選挙ブログ

選挙を中心に政治の話題を取り上げていきます

04参院選~佐賀

2004-07-11 | 福岡・佐賀・長崎
 
=動向=

【自民・岩永】

 自民現職・岩永浩美の後援会長は井本勇・前知事。
 全県選挙区の参院選で、自民は59年以来、補選を含めて19連勝中だ。
 だが、岩永は県内の自民候補としては、過去2回とも苦戦を強いられた。
 初当選した95補選では、自民・新進両党の激突構図に加え、候補者選定などを巡って、元県議会議長・宮原岩政との対立もあり、5万8千票差と苦戦した。
 98参院も非自民非共産陣営の統一候補に5万1千票差まで迫られた。
 その時の19万票が過去最高の得票数だ。

 岩永陣営は今回、それを上回る20万票を最低目標に置き、万全を期す。
 全49市町村で後援会を立ち上げ、どこも地元の有力者が後援会長に就く。

 すでに、県内最大の自民支持組織である農協の政治団体・県農政協議会をはじめ約400企業・団体から推薦を受けた。
 総括責任者には、95年補選で候補者選定を巡って対立関係にあった中野吉實・県農協中央会長が座る。
 比例区に立候補を予定する全国旅館組合会長・小原健史とも連携して戦う。


 盤石の態勢にも見えるが、不安要素はある。

 候補者6人が乱立した03知事選では、宮原との対立構図が再燃。
 岩永派の多くが現知事の古川康を支持し、宮原が次点に終わった。
 宮原の地盤である県東部の農民の自民離れを招いた。

 陣内孝雄参院議員や水田唯市元県議ら自民議員が歴代理事長を務めた佐賀商工共済協同組合が粉飾決算の末に破産した。
 これに、自民支持層だった中小商工業者が反発。
 03衆院選で、被害者の多い佐賀1区で自民候補が敗れた大きな原因とされる。

 岩永派筆頭格の県議だった水田は、商工共済問題の責任を取って政界を引退。
 陣営の総括責任者は非改選の参院議員が務めるのが慣例だが、今回、陣内は就任しなかった。
 商工共済の被害者感情を考えると、まだ表立った行動は取れない。

 03衆院選では両党とも「選挙区は自民、比例区は公明」と訴えた。
 だが、公明が比例区で県内得票数の目標とした6万5千票には4千票近く足りなかった。
 自民県連は今回、比例区に自前候補を抱える。
 県連幹部は「比例区で公明に協力する票はないし、前回も実績を出していないから、今回、選挙区で『お願いします』とは言いにくい」と漏らす。

 それでも、陣営関係者からは「負けることはない」という言葉が聞こえる。
 そんなムードを危惧して、ある県連幹部は「民主の動きが見えない。油断は禁物だ」と気を引き締めた。

【民主・川崎】

 民主新顔の川崎稔は「年金未納政局」の直撃を受け、有権者の失笑を買った民主代表選びを巡る騒動の余韻が残る。

 「絶対に勝てるエース」。
 川崎擁立を発表する民主県連代表の原口一博衆院議員は、晴れがましかった。
 自ら口説き落とした佐賀西高の後輩は日本銀行出身。
 後援会長に佐賀銀行元常務を据える陣容を整えた。
 無党派層にも保守層にも受け入れられやすい。

 その後、民主公認で当選した古賀潤一郎衆院議員の学歴詐称、年金未納問題で菅の代表辞任と、民主陣営は失策続き。
 気がつけば逆風になっていた。

 逆風が深刻な懸念材料となるのは、民主県連の組織力が弱いからだ。
 県内には、原口氏の地盤の佐賀市と党県連幹部2人が市議の鳥栖市の他に、県連支部も川崎の後援会事務所もない。
 地方議員もいない。
 03衆院選で佐賀3区は惨敗、同2区では候補者すら立てられなかった。

 川崎陣営の「頼みの綱」が、県内に組合員3万7千人を擁する連合佐賀だ。
 パートや家族を加えれば、2~3倍の組織票になる。
 推薦決定後、県内組織に川崎氏を連れ回した連合佐賀幹部によると「反応は上々」。だが、傘下の最大労組・自治労は、比例区で民主を推す中央本部の意向に反し、県内では社民を支援している。

 社民県連合は今回、独自候補擁立を見送ったため川崎の推薦願を受けたが、結論は01年参院選と同じ「支持」。
 行政改革を断行する木下敏之・佐賀市長の政治姿勢に理解を示す民主と、自治労を背景に反発する社民との違いも微妙に影響した。

