選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

第45回総選挙予想・中国

2009-08-18 | 岡山・広島・山口
【中国】
鳥取1 △石破(自) 
鳥取2 ▲湯原(民) 
島根1 ○細田(自)
島根2 ▲竹下(自)

岡山1 ▲高井(民)
岡山2 ●津村(民)
岡山3 ◎平沼(無)
岡山4 ●柚木(民) 
岡山5 ▲花咲(民) 

広島1 ★菅川(民)
広島2 ●松本(民)
広島3 ★橋本(自)
広島4 ☆中川(自)
広島5 ●三谷(民)
広島6 ◎亀井(国)
広島7 ▲和田(民)
山口1 △高村(自)
山口2 ●平岡(民)
山口3 ○河村(自)
山口4 ○安倍(自)

07広島市長選  動向

2007-03-03 | 岡山・広島・山口
選挙:広島市長選 連合広島が秋葉忠利氏を応援 /広島
 連合広島(宮地稔会長)は2日、4月8日投開票の広島市長選で、前回選同様、秋葉忠利・前市長を応援すると発表した。19日の執行委員会で正式決定する。宮地会長は「核兵器廃絶に向けた連合の運動に協力していただいており、今までの取り組みも評価できる」と説明した。

 秋葉氏から推薦要請はなく、方法は各組織の判断に委ねる。連合広島地域協議会に参加する同市内の組合員数は約6万人。

毎日新聞 2007年3月3日

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<広島市長選>秋葉氏3選出馬表明

 今回から統一地方選に合わせて行われる広島市長選で、秋葉忠利・広島市長(64)は2期目の任期満了を迎えた22日、3選を目指して立候補することを明らかにした。秋葉氏は広島修道大教授などを経て、90年に旧社会党から衆院議員に初当選。99年に同市長に初当選した。

毎日新聞

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広島市長が3選出馬へ 5人の争い

 広島市の秋葉忠利市長(64)が、4月の統一地方選で実施される市長選に3選を目指し出馬する意向を固め、関係者に伝えたことが13日、分かった。

 秋葉市長は同日、取材に対し「検討している。後ろ向きだったら辞めている。結論が出たら正式に表明する」と述べた。

 秋葉市長は大学教授や衆院議員を経て、1999年に初当選した。

 市長選には、自民党参院議員の柏村武昭氏(63)と広島市議の大原邦夫氏(57)のほか、会社員前島修氏(33)、不動産業荒木実氏(63)が立候補を表明している。

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2007年02月13日20時48分

自民市議が市長選選対本部
2007年2月6日(火)10:00

 広島市長選に向け、自民党籍を持つ広島市議が5日、党推薦候補の参院議員柏村武昭氏(63)を支援する選挙対策本部を発足させた。藤田博之議長が本部長。広島市議を辞職した大原邦夫氏(57)を推す市議の一部は会合を欠席し、足並みの乱れを抱えた始動となった。長期欠席中の2人を除く29人をメンバーとしたが、議会棟で開いた発足会合には29人のうち大原氏支援で動いている市議を含め5人が欠席した。

(中国新聞)
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2007年1月31日

選挙:広島市長選 大原氏出馬表明、保守分裂の様相 自民市議、胸中複雑 /広島

 広島市長選に出馬を表明した広島市議の大原邦夫氏は30日会見し、
 「現在の事業をすべて見直し整理することで、広島市を根こそぎ改革する。後戻りできないという不退転の気持ちで戦いたい」と抱負を述べた。

 大原氏は「(秋葉忠利)現市長の2期8年で解決した問題は非常に少なく、市長は結果責任を取るべき」と主張。
 平和行政については「核兵器廃絶を訴えるのは、広島にしかできない最大の仕事」として、
 国際NGO「平和市長会議」への国内都市の参加を求めることや、全国の平和NPOのネットワーク作り支援などを掲げる。

 新球場建設は「09年4月オープンを厳守しながら、90億円で本当に出来るのかなど、予算の見直しも含めて検討する」と述べた。

 大原氏には、自民党系市議の一部が応援する意向を示している。
 同党は柏村武昭参院議員を推薦しており、保守分裂の可能性が高まっている。
 大原氏は、柏村氏について「経験は豊富だが、地方行政への基本的な考え方や具体的な政策をなかなか出されない。市政を変えなければという同じ立場なので、切磋琢磨(せっさたくま)しながらともに戦いたい」と述べた。
 また「議員同士の議論と離れたところで候補者が選ばれたことが、今日の結果を招いたのではないか。もっとオープンな形だったら、こんなことにはならなかったのに残念」と話した。
 大原氏は無所属で出馬。
 「支援してもらえるなら、政党を問わずお願いしたい」と述べた。

 大原氏の出馬表明を受け、自民党系市議の一人は「また情けない状況を繰り返すのか」としながら、
 「党は締め付けを強めてくるはず。自身の市議選を目前にして、それでも反発する議員が実際どれだけいるだろうか」と指摘した。
 また別の自民党系市議は「柏村さんの知名度がなければ、勝てない。ただ大原さんは市議仲間で広島をよく知っており、難しくなる」と複雑な表情を浮かべた。

