選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

第45回総選挙予想・近畿

2009-08-18 | 大阪・兵庫・和歌山
【近畿】

滋賀1区 ●川端(民)
滋賀2区 ■田島(民) 
滋賀3区 ●三日月(民)
滋賀4区 ▲奥村(民) 
京都1区 ▲平(民)
京都2区 ■前原(民) 
京都3区 ■泉(民) 
京都4区 ●北神(民) 
京都5区 ★小原(民)
京都6区 ■山井(民)
奈良1区 ■馬淵(民) 
奈良2区 ●滝(民)
奈良3区 ▲吉川(民)
奈良4区 ▲大西(民)
和歌1区 ▲岸本(民)
和歌2区 ★阪口(民)
和歌3区 △二階(自)

大阪1区 ▲熊田(民)
大阪2区 ▲萩原(民) 
大阪3区 ▲中島(民)
大阪4区 ●吉田(民)
大阪5区 ▲稲見(民)
大阪6区 △福島(公)
大阪7区 ●藤村(民)
大阪8区 ●中野(民)
大阪9区 ●大谷(民)
大阪10区 ●辻元(社)
大阪11区 ■平野(民)
大阪12区 ■樽床(民)
大阪13区 ○西野(自)
大阪14区 ☆谷畑(自)
大阪15区 ☆竹本(自)
大阪16区 ▲森山(民)
大阪17区 ★辻(民)
大阪18区 ★中川(民)
大阪19区 ■長安(民)

兵庫1区 ●井戸(民)
兵庫2区 ●向山(民)
兵庫3区 ●土肥(民)
兵庫4区 ▲高橋(民)
兵庫5区 ●梶原(民)
兵庫6区 ●市村(民) 
兵庫7区 ▲石井(民) 
兵庫8区 ●田中(日) 
兵庫9区 ○西村(自) 
兵庫10区 ▲岡田(民)
兵庫11区 ●松本(民) 
兵庫12区 ●山口(民) 

07赤穂市長選

2007-01-21 | 大阪・兵庫・和歌山
 1月21日、赤穂市長選の投開票が行われた。

 豆田正明が再選。共産党地区委員の村阪産代一を破る。。

 確定得票数次の通り。

当選 豆田 正明  144 無・現 再選 =自・民・公

落選 村阪産代一  65 共・新

(投票率51%)

06和歌山県知事選

2006-12-17 | 大阪・兵庫・和歌山
 12月17日、和歌山県知事選の投開票が行なわれた。

 民主に独自候補擁立の動きがあったが、和歌山民主の最高顧問・大江が強硬に反対し、最終的に候補者擁立を見送ることとなった。



当195719 仁坂吉伸 無・新 =自・公

  90680 泉 敏孝 無・新 =共

(投票率35% 過去最低)

06東大阪市長選

2006-07-02 | 大阪・兵庫・和歌山
 7月2日、東大阪市長選挙の投開票が行なわれた。

=構図=

 選挙戦は、四年間の実績を強調する現職の松見が、現市政を批判する長尾、西野両の挑戦を受ける構図。

 松見、西野は保守系とあって共通点が見られる。
 特殊勤務手当、給与制度見直しに言及し、職員にも痛みを分かつよう求める。

 長尾は、同和行政の終結、公共工事の削減、三十人学級の実現など、共産系の主張を押し出す一方で、吹田市が実施している障害者への支援を打ち出した。

 
【長尾】
 府立八尾高等学校、静岡大学を卒業。大学卒業後、大阪民主新報記者となる。
 79東大阪市議選に、日本共産党公認でに立候補し初当選。以後5期。
 97市長選に出馬するものの、現職・清水行雄に1万9千票の差で落選。
 清水市長の逮捕・辞職に伴う98市長選で(共産推薦・新社会支持)初当選。
 利権に終止符を打つべく市政改革を行おうとした。
 しかし、市議会などでは議員らの対立から原案の否決などが生じ、市政や議会は混乱状態に陥った。
 02市長選で、前回の市長選挙で5千票の差で落選した松見正宣に破れる。
 退任後、「東大阪民主市政を考える会」を主宰し捲土重来を期した。
 その間、大阪市立大学大学院で「修士(都市政策)」の学位を取得。

