選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

05知多市長選

2005-09-25 | 静岡・愛知・岐阜
 9月25日、知多市長選の投開票が行なわれた。 

当選 21935 加藤 功  無・現 =自・民・公

落選  7609 黒川親治 無・新 =共

(投票率45.63%)

05衆院選~岡山  幻の真正自民党

2005-09-11 | 岡山・広島・山口
【1区】
逢沢一郎 12万7千<自・前> 
菅源太郎 06万1千<民・新>
植本完治 01万2千<共・新>
福島捷美 00万9千<社・新> 

 総選挙で党の存亡をかけた戦いを迫られている社民党、岡山で5年ぶりに小選挙区に公認候補を擁立した。
 03総選挙、04参院選はともに公認候補を立てられずに不戦敗だった。
 比例票は、岡山2区に公認を立てた00総選挙で7万を得たが、03は3万にまで落ち込んだ。
 他県でも比例票は激減し、比例中国ブロックの議席を失った。
 党の存在意義を問われかねないだけに、責任をとる格好で、岡山社民の幹事長・福島捷美が1区から出馬した。
 元県議の福島は、3区に属する備前市日生町が地盤ではあったが、平沼と戦うよりは、無党派層への働きかけができる岡山市内の方が有利と判断し、1区から出馬を選択した。
 まや1区の民主党候補は菅源太郎であるため、民主支持層の取り込みもできるとの計算があったものと思われる。
 社民党にとって、存亡をかけた選挙であった。

【2区】
津村啓介 8万8千<民・前>
萩原誠司 8万6千<自・新>
尾崎宏子 1万4千<共・新>

 郵政法案反対の自民前職・熊代昭彦が公認を得られずに出馬を断念、代わって岡山市長の萩原誠司が小泉首相の要請を受けて立候補する異例の事態となった。
 萩原には、任期途中で市長を辞職したことへの批判があった。
 萩原は出遅れを取り戻そうと、「比例は公明」で公明との連携に懸命だった。
 市長時代に築いた公明との関係を基礎に、自公の枠組みで勝負という形を取った

 津村は、萩原が市長として築いてきた組織や知名度に危機感を強める。
 地方議員や企業の支援は萩原陣営より圧倒的に少ない。
 初当選以来、ミニ集会を重ねた津村の自力が問われる選挙になった。

岡山市…自民114(35)民主104(31)公明57(17)共産23(7.5)社民17(5)国民15(4.5)

【3区】
平沼赳夫 10万0千<無・前> 
阿部俊子 05万9千<自・新>
中村徹夫 03万6千<民・新>
中嶋義晴 00万8千<共・新> 
 
 瀬戸内沿岸から中国山地までつながる3区は県内最大の選挙区だ。
 これまで圧倒的な強さを誇ってきた平沼赳夫は、郵政法案反対のため今回は自民公認を得られず、自民・阿部俊子が対立候補として乗り込んできた。

 阿部は比例中国ブロックの名簿順位は1位だが、公選法の規定で3区での得票が有効投票の1割以上なければ比例での復活当選もない。
 地元に縁もゆかりもない阿部は「自民公認」を強調、自民支持者を取り込むと同時に、「比例は公明」で公明支持層の取り込みも行った。
 平沼が創価学会批判の急先鋒だったこともあり、公明への浸透は成功した。
 また、党本部からの支持で、自民党県議が陣営に加わり、急速に支持を広げた。

 一方、平沼も、自民党県連の支援を受けた。
 平沼は危機感を感じ、他選挙区の応援は3日だけ、あとは地元に張り付いた。
 自民党幹部として、ほとんど地元をあけていた前回とは様相をことにした。

 平沼は必死であった。
 当初、100名以上いたはずの「優勢懇話会」の同志は、採決時には40名を割っていた。
 盟友の古賀・高村両名も「退席」で「反対」には回らなかった。
 綿貫を旗頭にしながら、「郵政懇話会」での議論をリードしてきたのは、他ならぬ古賀誠であった。
 小派閥のころから苦楽を共にしてきた子飼いの中堅若手からも「造反」が出る。
 そして、覚悟はしていたという解散総選挙に突入する。
 兼ねて、約束のあった「石原新党構想」、結成なら今だと長年の盟友石原のもとを訪ねる。
 しかし、石原の返事はつれないものであった。
 石原の息子2人が自民党公認で選挙戦に出る。
 石原に自民党へ反抗する気などない。
 郵政政局の最中、平沼が繰り返した「真正自民党」構想は頓挫する。
 平沼が途方に暮れる中、盟友中の盟友・亀井静香が「国民新党」を立ち上げ。
 綿貫は「西郷の気持ち」で党首を引き受ける。
 しかし、その時すでに、小泉自民党の勝利は確実な体勢であり、追い出された同志の苦戦が伝えられていた。
 自民党を出るわけにはいかない。
 亀井の誘いを蹴り、平沼は無所属での出馬を決意する。
 しかし、平沼は弟分ともいえる反対派議員の応援に出かけながら、それ以外は選挙区に張り付く厳しい選挙戦になった。
 本来なら、応援に出かける時間すらなかった。
 「生長の家」出身の平沼は、創価学会・公明批判の急先鋒であった。
 なんの地盤もない落下傘候補が、公明党、そして中央からの指示で動いた議員の精力的な動きで、平沼の地盤を崩しにかかったのである。
 平沼自らが握手をして歩くという徹底した地上戦で、大差で当選を果たす。
 しかし、選挙戦そのものは、総裁候補のそれではなかった。

 自分の家であった派閥は、新しい主の下で再出発している。
 平沼の苦闘は選挙後も長く続くことになる。
   
津山市…自民19(35)民主16(30)公明9(17)国民4(7.5)共産3(5.5)社民3(5)

【4区】
柚木道義 10万2千<民・新> 
橋本  岳 09万6千<自・新>
東   毅 01万7千<共・新>

 4区は、橋本龍太郎元首相から地盤を継いだ次男の橋本岳と、03総選挙で竜太郎氏に敗北した柚木道義が接戦を繰り広げた。

 橋本は、「龍太郎の後継」の後継を前面に出しての選挙戦となった。
 父の龍太郎に加え、小渕優子、久間章生らが続々応援に駆けつけた。 
 さらには、叔父の橋本大二郎・高知県知事も応援に駆けつけた。
 元首相の1億円献金問題に加え「世襲」批判と、逆風の中の短期決戦であった。
 頼みの綱はやはり、14期連続当選の父の組織と人脈だ。
 「比例は公明党」で、公明票の取り込み図った。

 柚木は、「政権交代」に加え、「世襲批判」を看板に選挙戦を戦った。
 今回、菅直人・民主党前代表も2回来援し、また前回齟齬のあった連合岡山との連携もうまくいった。

 「大物の倅」というだけで、当選できる時代ではない。
 世襲議員は、確かに多いものの、ただ御輿に乗っかるだけで勝てるほど甘いものではない。
 世襲でもいいが、その代わり能力のアピールが重要になってくる。
 能力なき世襲候補が、楽々当選という時代ではない。
 保守王国ではあっても、選挙区の私物化である安易な世襲は批判の的になる。
 国民の意識は、大きく変わっているのだということがはっきりとした選挙であった。
 もちろん、民主も他人事ではない。

倉敷市…自民78(34)民主74(32)公明42(18.5)共産14(6.5)国民10(4.5)社民10(4.5)

【5区】
村田吉隆 11万5千<自・前> 
花咲宏基 06万8千<民・新> 
堀  良道 01万0千<共・新> 

 全国が優勢の喧騒に包まれる中、5区では、村田吉隆と加藤勝信の間で、激しい公認争いが繰り広げられた。

 加藤は00、03衆院選で比例区単独候補として立候補した。
 「2・3回連続で比例の議員は、比例名簿に登載しない」というのが自民党の原則である。
 これを基にづき、加藤は「小選挙区で立候補できる番」と、5区での公認を申請したのだ。
 しかし、村田は小選挙区を譲らなかった。
 小選挙区と比例区に交代で立候補するコスタリカ方式採用などの配慮を申し入れたが、党本部は5区での村田の公認を決めただけであった。
 加藤は、村田との間でコスタリカ方式成立を期待した。
 だが、村田はコスタリカを拒否した。

 民主新顔・花咲は、自民対決のよる埋没を警戒していた。

 所属する旧橋本派の額賀福志郎は、「比例上位、次回以降は今後調整」の線で村田の所属する宏池会の古賀誠や、自民党総務局長・二階との間で協議を持った。
 協議が不調に終わり、加藤は、一旦は、無所属での出馬を決断した。
 この決断を受けて、自民党県連は「自主応援」と決めた。
 しかし、その後、「上位登載」の条件提示を受け、加藤勝信は自民の党内調整に応じ、比例区に回った。
 これにより、選挙前の自民党の内乱は終結した。

 加藤の伯父は加藤六月元農林水産大臣である。
 六月は安倍晋太郎の信任の一番厚い政治家とされ、三塚・森・塩川と並んで、森派四天王と呼ばれた程の大物である。
 安倍の死後、三塚と六月との間で後継をめぐる「三六戦争」が勃発した。
 旧中川派の支持などで三塚優勢となり、森・塩川も三塚に付く中、六月は一敗地にまみれ、清和会を追われる事となった。
 この「三六戦争」で、三塚側の急先鋒だったのが小泉純一郎である。
 小泉こそが、六月を清和会から追放した張本人である。
 六月の清和会総会への出席を実力で阻止、六月の追放を声高に唱えた。
 その後、三塚清和会が竹下登に傾倒していくのと同時に、六月は小沢一郎に傾倒していく。
 
 前置きが長くなったが、加藤に比例上位の確約がなされたのは、公示日前日である。
 自民分裂という事態を省みず、自民党党中央が、加藤をここまで追い込んだのは何故だろうか?
 加藤は六月の後継であり、さらに橋本の紹介で平成研へ入会している。
 小泉の支持があったのだと考えるのは、裏読みのしすぎであろうか? 