(毎日新聞) 

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市長選、自民分裂に危機感
2007年1月31日(水)10:00

 広島市長選で参院議員の柏村武昭氏(63)を推薦する自民党が、広島市議大原邦夫氏(57)の参戦に神経をとがらせている。党籍を持つ31人の広島市議のうち、6人が支援の構えをみせているからだ。広島県連は、現職の秋葉忠利氏(64)も「必ず出てくる」と判断、一本化して3選を阻止するシナリオを描いていたが、その戦略の練り直しも迫られる情勢となり、「造反分子」に厳罰で臨む方針を強めている。

(中国新聞)

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大原氏が広島市長選出馬表明
2007年1月31日(水)10:00


 広島市議の大原邦夫氏(57)=南区選出=は30日、中区の市役所議会棟で記者会見し、4月8日投開票の広島市長選に無所属で立候補することを正式表明した。大原氏は「立候補を促す声や、選挙の選択肢を増やしてほしいという要請が届いている」と決断の理由を説明。そうした声の底流には、財政難を理由に事業を動かさない今の市政に問題があると指摘、「広島を変えたい。根こそぎ改革を進める」と決意を述べた。

(中国新聞)

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広島市長選:市議が出馬表明 4月8日投票
2007年1月30日 20時36分

 4月8日投開票の広島市長選に、広島市議の大原邦夫氏(57)=無所属=が30日、立候補することを表明した。大原氏は「市民の間に広がる閉塞(へいそく)感を打破するため、大勢の市民の参画で広島を変えたい」としている。大原氏はNHK記者などを経て、95年同市議に初当選。現在3期目。

(毎日新聞)

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選挙:自民県連選対、立候補予定11人を公認・推薦 /広島

2007年1月25日

 自民党県連の選挙対策委員会が24日、中区のホテルであり、今春の県議選や広島・尾道両市議選に立候補予定の計11人の公認と推薦を決めた。

 県議選で中区から出馬予定の新人候補1人の扱いは今後協議するという。奥原信也・幹事長は「原則的には現職を公認、新人を推薦とするが、一部の候補者については、選対委員のメンバーから意見があり協議することになった」と話した。また、広島市長選などについて「党公認候補以外の候補を応援した場合は除名や離党勧告も含めて処分する」と述べた。

(毎日新聞)
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10月28日
柏村参院議員が広島市長選出馬へ…週明けにも正式表明

 自民党の柏村武昭参院議員(広島選挙区)は27日、来年2月に任期満了となる広島市長選へ出馬する意向を固めた。週明けにも正式表明する。

 柏村氏が市長選出馬のため、議員を辞職・失職しても、公職選挙法の規定により来年春の参院広島補選は行われない。

(読売新聞)

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広島市長選まで半年 候補選び過熱
8月22日 (火)


 広島市の秋葉忠利市長(63)の二期目の任期が二十二日、残り半年になった。市長は三選への立候補について沈黙を貫いているが、秋葉市政への批判を強める市議らは「意欲は十分」とみて、対立候補を擁立する構えを見せる。市長選の投開票日は来年一月下旬から二月上旬の見込み。日程をにらめば九月が擁立の一つのポイントになるとして、「勝てる人材」選びが熱を帯びてきた。(林仁志)

 「アンチ市長」の立場を鮮明にする自民党系市議が、勢いづいている。六日にあった長野知事選。「改革派」「県民党」を掲げた田中康夫氏が、自民党が推す元衆院議員に敗れ、県政の舞台から退場することになったからだ。

 「長野の結果は(秋葉市長にとって)衝撃だろう。いつまでも改革では有権者は疲れる。広島でも似たようなことは起きる」とベテラン市議は興奮気味に語る。

 田中氏と類似点

 無党派層に軸足を置き、旧来型政治との決別を宣言。ダムを無駄な公共事業の象徴と位置づけ、建設を中止した。議会や既成団体との対決を逆に自身への支持に結びつけた。その田中氏と、秋葉市長の選挙・政治手法は似通っており、市長選の勝機も見いだせるとの論法である。

 市長に近い人物はそうした見方について、「ある意味、的を射ている」と語る。市長は田中氏の発想、実行力を高く評価していたという。かつて市長の選挙戦に田中氏が来援するなど接点もあった。「しかし、精査すると決定的な違いがある」とも付け加える。

 たとえば公共工事の見直し。市長は学識経験者らの委員会を設置したが、最終的に多くの事業が継続になった。徹底を欠くとの批判がある一方、現実的な幕引きと評価する向きもある。

 県との亀裂回避

 また、「旧来型」とされる政治家とも共鳴する部分があれば協調はいとわない。衆院議員時代に連立政権を経験し、自民党とのパイプも維持。七月、東京であった故橋本龍太郎元首相の告別式にも駆け付けた。かたくなに見えて、政治的には融通無碍(ゆうずうむげ)という。