=保革対立の歴史=
 
 東大阪市では保革対立は顕著だ。

【革新ブーム】

 元大阪府議会議長だった保守系の辰巳佐太郎が三市合併後の初代市長となるが、革新系の伏見格之助がそれに替わった。

 この時期、東大阪市に革新市政が誕生には、共産・社会系の美濃部亮吉の東京都知事当選後におきた、全国的な革新高揚の流れがあった。
 そして翌年、共産系の黒田了一が大阪府知事に当選。

 第一次臨調まで、地方公務員の給与水準は民間の約半分。
 衛星都市はどこも人口流入によって行政需要が拡大し、人手不足となった自治体は職員確保に苦慮した。
 
 ところが、昭和40年代に入ると、国の勧告も有り給与水準は上がっていった。
 その給与水準の向上は職員の質を高め、優秀な人材が確保できるようになる。
 「上司中卒、部下大卒」と揶揄されるまでになる。
 職員確保に苦しんだ時代は、過去のものとなった。

 それでも、伏見市長は、最大の後援団体である労働組合・東大阪市職労の意向を反映し、労組の要求に応じ、臨時職員や嘱託職員を正規職員とした。
 また、解放同盟等の推薦により職員を採用した。
 予算に対して職員給与の占める比率が高くなり、財政的な負担となった。
 さらに、重福祉政策の結果、財政支出は増大し、不況と重なり、財政再建団体目前まで追い込まれた。
 職員の正規採用は見送られ、職員採用が復活するのは85年である。
 これにより、職員の年齢構成が歪み、瓢箪型となった。

 また、この重複福祉政策が中間層による「ただ乗り市民」へほ反発となる。
 これにより、伏見は、中間層の支持を失うこととなった。 

 82市長選で伏見革新市政の与党だった社会・共産が同和問題をめぐって対立。
 伏見が社会党に軸足を取り、共産は市政与党から離脱した。
 共産は、伏見市政の行政運営を徹底批判し、対立候補を擁立した。
 職員労働組合も、東大阪市職労から社会党系の自治労東大阪が分離独立した。
 その革新分裂の間隙を縫うように自民府議・北川謙次が保守系・中間層の支持を得て当選。
 東大阪市の革新市政は終止符が打たれた。
 
【保守市政】

 革新市政の後、北川謙次、清水行雄と16年の保守市政が続いた。
 市政運営は多数派与党に支えられて比較的安定が続いた。
 
 清水市長は、自治労東大阪労組を重用し、東大阪市職員労組の力を削いだ。
 職員定員の800人削減、国民健康保険特別会計の建て直し、下水道整備事業によって、一定の成功を収めた。

 しかし、清水市政時代には、再び団体推薦による職員採用が行われ、職員の質低下が問題となる。
 清水市政2期目には、圧倒的与党の力を背景に、市長の権力が強大になり、清水市長および側近による市政の私物化や市役所がらみの黒い噂が次々とが起こる。
 市長、与党議員推薦による職員不正採用疑惑、下水道工事入札疑惑、老人施設用地買収疑惑、新中央病院の指定薬局を後援会員が経営、愛人の絵の高額買入などである。
 これらの問題は連日新聞、テレビで放映され、取材先になった後援会関係者が自殺するという事件も起こった。
 勤務実態の無い愛人に対する厚生年金受給資格授与、住民実態の無い愛人の住民基本台帳登録容疑で、大阪府警は逮捕に踏み切った。
 清水市長は逮捕され、獄中で辞職する事になった。
 そして、自ら制定した職員倫理条例に基づき「在職中の犯罪」を理由として、退職金を返還する最初の例となった。 

