選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

06串間市長選

2006-07-23 | 大分・宮崎
 7月23日、串間市長選の投開票が行われた。

 候補者は、現職・鈴木重格、市議・福添忠義、前市教育長・岩下斌彦。
 周辺1市2町との合併問題が争点。
 鈴木は「反対」、岩下は「合併推進」、福添は「住民投票実施」と主分かれた。

 02市長選は、前市長が選挙違反に連座して失職したことによる出直し選挙。
 当時、県議だった鈴木が県議を辞職して無投票当選。
 その一方、前市長が県議補選に立候補、批判を受けながら当選した。
 今回は前市長の支持者が、岩下を推す動きを見せており情勢は混沌となった。


当選  鈴木重格  56 無・現

落選  福添忠義  49 無・新

落選  岩下斌彦  45 無・新

(投票率81%・過去最低)


06南陽市長選

2006-07-14 | 宮城・山形・福島
 ◇市長選開票結果=選管最終発表

当 9340 塩田秀雄  無・新 =民(支援)
  9148 荒井幸昭  無・現 =自(支援)

 (無効233)

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選挙:南陽市長選 新人の塩田氏、当選  /山形
 ◇平日投票、注目の投票率は66.42%

 任期満了に伴う南陽市長選は14日投票があり、即日開票の結果、無所属で新人の前市議、塩田秀雄氏(53)が、無所属で3選を目指す現職の荒井幸昭氏(66)を破り、初当選を果たした。県内13市では初めてとなる平日投開票で、当日有権者数は2万8187人(男1万3315人、女1万4872人)、注目の投票率は66.42%と前々回の74.84%を下回り、過去最低となった。
 塩田氏は告示3週間前に出馬表明。宮内地区の経済人や、民主党の近藤洋介衆院議員らが支援し、草の根運動を展開した。選挙戦では議会軽視など、荒井氏の独断的な市政運営を批判。出遅れもあって終始劣勢に立たされたが、「明るく清潔で信頼される市政に流れを変えよう」という訴えが受け入れられ、終盤になって地元の宮内地区を中心に票を伸ばして逆転した。

 支持者らの祝福を受けた塩田氏は「市民が対話のできる市政を具体的にやっていき、職員がやりがいのある職場を目指したい」と抱負を語った。

 一方、荒井氏は自民党の遠藤武彦衆院議員や地元の佐貝全健県議のほか、現職市議が支援する盤石の態勢を構築したが、楽勝ムードによる組織の上滑りもあり、支持層や無党派層をまとめきれずに涙をのんだ。

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 ■解説

 ◇政治手腕は未知数

 「現市政の継続か刷新か」が問われた南陽市長選は、荒井氏の独断的な政治手法を批判した塩田氏が初当選を果たした。だが、政策らしい政策を打ち出しておらず、政治手腕も未知数だ。

 荒井氏に対する市民の不満は大きかった。例えば斎場問題。市は長井市と飯豊町の3市町で共同運営していた緑が丘斎場(長井市)の負担金約9500万円を無駄にしてまで新斎場「しらぎく」を建設した。市民の中にも疑問視する見方が多く、塩田氏はそういう現市政に対する批判票の取り込みに成功した。

 しかし、斎場問題では塩田氏にも責任の一端がある。当時市議として建設の是非すら論じなかったからだ。「一人では権力に立ち向かえない」と話すが、市民が納得できる説明が必要だろう。また、政策では収入役の廃止を唱えたが、荒井氏が指摘するように政府が来年度の廃止を決めている。「勉強不足だ」と言われても仕方がない。

 市が直面する課題は多い。市民の期待が大きい塩田氏には、それを乗り切る政治手腕が求められている。[湯浅聖一]

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 ◇南陽市長略歴

塩田秀雄(しおた・ひでお) 53 無新(1)