 市議会との対立では強硬姿勢と受け取られがちだが、藤田雄山県知事の度重なる市への批判にも「記者会見や人を介してやり合ってもいいことにならない」との態度を保ち、結果的に県と市の亀裂を回避してきたとの声もある。長野県の結果が広島にそのまま当てはまらないという理由だ。

 秋葉市政へのこうした見方が交錯する中で、自民党筋の候補擁立の模索は続く。地元出身の官僚との接触や意向打診は水面下で活発化。過去二回の市長選を反省して対応は県連に一任し、一部の賛成は得られなくても党が推す候補を応援するとの点で一致している。

 これまでは市議と自民党の間に市長選の主導権をめぐってきしみもあった。進まない候補者選びに党県連は「市議会は何をしとるんか」。市議サイドは「人ごとでないだろう。党も汗をかけ」と応酬したこともある。

 ただ、ここに来て結束して広島市長選に本腰を入れるべきだとの考えが膨らんできた。昨年九月の衆院選で党は大勝したものの、一連の小泉改革で表面化し始めた格差に対する反感が広がりつつある。民主党が自民党との相乗りはしないと旗色を鮮明にしている以上、選挙の結果が党の今後を左右するためだ。

 すでに戦術論も

 若手市議は「九月の党総裁選で安倍晋三氏が勝てば、県連会長の中川秀直氏も政権中枢にとどまる。勢いを駆って流れを起こそう」と気勢を上げる。候補は決まらないまでも、「市民党の候補として声を上げ、その隊列に自民党や市議、県議が加わる形にしたい」などの戦術論も、はや飛び交う。

 一方の秋葉市長。七月の記者会見で市長選への対応を問われ、「その質問は今年いっぱい凍結しませんか」と切り返した。別の場でも「残り任期に全力を尽くす」と言うにとどめている。市長選に名乗りを上げているのは現在、市民団体代表で会社員の前島修氏(32)ただ一人である。

(中国新聞)

 

06井原市長選

2006-09-03 | 岡山・広島・山口

当選 14926 滝本豊文  無・新 =民(推薦) =自(村田支援)
落選 13512 谷本 巌   無・現 =連合(井原推薦)=自(加藤支援)


 井原市長選は滝本氏当確。民主と村田吉が支援。

 新人で旧芳井町長の滝本豊文=民主推薦=が、現職・谷本巌を破り初当選。
 旧芳井・美星両町を編入合併してから初めての選挙戦を制した。

 五選を目指す現職の谷本巌、元岡山県芳井町長で新人の滝本豊文=民主推薦=が立候補を表明。
 旧芳井・美星町を編入合併した新市のまちづくりを問う。
 二人は一緒に合併を協議した間柄。
 両陣営にはそれぞれ、自民党衆院議員や県議が支援に入り、激しい戦を繰り広げている。



 自民党衆院議員や県議、地元有力企業が両陣営に分かれ、さまざまな「代理戦争」の様相を呈しながら、選挙戦本番を迎える。
 自民党衆院議員は、加藤勝信が谷本の集会に積極的に出席し、支持を訴える。
 村田吉隆は滝本全面支援の姿勢を鮮明にしている。
 05衆院選。
 加藤氏は一時、無所属で村田氏に挑む構えを見せ、告示前夜に党本部主導で直接対決を回避。
 今後は「コスタリカ方式」で交互に岡山5区から立候補することになった。
 今回の市長選では、「代理戦争」の色を濃くしている。
 県議も、ともに自民党の小田春人(旧井原市・後月郡)は滝本を、池田道孝(旧小田郡)は谷本をそれぞれ支援する。
 07県議選は選挙区の合区により、定数二の「井原市・小田郡」が誕生する。
 その「前哨戦」の一面ものぞく。
 小田は新たに選挙区となる旧美星町も含む市全域を歩き回り、池田は地盤の旧美星町を中心に集会で応援演説する。
 有権者の多い旧井原市域から三人目の県議候補が出れば激戦は必至。
 両氏とも足場を固めたい。
 建設業界をはじめ地元有力企業を二分する中、両陣営の支持基盤は絡み合う。
 衆院議員との関連では、村田の支持者が谷本の後援会役員を務めたり、加藤系列の市議が滝本を支援するケースもある。
 さらに、民主党県連は滝本を推薦し、連合岡山井原は谷本を推薦した。
 さまざまな「ねじれ」が構図を一層複雑にし、混戦模様に拍車をかける。
 自民党県連、公明党県本部は自主投票を決めた。



06防府市長選

2006-05-28 | 岡山・広島・山口
 5月28日、防府市長選挙の投開票が行われた。 

 3選を目指す現職・松浦正人と、元自治官僚で下関副市長を務めた新人・陶山具史の一騎打ちとなった。

 最大の争点は、山口市との合併の是非。
 松浦は合併反対、陶山は合併推進ながら市民の声を聞くという立場。
 松浦は市議時代から約30年間の政治活動で築いた強力な後援会が運動の中心。
 陶山は、合併推進の自民・連合山口から推薦を受けている。