笠岡市…自民12(39)民主9(29.5)公明5(16)共産2(6)国民2(6)社民1(3.5)

05衆院選~新潟 (仮)

2005-09-11 | 山梨・長野・新潟
【1区】
西村智奈美 13万6千<民・前>(2)
吉田六左エ門11万8千<自・元>(3)
川俣 幸雄 02万1千<共・新>
 
03に続き、民主・西村と自民・吉田の事実上の一騎打ちとなった。
 吉田は、旧亀井派を脱会、郵政賛成へと転向し、改革派を打ち出した。
 その一方でで吉田陣営は過去の「実績」を持ち出した。
 中越地震では浪人中にもかかわらず省庁を奔走したことをアピールした。
 新潟市の建設業者が震災復旧で仕事が回ってきていたこともあり、旧来の自民支持層には一定の効果が合った。
 しかし、無党派層の支持は、西村60、吉田30弱であり、吉田の「改革派」戦略は空振りに終わった形になった。

【2区】
近藤 基彦11万4千<自・前>(3)
鷲尾英一郎10万2千<民・新>(1)
細井 良雄01万4千<共・新>
 
 近藤と民主新人・鷲尾英一郎の事実上の一騎打ちであった。
 桜井新・参院議員らと激戦を経てきた近藤にとって、地盤のない新人を相手に、確固たる地盤を築く絶好の機会だった。
 しかし、多くの保守票が鷲尾に流れ、鷲尾に比例での当選を許した。
 近藤は票田柏崎・燕で鷲尾に敗れ、西蒲・三島両郡でも接戦に持ち込まれ、近藤のおひざ元・佐渡市でも1万3千を奪われた。
 安泰ムードと市町村合併が後援会の運動量の激減を招いた。
 桜井支持者の根強い反近藤意識や、郵政法案の採決での棄権の影響もあった。

 00衆院選、近藤は、「実績」の桜井新を相手に「若さ」で初当選を果たした。
 しかし今回、「若さ」を鷲尾が最大限生かし、近藤を追い詰めた。
 
 鷲尾選対のボランティアは20歳代が中心。
 これに対し、近藤の後援会は60―70歳代が中心。
 後援会の若返りがなければ、次は勝てないだろう。
 鷲尾は保革問わず票を取れるタイプ、近藤にとって相当な脅威になる。

【3区】
稲葉 大和11万2千<自・前>(5)
宮崎 増次07万3千<社・新>
鈴木  泰02万4千<国・新>
田中 真一01万4千<共・新>

 自民前職・稲葉大和の当選確実は開票直後、次点・宮崎との票差は4万弱、新潟唯一の無風区だった。
 稲葉陣営が今衆院選で掲げた目標得票数は12万5千、しかし、実際の得票は11万余に過ぎなかった。
 安定した戦いで5期連続当選を果たした稲葉だが、保守票の結集には失敗した。

 稲葉は新潟では、小選挙区制の恩恵を最も受けている政治家である。
 初当選した93衆院選、稲葉は最下位当選、同じく自民の岩村は次点に泣いた。
 つづく小選挙区制が導入された96衆院選で、無所属・岩村、新進・白沢三郎との保守乱立を小差で逃げ切り再選をきめた。
 そして、00衆院選は旧自由・白沢との保守対決を制し3選を果たした。
 最初の最下位当選で得た選挙区唯一の自民公認という金看板を使い、他の保守候補を淘汰していったのだ。
 保守系ただ1人の候補として臨んだ03衆院選は、15万票という空前の得票を目標に掲げた。
 岩村と白沢の支持層を取り込めば達成可能だった。
 だが、得票は11万弱に終わり、社民新人に前回の3万5千弱から7万と得票の倍増を許した。
 
 非稲葉の保守支持層は、00衆院選で白沢が獲得した5万5千、04参院選で田中が3区で集めた6万である。
 国民新・鈴木泰は、この6万前後の票にターゲットを絞った。
 まず宮崎陣営が、近藤正道参院議員らを通じて、田中の支援を取り付けた。
 阿賀町生まれの鈴木は、民主公認での3区出馬を模索するも、民主・社民の選挙協力による「3区は社民」との既定方針から、国民新党での出馬を選択した。
 鈴木が国民新党からの立候補を決めると、田中自身は鈴木支援に傾く。
 しかし、既に宮崎で動き出している後援会員が反発し、田中陣営の行動は、一本化できなかった。
 一方、稲葉は、田中系と目される首長や無所属県議を事務所開きや集会に招くなど取り込みを試みたものの増票には結びつかなかった。

 稲葉は、03・05とも対抗馬は民主ではなく、退潮傾向の社民の新人候補であり、2大政党制の並みからは、いまだ無縁である。
 
【4区】
菊田真紀子 11万5千 <民・前>(2)
栗原 洋志 09万4千 <自・新>  
武藤 元美 01万9千 <共・新>
 
 96衆院選で席を争った渡辺と博久の代理戦争ともいえる。 

 菊田は04知事選で、旧自由党系の渡辺や参院議員・森裕子と一緒に、自民県連と泉田裕彦を支援し、これを当選させている。
 これで、多賀を推薦した民主・社民・連合とにねじれの関係が生じた。
 菊田陣営は関係修復に奔走した。
 だが、連合幹部は「自民も旧自由系も同じ」と事実上の自主投票を示唆し、社民党が、知事選での対応を理由に推薦を見送ろうとするなど、「新潟方式」は完全には機能しなかった。
 当選後、菊田は完全な関係修復に継続して取り組んでいる。

 菊田との同世代対決を狙った洋志は、菊田が警戒した「若さ」の草の根選挙は実現できなかった。
 その結果、地元の旧新津市を除く全開票所で菊田を下回った。
 博久の2男が、旧新津市区の合併に伴う新潟市議増員選に当選したが、押しのけられた形の議員には博久の支援者が多く、大きな反発が残った。
 これを主因として、地元旧新津市で勝ちはしたが、菊田に600票差余りまで迫られる結果となった。
 ただ、投票日の出口調査で栗原の無党派層の支持率は、菊田の5割弱には及ばないが4割に達した。
 博久の票に1万票上積みするなど、世代交代による一定の効果はあったといえる。

【5区】
田中真紀子 10万5千 <無・前>(5)
米山 隆一 08万3千 <自・新>
斎藤  実 01万8千 <共・新>
 
 田中は今回、選挙戦術をガラリと変えた。
 選挙運動の主軸は田中の関連企業であった。
 後援会「まきこ会」や父・田中角栄元首相の後援会「越山会」の旧会員が前面で動いた前回選挙とはまるで違った。
 新人相手に5回目のベテランが2万票差では、負けたも同然だ。

 越山会時代から続く「田中」との縁の流れの中で、後援会、支援企業などが複雑に絡み合う5区保守系の特殊事情、比例当選した長島忠美を選挙区で擁立できなかった遠因がそこにある。
 米山の手足にならざるを得ない県議、市議、支援団体の一部には、「田中」との関係から動かない層もあった。
 自民支持層は米山が56%、田中は42%まで食い込んだ。
 
 この選挙を通じて、5区は新たな不安定要素を抱え込んだ。
 長島が選挙区に転出するという憶測である。
 星野は全否定しているが、比例単独は政治情勢で左右される。

【6区】
筒井 信隆 11万4千 <民・前>(4)
高鳥 修一 10万2千 <自・新>(1)
武田 勝利 01万1千 <共・新>
 
 政権交代を訴えた民主前職・筒井信隆が四選を果たし、郵政民営化で賛成の踏み絵を踏んだ自民新人・高鳥修一も比例で復活当選を果たした6区。
 
 勝負を分けた大票田・上越市で筒井が6万7000票、高鳥は5万票。
 無党派層が、民営化賛成の高鳥に流れたが、筒井は保守票切り崩しに成功した。
 筒井は、上越経済人連盟会長・大樹会長・田中弘邦の支援を求める。
 大樹は自主投票を決め、上越市でも水面下では、田中に近い経済人は筒井支援に動いた。
 出馬断念の元自民県議・風間直樹の支持者や郵政法案反対の田中直紀の支持者の一部までが、筒井支持にまわった。
 