 参院選での両者の協力態勢も不透明だ。
 ある社民県連合幹部は「社民系の地方議員は大勢いるのに、民主が苦手とする郡部での支援要請が全くない。どう動くつもりなのか」といぶかる。

 民主県連の園田代表代行は「組織力の差は歴然」と認める一方で「県内の投票行動は大きく変わっている」と見る。
 03衆院選で、民主は県内で過去最高の比例票14万を獲得。
 自民に約3万票差まで迫った。

 川崎は、諌早湾干拓の中長期開門調査断念で自民不信を強める漁民を訪ねるなど、県内を地道に回る。


=中間情勢=

 岩永が一歩リードしているが、川崎にも逆転の可能性がある。

 岩永は、自民支持層の9割以上を固め、推薦を受けた公明の支持層も手堅くまとめつつある。
 地域別では、地盤の県西部と北部で強みを発揮している。

 川崎は民主支持層の9割を固め、社民支持層にも食い込む。
 佐賀市や鳥栖市など県東部の都市部で支持を広げている。
 諌早湾干拓問題を争点と位置づけ、保守地盤の有明海沿岸の郡部でも岩永に迫っている。

=開票結果=

当選 岩永 浩美  197  自・現

当選 川崎  稔   177  民・新

当選 武藤 明美   39  共・新
   


  

04参院選~石川  (仮)

2004-07-11 | 富山・石川・福井
=森奥戦争=

 石川県において、森喜朗と奥田敬和という2実力者がしのぎを削ってきた。

 森と奥田は選挙区がかぶるため、選挙の度に激しい選挙戦を繰り広げてきた。
 奥田は建設業界に強固な地盤を持ち、金沢市内で圧倒的な強さを誇った。
 それに対し森は、県南部を固めて対抗。
 自民県議団も、森派・奥田派に分かれ、対立していた。

 しかし、奥田が自民党を離党したのに対し、森は自民党の中で着々と地歩を固めたこともあり、次第に森が優勢になっていった。
 中選挙区制が解体され小選挙区制が導入されたことで森と奥田が直接国政選挙でぶつかり合うことは無くなった。

 奥田敬和の死後も、後継者の奥田健が民主党から、懐刀の一川が自由党から国政に出馬し、1区で森傘下の馳、2区で森と、それぞれ戦い、戦争は継続中である。
 この奥田・一川の戦いを支えるのが、故・奥田派の石川県議でつくる新進石川。
 新進党解党後も「新進」を掲げる政治勢力である。

 新進石川会長の金原には、国政の場で各政党が離合集散する中、自民党に代わる選択肢を県民に提供し続けてきたとの自負がある。
 
 
=98参院選=

岩本 荘太  254 <無・新>
沓掛 哲男  239 <自・前>

 98参院選、故・奥田敬和派の新進石川や民主などは副知事だった岩本荘太を担ぎ、自民現職・沓掛哲男を破った。
 新進石川・民主・自由・連合など非自民・非共産勢力での勝利は、「石川方式」と呼ばれた。
 

=構図=

 無所属の会の岩本荘太が引退を表明し、新顔同士の争い。
 自民・岡田は前首相・森喜朗の親類で、公明・新進石川の支援も取り付けた。
 候補者選定が難航した民主は、衆院長野5区で立候補した加藤を擁立。

【新進石川】

 しかし、今回は様相が異なった。
 岩本引退がささやかれ始めていた昨年末。
 小沢の意向を受けた奥田らが、金原会長らと面会し候補者擁立で協力を求めた。
 金原は「候補者は民主党で」と譲らなかった。

 03県議選と03衆院選の影響があった。
 奥田敬和を失いながら、「新進」石川を守ることは容易ではなかった。
 04参院選の前年は、県議選があり、自身の選挙を死に物狂いで戦った。
 さらに、衆院選、1区に奥田、2区に一川。
 ここでも、新進石川メンバーは2人の当選のため必死で活動した。
 新進石川は疲弊しきっていたのである。
 参院選で候補を擁立する余力など無くなっていた。

 新進石川は奥田氏系列の県議らでつくり、県議会内では8議席を持つ。
 特に金沢市では自民と同等の勢力を保つ。
 自民と新進石川は、県議会で委員長・副委員長を分け合ってきた。
 
 今回、自民は、「岡田への協力」なければ委員長を独占すると、新進石川に通告して来た。
 自前の候補を擁立できず、民主に勝ち目の薄い戦い。
 さらに、民主は候補すらまだ擁立できていない状況。
 新進石川は、県議会での影響力維持を選択せざるを得なかった。
 自民側が「中立」を求めたのに対し、新進石川は玉虫色を嫌い、岡田支援で旗幟を鮮明にした。
 新進石川は、縁の深い民主の奥田建・一川保夫を支援してきたのであり、民主の下部組織ではないのだ。