 松浦正人の出陣式には、上田清司・埼玉県知事、澤田光穂・防府商工会議所会頭らや市議9人が出席した。
 上田知事は単独市制継続を支持した。

 陶山具史の出陣式には、地元選出の高村正彦衆院議員、林芳正・岸信夫両参院議員、その他にも自民・民主の県議や市議11人が顔をそろえた。
 挨拶に立った自民党県連の河野博行会長、連合山口の長嶺平治会長は合併問題には特に触れなかった。


当選 35621 松浦 正人 無・現

落選 23252 陶山 具史 無・新 =自・連合

(投票率63%)


=見解=

 争点が明確であれば、組織の力は、たかが知れている。
 投票率が60%を超えて、組織の力で勝利するなどということはない。
 敗れた新人候補は、下関の副市長を務め、当時の安倍官房長官とも近い存在であったが、それが選挙に影響することはなかった。

05衆院選~岡山  幻の真正自民党

2005-09-11 | 岡山・広島・山口
【1区】
逢沢一郎 12万7千<自・前> 
菅源太郎 06万1千<民・新>
植本完治 01万2千<共・新>
福島捷美 00万9千<社・新> 

 総選挙で党の存亡をかけた戦いを迫られている社民党、岡山で5年ぶりに小選挙区に公認候補を擁立した。
 03総選挙、04参院選はともに公認候補を立てられずに不戦敗だった。
 比例票は、岡山2区に公認を立てた00総選挙で7万を得たが、03は3万にまで落ち込んだ。
 他県でも比例票は激減し、比例中国ブロックの議席を失った。
 党の存在意義を問われかねないだけに、責任をとる格好で、岡山社民の幹事長・福島捷美が1区から出馬した。
 元県議の福島は、3区に属する備前市日生町が地盤ではあったが、平沼と戦うよりは、無党派層への働きかけができる岡山市内の方が有利と判断し、1区から出馬を選択した。
 まや1区の民主党候補は菅源太郎であるため、民主支持層の取り込みもできるとの計算があったものと思われる。
 社民党にとって、存亡をかけた選挙であった。

【2区】
津村啓介 8万8千<民・前>
萩原誠司 8万6千<自・新>
尾崎宏子 1万4千<共・新>

 郵政法案反対の自民前職・熊代昭彦が公認を得られずに出馬を断念、代わって岡山市長の萩原誠司が小泉首相の要請を受けて立候補する異例の事態となった。
 萩原には、任期途中で市長を辞職したことへの批判があった。
 萩原は出遅れを取り戻そうと、「比例は公明」で公明との連携に懸命だった。
 市長時代に築いた公明との関係を基礎に、自公の枠組みで勝負という形を取った

 津村は、萩原が市長として築いてきた組織や知名度に危機感を強める。
 地方議員や企業の支援は萩原陣営より圧倒的に少ない。
 初当選以来、ミニ集会を重ねた津村の自力が問われる選挙になった。

岡山市…自民114(35)民主104(31)公明57(17)共産23(7.5)社民17(5)国民15(4.5)

【3区】
平沼赳夫 10万0千<無・前> 
阿部俊子 05万9千<自・新>
中村徹夫 03万6千<民・新>
中嶋義晴 00万8千<共・新> 
 
 瀬戸内沿岸から中国山地までつながる3区は県内最大の選挙区だ。
 これまで圧倒的な強さを誇ってきた平沼赳夫は、郵政法案反対のため今回は自民公認を得られず、自民・阿部俊子が対立候補として乗り込んできた。

 阿部は比例中国ブロックの名簿順位は1位だが、公選法の規定で3区での得票が有効投票の1割以上なければ比例での復活当選もない。
 地元に縁もゆかりもない阿部は「自民公認」を強調、自民支持者を取り込むと同時に、「比例は公明」で公明支持層の取り込みも行った。
 平沼が創価学会批判の急先鋒だったこともあり、公明への浸透は成功した。
 また、党本部からの支持で、自民党県議が陣営に加わり、急速に支持を広げた。

 一方、平沼も、自民党県連の支援を受けた。
 平沼は危機感を感じ、他選挙区の応援は3日だけ、あとは地元に張り付いた。
 自民党幹部として、ほとんど地元をあけていた前回とは様相をことにした。