 高鳥は郵政賛成に転向し、自民公認を得た。
 筒井には及ばなかったものの、陣営の予想を上回る10万票を獲得した。
 追い風をつかんでの復活当選劇に郵政効果をみる。
 高鳥は03衆院選で15%だった無党派の支持が、38%に跳ね上がった。
 市町村合併による保守系議員の大量失職、父・修が築き上げた「周山会」の高齢化、さらに、田中弘邦の離反、高鳥陣営の組織力低下は否めなかった。
 高鳥の選挙は、「風頼み」という民主のような選挙であった。

05衆院選~徳島  (仮)

2005-09-11 | 徳島・高知
【自民党】 
 自民党執行部は郵政法案反対の前職・山口に離党を勧告した。
 同時に、無所属で立候補した場合の除名処分も示唆した。
 そんな中、山口は自民党員として立候補する方針を固めた。
 党本部から県連への締め付けは厳しいものとなった。
 一方、郵政法案に賛成した前職・七条明が2区での公認を得た。
 県連会長の北岡秀二参院議員は、参院本会議で法案採決時に退席した。
 北岡は、処分も覚悟の上で、党本部への反発し、山口支援を決めた。

【組織】
 県建設業協会は自民公認への推薦を決めた。
 小泉改革を全面的に支持するわけではないが、民主支持はできない。
 これ以上公共事業の予算を減らさないため、自民党との関係は切れないのだ。
 民主支持に動けば、予算が削られてしまう。

 県医師連盟は県内の医師約1400人が加入する。
 上部組織の日本医師連盟は、各都道府県が推薦する小選挙区の候補をそのまま推薦するという異例の方針を決めた。
 徳島県連盟は、2区の会員の意見を尊重して郵政反対の山口推薦を決めた。
 1、3区も混迷した。
 民主前職・仙谷や、民主新顔・仁木への推薦という声も一部からあがった。
 仙谷は民主党きっての厚生関係の政策通、仁木は医師出身である。
 医療関係の政策の面から、両者の推薦を主張する声があったのだ。

【公明党】
 徳島公明は、2区で自民党公認の前職七条明の推薦を決めた。
 山口・七条の双方から推薦依頼が出され、自主投票という見方もあったが、最終的には、中央の方針に従った。
 公明は2区で、00総選挙時に1万8千票、03年にも1万9千票の比例票を集めた。
 03総選挙では、公明の全面支援を受けた山口が、民主前職・高井美穂に約1万票差で競り勝ち、公明票が勝因の一つとされた。
 山口にとって公明の推薦がないのは大きな痛手となった。

【社民党】  
 社民党は小選挙区には独自候補を擁立せず、比例区に的を絞った。
 「心情的支援」にとどめながらも、社民の支持者らが民主候補を応援することに前向きの姿勢を示した。
 社民の比例得票は、03総選挙で8千票、04参院選は9千票だった。


  
 
 【1区】
 
 徳島1区の民主前職・仙谷由人は、四国比例ブロックに重複立候補せず、小選挙区のみに立候補した。
 民主は03総選挙で、四国の13選挙区の候補者全員を比例名簿1位に並べた。
 仙谷は四国内の民主党候補で唯一小選挙区で当選した。

 仙谷 由人 6万8千<民・前>
 岡本 芳郎 5万5千<自・前>
 上村 秀明 1万0千<共・新>

徳島市…岡本5万4千 仙谷6万7千

【2区】
 
 2区の公認・七条明が比例順位単独1位となった。
 党本部は全国11ブロックすべてで女性を1位にする方針だったが、郵政民営化法案に反対した前職・山口俊一の対立候補として最優先された形だ。
 七条は03衆院選の1区から重複立候補して復活当選。
 2区の山口俊一が今回、郵政民営化法案に反対票を投じて公認を外されたため、七条が急きょ2区の「刺客」に指名されて重複立候補が決まった。
 地元での選挙戦は中選挙区時代以来、12年ぶりとなる。
 
 徳島自民は、三木武夫派と後藤田正晴派が主導権をめぐって争った「阿波戦争」で知られる。
 七条は吉野川下流の上板町、それに対して山口の出身地は上流の池田町である。
 皮肉にも2人は、阿波戦争を終結に導いた盟友同士でもある。
 県議時代、七条は三木派、山口は後藤田派だった。
 24年前、42人の県議で戦後生まれは2人だけであった。
 1歳しか年の違わない2人はひそかに意気投合した。
 83年、私的勉強会「翔の会」を結成した。
 それを、4年後、11年ぶりに自民会派の統一に結びつけた。
 その後、山口は90衆院選、七条は93衆院選でともに国政に進出した。
 2人は政争劇の火消し役に徹することで階段を駆け上がった。

 徳島自民は山口、七条両者当選の方針を決定した。
 七条は比例四国ブロックの名簿上位なので、2区では山口を当選させ、七条を比例で復活当選させるシナリオだ。
 03衆院選において、山口の得票数は7万2千で、次点の民主・高井美穂との差は約9600だった。
 自民分裂となれれば民主に議席を奪われかねない。

 逆に高井は、自民対立にスポットが当たり、存在感が薄れる可能性もあると分析していた。

山口  俊一 6万3千<無・前>
高井  美穂 4万7千<民・前>
七条   明 4万4千<自・前>
山本千代子 0万5千<共・新>

鳴門市…高井1万0千 七条1万0千 山口1万1千
阿波市…高井0万7千 七条0万9千 山口0万8千
板野郡…高井1万7千 七条1万8千 山口1万4千
三好郡…高井0万8千 七条0万4千 山口2万1千

 自民徳島は、党本部の圧力に屈せず、所期の目的を達成した。
 しかし、県連内に深刻なあつれきが生じてしまった。
 七条明陣営は、県連への不満をぶちまけた。
 七条は2区の自民党県議の応援を受けられなかったのだ。

 03知事選以降、主な選挙で勝利を収め、勢力の立て直しを進めてきた県連。
 山口支援はこの流れを止めたくなかったことの現れである。
 かつて一枚岩だった党本部と地方組織との関係が崩壊し始めたのは明らかだ。
 郵政法案をめぐり、県連内部もねじれにねじれた。
 そもそも県連は、党本部に郵政民営化反対の要望書を提出していた。
 法案賛成の前職はいずれも、最初は民営化反対派・慎重派だった。
 県議も、県議会で慎重審議を求める意見書を決議しながら、衆院選では候補者と一緒に「郵政改革断行」を叫んだ。
 民主党に負けるわけにはいかないのである。

【3区】

 後藤田正純 8万9千<自・前>
 仁木  博文 6万0千<民・新>
 青木  利男 0万6千<共・新>
 

小松島…後藤田1万3千 仁木0万9千
阿南市…後藤田1万6千 仁木1万4千
吉野川…後藤田1万6千 仁木0万9千

05衆院選~宮崎  

2005-09-11 | 大分・宮崎
 2・3区では郵政法案に反対し非公認となった前職が自民公認を破り、議席を維持した。
 三選挙区に公認候補をそろえた民主は自民の牙城を突き崩せなかった。
 
【絶対得票率】
1区・中山(36) 2区・江藤(34) 3区・古川は(34.5)


【比例】
自民35-5 民主27.5+0.5 公明17.5-2 社民10.5 国民4.5 共産4

 郵政の影響による自民票の流出は、国民が吸収したようである。
 投票率の上昇によって公明は得票率を減らした。
 その分、民主・社民が微増したが、影響がは限定的になった。
 国民・亀井代表代行の盟友である江藤隆美の地元ということで、自民批判票は民主でなく、国民に流れたものと思われる。

【自民党宮崎県連】
 2区・江藤と3区・古川の前職2人への「県連推薦」の方針を事実上撤回した。
 しかし、同時に、県議ら党員が2人を「支援」するのは黙認する。
 党本部からの処分の可能性があるので十分留意とし、自己責任に委ねた。

【組織】
 大樹の宮崎支部は造反前職を全面支援し、自民公認の候補は応援しない。
 県医師連盟は、1区は自民・中山を推薦、2、3区は自主投票と決めた。
 県建設業政治連盟は自民公認3人を推薦。非公認は支持しない方針を決めた。
 県漁業協同組合連合会は公認3人を推薦。非公認2人も「支援」する。
 県中小企業政治連盟は2、3区は自主投票。
 全国林業政治連盟県支部は公認、非公認の5人全員を推薦する。
 注目の県内最大の政治団体・県農民連盟は、1区は自民・中山、2区は無所属・江藤、3区も無所属・古川を推薦すると発表した。
 しかし、2区では西都支部が自民・上杉、児湯支部が民主・黒木を地元候補として推薦することを認めた。
 残り4支部が江藤推薦となる。
 小選挙区となった衆院選で、同連盟が自民公認候補以外を推薦するのは初めて。
 同連盟に推薦願を出したのは1区の中山、2区の上杉・黒木・江藤、3区の古川・持永という合計6人
 
