田の5割弱には及ばないが4割に達した。
 博久の票に1万票上積みするなど、世代交代による一定の効果はあったといえる。

【5区】
田中真紀子 10万5千 <無・前>(5)
米山 隆一 08万3千 <自・新>
斎藤  実 01万8千 <共・新>
 
 田中は今回、選挙戦術をガラリと変えた。
 選挙運動の主軸は田中の関連企業であった。
 後援会「まきこ会」や父・田中角栄元首相の後援会「越山会」の旧会員が前面で動いた前回選挙とはまるで違った。
 新人相手に5回目のベテランが2万票差では、負けたも同然だ。

 越山会時代から続く「田中」との縁の流れの中で、後援会、支援企業などが複雑に絡み合う5区保守系の特殊事情、比例当選した長島忠美を選挙区で擁立できなかった遠因がそこにある。
 米山の手足にならざるを得ない県議、市議、支援団体の一部には、「田中」との関係から動かない層もあった。
 自民支持層は米山が56%、田中は42%まで食い込んだ。
 
 この選挙を通じて、5区は新たな不安定要素を抱え込んだ。
 長島が選挙区に転出するという憶測である。
 星野は全否定しているが、比例単独は政治情勢で左右される。

【6区】
筒井 信隆 11万4千 <民・前>(4)
高鳥 修一 10万2千 <自・新>(1)
武田 勝利 01万1千 <共・新>
 
 政権交代を訴えた民主前職・筒井信隆が四選を果たし、郵政民営化で賛成の踏み絵を踏んだ自民新人・高鳥修一も比例で復活当選を果たした6区。
 
 勝負を分けた大票田・上越市で筒井が6万7000票、高鳥は5万票。
 無党派層が、民営化賛成の高鳥に流れたが、筒井は保守票切り崩しに成功した。
 筒井は、上越経済人連盟会長・大樹会長・田中弘邦の支援を求める。
 大樹は自主投票を決め、上越市でも水面下では、田中に近い経済人は筒井支援に動いた。
 出馬断念の元自民県議・風間直樹の支持者や郵政法案反対の田中直紀の支持者の一部までが、筒井支持にまわった。
 
 高鳥は郵政賛成に転向し、自民公認を得た。
 筒井には及ばなかったものの、陣営の予想を上回る10万票を獲得した。
 追い風をつかんでの復活当選劇に郵政効果をみる。
 高鳥は03衆院選で15%だった無党派の支持が、38%に跳ね上がった。
 市町村合併による保守系議員の大量失職、父・修が築き上げた「周山会」の高齢化、さらに、田中弘邦の離反、高鳥陣営の組織力低下は否めなかった。
 高鳥の選挙は、「風頼み」という民主のような選挙であった。

05山梨市長選

2005-04-24 | 山梨・長野・新潟

 4月24日、山梨市長選挙の無投票が決まった。

 旧山梨市、牧丘町、三富村が合併、初代市長を決める選挙。


当選  中村照人 無・新 55歳

 

 当選した中村は旧・山梨市長。


05上野原市長

2005-03-20 | 山梨・長野・新潟
 
 3月20日、上野原市長選の投開票が行われた。投票率68.42%

 上野原町と秋山村が合併、初代市長を決める選挙。

当選 8494 奈良明彦  85 無・新

落選 7077 杉本公文  71 無・新  (百)

(投票率68.42%)

当選した奈良氏は旧・上野原町長。

04知事選~新潟 (仮)

2004-12-17 | 山梨・長野・新潟
泉田 裕彦 34万5千 自・公=推薦 旧自由=支持
多賀 秀敏 29万9千 民・社・連合=推薦
小林 一三 19万9千(保守系)=元新津市長
宮越 馨  11万0千(保守系)=前上越市長
川俣 幸雄  4万6千 共産=推薦
伊藤 雄二  4万2千

 知事選は自民・公明推薦、民主・旧自由党系が支援した泉田裕彦が勝利した。
 投票率は53・88%で過去二番目の低さ。
 出口調査によると、自民が苦手とする無党派層でも3割から得票した。
 地域的にみると地元・加茂市など県央で他候補を圧倒。県内市町村の七割弱に当たる六十七市町村でトップで、郡部では多賀氏に四万票以上の差を付けた。
 最も存在感を示したのは、県議会最大会派の自民ではなく、民主の県連代表代行・渡辺秀央参院議員だった。
 平山知事の与党のうち自民・公明は泉田、民主・社民は多賀秀敏を担いだ。
 泉田・多賀どちらが当選しても平山時代の体制は終焉を迎える形だった。
 無党派層が多いとされる新潟市での街頭演説は、菊田真紀子衆院議員、森裕子参院議員の民主党旧自由系が主導。
 選挙戦最終盤では渡辺秀央が自民県連幹部に運動の指示を出す場面もあった。
 