 平沼は必死であった。
 当初、100名以上いたはずの「優勢懇話会」の同志は、採決時には40名を割っていた。
 盟友の古賀・高村両名も「退席」で「反対」には回らなかった。
 綿貫を旗頭にしながら、「郵政懇話会」での議論をリードしてきたのは、他ならぬ古賀誠であった。
 小派閥のころから苦楽を共にしてきた子飼いの中堅若手からも「造反」が出る。
 そして、覚悟はしていたという解散総選挙に突入する。
 兼ねて、約束のあった「石原新党構想」、結成なら今だと長年の盟友石原のもとを訪ねる。
 しかし、石原の返事はつれないものであった。
 石原の息子2人が自民党公認で選挙戦に出る。
 石原に自民党へ反抗する気などない。
 郵政政局の最中、平沼が繰り返した「真正自民党」構想は頓挫する。
 平沼が途方に暮れる中、盟友中の盟友・亀井静香が「国民新党」を立ち上げ。
 綿貫は「西郷の気持ち」で党首を引き受ける。
 しかし、その時すでに、小泉自民党の勝利は確実な体勢であり、追い出された同志の苦戦が伝えられていた。
 自民党を出るわけにはいかない。
 亀井の誘いを蹴り、平沼は無所属での出馬を決意する。
 しかし、平沼は弟分ともいえる反対派議員の応援に出かけながら、それ以外は選挙区に張り付く厳しい選挙戦になった。
 本来なら、応援に出かける時間すらなかった。
 「生長の家」出身の平沼は、創価学会・公明批判の急先鋒であった。
 なんの地盤もない落下傘候補が、公明党、そして中央からの指示で動いた議員の精力的な動きで、平沼の地盤を崩しにかかったのである。
 平沼自らが握手をして歩くという徹底した地上戦で、大差で当選を果たす。
 しかし、選挙戦そのものは、総裁候補のそれではなかった。

 自分の家であった派閥は、新しい主の下で再出発している。
 平沼の苦闘は選挙後も長く続くことになる。
   
津山市…自民19(35)民主16(30)公明9(17)国民4(7.5)共産3(5.5)社民3(5)

【4区】
柚木道義 10万2千<民・新> 
橋本  岳 09万6千<自・新>
東   毅 01万7千<共・新>

 4区は、橋本龍太郎元首相から地盤を継いだ次男の橋本岳と、03総選挙で竜太郎氏に敗北した柚木道義が接戦を繰り広げた。

 橋本は、「龍太郎の後継」の後継を前面に出しての選挙戦となった。
 父の龍太郎に加え、小渕優子、久間章生らが続々応援に駆けつけた。 
 さらには、叔父の橋本大二郎・高知県知事も応援に駆けつけた。
 元首相の1億円献金問題に加え「世襲」批判と、逆風の中の短期決戦であった。
 頼みの綱はやはり、14期連続当選の父の組織と人脈だ。
 「比例は公明党」で、公明票の取り込み図った。

 柚木は、「政権交代」に加え、「世襲批判」を看板に選挙戦を戦った。
 今回、菅直人・民主党前代表も2回来援し、また前回齟齬のあった連合岡山との連携もうまくいった。

 「大物の倅」というだけで、当選できる時代ではない。
 世襲議員は、確かに多いものの、ただ御輿に乗っかるだけで勝てるほど甘いものではない。
 世襲でもいいが、その代わり能力のアピールが重要になってくる。
 能力なき世襲候補が、楽々当選という時代ではない。
 保守王国ではあっても、選挙区の私物化である安易な世襲は批判の的になる。
 国民の意識は、大きく変わっているのだということがはっきりとした選挙であった。
 もちろん、民主も他人事ではない。

倉敷市…自民78(34)民主74(32)公明42(18.5)共産14(6.5)国民10(4.5)社民10(4.5)

【5区】
村田吉隆 11万5千<自・前> 
花咲宏基 06万8千<民・新> 
堀  良道 01万0千<共・新> 

 全国が優勢の喧騒に包まれる中、5区では、村田吉隆と加藤勝信の間で、激しい公認争いが繰り広げられた。

 加藤は00、03衆院選で比例区単独候補として立候補した。
 「2・3回連続で比例の議員は、比例名簿に登載しない」というのが自民党の原則である。
 これを基にづき、加藤は「小選挙区で立候補できる番」と、5区での公認を申請したのだ。
 しかし、村田は小選挙区を譲らなかった。
 小選挙区と比例区に交代で立候補するコスタリカ方式採用などの配慮を申し入れたが、党本部は5区での村田の公認を決めただけであった。
 加藤は、村田との間でコスタリカ方式成立を期待した。
 だが、村田はコスタリカを拒否した。

 民主新顔・花咲は、自民対決のよる埋没を警戒していた。

 所属する旧橋本派の額賀福志郎は、「比例上位、次回以降は今後調整」の線で村田の所属する宏池会の古賀誠や、自民党総務局長・二階との間で協議を持った。
 協議が不調に終わり、加藤は、一旦は、無所属での出馬を決断した。
 この決断を受けて、自民党県連は「自主応援」と決めた。
 しかし、その後、「上位登載」の条件提示を受け、加藤勝信は自民の党内調整に応じ、比例区に回った。
 これにより、選挙前の自民党の内乱は終結した。