【1区】
 文部相・中山成彬がいる1区に、元自治相・元同党参院議員・上杉光弘が正式に立候補を表明した。
 上杉は無所属でも立つ構えで、自民党党県連は、上杉の比例転出に向けた調整を党本部に働き掛けた。
 上杉は会見で比例代表転出については柔軟に対応するという姿勢であった。
 その後、党本部の意向で上杉が2区に回ったため、対決は回避された。

 自民党が一本化に成功し、自民前職の文科相・中山成彬に、民主前職・米沢隆、社民新顔・鳥飼謙二、共産新顔・前屋敷恵美が挑む。
 野党3陣営は票を奪い合う格好で、中山に有利な構図となった。

 自民の友好団体は軒並み中山を推薦し、従来の組織票はまとまっている。
 前回衆院選で対応を保留にした公明も推薦する。
 中山は、前回届かなかった10万票突破を狙う。
 前内閣官房参与の妻恭子も選挙戦を支える。
 長期低落傾向にあった自民は、小泉というジョーカーを切ってきた。
 いまや自民の看板は「小泉改革」である。
 この中山は清和会所属で、小泉側近を自任する。
 当時は小泉内閣閣僚である。
 05衆院選は「小泉改革」の看板が一層光り輝いていた。

 冷戦終結以降、政界の流動化が進んだ。
 「政権交代」を旗印に、混沌とする政界の真ん中に米沢は居続けた。
 米沢は民社の大幹部として、流動化をつくった張本人の小沢一郎とは「湾岸戦争国会」以来の盟友関係にあった。
 2大政党実現の為、民由合併を最も声高に唱えた政治家の一人である。
 米沢は、宮崎旧1区で7回連続当選するなど、江藤(自)・大原(自)・松浦(社)を相手に戦ってきた大ベテランである。
 皮肉なことに、中選挙区時代に連続当選していた米沢は、自身が推進した小選挙区の導入以降、自民・中山に負け続けている。
 05衆院選の民主の大将・岡田克也も米沢と並ぶ熱心な2大政党論者である。
 「最後の選挙」と宣言した米沢は、「歴史的瞬間に立ち会う」と意気込み、戦いに出た。

 「小泉改革」中山VS「政権交代」米沢
 両党が掲げる一枚看板を代表する2人の真っ向対決とみられていた。

 しかし、突然の上杉の乱入である。
 上杉は場外の2区に消えたが、野党陣営は混沌としたままであった。
 民社・米沢にたいして、社会・松浦という有力議員がいた。
 両雄並び立たず、宮崎の労組は民社・社民に割れて、一枚岩ではないのだ。
 96衆院選では松浦が社民党公認で出馬し、米沢は落選、中山が小選挙区連続当選を続ける端緒をつくった経緯もある。
 連合宮崎は米沢・鳥飼を同列に推薦した。
 今回も、宮崎社民は候補者を立て、自・民対決に割って入る。

 さらに、民社・公明の関係の変化である。
 民社・公明両党は、立場の似通った中政党ということで良好な関係にあった。
 それは、自公・民主という構図になってからも細々と続いていた。
 しかし、今回、公明は初めて自民・中山に推薦を出した。
 だが、公明の票が中山に流れるかどうかは不透明である。
 
 中山・米沢という党主流の対決に、社民・連合が入り乱れて混沌とした状況での選挙戦となった。
  
中山 成彬 12万1千<自・前>(57)
米沢  隆  05万7千<民・前>(27)
鳥飼 謙二 02万6千<社・新> 
前屋敷恵美 00万9千<共・新> 

 中山は【東諸県】を中心に【宮崎】でも満遍なく支持を集め、自民支持層の約七割、推薦を受ける公明支持層の約八割に浸透した。
 郵政民営化賛成層や景気・雇用対策を重視する人たちから支持を得た。
 
 米沢は民主支持層の六割を固め、共産、社民支持層の一部にも浸透、【宮崎】で一定の足場を固めたが、中山には遠く及ばなかった。

 民社の雄・米沢は「政権交代」を実現できず、政界を去ることとなった。

【2区】
 2区は黒木健司が民主党公認で立候補した。
 03衆院選では、黒木・江藤拓の両者がに自民推薦・無所属で戦った。

江藤  拓  8万9千<無・新>
黒木 健司 7万9千<無・新>

 当選した江藤拓は追加公認され、敗れた黒木に次期公認はないものとみられた。
 次回は「自民党公認」の江藤との戦いになり、このままでは、さらに悪化する。
 黒木は新たな支持層獲得の為、自民党を離党し、民主党に公認申請した。
 民主への鞍替えで支持者離れも心配されたが、公示前の役員会には大半の幹部が顔をそろえ、選挙戦に向けて結束した。
 民主候補として、連合宮崎が推薦した。
 延岡市の旭化成労組をはじめとした県北・日向の2地区同盟59組合など、これまでにない幅広い支援が得られた。

 しかし、黒木にとって誤算が相次ぐ。
 郵政騒動で、江藤が自民党を非公認となったのだ。
 「自民党公認」が離党しなければめぐってきていたのである。
 
 さらに、それどころでない不幸が黒木を襲う。
 1区からの立候補を表明していた元参院議員の上杉光弘に対して、自民党本部が2区での公認を発表したのだ。
 上杉はこれまで、無所属でも1区から出馬する考えを示していた。
 しかし、江藤拓に地元からの公認候補をぶつけたい党本部の意向で、上杉が「刺客」として2区に送り込まれてきたのだ。
 故郷の西都があり、固い支持者が多くて1区より有利と判断した上杉は「自民党公認」として2区での出馬を了承した。
   
 黒木にとって不幸なのは、上杉と黒木は支持層が重複するからである。
 上杉の参戦で03参院選で4万票余りを獲得した西都市、児湯郡の票が出身地の近い上杉との間で割れることは必死である。
 そして何よりも、黒木は上杉派なのである。
 宮崎の大物として上杉と江藤隆美は長年、反目し続けてきた。
 03衆院選2区は、上杉派の黒木と隆美の息子である拓という「代理戦争」の構図であったのだ。
 黒木にしてみれば、前方の敵である江藤との決戦の最中に、背後から機関銃掃射を受けたようなものである。
 地域的にも、派閥的にも、上杉の出馬は黒木にとって何らの利益がない。
 黒木は、03衆院選をはるかに下回る最低の環境での戦いとなった。

 また、上杉の出馬により、公明党は、江藤を推薦をせず、自主投票になった。

 上杉は、県政界への影響力と「自民公認」で支持団体を中心に巻き返しを図っている。 
 県建設業政治連盟などの推薦を得たが、業界は一枚岩にはならなかった。

 江藤は、郵政法案に反対したため前回と同じ無所属での出馬となった。
 前回あった「自民推薦」すら、今回はない。
 しかし、延岡市や日向市など、隆美の代からの地盤は固かった。
 また、県内最大の政治団体・県農民連盟が、2区内では、西都支部(4千戸)が上杉を、児湯支部(3千戸)が黒木を推薦するが、延岡など4支部(1万8千戸)が江藤を推薦した。

 長年続く「江藤VS上杉」の代理戦争の構図に加え、黒木の民主入りで、連合が参戦し、さらには郵政騒動で上杉本人までもが参戦、まさにバトルロイヤルの様相を呈した。

江藤   拓 10万2千<無・前>(47) 
上杉 光弘 06万2千<自・新>(29)
黒木 健司 05万2千<民・新>(24) 

 江藤は有権者の最も多い【延岡】、地元の【日向】、さらに【西臼杵】・【東臼杵】でリードした。
 自民や公明の他に民主支持者の一部などにも幅広く浸透した。
 郵政民営化反対の支持層を中心に賛成派にも浸透した。
 30から40代の男女、職業別では農林業・事務職の支持を受けた。
 
 黒木は地盤の【児湯】で勝利、【延岡】【西臼杵郡】でも健闘した。
 民主支持層の6割から支持を集め、共産、社民支持層にも一部食い込むなど、自民離党の効果は見られた。
 
 上杉は地元・西都市で二氏を引き離し、児湯郡でも黒木に肉薄した。
 自民支持層の4割を固めたが、【延岡】【日向】など、都市部で苦戦した。

 単純な足し算にはならないものの、地盤を同じくする県議時代の派閥の首領上杉の参戦が、反江藤票を2分、江藤を楽勝させてしまった。
 上杉は、自身の参戦が、仇敵・江藤隆美を高笑いさせる結果となったのである。