 自民党も一枚岩にはほど遠かった。
 田中直紀参院議員・桜井新参院議員が泉田支援に動くことはなかった。
 また、自民党の一部が小林を擁立するなど、こちらも足並みが乱れた。
 
 民主・社民・連合新潟は多賀を擁立し、「新潟方式」で非自民県政を目指した。
 多賀は他候補に比べ実質的な選挙活動のスタートは早く、テレビコメンテーターを務め、知名度は高かった。
 そのため、客観的に見れば多賀優勢は動かないとの見方が大勢であった。
 しかし、民主は旧自由系の分裂により党本部の推薦が出ず、国政選挙のような「自民対非自民共闘」の構図を浸透させることができなかった。



04参院選~新潟

2004-07-11 | 山梨・長野・新潟
近藤 正道<無・新>42万8千(35)
田中 直紀<自・現>36万7千(30)
塚田 一郎<自・新>32万0千(26)
桑原加代子<共・新>11万1千(9)
 
 民主・社民推薦の近藤がトップ当選した。
 残る1議席は田中・塚田という自民同士の争いとなり、田中が逃げ切った。
 投票率は63.25%と01参院選の61.78%を上回った。

 近藤は民主・社民の労組を中心に組織票をまとめ、非自民票を幅広く吸収。
 無党派層、自民支持層の一部にも浸透した。
 地域的にほぼ満遍なく票を集めた。

 田中は関連企業グループを動員し、保守層非主流系を糾合した。
 自民県連と距離を置いたため、現職でありながら自民票の獲得に苦戦した。
 民主系無所属の田中真紀子衆院議員が側面支援し、無党派層に食い込んだ。

 塚田氏は出遅れが最後まで響いた。
 自民県連と連携し、自民県議団や国会議員の全面支援を受けた。
 自民支持層、公明支持層に浸透したものの、無党派層に広がらず。
 塚田氏に軸足を置いた自民県連にとっては、手痛い失点となった。

 民主・現職の渡辺秀央が10万6千票で、比例代表での当選を決めた。
 県内票の掘り起こしに力を注いで自民票の一部も吸収した。
 自民・新人の水落敏栄も支持基盤の日本遺族会の厚い支持で当選した。

【社民党】
 02年秋の大渕絹子元参院議員の離党・民主会派入りで社民党新潟県連は国政での全ての議席を失った。
 社民は03衆院選で1区での候補者擁立を見送り、その見返りに、民主から近藤支援を取り付け、04参院選で国政の議席を回復した形だ。
 社民は、民主の協力が不可欠な状況になっている。
 しかし、社民が民主の要望に応え、近藤を無所属で立候補させたことに社民県連内では民主への譲歩が過ぎると不満が残る 。
 
 また、近藤の県議辞職で議席数が5に減り、民主系会派を下回った。
 第2会派に戻るには、県議補選で近藤の抜けた穴を埋めねばならないが、民主も独自の候補を立てる公算が大きく、現状維持がやっとであろう。
 近藤は当選したが、社民の基盤の脆弱化はとまらない。

【自由党系】
 渡辺秀央民主党新潟県連代表代行は、自民党で衆院6期・郵政大臣を歴任した保守政治家である。
 03衆院選で民主・社民・労組・市民団体が協力する「新潟方式」は成果を上げたが、その「新潟方式」立役者が渡辺である。
 その一方で、労組出身の候補に違和感を覚え、距離を置く支持者も出た。
 民主推薦の近藤は社民党系で、近藤支持者の渡辺への投票は期待できない。
 今回の選挙、保守票なくして当選のない渡辺は、自民・田中、塚田陣営へも切り込んだ。

【自民党】
 自民公認の新顔、塚田は自民党組織の応援を一手に受ける。
 自民県連と田中家の争いという様相であった。

 知事や衆参議員を歴任した故塚田十一郎は上越の出身。
 新潟県知事を約5年、衆院議員を7期、郵政相や自民党政調会長も歴任した。
 上越を中心に今も根強い支持者が残る。
 