 コンクリート会社役員▽吉野区長会長[歴]衆院議員秘書▽県連合青年団長▽市議6期▽議長▽宮内高


06苫小牧市長選

2006-07-09 | 北海道
当選 43274 岩倉博文 56 無・新 =自・大地
落選 37187 鳥越忠行 66 無・元 =民




選挙:苫小牧市長選 民主、候補選考に課題 知事選に不安残す /北海道

 9日投開票された苫小牧市長選で、元衆院議員の岩倉博文氏(56)=自民推薦=が、元市長の鳥越忠行氏(66)を破り、初当選した。鳥越氏を支援した民主党・連合北海道は候補者選考が最後まで難航し、人材不足を露呈した。一方、自民党も有権者の動向を最後までつかめなかった。来春の統一地方選の「前哨戦」と位置づけられた選挙で、自民、民主両党はそれぞれ課題を残した。
 民主党苫小牧支部は当初、統一選を念頭に市長候補選びを進めていたが、突然の選挙戦で名前の上がった数人にいずれも固辞され、結局実績のある鳥越氏に出馬要請した。沖田龍児・同支部代表は「今回の状況では最善の候補だった」とする。しかし、鳥越氏は前回(03年)の敗因となった多選批判や市職員労働組合出身のため行政改革の手腕を疑問視する声を今回もぬぐい去れず、桜井前市長と同じく「市役所改革」を掲げる岩倉氏に敗れた。沖田代表は「統一選の前哨戦で負けたショックは大きいが、知事選には影響しない」とするが、不安はぬぐえない。
 統一選の目玉、知事選で、民主党北海道は前回(03年)、わずか1カ月前に鉢呂吉雄衆院議員を擁立。どぶ板選挙で票を集めたが、高橋はるみ知事には及ばなかった。来春の知事選では初めて公募制を導入し、道政奪還を掲げる。今月末まで公募し、10月の臨時党大会までに候補者を決める。だが、道議有志らが山口二郎・北海道大教授擁立に動き始めた以外、目立った動きはない。知事選でも選考にもたつき、擁立が遅れれば、再選に向けた支援態勢を着々と築く高橋知事に対抗できなくなる。
 一方、岩倉氏を推薦し勝った自民党道連にとっても6000票も引き離した勝利は予想外だった。岩倉氏が自民党苫小牧支部長として桜井前市長を擁立した経緯や、保守一本化に時間を要したため、直前まで「厳しい」との声が根強く、票の行方を読み切れなかった。伊藤条一・道連幹事長は「勝ったことは統一選への弾みにはなるが、直結するとは限らない。有権者が何を支持してくれたか分析したい」と今後の課題に掲げる。
 今回の選挙では、新党大地の鈴木宗男衆院議員が岩倉氏を全面的に支持した。ただ知事選では民主党候補を支持する意向を示しており、今後の動向が注目されている。


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 ◇苫小牧市長略歴
岩倉博文(いわくら・ひろふみ) 56 無新(1)
 [元]衆院議員[歴]苫小牧JC理事長▽日本JC副会頭▽自民党苫小牧支部長▽立教大=[自]

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前苫小牧市長、わいせつ容疑で逮捕


 北海道警苫小牧署は22日午前、飲食店経営者の女性(45)にわいせつな行為をしたとして、前苫小牧市長の桜井忠容疑者(52)を、準強制わいせつの疑いで逮捕した。
 調べによると、桜井容疑者は市長在職中の5月5日未明、知人だった女性が経営する市内の飲食店内で、女性が寝込んだ間に体を触るなどのわいせつな行為をした疑い。女性が前市長を刑事告訴していた。
 桜井容疑者は5月18日に記者会見して大筋で事実関係を認め、5月31日付で市長を辞職した。一方で桜井容疑者は「女性から現金を要求された」などとして、辞職願提出後も女性を非難するコメントを発表し、報道した新聞社に抗議するなどしていた。

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選挙:苫小牧市長選 高橋辰夫・元衆院議員の妻、睦氏が出馬の意向 /北海道

 桜井忠前市長(52)がわいせつ行為で辞職したことに伴う苫小牧市長選(7月9日投票)で、故高橋辰夫元衆院議員の妻睦(むつみ)氏(54)は12日、立候補する意向を固め、自民党苫小牧支部に離党届を提出した。高橋氏は「支援してくれる方々に誠意を持って応えたい」と語った。近く正式表明する。
 高橋氏は自民党道連会長の橋本聖子参院議員の実姉。同党では、岩倉博文元衆院議員(56)が立候補の意向を固めているほか、遠藤連道議(52)も意欲を示しており、保守分裂は避けれない情勢となった。
6月13日朝刊
(毎日新聞)

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 苫小牧市長選で岩倉氏を支持 新党大地・鈴木代表  2006/05/28 08:56