【3区】
 3区では03選挙に続き自民党の内紛構図が再燃することになった。
 03衆院選、3区は、持永和見と堀之内久男が衆院議員を引退。
 持永と、堀之内後継の古川が激しい公認争いを展開した。
 結局、2区と同様の無所属・自民推薦となり、当選した古川が、自民党に追加公認された。
 持永・堀之内の「代理戦争」という様相であった。

03衆院選
古川 禎久 11万9千<無・新>
持永 哲志 05万8千<無・新>

00衆院選
持永 和見 10万4千<自・前>
古川 禎久 07万9千<無・新>

 古川は、新進党・無所属で2度落選している。
 ようやく掴んだ「自民党公認」であったが、郵政騒動で失ってしまう。
 この3区にとって「自民党公認」は大事な金看板である。
 郵政法案に反対した古川への支援は、個人の自由意思に任せ、処分は一切しないと申し合わせた。
 しかし、今回、古川陣営に前回の選対中心メンバーだった自民県議の姿はない。
 それでも、県内最大の政治団体・県農民連盟は3区(2万6千戸)で古川の推薦を決めた。
、また、全国林業政治連盟県支部は古川、持永を推薦したが、地元3森林組合員(2万4千人)のなかには古川を評価する声が多い。
 金看板こそないものの、それに匹敵する、いやそれ以上の「農民連盟推薦」を得た古川に勝機は十分あった。

 「自民党公認」か「民主党公認」か、去就が注目されていた持永は、「自民党公認」での出馬を表明した。
 持永は、民主・岡田代表とは通産省時代の同僚で、出馬の打診を受けていた。
 だが、後援会関係者の反対、民主党県議の不在、有力労組の不在を理由に回答を留保していた。
 そこで降って湧いてきた「自民党公認」である。
 持永に、「民主党公認」を選ぶ理由などなかった。
 前回が完敗だったとはいえ、今回は金看板をぶら下げての勝負になる。
 
 さらに、自民党都城支部は、3区の党公認、持永・支援する方針を決めた。
 また、公明党は、衆院選の自民公認候補の第3次推薦を発表し、県内では3区持永の推薦が決まった。
 党本部も手厚く支援し、事務所開きや出陣式には首相から激励の手紙が届いた。
 岩永峯一農水相も来援し、農協OBや漁協組合員らに持永支持を呼びかけた。
 公明票への期待も大きく、「比例は公明党」で連携をアピールした。

 「民主公認」持永が消えた民主党は、それでも3区で公認候補を擁立した。
 外山は、民主党初めての3区公認候補であった。
 外山は、連合宮崎の推薦を受けたが、労組の対応には濃淡があり、全面的な支援にまで至らなかった。
 また、出身地が県南で、串間市出身の古川と地盤が重なる。

 中選挙区から続く自民の紛争に民主が介入という、3区も混沌とした政治情勢での選挙となった。

古川 禎久 10万3千<無・前>(49) 
持永 哲志 08万2千<自・新>(40)
外山  斎  02万2千<民・新>(11)
  
【都城】
古川2万9千 持永3万5千 外山7千

 大票田の都城では持永が勝利をおさめた。

 古川は、農林漁業者から圧倒的な支持を獲得し、小泉政権に批判的な社民、国民新党支持層に広く浸透した。
 分裂選挙となった自民支持層でも持永と互角以上に得票した。
 【南那珂】【西諸】で大きくリードした。
 
 公明の推薦を受けた持永は、公明支持層に浸透した。
 自民支持層で古川に食い込まれ、公認の効果はいまひとつに終わった。
 
 外山は、出身の【日南】でも古川に水をあけられた

 「郵政選挙」
 05衆院選であるが宮崎で、とりわけ2区・3区が「郵政選挙」であったとみる向きは少ない。
 全国的な「郵政選挙」というリングの外での殴りあい・掴み合い、何でもアリの場外乱闘という様相であった。

05衆院選~青森 

2005-09-11 | 青森・岩手・秋田
【1区】
 自民が分裂し1区は候補者が乱立する事態となった。
 自民からは、前職の津島雄二、津島の元公設秘書の渋谷哲一、元自民党県議の升田世喜男が立候補した。

 自民公認の津島雄二氏は10選し75歳である。
 党税制調査会長、元厚相など経歴では他を寄せ付けない。
 三村知事、佐々木青森市長らの支持のほか、公明の推薦も受けた。

 候補者乱立の背景には、津島の後継者問題と木村守男前知事の辞任がある。
 
 津島は息子を秘書に登用し、選挙区の世襲に乗り出した。
 それに反発して出馬したのが渋谷である。 
 渋谷氏は03年県議選の青森市区で次点だったが、一定の知名度がある。

 また、升田は木村が衆院議員時代の秘書である。。
 木村を辞任に追い込む一因となった03年3月の知事不信任決議。
津島系の県議は賛成に回った。
 升田は、木村派を代表する形で、敵討ちに乗り出したのである。
 だが、木村が政治の表舞台から去って2年余り、その影響力が弱まってきたことは否定できない。
 木村派の議員も、今回は津島を応援している方が多い。
 升田は小泊村議を経て、県議選の北津軽郡区で連続トップ当選の実績を持つ。
 歌手で五所川原市在住の吉幾三氏から、激励のメッセージも寄せられた
 
 分裂の影響は自民だけにとどまらない。
 現職への批判票が分散することで、民主の横山北斗は、逆に厳しい戦いになる。
 この横山も40代なのだ。
 同世代の候補が乱立したことで、津島に世代交代を迫るという構図に狂いが生じたのである。
 社民党が独自候補を擁立する中で連合票をまとめ切ることができるかどうか、それに加え、若い世代の票を総取りできるか大きな課題となった。

 全国的には郵政一色だった05衆院選だが、青森1区は様相をことにした。
 「郵政」「世襲」「県政派閥」「世代交代」これらの要因が複雑に絡まった選挙戦となったのである。

津島  雄二 9万4千 <自・前>(40)
横山  北斗 7万9千 <民・新>(34)
升田世喜男 2万6千 <無・新>(11)
渋谷  哲一 1万3千 <無・新>(6)
仲谷  良子 1万2千 <社・新>(5)
高柳 博明  0万9千 <共・新>(4)

候補者乱立は組織の強弱が勝敗に直結する。
全く、セオリー通りの結果になった。
津島は、自身の実績に郵政の追い風と、候補乱立という構図に助けられた形だ。
小選挙区において、当選者の得票率が40というのは著しく低い数字だ。
次回が世襲となれば、すんなり当選とはいかないだろう。

横山は、非自民さらには反津島票を糾合できるかどうかが次回の鍵となる。
世代交代票の分散、野党票の分散と構図上の不利があった点を考慮すれば、十二分に逆転の可能性はある。

青森市…… 津島6万3千(41) 横山5万6千(37)
五所川原… 津島1万4千(40) 横山1万0千(28) 
東津軽郡… 津島0万8千(46) 横山0万7千(39)
北津軽郡… 津島0万9千(33) 横山0万6千(22)

 青森市内でも津島が横山を上回った。

【2区】
 前回圧勝の江渡が、00年に争った三上知事の支援も受けて磐石の戦い。
 対する野党は、民主と社民がそれぞれ独自に候補を擁立した。
 
江渡  聡徳 9万0千 <自・前>
中村  友信 4万6千 <民・新>
木下千代治 1万3千 <社・新>
市川  俊光 0万5千 <共・新>

 戦前の予想通り、江渡が圧勝した。
 中村は04参院選で田名部が取った票にも及ばなかった。

十和田… 江渡2万2千(61) 中村1万2千(33) 
三沢市… 江渡1万4千(63) 中村0万7千(31)
上北郡… 江渡3万1千(60) 中村1万7千(32)

むつ市… 江渡1万7千(51) 中村0万8千(25)
下北郡… 江渡0万5千(51) 中村0万2千(26)

 江渡は全地区で50を超えているが、下北での支持は上北に比べて薄い。

【3区】
00、03と同様、自民・大島理森と民主・田名部匡代が戦いを繰り広げた。
 中選挙区制の時代から、大島と田名部匡省の「八戸戦争」が長く続いたが、小選挙区制に移っても、この構図は変わらない。

大島  理森 9万1千 <自・前>
田名部匡代 7万4千 <民・元>
松橋  三夫 0万6千 <共・新>

 大島が勝ったものの、田名部に比例復活を許した。

八戸市… 大島6万6千(52) 田名部5万6千(44)
三戸郡… 大島2万5千(56) 田名部1万8千(41)
 
【4区】
 4区から無所属での立候補を表明していた自民党前職の津島恭一氏が、国民新党への入党を発表した。
自民党執行部と国民新党の対立の構図は県内の小選挙区にも及び、4区では自民党公認で立候補する前職木村太郎氏との対決が、より鮮明となった。
特定郵便局長OBやその家族で作る自民党の政治団体「大樹」の青森県支部は、今回の総選挙で、1、2、3区は自主投票、4区は郵政民営化法案に反対した津島恭一氏を支援することを決めた。
 しかし、郵政関係者も一枚岩ではなく、木村を支援する動きもあった。