 だが、旧塚田派と激しく争った高鳥派が今回、塚田陣営にまわることから、旧塚田十一郎派の一部が田中陣営へ流れた。
03衆院選、自民の公認争いに敗れ、無所属で出馬した元自民県議の風間直樹は現在、民主の衆院議員の政策秘書であるが、精力的に自民の田中を支持した。

 田中直紀の後援会は、旧越山会員に支えられている。
 自民公認でありながら、さながら無所属のような戦いを強いられた。
 
【新潟市】
 1区は03総選挙で、社民との分裂を回避した民主党が制している。

新潟市…近藤9万7千(42) 田中5万8千(25) 塚田5万2千(22)

 野党地盤を固めた近藤が大きくリード

【長岡】
 田中真紀子の選挙区である5区の中心地が、長岡市である。
 田中直紀は大量得票を狙った。

長岡市…近藤3万2千(35) 田中2万9千(32) 塚田2万3千(25)
小千谷…近藤0万8千(35) 田中0万7千(31) 塚田0万7千(30)
北魚沼…近藤0万8千(28) 田中0万9千(32) 塚田1万0千(33)
南魚沼…近藤1万1千(30) 田中1万1千(30) 塚田1万2千(30)

 真紀子人気が直紀の票には直結しなかった。
 真紀子の得票の少なからぬ部分が、反自民票ということなのかもしれない。

【三条】
 旧自由党系の渡辺秀央が長く地盤とするのが三条・見附地区である。
 ここを中心とする4区は、旧自由党系の菊田真紀子が抑えている。
 保守系と革新系の共闘の成否が問われる地域である。

三条市…近藤1万4千(34) 田中1万5千(36) 塚田0万8千(20)

 田中の得票率は、長岡よりも高い。
 旧自由系支持者の革新に投票はできない層が、田中に投票したのであろう。
 
【上越】
 上越市は、衆院で民主・筒井と自民・高鳥が激しく争う6区の中心地である。
 また、塚田の父親である故十一郎の地盤でもあった。
 十一郎と激しく争った高鳥派が塚田を支援するのを嫌い、旧十一郎派の一部が田中の支援につくなど、状況は複雑である。
 また、筒井・近藤・渡辺の3人は、新潟における野党共闘を作り上げたいわば同志である。

上越市…近藤2万4千(38) 田中1万7千(27) 塚田1万7千(27)

 筒井の面目躍如、近藤は、上越市で全県平均35を上回る38を獲得した。
 田中と塚田は横一線で、塚田は「十一郎の地盤」を活かすことができなかった。

【新発田】
 新潟最後の保守地盤の3区、その中心が新発田市である。

新発田…近藤1万6千(38) 田中1万2千(28) 塚田1万0千(25)

 
 近藤はここでも県平均を上回る38を獲得している。
 保守地盤とはいえ、中規模クラスの都市になれば、保守と革新との垣根は低いということなのだろう。

【佐渡】
 2区選出の衆院議員、近藤の地盤中の地盤が佐渡である。
 佐渡に限らず、離島は自民の強固な地盤になっている。

佐渡市…近藤1万1千(27) 田中1万3千(32) 塚田1万4千(35)

 全県で35の近藤が佐渡では27である。
 落選の塚田が県平均26を大きく上回る35であり、離島においては、自民組織が根強いことを窺わせる。 


  

04参院選~山梨 

2004-07-11 | 山梨・長野・新潟
 03知事選で山本知事誕生に貢献した輿石。
 自分の選挙では優勢との見方が大勢だ。
 ともに知事選を戦った一部の自民党県議が早々に戦線を離脱したうえ、自民は公認候補を立てられなかった。

 03総選挙、民主党は、全国で議席を増やした。
 
 だが、堀内光雄の山梨2区は00年に続き候補者を擁立できず不戦敗となった。
 小沢鋭仁県連代表は、2区での党勢拡大打ち出し、輿石の選挙に乗じて自民支持層を切り崩し、大幅な比例票の上積みを目指す。
 ところが、2区選出の堀内は知事選ではともに山本を推した間柄。
 山本の当選は、参院と衆院とで利害が対立しないからこそ成立した。
 山本を当選させた輿石の立場は、比例や党勢拡大の面では障害となっている。