 新党大地代表の鈴木宗男衆院議員は二十七日、札幌市内で講演し、桜井忠市長の辞職に伴い七月二日に告示される苫小牧市長選に、元自民党衆院議員の岩倉博文氏が出馬の意向を固めたことに関し「以前からの人間関係から協力はやぶさかではない」と述べ、岩倉氏を支持する考えを示した。

 新党大地として正式に推薦するかどうかは「(岩倉氏が)出馬表明してから支持者の方と相談して決めたい」と述べた。

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 北海道苫小牧市:岩倉元衆院議員、市長選立候補の意向

 北海道苫小牧市の桜井忠市長(52)がわいせつ行為で辞職願を提出した問題で、自民党の岩倉博文元衆院議員(56)は7月9日投票の出直し市長選に立候補する意向を固めた。胆振、日高両管内の後援会と調整し、近く正式に表明する。

 岩倉氏は22日、苫小牧後援会の役員らと会い、自らの気持ちを伝えたという。周囲には「お世話になった方々に経過と自分の意思を伝え、理解をもらえれば、市長選への立候補を前向きに進めたい」と話しているという。ホームページの日記(21日付)にも「自民党苫小牧支部として彼(桜井市長)の推薦を決定した経緯から、その責任を当時支部長だった自らの決断で市民に示さなければならない」と記している。

 岩倉氏は苫小牧市出身。00年衆院選では、道9区で落選したが比例道ブロックで復活当選した。03年、05年の衆院選は落選した。市長選の候補にはこのほか、同市選出の自民党道議の遠藤連氏(52)、鳥越忠行前市長(66)の名前が挙がっている。
毎日新聞 2006年5月24日

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 わいせつ行為 苫小牧市長辞職

2006年05月19日

 ■ 細かな状況 隠したまま
  ――市民は怒り・落胆

 「プライベートなことだが、市民を失望させたことはまことに申し訳ない」――。航空自衛隊千歳基地への米軍F15戦闘機訓練移転問題で揺れる苫小牧市で、桜井忠市長がわいせつ行為を理由に辞職を決断した。「市民を失望させた」とする一方、「女性との個人的な出来事」を強調し、報道された女性側の主張のまちがいを今後ただしていきたい考えも強調した。密室の中で何があったのか具体的には明かされず、市民の怒りや落胆だけが漂う。

 記者会見には桜井市長と妻、代理人の伊東秀子弁護士の3人が出席した。市長は女性に対する行為の細かな状況には触れず、「日ごろ親しくしている女性経営者の体に触り、不快な思いをさせた。市長を辞職することで調整に入らせて頂く」などとメモを一気に読み上げた。

 女性との間柄については「私の市長選の時も応援してもらい、(女性が率いる)ヨサコイでのあいさつもしてきた」などと10年来の付き合いを強調。わいせつ行為そのものについては「かなり酔っていて触ってしまった。長い付き合いで心の中に甘え、スキがあったのだろう」と釈明した。

 自身の不祥事で市政への混乱が必至なことについては「市には色々な課題や行事があるが、途中で投げ出さなくてはならない形になったことについては、市民の皆さんに申し訳なく思っている」と述べた。また、今後の市長選については「私が辞職した後の選挙については、私は何らものを言える立場にない」とだけ答えた。

 正式に辞職が認められるまでは市長職にとどまることになるが、対外的な行事などには参加しない方針という。

 桜井市長の辞任表明を聞いた苫小牧市民からは、厳しい批判が多く聞かれた。

 30代の男性会社員は「辞職は当然。酒に酔っていたからといって許されるものではない。自分の立場が分からないのかな」と話した。50代の主婦は「奥さんがいながら倫理的にもいかがなものか。市民の模範となるべき人なのに」。

 高校2年の女子生徒(16)は「春季高校野球でせっかく駒大苫小牧が勝ったのに、また苫小牧の評判が下がりそう」とがっかりした様子だった。

 ■ スピード違反で昨年11月陳謝
 桜井市長は室蘭市出身。鳩山由紀夫衆院議員の秘書を経て、苫小牧市議2期目途中の03年4月に苫小牧市長選に自民党の推薦で立候補し、5選を目指した当時現職の鳥越忠行氏を破って、初当選した。

 04年3月には助役の長期不在を巡り「議会運営に混乱を招き、市長としての指導性や資質に欠ける」などとして、市議会が辞職勧告決議案を賛成多数で可決した。05年11月にはスピード違反で摘発されていたことも発覚し、同議会で陳謝した。