木村太郎 11万4千 <自・前>(56)
渋谷  修 04万1千 <民・元>(20)
津島恭一 03万8千 <国・前>(18)
船水奐彦 01万2千 <共・新>(6)

 戦前の予想通り、木村が圧倒的な強さで当選を果たした。

旧浪岡…木村0万5千(52) 渋谷0万2千(23) 津島0万2千(19)
弘前市…木村4万6千(53) 渋谷2万1千(24) 津島1万5千(17)
黒石市…木村1万1千(56) 渋谷0万3千(18) 津島0万4千(21)
津軽市…木村1万2千(52) 渋谷0万4千(20) 津島0万6千(25)
西津軽…木村0万8千(58) 渋谷0万2千(16) 津島0万3千(23)
中津軽…木村0万6千(63) 渋谷0万2千(16) 津島0万2千(17)
南津軽…木村2万6千(63) 渋谷0万7千(16) 津島0万7千(16)

 全地域区で50を超える得票である。

【比例・全県】
自民… 24万8千(33.5)
民主… 23万5千(32)
公明… 10万9千(14.5)
共産… 05万1千(7)
国民… 05万1千(7)
社民… 04万3千(6)

 自民が4議席独占も比例では民主と接戦である。
 それだけ、自民の候補者の力が強いということだ。
 民主は候補者が有権者に浸透していけば、選挙区でも接戦に持ち込める。  

【比例・青森】
自民… 05万0千(31.5)
民主… 05万0千(32)
公明… 02万2千(14)
共産… 01万5千(9)
国民… 00万9千(5.5)
社民… 01万3千(8) 

 民主が青森市・旧浪岡で自民をリードした。
 「全体では民主を支持するが、地元の有力政治家を落選させたくもない」
 こんなところだろう

【比例・八戸】
自民… 04万3千(34.5)
民主… 04万8千(39)
公明… 01万6千(13)
共産… 00万6千(5)
国民… 00万5千(4)
社民… 00万6千(4.5)

 大島の票は6万6千、自公票は5万9千である。
 選挙区は大島、比例で「田名部」ということだろうか?

【比例・弘前】
自民… 02万8千(33)
民主… 02万4千(28)
公明… 01万1千(13)
共産… 00万9千(10.5)
国民… 00万9千(10.5)
社民… 00万4千(5)

 さすがに自民が強いが、木村が圧倒したほどの得票率ではない。
 木村支持=自民支持ではないという結果である。  
 また、津島の得票に比べて国民新党の票が少ない。

【比例・五所川原】
自民… 01万1千(33)
民主… 01万1千(32)
公明… 00万5千(14)
共産… 00万2千(6)
国民… 00万3千(9)
社民… 00万2千(6)

 07参院選の民主候補の地元は五所川原である。
 地元効果で、自民を逆転する可能性も十分にある。

【比例・十和田】
自民… 01万3千(36)
民主… 01万1千(31.5)
公明… 00万6千(18)
共産… 00万1千(4)
国民… 00万2千(4.5)
社民… 00万2千(6)

 江渡と自公の得票に乖離が見られる。
 国民新党支持者が小選挙区では江渡に入れたものと思われる。

http://www.pref.aomori.lg.jp/senkan/shugi_44tokuhirei.htm

05衆院選~愛知

2005-09-11 | 静岡・愛知・岐阜

【1区】
当選 河村 たかし 105 民・前 
比例 篠田 陽介   82 自・新 
落選 木村 恵美   16 共・新  
落選 小林 正和    8 社・新
 
【2区】
当選 古川 元久  117 民・前 
落選 岡田 裕二   88 自・新
落選 斉藤 愛子   21 共・新  
 
【3区】
当選 近藤 昭一  111 民・前 
比例 馬渡 龍治   86 自・新
落選 石川  寿    20 共・新  
落選 藤本  栄     9 無・新  
 
【4区】
当選  牧 義夫    96 民・前
比例 藤野 真紀子  88 自・新
落選 瀬古 由起子  31 共・元
落選 佐々木 賢治   5 無・新
 
【5区】
当選 木村 隆秀  117 自・前
比例 赤松 広隆  108 民・前
落選 河江 明美   18 共・新
 
【6区】
当選 丹羽 秀樹  127 自・新
比例 前田 雄吉  113 民・前
落選 柳沢 けさ美  24 共・新  
 
【7区】
当選 鈴木 淳司  135 自・前
落選 小林 憲司  112 民・前
落選 坂林 卓美   23 共・新  
 
【8区】
当選 伊藤 忠彦  123 自・新
比例 伴野 豊    115 民・前
落選 森田 裕介   16 日・新
落選 神谷 暢     14 共・新  
 
【9区】
当選 海部 俊樹  131 自・前  
比例 岡本 充功  111 民・前
落選 松崎 省三   17 共・新  
落選 井桁 亮     15 国・新  
 
【10区】
当選 江崎 鉄磨  141 自・前
比例 杉本 和巳  105 民・新
落選 石田 保     21 共・新
 
【11区】
当選 古本 伸一郎  133 民・前
比例 土井 真樹  105 自・新
落選 本村 伸子   15 共・新
 
【12区】
当選 杉浦 正健  159 自・前
落選 中根 康浩  129 民・比
落選 萩原  昇    15 共・新
 
【13区】
当選 大村 秀章  139 自・前
落選  島  聡    110 民・前
落選 中村 健     13 共・新 
 
【14区】
当選 鈴木 克昌   97 民・前
比選 杉田 元司   79 自・新
落選 栗谷 建一郎  11 共・新  
 
【15区】
当選 山本 明彦  123 自・前
落選 森本 和義   75 民・新
落選 斎藤  啓     20 共・新   (単位:千)


参考・03衆院選~愛知
参考・03県議選~愛知(名古屋尾張三河

05宇和島市長選

2005-09-11 | 香川・愛媛
9月11日、宇和島市長選挙が投開票された。 (投票率83%)

 旧宇和島市・吉田町・三間町・津島町が合併、初代市長を決める選挙。
 候補者は、旧宇和島市長・石橋寛久、元県議会議長・中川鹿太郎、 旧宇和島市議・椙山義将。 
 保守地盤を三分する激しい選挙を展開。

 石橋は、合併協議会長と旧市長の実績を強調。
 自民党宇和島支部の旧市議、連合愛媛が支援する。

 中川は、宇和島地区漁協組合協議会などが支援。 
 県議6期の政治経験を前面に打ち出している。

 椙山は、山本公一前衆院議員・農協・業界団体・商工会議所会頭の支持を受け、県や国とのパイプを強調している。


=開票結果=

当選  石橋寛久  264 無・新 =民

落選  中川鹿太郎 233 無・新

落選  椙山義将  122 無・新





05衆院選~岩手県

2005-09-11 | 青森・岩手・秋田
【比例】
民主338(44) 自民243(32) 社民60(8) 公明58(8) 共産47(6) 国民20(3)

盛岡・(10)…民主67・自民47・社民14・公明11・共産10
  旧盛岡… 民主64(44) 自民45(31)
  旧玉山… 民主3(42) 自民2(36)

宮古・(2)
  宮古市… 民主13(37) 自民13(39) 社民3(8) 公明3(10)

大船渡(1) 
  大船渡… 民主12(43) 自民10(36) 社民1(5) 公明2(7)

奥州・(5)…民主38・自民18・社民08・公明06
  旧水沢… 民主18(54) 自民7(21)
  旧江刺… 民主11(55) 自民4(23)
  旧前沢… 民主6(60) 自民2(20)
  旧胆沢… 民主6(58) 自民2(21)
  旧衣川… 民主2(54) 自民1(20)
  金ケ崎… 民主5(51) 自民2(25)
 
花巻・(4)…民主27・自民17・社民07・公明05
  旧花巻… 民主17(44) 自民11(29)
  旧大迫… 民主2(43) 自民1(38)
  石鳥谷… 民主5(49) 自民3(28)
  旧東和… 民主3(46) 自民2(29)

北上・(4)…民主25・自民16・社民05・公明03
  北上市… 民主23(45) 自民14(28)
  旧湯田… 民主1(35) 自民1(32)
  旧沢内… 民主1(30) 自民1(28)

久慈・(2)…民主11・自民08・社民
  久慈市… 民主9(46) 自民6(32)
  旧山形… 民主1(45) 自民1(38)
  野田村… 民主1(38) 自民1(39)

遠野・(1)…民主07・自民06・社民01・公明01
  旧遠野… 民主6(39) 自民5(37)
  旧宮守… 民主1(1) 自民1(34)

一関・(5)…民主35・自民26・社民07・公明08
  旧一関… 民主14(42) 自民11(31)
  旧花泉… 民主4(44) 自民3(31)
  平泉町… 民主2(46) 自民2(29)
  旧大東… 民主4(45) 自民3(32)
  藤沢町… 民主3(43) 自民2(32)
  旧千厩… 民主3(46) 自民2(29)
  旧東山… 民主2(52) 自民1(26)
  旧室根… 民主2(47) 自民1(29)
  旧川崎… 民主1(53) 自民1(28)