 
【長尾革新市政】

 市民からは腐敗しきった自民党市政への批判が高まった。
 出直し市長選では、共産党員の元市議・長尾淳三が、共産推薦・新社会支持で、自治労東大阪・公明推薦の松見正宣を破り当選。
 16年ぶりに革新市政が復活した。
 長尾市長は、同和事業の一般事業化へと大きく舵をきった。
 また、採用試験の得点を公表することとした。
 これにより、団体推薦による不正採用は不可能になった。  
 保守系議員と癒着した職員のモラル改善、中小企業対策を掲げ市政にあたった。
 しかし、市議会運営は困難を極めた。
 元々、市議会議は野党が圧倒的であった上に、共産にも長尾支持で一本化していなかった。
 自・公・民・社の野党系議員と、それに連なる市職員が長尾と対立。
 連日、議会は空転、予算や議案は全く通らず、市民生活への影響も出てきた。


【再び保守回帰】

 松見正宣は、自民党衆院議員・西野をはじめ、公明・保守・民主・連合大阪・解放同盟・自治労東大阪・民団などの幅広い後援に支えられて当選。
 共産・新社会推薦の長尾前市長、塩川正十郎財務大臣(当時)支持の東口貞男前市議は敗れた。

 塩川と西野は選挙地盤が競合しており、ライバル関係にあった。
 市長選挙でも塩川陣営と東大阪自民は、東口を擁立して市長選挙を戦った。
 自民党は一枚岩では無かった。
 長尾淳三支持の共産党も野党として存在していた。
 つまり、与党は公明・自民・民主、野党は共産と自民塩川派である。
 松見は、安定した議会運営が可能であった。

 しかし、松見に地方自治体や議会での活動経験はなく、職員や議員ではなく、ブレーンは外部のコンサルタントに頼った。
 松見と職員・議員との間に間隙を生じた。
 これにより、多数与党のメリットを生かせなかったのである。

 松見が積極的だったのが、人権問題と環境問題であった。
 また、長尾市政で解消に向かっていた同和行政も復活した。
 そして、市職員の不透明な採用問題が表面化する。
 特定団体の推薦を受けた者を無試験で臨時職員に大量採用採用、創価学会・大民団・朝鮮総連などとの関係も批判の的となった。
 このような松見市政に対して、塩川・西野戦争で内部対立が続いていた自由民主党の一部が、与党の立場を離脱した。
 自由民主党市政刷新クラブである。
 刷新クラブは、広く一般市民とも結びつき行政訴訟を起こすなど、議会内外で激しく松見市政を批判した。

=開票結果=

  
当選 51821 長尾淳三 無・元 =共

落選 50842 松見正宣 無・現 =自・公

落選 38151 西野 茂 無・新

(投票率36%)

 松見の基礎票は公明・自民・民主で圧倒的であった。
 それにも関わらず敗れた原因の一つに、選挙直前の自民党入党がある。
 これにより一部公明党支持層が反発、組織票を固め切れなかった。

 また行政運営や施策が不安定で、自民支持層が西野だけでなく長尾にも流れた。
 長尾は、「市議会運営」以外、市長職を手堅くこなし安定感があったため、広範な支持を集めることができた。

 大阪市での「公務員」「」問題の噴出が、長尾に対する追い風となる。
 同和行政からの決別を掲げ市政を行った長尾が、有権者の不満の受け皿となったのである。
 
=第2次・長尾市政=

 長尾市政だったが、少数与党の悲哀を味わう事になった。
 野党側議員は助役、収入役に対して辞任を要求。
 3名は辞表を提出した。
 懸念通り、議会とは再び対立し大混乱している。
 一方で、大阪朝鮮高級学校の市有地占有問題を提訴、終結に向けて動くなど積極性を見せている。


06三木市長選

2006-01-15 | 大阪・兵庫・和歌山
 1月15日、三木市長選は投開票が行われた。

 旧・吉川町との合併後初の市長選。
 現職の多選・高齢を争点に、選挙戦が繰り広げられた。

 薮本は三木市出身。県の新行政担当課長を退職し、立候補した。
 県庁での行政経験と市政刷新を訴えた。
 加古は、4期の実績を訴え、選挙戦に望んだ。


当選 23752 薮本吉秀  238  無・新

落選 12954 加古房夫  123  無・現 =自・社 
 
(投票率55% 前回比4ポイント増)

薮本は、変革を望む若い世代や新興住宅地の住民を中心に、幅広い支持を集めた。

=見解=

 典型的な多選批判による当選である。
 市長不信任による当選であり、新市長の手腕が4年後に問われる。