 加藤の伯父は加藤六月元農林水産大臣である。
 六月は安倍晋太郎の信任の一番厚い政治家とされ、三塚・森・塩川と並んで、森派四天王と呼ばれた程の大物である。
 安倍の死後、三塚と六月との間で後継をめぐる「三六戦争」が勃発した。
 旧中川派の支持などで三塚優勢となり、森・塩川も三塚に付く中、六月は一敗地にまみれ、清和会を追われる事となった。
 この「三六戦争」で、三塚側の急先鋒だったのが小泉純一郎である。
 小泉こそが、六月を清和会から追放した張本人である。
 六月の清和会総会への出席を実力で阻止、六月の追放を声高に唱えた。
 その後、三塚清和会が竹下登に傾倒していくのと同時に、六月は小沢一郎に傾倒していく。
 
 前置きが長くなったが、加藤に比例上位の確約がなされたのは、公示日前日である。
 自民分裂という事態を省みず、自民党党中央が、加藤をここまで追い込んだのは何故だろうか?
 加藤は六月の後継であり、さらに橋本の紹介で平成研へ入会している。
 小泉の支持があったのだと考えるのは、裏読みのしすぎであろうか? 

笠岡市…自民12(39)民主9(29.5)公明5(16)共産2(6)国民2(6)社民1(3.5)

04参院選~岡山

2004-07-11 | 岡山・広島・山口
 岡山においても選挙戦のキーワードは【年金】と【公明】であった。

【年金未納問題】
 民主・江田五月は、演説会用ポスターの手直しに追われた。
 ポスターは、江田の両脇を当時は党代表だった菅直人と代表代行だった小沢一郎が固める図柄で、大物2人の「橋渡し役」をアピールする狙いだった。
 ところが、菅・小沢の両者は国民年金の未加入問題で、代表辞任や代表選立候補辞退に追い込まれた。
 これでは、年金問題で要職を退いた過去の人というイメージになってしまう。
 応援に菅が駆けつけたが、拍手はまばらだった。
 直前まで、菅が来れば選挙に悪影響を与えかねないととの声もあった。。
 未納問題は馬鹿馬鹿しい話であるが、清潔感で売ってきた江田だけに、陣営にはダメージは大きいと懸念もあった。

 自民・加藤紀文は、地元での緊急記者会見で未加入を公表した。
 陣営内では、説明するほどの話ではないという声が聞かれた。
 問題は制度上の不備で、議員個人の責任論は峠を過ぎており、選挙への影響もないとする見方が大勢であった。
 
 共産候補に未納期間は無く、攻撃材料として活用した。

【公明党・創価学会】 
 加藤の講演会で、岡山公明の元原敏治が壇上に上がった。
 元原は参院選比例区の谷合正明の後援会代表世話人であった。
 そこで、谷原は選挙区での加藤支援を明言した。
 加藤の後見役の平沼は、かつて反公明・反創価学会の急先鋒の一人だった。
 平沼は自身の選挙では「比例も自民」と訴えていた。
 しかし、今回は様相ががらりと変わった。
 自民の集会で、谷合後援会の入会勧誘をするケースもあった。
 自民・公明の地方議員が連れ立ってあいさつ回りをしている地域もある。
 安倍晋三幹事長は「『比例は公明に』という呼びかけはできない」とした。
 しかし、呼びかけは必要なかった。
 自民の後援会名簿をもとに、公明が直接、支持を求めることができるからだ。

 民主・江田五月陣営も公明に秋波を送ってきた。
 かつて、江田と公明は協力関係にあった。
 96知事選に立候補した江田は石井正弘現知事に敗れた。
 新進・公明の推薦候補であった江田は、公明支持者から支援を受けたのだ。
 98参院選で江田がトップ当選した時も、公明は自主投票だったが、知事選の流れで、公明支持者の大部分が江田に投票した。
 江田は、公明支持者が江田にシンパシーを抱いていると期待もしていた。
 
 岡山民主の津村啓介は、谷合の写真集出版記念パーティーを訪れた。
 しかし、公明幹部から入場を断られ、その場を立ち去った。
 そして、江田が寄せたメッセージも、読み上げられることはなかった。
 岡山公明本部レベルでは、選挙区は加藤でまとまっていた。
 県内の国政選挙で公明支持層の自民候補への投票率は60%を超える。

 そこで、江田陣営は「30対50」という言葉で引き締めを図った。
 03衆院選比例の得票は、民主・30万、自民・33万、公明・17万だった。
 自民票に公明票がそのまま乗れば「30対50」という計算だ。

江田 五月 49万9千<民・現>(56)
加藤 紀文 34万9千<自・現>(39)
植本 完治 04万3千<共・新>(5)

 江田が安定した戦いぶりで再選を果たした。

 江田は圧倒的知名度に加え、連合岡山の推薦、岡田、菅直人の応援により、県内全域で優勢を保った。
 民主支持層の9割、無党派層の8割に浸透し、公明支持層にも食い込んだ。