【民主】

 1月末の岩本の引退を受け、民主は奥田・一川らが人選開始、しかし難航。
 連合石川も一歩引いた姿勢に終始した。
 
 難航の末、4月末にようやく石川出身で千葉県在住の男性に絞り込んだ。
 しかし、予想以上に時間がかかったことが誤算だった。
 新進石川はすでに自民新顔の岡田直樹に協力姿勢を見せ始めていた。
 男性は新進石川の支援が無いことを知り、立候補を取りやめた。

 公示直前まで続いた迷走。
 不戦敗が現実味を帯びる中、決着は党本部からの「紹介」で、長野県飯田市在住の加藤の擁立が決まる。
 石川に縁の無い、落下傘候補。
 加藤が出馬表明した時には、公示まで1週間を切っていた。

 候補者擁立の難航、新進石川の協力が得られないなど、始めから民主に勝機のない戦いとなった。 


=中間情勢= 
 
 岡田が優位に立ち、加藤は苦戦。
 
 過去、森派と故・奥田派が保守層を二分して争ってきたが、岡田は奥田系列の新進石川の支援も取り付け、他候補を引き離す。

 公示直前に立候補が決まった加藤は、「落下傘」との批判の中、3~50代の男性層の支持を中心に懸命の追い上げ。


=開票結果=

岡田 直樹 290 <自・新>
加藤 隆  189 <民・新>
佐藤 正幸  38 <共・新>


=見解=

 石川民主は、これまでの新進石川への依存のツケを一気に払った形だ。
 一川は、新進石川のメンバーと同様、自民・奥田派県議の出身。
 奥田は、故・奥田敬和の後継。
 石川民主の幹部が新進石川と深い関係になる。
 しかし、あくまで、新進石川と民主とは、別組織である。
 新進石川が安心して乗ってこれる候補者を擁立する責任が、民主側にはある。 

04参院選~新潟

2004-07-11 | 山梨・長野・新潟
近藤 正道<無・新>42万8千(35)
田中 直紀<自・現>36万7千(30)
塚田 一郎<自・新>32万0千(26)
桑原加代子<共・新>11万1千(9)
 
 民主・社民推薦の近藤がトップ当選した。
 残る1議席は田中・塚田という自民同士の争いとなり、田中が逃げ切った。
 投票率は63.25%と01参院選の61.78%を上回った。

 近藤は民主・社民の労組を中心に組織票をまとめ、非自民票を幅広く吸収。
 無党派層、自民支持層の一部にも浸透した。
 地域的にほぼ満遍なく票を集めた。

 田中は関連企業グループを動員し、保守層非主流系を糾合した。
 自民県連と距離を置いたため、現職でありながら自民票の獲得に苦戦した。
 民主系無所属の田中真紀子衆院議員が側面支援し、無党派層に食い込んだ。

 塚田氏は出遅れが最後まで響いた。
 自民県連と連携し、自民県議団や国会議員の全面支援を受けた。
 自民支持層、公明支持層に浸透したものの、無党派層に広がらず。
 塚田氏に軸足を置いた自民県連にとっては、手痛い失点となった。

 民主・現職の渡辺秀央が10万6千票で、比例代表での当選を決めた。
 県内票の掘り起こしに力を注いで自民票の一部も吸収した。
 自民・新人の水落敏栄も支持基盤の日本遺族会の厚い支持で当選した。

【社民党】
 02年秋の大渕絹子元参院議員の離党・民主会派入りで社民党新潟県連は国政での全ての議席を失った。
 社民は03衆院選で1区での候補者擁立を見送り、その見返りに、民主から近藤支援を取り付け、04参院選で国政の議席を回復した形だ。
 社民は、民主の協力が不可欠な状況になっている。
 しかし、社民が民主の要望に応え、近藤を無所属で立候補させたことに社民県連内では民主への譲歩が過ぎると不満が残る 。
 
 また、近藤の県議辞職で議席数が5に減り、民主系会派を下回った。
 第2会派に戻るには、県議補選で近藤の抜けた穴を埋めねばならないが、民主も独自の候補を立てる公算が大きく、現状維持がやっとであろう。
 近藤は当選したが、社民の基盤の脆弱化はとまらない。

【自由党系】
 渡辺秀央民主党新潟県連代表代行は、自民党で衆院6期・郵政大臣を歴任した保守政治家である。
 03衆院選で民主・社民・労組・市民団体が協力する「新潟方式」は成果を上げたが、その「新潟方式」立役者が渡辺である。
 その一方で、労組出身の候補に違和感を覚え、距離を置く支持者も出た。
 民主推薦の近藤は社民党系で、近藤支持者の渡辺への投票は期待できない。
 今回の選挙、保守票なくして当選のない渡辺は、自民・田中、塚田陣営へも切り込んだ。