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06東大阪市長選

2006-07-02 | 大阪・兵庫・和歌山
 7月2日、東大阪市長選挙の投開票が行なわれた。

=構図=

 選挙戦は、四年間の実績を強調する現職の松見が、現市政を批判する長尾、西野両の挑戦を受ける構図。

 松見、西野は保守系とあって共通点が見られる。
 特殊勤務手当、給与制度見直しに言及し、職員にも痛みを分かつよう求める。

 長尾は、同和行政の終結、公共工事の削減、三十人学級の実現など、共産系の主張を押し出す一方で、吹田市が実施している障害者への支援を打ち出した。

 
【長尾】
 府立八尾高等学校、静岡大学を卒業。大学卒業後、大阪民主新報記者となる。
 79東大阪市議選に、日本共産党公認でに立候補し初当選。以後5期。
 97市長選に出馬するものの、現職・清水行雄に1万9千票の差で落選。
 清水市長の逮捕・辞職に伴う98市長選で(共産推薦・新社会支持)初当選。
 利権に終止符を打つべく市政改革を行おうとした。
 しかし、市議会などでは議員らの対立から原案の否決などが生じ、市政や議会は混乱状態に陥った。
 02市長選で、前回の市長選挙で5千票の差で落選した松見正宣に破れる。
 退任後、「東大阪民主市政を考える会」を主宰し捲土重来を期した。
 その間、大阪市立大学大学院で「修士(都市政策)」の学位を取得。

=保革対立の歴史=
 
 東大阪市では保革対立は顕著だ。

【革新ブーム】

 元大阪府議会議長だった保守系の辰巳佐太郎が三市合併後の初代市長となるが、革新系の伏見格之助がそれに替わった。

 この時期、東大阪市に革新市政が誕生には、共産・社会系の美濃部亮吉の東京都知事当選後におきた、全国的な革新高揚の流れがあった。
 そして翌年、共産系の黒田了一が大阪府知事に当選。

 第一次臨調まで、地方公務員の給与水準は民間の約半分。
 衛星都市はどこも人口流入によって行政需要が拡大し、人手不足となった自治体は職員確保に苦慮した。
 
 ところが、昭和40年代に入ると、国の勧告も有り給与水準は上がっていった。
 その給与水準の向上は職員の質を高め、優秀な人材が確保できるようになる。
 「上司中卒、部下大卒」と揶揄されるまでになる。
 職員確保に苦しんだ時代は、過去のものとなった。

 それでも、伏見市長は、最大の後援団体である労働組合・東大阪市職労の意向を反映し、労組の要求に応じ、臨時職員や嘱託職員を正規職員とした。
 また、解放同盟等の推薦により職員を採用した。
 予算に対して職員給与の占める比率が高くなり、財政的な負担となった。
 さらに、重福祉政策の結果、財政支出は増大し、不況と重なり、財政再建団体目前まで追い込まれた。
 職員の正規採用は見送られ、職員採用が復活するのは85年である。
 これにより、職員の年齢構成が歪み、瓢箪型となった。

 また、この重複福祉政策が中間層による「ただ乗り市民」へほ反発となる。
 これにより、伏見は、中間層の支持を失うこととなった。 

 82市長選で伏見革新市政の与党だった社会・共産が同和問題をめぐって対立。
 伏見が社会党に軸足を取り、共産は市政与党から離脱した。
 共産は、伏見市政の行政運営を徹底批判し、対立候補を擁立した。
 職員労働組合も、東大阪市職労から社会党系の自治労東大阪が分離独立した。
 その革新分裂の間隙を縫うように自民府議・北川謙次が保守系・中間層の支持を得て当選。
 東大阪市の革新市政は終止符が打たれた。
 
【保守市政】

 革新市政の後、北川謙次、清水行雄と16年の保守市政が続いた。
 市政運営は多数派与党に支えられて比較的安定が続いた。
 
 清水市長は、自治労東大阪労組を重用し、東大阪市職員労組の力を削いだ。
 職員定員の800人削減、国民健康保険特別会計の建て直し、下水道整備事業によって、一定の成功を収めた。