 加藤は公明の比例候補者との協力を進め、公明の支援も得た。
 小泉総裁、安倍晋三幹事長らの応援も受けた。
 自民支持層の8割近くを固めたが、公明支持層をまとめきれなかった。

【岡山】
 岡山市内の加藤の事務所開きで、県知事、石井正弘が声を張り上げた。
 民主・江田五月との接戦となったのは、96知事選のことだ。
 絶叫調で加藤への支援を訴えた。

 江田の事務所開きに石井の姿はなかった。
 出納長が知事の代理として出席したが、来賓として紹介されるにとどまった。
 石井は加藤の応援には度々駆けつけた。
 だが、江田の集会には、祝電または代理出席で済ませた。
 県庁近くの石井の後援会事務所には加藤や公明の候補のポスターが並んだ。
 江田のものはなかった。

 石井は次期知事選に立候補を表明していた。
 自民からは初当選以来3回連続、民主からは初の推薦を受けた。

 江田は知事に「中立」をもとめていた。
 また、マニフェストの岡山版で、石井の持論「中四国州の実現、岡山市を州都に」を盛り込んだ。
 これにより、知事の全面応援を回避しようとしていた。
 それに対して、自民には知事に民主推薦の返上を求める声が上がった。
 石井は自民党に配慮し、「中立」を建前に、実質的な応援で差をつけるという苦肉の策を取ったのである。 

岡山市… 江田15万6千(58) 加藤09万8千(36)
玉野市… 江田02万0千(58) 加藤01万2千(36)
御津郡… 江田00万7千(54) 加藤00万6千(42)
児島郡… 江田00万4千(57) 加藤00万3千(38)
邑久郡… 江田01万2千(58) 加藤00万7千(37)

当初から優勢と見られていた江田であるが、予想以上の大差となった。
周辺部でも、軒並み江田が勝利した。

岡山市…民主99(37.5)・自民76(29)・公明57(21.5)・共産20(7.5)・社民12(4.5)
 
 比例表から分析すると、共産の1.5と、社民の4.5が江田として、民主の37.5と合わせて、43.5となる。
 選挙区での江田の得票との差は、14.5と大きい。
 これを江田の個人票とみれば、候補者によっては負けていた可能性が大きい。
 岡山民主は1区での候補者の差し替えなど、江田の個人人気に頼らずとも当選できる基盤づくりを進めるべきである。

【津山】
 加藤の選対は、同じ亀井派の平沼赳夫らが中心になって取り仕切った。
 以前は、一生懸命やっているのは平沼だけとの声もあった。
 加藤の時局講演会の開催地は県北を中心とする3区内が多い。
 今回は、平沼以外との連携を急ぎ、全県の自民・公明勢力の支援を取り付けた。

津山市… 江田2万2千(55) 加藤1万5千(39)
真庭郡… 江田1万3千(49) 加藤1万3千(46)
苫田郡… 江田0万6千(52) 加藤0万5千(43)
勝田郡… 江田0万7千(48) 加藤0万7千(48)
英田郡… 江田0万9千(50) 加藤0万8千(45)
久米郡… 江田0万9千(51) 加藤0万7千(43)
備前市… 江田0万8千(56) 加藤0万6千(40)
赤磐郡… 江田1万7千(56) 加藤1万2千(39)
和気郡… 江田0万9千(54) 加藤0万7千(42)

 さすがに平沼の地盤、県平均に比べ、加藤の得票率は高い。

津山市… 民主15(40)自民12(31.5)公明7(18.5)社民2(5) 共産2(5.5)

 民主と社民を合わせて45、共産の選挙区との差は、ほとんど0である。
 よって、江田は個人で10取ったことになる。
 平沼の地盤で、この芸当ができるのは江田しかいないと思われる。
 また公明票の高さから考えて、平沼の地盤でも「比例は公明」はそれなりに効果があったものと思われる。

【倉敷】
 元首相の橋本龍太郎と、加藤の叔父にあたる元農水相の加藤六月が、衆院旧岡山2区時代から激しい選挙戦を繰り広げ、「六龍戦争」とも呼ばれた。
 今回の参院選を機に本格的な雪解けを迎えている。
 橋本は倉敷市内の後援会事務所を、六月氏の甥である自民現職、加藤紀文の陣営に提供。
 2氏が地元倉敷で応援弁士としてそろい踏みした。
 出陣式では、橋本と六月が握手をする場面も合った。
 保守票をめぐって激しい集票合戦を繰り広げ、系列の地方議員や支持者も巻き込んで反目し合った両氏の融和は、橋本氏の口添えで六月氏の娘婿、勝信氏が自民党入りしたのがきっかけ。
 これを機に、六月は政界を引退し、03総選挙の比例中国ブロックで初当選を果たした勝信は橋本派に入った。