高田・(1)…民主10・自民05・社民01・公明01
  高田市… 民主8(53) 自民4(27)
  住田町… 民主2(48) 自民1(32)

釜石・(2)…民主14・自民12・社民02・公明02
  釜石市… 民主10(40) 自民9(35)
  大槌町… 民主3(39) 自民3(38)

二戸・(2)…民主10・自民09・社民02・公明02
  二戸市… 民主6(42) 自民5(36)
  浄法寺… 民主1(35) 自民1(43)
  旧一戸… 民主3(38) 自民3(37)

八幡平(2)…民主12・自民10・社民01・公明02
  八幡平… 民主7(41) 自民6(37)
  葛巻町… 民主2(40) 自民2(45)
  岩手町… 民主4(42) 自民3(38)

岩手・(3)…民主17・自民12・社民03・公明03
  滝沢村… 民主12(45) 自民8(31)
  雫石町… 民主5(43) 自民5(43)

紫波・(2)…民主14・自民12・社民02・公明02
  紫波町… 民主8(40) 自民7(35)
  矢巾町… 民主6(43) 自民5(33)

下閉伊(1)…民主10・自民11・社民01・公明02
  普代村… 民主1(37) 自民1(44)
  山田町… 民主4(31) 自民6(48)
  岩泉町… 民主3(39) 自民3(42) 
  田野畑… 民主1(35) 自民1(41)
  川井村… 民主1(38) 自民1(41)

九戸・(1)…民主10・自民07・社民01・公明02
  九戸村… 民主2(43) 自民1(38)
  軽米町… 民主3(43) 自民2(35)
  旧種市… 民主4(45) 自民3(41)
  旧大野… 民主1(41) 自民1(37)


 民主(旧民主と旧自由の合計)は、40%を超えて安定している。
 それに対し、自民は無党派層の動向が結果を左右する。
 公明は、得票が5万1千~5万5千票台、得票率は7~9%で安定。

 各種業界団体であるが、03総選挙では、民主に配慮した団体もあったが、今回は、与党志向が強まっている。
 県医師連盟と県歯科医師連盟は、1~4区で自民公認候補を推薦した。前回を踏襲した形だ。
 しかし、県歯科医師連盟の自民支持にもかかわらず、7月の県議補選では民主党公認の歯科医師に関係者の多くが流れた。
 県農協政治連盟も前回と同様、1、2区で自民公認候補を推薦、3、4区は自主投票とした。
 県建設業政治連盟と県漁連は03衆院選で、1~4区で自民・民主両党候補を推薦した。
 しかし、今回はともに自民一本に戻った。
 
 経済団体関心は、政策よりも陳情する相手であり、それが与党を支持させる。
 
 一方で、業界団体の推薦は、そのまま票には結びつかない。
 業界団体の個人への拘束力はもはやない。
 団体がわは、推薦しても、会員に積極的に勧めることはしない。
 この勧誘が、逆効果になりかねないのである。  

 比例東北で2議席を目指した公明党は、1議席にとどまり落胆が広がった。

 公明は今回初めて、4小選挙区で自民党公認候補を推薦した。
 過去にないレベルの相互協力を目指したが、本県での比例得票は7万5千の目標に対し、約5万7千に終わった。
 公明得の票率7・51%は全国最低だった。
 県内の公明支持者は1区の82・8%を最高に、70%前後が自民候補に投票している。
 比例得票比率は、民主が44で全国一なのに対し、自民が31・5と下から3番目であった。
 公党が支持者に他党への投票を呼び掛けるのには難しさが伴う上、もともと多くない自民票からの協力にはおのずから限界があった。

 今の自民に、固い公明票は頼みの綱だが、呼び掛けは徹底したものの、自民から公明への票の流れは限定的なものになった。

【1区】
 県連代表の達増は、選挙戦の半分近くは2区に入らなければならない。
 だが、選対本部長の川村農夫県議は「10万票が目標」と強気だ。

達増拓也 9万5千<民・前>(52) 
及川 敦 6万5千<自・新>(35)
細川光正 1万4千<社・新>(7.5) 
神部伸也 1万0千<共・新>(5.5)
 
 達増が地道な日常活動で築き上げた厚い支持基盤をまとめ、3期9年の知名度をフル活用する戦いで4選を果たした。
 自民・及川敦は自民・公明の支持層を結集して前回票を上回ったが無党派層をつかみ切れなかった。

 達増は有権者との対話を重ねすそ野を広げてきた「草の根」が活きた。
 候補者不在がちの戦いが後援会の結束も早めた。

 及川は、党支持基盤に公明党の全面支援を加えた前回以上の組織で臨んだ。
 序盤は、郵政民営化を前面に追い風をつかみつつあった。
 しかし情勢が落ち着いた終盤になり、争点を絞った訴えが、揺り戻しを許した。

盛岡市… 達増7万8千(52) 及川5万1千(34)
紫波町… 達増0万9千(47) 及川0万8千(42)
矢巾町… 達増0万8千(51) 及川0万6千(39)

 達増は、大票田の盛岡で圧倒、そのリードを周辺部でさらに広げるという危なげない勝利となった。
 岩手県知事へ転出するが、比例でも票田の盛岡で民主が自公を上回っていることから、後継候補も順当に行けば当選させられるだけの力を持っている。

 自民は、次回は知名度を上げた及川ではなく、玉沢ジュニアである。
 安易な世襲が票の上積みをもたらすとは思えない。

【2区】
 2区は、県のほぼ北半分にあたる、22市町村にまたがる広大な選挙区だ。
 県内で唯一自民が議席を守っていた2区へは、勢い4選挙区制覇を目指す民主の攻勢が強まる。

 過疎地域の町村を多く抱える2区だけに民営化への地元の不安も多く、鈴木は、それを一掃しようと懸命だ。
 故・鈴木善幸元首相の時代からの支持者も多く、集会や街頭で握手をして回る鈴木候補に、深々と頭を下げるお年寄りの姿も見られる。

 畑浩治は、突然の解散総選挙で知名度不足は否めない。
 民主が、特に力を入れる2区には、達増拓也党県連代表らまで入ってテコ入れ。
 しかし広い選挙区を効率良く巡るため、畑は、小沢一郎・達増拓也らと別行動をとっている。

 社民党県連合は、2区について、畑浩治への「支援」を決めた。
 小選挙区制で、党県連合が他の政党の公認候補を支援するのは初めて。
 「推薦」や「支持」としない点について、憲法問題・公務員の削減などに異論があるためとした。

鈴木 俊一 11万6千 <自・前>(55) 
畑  浩治 09万4千 <民・新>(45)
      
宮古市… 鈴木2万1千(60) 畑1万4千(40)
久慈市… 鈴木0万8千(40) 畑1万2千(60)
野田村… 鈴木0万2千(62) 畑0万1千(38)
旧山形… 鈴木0万1千(49) 畑0万3千(51)
二戸市… 鈴木0万7千(52) 畑0万7千(48)
浄法寺… 鈴木0万2千(63) 畑0万1千(37)
八幡平… 鈴木1万0千(57) 畑0万7千(43)
雫石町… 鈴木0万6千(54) 畑0万5千(46)
葛巻町… 鈴木0万3千(63) 畑0万2千(37)
岩手町… 鈴木0万5千(56) 畑0万4千(44)
滝沢村… 鈴木1万3千(49) 畑1万4千(51)
玉山村… 鈴木0万4千(55) 畑0万3千(45)
山田町… 鈴木0万9千(73) 畑0万3千(27)
岩泉町… 鈴木0万4千(58) 畑0万3千(42)
田野畑… 鈴木0万2千(65) 畑0万1千(35)
普代村… 鈴木0万1千(65) 畑0万1千(35)
川井村… 鈴木0万1千(59) 畑0万1千(41)
軽米町… 鈴木0万4千(52) 畑0万3千(48)
旧種市… 鈴木0万4千(54) 畑0万4千(46)
旧大野… 鈴木0万2千(53) 畑0万2千(47)
九戸村… 鈴木0万2千(53) 畑0万2千(47)
一戸町… 鈴木0万5千(56) 畑0万4千(44)

 鈴木は宮古・下閉伊地域や八幡平市などで着実に得票を重ね、底力を見せた。
 高い知名度を持つ鈴木にとって、突然の解散・総選挙は大きな追い風になった。

 畑は、地元・久慈市や主濱参院議員の地元・滝沢村で勝利し健闘したが、2区の広大な面積と短期決戦による時間不足が障壁となり、十分に浸透しきれなかった。
 選挙戦終盤に2区を対象に行った世論調査では、郵政民営化に「賛成」の人は約39%、「反対」を約11ポイント上回った。
 郵政民営化反対を掲げた畑にとって「逆風」であった。