 加えて、3区も不透明だ。
 国土交通委員長を務める輿石に対し、中部横断道の早期建設を求める首長からは一定の支持が期待できるものの、本来は自民支持層が強固な地盤。
 参院選だけで勢力を定着させるには至らないとの見方が根強い。


 自民党県連の総務会、公認候補を断念して、無所属の新顔大柴堅志氏を推薦する提案に、会場では次々と手が上がった。
 前島茂松幹事長、中島真人会長も「おわび」にあいさつの大半を費やした。
 採決に入って、承認の拍手が鳴り始めると、執行部はほっとした表情を見せた。
 テレビは飛行機から降り立つ拉致被害者の家族の姿を盛んに映し出した。
 小泉首相の支持率ははね上がった。
 にもかかわらず、山梨の自民党は、吹きはじめた追い風に乗りあぐねていた。

 県連の候補者選びは曲折をたどった。
 昨秋の時点で、現職の清水達雄が再出馬することで固まっていたが、清水は2月になって辞退。
 その後、県議や元村長の名が浮かんでは消えた。
 元アナウンサーの大柴が市民団体に担がれて立候補の意思を表明したのは、そんなときだ。
 立候補予定者の選考に悩む県連と、組織の後ろ盾がほしい大柴。
 両者の思惑はほどなく一致した。

 比例区に立つ横内正明の決起集会で、駆けつけた青木幹雄参院幹事長がマイクを持つ手に力を込めた。
 「横内さんは衆議院に帰ってくることもないし、知事選にも関係ない。参議院に骨を埋めます」
 会場を埋めた1200人からは、それまでにない大きな拍手が沸いた。
 
 県連組織の迷走の発端は、横内が立った昨年の知事選とされる。
 横内は、山梨3区の衆議院議員ポストを捨てて挑戦。
 自民党議員の多くが推す山本栄彦・現知事と争い、議員間に亀裂を生んだ。
 総選挙では、労組から支援を受けて統一地方選挙を勝ち抜いた一部の議員が、民主党候補を支援した。
 その余波で、県議会の自民系会派は、3会派から4会派にさらに分裂した。


=中間情勢=

 輿石は、民主、社民支持層を固めたほか、自民支持層にも食い込んでいる。
 まんべんない年齢層、職業層から支持を得ている。

 大柴は、推薦を得た自民支持層の7割を押さえ、公明支持層も取り込んでいる。
 無党派層で支持が広がっていない。

=開票結果=

輿石 東   <民・現> 231千(55)
大柴 堅志 <無・新> 156千(37)=自・公推薦
花田 仁   <共・新>  33千(8)
 
 自民の混乱を尻目に、輿石が手堅く勝利をおさめた。
 地域別では、全地域で輿石が勝利。
 党派別では、民主・社民支持層に加え、無党派でも優位に立ち、自民支持層の一部にも浸透した。

 大柴は、北巨摩郡で健闘したものの、現職の壁は厚かった。 

甲府市= 輿石 47千  大柴 30千

東山梨= 輿石  8千  大柴  5千

東八代= 輿石 17千  大柴 13千

西八代= 輿石  8千  大柴  5千


韮崎市= 輿石  9千  大柴  6千

南ア市= 輿石 17千  大柴 14千
 
南巨摩= 輿石 13千  大柴  9千

中巨摩= 輿石 25千  大柴 16千

北巨摩= 輿石 17千  大柴 16千


富士吉田=輿石 13千  大柴 9千

大月市= 輿石 10千  大柴 5千

都留市= 輿石 10千  大柴 5千

南都留= 輿石 13千  大柴 9千

北都留= 輿石  8千  大柴 4千  

04松本市長選

2004-03-14 | 山梨・長野・新潟
 3月14日、松本市長選の投開票が行われた  

 新人の菅谷は、元・信州大学の小児科医で、チェルノブイリ事故で被害にあった子供たちを救う活動で有名になる。
 田中知事が、そこに目をつけて、県の衛生部長に抜擢した人物。

 田中知事派の菅谷昭と、反田中派の現職・有賀正との対決になった。
 現職側には自民、民主、連合長野、公明・創価学会など主だった勢力が支援。

当選 48758 菅谷 昭 無・新 

落選 39043 有賀 正 無・現 =自・民・公

落選 12118 田口敏子 無・新

(投票率62%)