 しかし、清水市政時代には、再び団体推薦による職員採用が行われ、職員の質低下が問題となる。
 清水市政2期目には、圧倒的与党の力を背景に、市長の権力が強大になり、清水市長および側近による市政の私物化や市役所がらみの黒い噂が次々とが起こる。
 市長、与党議員推薦による職員不正採用疑惑、下水道工事入札疑惑、老人施設用地買収疑惑、新中央病院の指定薬局を後援会員が経営、愛人の絵の高額買入などである。
 これらの問題は連日新聞、テレビで放映され、取材先になった後援会関係者が自殺するという事件も起こった。
 勤務実態の無い愛人に対する厚生年金受給資格授与、住民実態の無い愛人の住民基本台帳登録容疑で、大阪府警は逮捕に踏み切った。
 清水市長は逮捕され、獄中で辞職する事になった。
 そして、自ら制定した職員倫理条例に基づき「在職中の犯罪」を理由として、退職金を返還する最初の例となった。 

 
【長尾革新市政】

 市民からは腐敗しきった自民党市政への批判が高まった。
 出直し市長選では、共産党員の元市議・長尾淳三が、共産推薦・新社会支持で、自治労東大阪・公明推薦の松見正宣を破り当選。
 16年ぶりに革新市政が復活した。
 長尾市長は、同和事業の一般事業化へと大きく舵をきった。
 また、採用試験の得点を公表することとした。
 これにより、団体推薦による不正採用は不可能になった。  
 保守系議員と癒着した職員のモラル改善、中小企業対策を掲げ市政にあたった。
 しかし、市議会運営は困難を極めた。
 元々、市議会議は野党が圧倒的であった上に、共産にも長尾支持で一本化していなかった。
 自・公・民・社の野党系議員と、それに連なる市職員が長尾と対立。
 連日、議会は空転、予算や議案は全く通らず、市民生活への影響も出てきた。


【再び保守回帰】

 松見正宣は、自民党衆院議員・西野をはじめ、公明・保守・民主・連合大阪・解放同盟・自治労東大阪・民団などの幅広い後援に支えられて当選。
 共産・新社会推薦の長尾前市長、塩川正十郎財務大臣(当時)支持の東口貞男前市議は敗れた。

 塩川と西野は選挙地盤が競合しており、ライバル関係にあった。
 市長選挙でも塩川陣営と東大阪自民は、東口を擁立して市長選挙を戦った。
 自民党は一枚岩では無かった。
 長尾淳三支持の共産党も野党として存在していた。
 つまり、与党は公明・自民・民主、野党は共産と自民塩川派である。
 松見は、安定した議会運営が可能であった。

 しかし、松見に地方自治体や議会での活動経験はなく、職員や議員ではなく、ブレーンは外部のコンサルタントに頼った。
 松見と職員・議員との間に間隙を生じた。
 これにより、多数与党のメリットを生かせなかったのである。

 松見が積極的だったのが、人権問題と環境問題であった。
 また、長尾市政で解消に向かっていた同和行政も復活した。
 そして、市職員の不透明な採用問題が表面化する。
 特定団体の推薦を受けた者を無試験で臨時職員に大量採用採用、創価学会・大民団・朝鮮総連などとの関係も批判の的となった。
 このような松見市政に対して、塩川・西野戦争で内部対立が続いていた自由民主党の一部が、与党の立場を離脱した。
 自由民主党市政刷新クラブである。
 刷新クラブは、広く一般市民とも結びつき行政訴訟を起こすなど、議会内外で激しく松見市政を批判した。

=開票結果=

  
当選 51821 長尾淳三 無・元 =共

落選 50842 松見正宣 無・現 =自・公

落選 38151 西野 茂 無・新

(投票率36%)

 松見の基礎票は公明・自民・民主で圧倒的であった。
 それにも関わらず敗れた原因の一つに、選挙直前の自民党入党がある。
 これにより一部公明党支持層が反発、組織票を固め切れなかった。

 また行政運営や施策が不安定で、自民支持層が西野だけでなく長尾にも流れた。
 長尾は、「市議会運営」以外、市長職を手堅くこなし安定感があったため、広範な支持を集めることができた。

 大阪市での「公務員」「」問題の噴出が、長尾に対する追い風となる。
 同和行政からの決別を掲げ市政を行った長尾が、有権者の不満の受け皿となったのである。
 
=第2次・長尾市政=

 長尾市政だったが、少数与党の悲哀を味わう事になった。
 野党側議員は助役、収入役に対して辞任を要求。
 3名は辞表を提出した。
 懸念通り、議会とは再び対立し大混乱している。
 一方で、大阪朝鮮高級学校の市有地占有問題を提訴、終結に向けて動くなど積極性を見せている。