 公明も存在感を示したが「選挙区は鈴木、比例は公明」という方針に違和感を持つ自民関係者も少なくなく、自公協力は「不完全燃焼」に終わった。

 唯一の自民議席を維持した鈴木氏だが決して盤石な戦いだったとは言い難い。
 逆に畑氏は、鈴木氏の地盤にくさびを打ち込んだ。

【3区】
 橋本は、後援会もまだ育っていない状態で、選挙に突入せざるを得なかった。
 自民支持者の多い遠野、宮守などで手堅く票を固めるしかない。
 あとは、一関などに多い無党派層を重視し、支持の拡大を目指す。
 第一声は地元大船渡ではなく、一関であった。
 公明とも連携し、「比例は公明」と訴える。

 黄川田は、16市町村すべてでの過半数獲得が目標だ。
 前回は、投票日前日に小沢一郎が一関市入りするなど、手厚い支援があった。
 今回は、むしろ2区に応援に行って欲しいぐらいだと言われた。

 地元の陸前高田など気仙地方の地盤は盤石だ。
 だが、釜石ではまだ支持拡大の余地がある。
 自民が強いとされる遠野、宮守でも勝利を狙う。

 3区では、各陣営が有権者約2万人余の遠野市での戦いに力を入れている。
 もともと自民の金城湯池だったが、知名度の低い新顔候補の立候補に乗じて、前職の民主陣営が激しい攻勢を仕掛けている。

 遠野市は3区全体の約8.6%に過ぎないが、過去2回の選挙で当選した黄川田徹が、2回ともトップを取れなかった。

 黄川田は今回、公示直前に市内中心部に後援会事務所を開いた。
 黄川田自身、公示日から遠野市に入った。

 これに対し、自民・橋本は、自民の牙城での得票確保に必死だ。
 橋本候補が秘書として仕えた、玉沢徳一郎元農相が応援にかけつけた。
 農林族重鎮の玉沢は、旧1区だった遠野市で圧倒的な強さを見せていた。
 8人が立候補した93総選挙で、得票率が37。
 遠野市選出の工藤勝子県議(自民)も、選挙カーに同乗している。

黄川田 徹 102(55)民主 前 
橋本 英教 70(37.5) 自民 新 
菊池 幸夫 14(7.5)共産 新

大船渡… 黄川田1万3千(48) 橋本1万3千(47)
遠野市… 黄川田0万8千(52) 橋本0万6千(41)
一関市… 黄川田1万8千(52) 橋本1万3千(38)
高田市… 黄川田1万2千(74) 橋本0万3千(20)
釜石市… 黄川田1万3千(52) 橋本1万0千(41)
旧花泉… 黄川田0万5千(55) 橋本0万3千(38)
平泉町… 黄川田0万3千(56) 橋本0万2千(38)
旧大東… 黄川田0万6千(57) 橋本0万3千(33)
藤沢町… 黄川田0万3千(53) 橋本0万2千(40)
旧千厩… 黄川田0万5千(60) 橋本0万2千(31)
旧東山… 黄川田0万3千(65) 橋本0万1千(28)
旧室根… 黄川田0万2千(60) 橋本0万1千(35)
旧川崎… 黄川田0万2千(64) 橋本0万1千(30)
住田町… 黄川田0万3千(61) 橋本0万2千(35)
大槌町… 黄川田0万5千(50) 橋本0万4千(44)
旧宮守… 黄川田0万2千(58) 橋本0万1千(34)

 黄川田氏は、後援会と党組織を中心に選対を構築。
 連合の支持も受け、衆院2期の知名度で序盤から優勢に戦いを進めた。
 全国的に民主への追い風が見られない中で守りの選挙戦を強いられたが、中盤から陣営の引き締めを図り、他陣営への票の流出を許さなかった。
 社民党支持層も取り込んだ。

 橋本氏は急きょ出馬が決まり大船渡市以外に個人後援会がなく、自民、公明両党組織を中心とした選挙戦を展開した。
 出遅れたが、郵政民営化をはじめとする改革を訴え徐々に支持を広げた。
 若者ら無党派層からも一定の支持を得た。
 しかし、黄川田氏を上回るほどの追い風にはならず、当選はならなかった。

 黄川田は当初から目標としていた16市町村すべてでの勝利を果たした。
 前回は自民候補の票を下回った遠野、釜石、大東、藤沢、大槌、宮守の6市町村でトップを奪取、地盤を磐石なものとした。

【4区】 
 4区は、小沢一郎の地元水沢市を中心に、鉄壁の守りを誇っている。
 小沢は全国の民主党候補支援のため、4区に入る予定はない。
 主不在の「小沢王国」で、前回に続いて玉沢徳一郎の苦闘が続く。
 水沢市と胆沢町に、自民党支部が結成された。
 自民党はこれまで組織を作れなかった。
 それが公示直前、次々に事務所が開かれ、4区に空白市町村がなくなった。
 自民党水沢市支部長の小野新一は「これまでは隠れるように活動してきた」と語った。

 4区は、中選挙区制時代は旧2区だった。
 自民党は、小沢、椎名素夫、志賀節が、それぞれの父の代から37年間にわたって争った。旧椎名派・旧志賀派も集う。
 自民党支部の背後には、「反小沢連合」の動きが見え隠れする。

 こんな自民党の動きに対して、小沢陣営に動じる気配はない。
 前回、小沢の得票は12万票を超え、過去最多だった。
 得票率は65%を占め、水沢市で74%、胆沢町で79%、3人を圧倒した。

 小沢氏支持を明確にしている水沢市の高橋光夫市長。

小沢  一郎 12万5千(60)<民・前> 
玉沢徳一郎 04万8千(23)<自・前> 
久保  02万4千(11)<社・新> 
高橋 綱記 01万1千(6) <共・新> 

水沢市… 小沢2万4千(69) 玉沢0万6千(17)
花巻市… 小沢2万1千(53) 玉沢1万1千(27)
北上市… 小沢2万8千(53) 玉沢1万4千(26)
江刺市… 小沢1万4千(69) 玉沢0万4千(19)
大迫町… 小沢0万2千(51) 玉沢0万2千(39)
石鳥谷… 小沢0万6千(60) 玉沢0万3千(27)
東和町… 小沢0万4千(59) 玉沢0万2千(29)
湯田町… 小沢0万1千(37) 玉沢0万1千(32)
沢内村… 小沢0万1千(28) 玉沢0万1千(26)
金ケ崎… 小沢0万6千(64) 玉沢0万2千(24)
前沢町… 小沢0万7千(74) 玉沢0万2千(16)
胆沢町… 小沢0万8千(73) 玉沢0万2千(16)
衣川村… 小沢0万2千(70) 玉沢0万1千(20)
 
 最も民主基盤が厚い4区は、13選した小沢一郎が序盤から優位を保ち、安定した戦いを展開した。
 玉沢徳一郎は、小泉改革や与党を前面に増票したが、小沢の厚い壁に阻まれた。

 小沢は、目標とした前回票をほぼ確保。
 全国的に民主に大逆風となった中にあって、基盤の固さを見せつけた。

 昨年の参院選岩手選挙区で小沢氏支持者が分裂したことなどが影響し、北上、花巻では動きが鈍く、一部に支持離れも見られた。

 玉沢氏は選挙区内全市町村に設置した党組織を軸に支持拡大。
 前回より知名度を増したうえ、比例4位に名簿登載され、当選を果たした。
 業界団体を中心に、与党の立場に一定の理解は得られたが、有権者全般に対する浸透度はまだ深まっておらず、小沢を切り崩すことはできなかった。

 社民・久保は出身地の沢内村では42パーセントを獲得した。



 今後の照準は、2007年の統一地方選と参院選になる。
 統一地方選で頑張ることが、国政選挙で議席を増やすことにつながる。
 県内全域で地道な足場固めが必要である。

 自民党は、支持者も高齢化しており、反転攻勢は難しい状況だ。

 民主党は全国で惨敗したが、本県は小泉旋風にも揺れない強さを見せた。
1、3区は票を上積みして圧勝、4区も揺るがず、2区は票差を前回の半分まで詰めた。
 比例得票率も自民を約12・5ポイント上回り全国1位だった。
 
 だが、達増は「4選挙区制覇ができず、勝利と言えない。」と冷静にとらえる。
 初の10万票台に乗った3区の黄川田徹陣営も「最低目標をクリアした」と得票ほど勝利の気分には浸れなかった。
 やはり、全国的な大敗は「民主王国」といえども政権交代を期待してきた支持者が離れることへの懸念は強い。

 小沢の存在そのものが同党県連関係者、支持者にとって最大の求心力だ。
 それだけに起死回生策を小沢氏の代表就任に求める声は支持者、県連幹部から強くなってきた。
 また、党内でも選挙態勢の足腰を鍛え直す指導力から、保守系議員を中心に登板を求める声が出ている。
 政権交代を再び狙える体制を構築できるのか。
 小沢一郎、民主党にとって正念場となる。