 選挙戦では、橋本系、加藤系とされてきた県議らも、かつての「敵陣」に乗り込んで応援することがしばしば。
 勝信が無所属で立って、保守分裂選挙となった6年前にはあまり見られなかった光景だ。
 紀文の陣営も「わだかまりを乗り越えられた効果は大きい」と、岡山市に次ぐ票田の動向に期待を寄せる。
 橋本にとっては、反橋本の芽を完全に摘む機会。
 一方の加藤家側は橋本の力がないともう選挙は戦えない。
 利害が一致した結果だ。

倉敷市… 江田10万4千(59) 加藤06万4千(36)
都窪郡… 江田00万6千(59) 加藤00万4千(37)

 人気のある江田が相手とはいえ、予想以上の惨敗である。
 年金問題での風向きが変わったことを考えても、橋本・加藤という超大物が同盟を組んで支援してこの結果である。
 橋本・加藤というビックネームも過去のものになっていたということだ。
 
 06年、両雄とも、この世を去った。
 2人の功績を偲ぶと共に、岡山から両雄を超える政治家が生まれることを願いたい。

倉敷市… 民主67(39)自民48(27.5)公明40(23)共産11(6.5)社民7(4)

 ここでも江田の個人票が10ポイントほど確認できる。
 民主の勝利とはいえない。
 自民にしても、橋本・加藤両氏の死去で、地盤の強度は落ちる。
 民主に勝つには、魅力ある候補者の擁立が不可欠である。 

【笠岡】
 03衆院選5区で自民・村田吉隆に敗れた民主・秦知子が、04参院選での比例区出馬を要望していた。
 選挙区の江田と比例の秦が一緒に選挙戦を展開すれば、票の掘り起こしにつながる。
 だが、秦は敗れたとはいえ比例の次点という健闘ぶりだっただけに、江田らは、次の衆院選で当選を目指すべきと、参院転出を認めなかった。
 これを不服とし、秦は、次期衆院選の出馬辞退と県連副代表の辞任を表明した。
 秦が務めていた県連5区総支部の代表は空席のまま江田が代行しており、混乱への対応を巡る不満も消えていない。
 この混乱で秦が掘り起こした票が逃げかねない。
 
 追い風の中で、江田陣営にも綻びがあった。

笠岡市… 江田1万5千(54) 加藤1万1千(42)
井原市… 江田0万8千(50) 加藤0万7千(46)
総社市… 江田1万5千(58) 加藤0万9千(35)
高梁市… 江田0万6千(46) 加藤0万6千(48)
新見市… 江田0万6千(51) 加藤0万6千(43)
浅口郡… 江田1万6千(56) 加藤1万1千(40)
小田郡… 江田0万6千(48) 加藤0万6千(48)
後月郡… 江田0万1千(41) 加藤0万2千(56)
吉備郡… 江田0万6千(57) 加藤0万4千(38)
上房郡… 江田0万4千(45) 加藤0万5千(51)
川上郡… 江田0万3千(42) 加藤0万4千(55)
阿哲郡… 江田0万4千(46) 加藤0万4千(50)


笠岡市…民主10(38.5)自民9(34.5)公明5(19)共産1(4)社民1(4)

 笠岡の江田票は推定7.5で、4都市中最低であった。
 この結果は、秦の離反の結果というよりは、はじめから江田人気が比較的薄い地域であるということを示すものだろう。
 江田は低投票率の中、9万と秦の7万を上回る結果を得た。
 逆に、秦の健闘が江田の効果によるものであるという印象さえある。
 秦の離反の影響力は、皆無とはいえないが、限定的であった。



 今回の江田の勝利は、年金で自民に逆風だったのと、それ以上に、江田の個人的な人気によるところが大きい。
 これは、候補者が違っても成り立つものではない。
 とりわけ、岡山・倉敷以外で新顔が浸透するのは難しいと思われる。
 民主は自民・片山に付け込めるのは両市をおいてない。
 両市での大量リードが選挙区制派の鍵である。
 とりわけ岡山市での活動を見直す必要がある。

 自民は、「衆議院全県制覇」、限定的とはいえ「秦の離反」、そして「現職知事の応援」さらに、「六龍戦争の終結」「自公連携の強化」とプラス面も多かった。
 逆風があったとはいえ、15万票のリードを許したのは大問題である。
 これまでは、とりわけ民主の票田になりうる衆議院1区で、民主候補が悪すぎて助けられていたという面がある。
 組織の改造で、旧来の支援者以外のそうの取り込みができる体制の構築が不可欠である。
 しかし、04参院選には「自公連携の強化」という成果もあった。

03周南市長選

2003-05-23 | 岡山・広島・山口
 5月25日、周南市長選挙の投開票が行なわれた。

 周南市は、徳山市、新南陽市、鹿野町、熊毛町が合併して誕生。

当選 30539 河村和登   無・新 =自・公

落選 24687 島津幸男   無・新          

落選  9255 藤井正彦   無・新          
  
落選  8234 福田恵一郎  無・新

落選  2613 魚永智行   共・新

 河村は旧・徳山市長。

(投票率60.69%)