【自民党】
 自民公認の新顔、塚田は自民党組織の応援を一手に受ける。
 自民県連と田中家の争いという様相であった。

 知事や衆参議員を歴任した故塚田十一郎は上越の出身。
 新潟県知事を約5年、衆院議員を7期、郵政相や自民党政調会長も歴任した。
 上越を中心に今も根強い支持者が残る。
 
 だが、旧塚田派と激しく争った高鳥派が今回、塚田陣営にまわることから、旧塚田十一郎派の一部が田中陣営へ流れた。
03衆院選、自民の公認争いに敗れ、無所属で出馬した元自民県議の風間直樹は現在、民主の衆院議員の政策秘書であるが、精力的に自民の田中を支持した。

 田中直紀の後援会は、旧越山会員に支えられている。
 自民公認でありながら、さながら無所属のような戦いを強いられた。
 
【新潟市】
 1区は03総選挙で、社民との分裂を回避した民主党が制している。

新潟市…近藤9万7千(42) 田中5万8千(25) 塚田5万2千(22)

 野党地盤を固めた近藤が大きくリード

【長岡】
 田中真紀子の選挙区である5区の中心地が、長岡市である。
 田中直紀は大量得票を狙った。

長岡市…近藤3万2千(35) 田中2万9千(32) 塚田2万3千(25)
小千谷…近藤0万8千(35) 田中0万7千(31) 塚田0万7千(30)
北魚沼…近藤0万8千(28) 田中0万9千(32) 塚田1万0千(33)
南魚沼…近藤1万1千(30) 田中1万1千(30) 塚田1万2千(30)

 真紀子人気が直紀の票には直結しなかった。
 真紀子の得票の少なからぬ部分が、反自民票ということなのかもしれない。

【三条】
 旧自由党系の渡辺秀央が長く地盤とするのが三条・見附地区である。
 ここを中心とする4区は、旧自由党系の菊田真紀子が抑えている。
 保守系と革新系の共闘の成否が問われる地域である。

三条市…近藤1万4千(34) 田中1万5千(36) 塚田0万8千(20)

 田中の得票率は、長岡よりも高い。
 旧自由系支持者の革新に投票はできない層が、田中に投票したのであろう。
 
【上越】
 上越市は、衆院で民主・筒井と自民・高鳥が激しく争う6区の中心地である。
 また、塚田の父親である故十一郎の地盤でもあった。
 十一郎と激しく争った高鳥派が塚田を支援するのを嫌い、旧十一郎派の一部が田中の支援につくなど、状況は複雑である。
 また、筒井・近藤・渡辺の3人は、新潟における野党共闘を作り上げたいわば同志である。

上越市…近藤2万4千(38) 田中1万7千(27) 塚田1万7千(27)

 筒井の面目躍如、近藤は、上越市で全県平均35を上回る38を獲得した。
 田中と塚田は横一線で、塚田は「十一郎の地盤」を活かすことができなかった。

【新発田】
 新潟最後の保守地盤の3区、その中心が新発田市である。

新発田…近藤1万6千(38) 田中1万2千(28) 塚田1万0千(25)

 
 近藤はここでも県平均を上回る38を獲得している。
 保守地盤とはいえ、中規模クラスの都市になれば、保守と革新との垣根は低いということなのだろう。

【佐渡】
 2区選出の衆院議員、近藤の地盤中の地盤が佐渡である。
 佐渡に限らず、離島は自民の強固な地盤になっている。

佐渡市…近藤1万1千(27) 田中1万3千(32) 塚田1万4千(35)

 全県で35の近藤が佐渡では27である。
 落選の塚田が県平均26を大きく上回る35であり、離島においては、自民組織が根強いことを窺わせる。 


  

04参院選~愛知  (仮)

2004-07-11 | 静岡・愛知・岐阜
 98参院選で2人共倒れの自民は、今回も事実上2人を擁立する。
 予備選挙で1位だった元衆院議員の浅野勝人を公認。
 残る2人の候補者が辞退。
 公募で弁護士の古井戸康雄を選んだ。
 党本部は古井戸の公認を認めないが、県連は、両者を支援。
 浅野は三河、古井戸は尾張地方を中心に活動を始めた。
 景気回復や小泉改革の成果などを訴える。
 準備が遅れているだけに、連立を組む公明との選挙協力に期待する声も強い。

 民主現職の木俣佳丈・佐藤泰介の両氏の公認が昨年7月に早々と内定。
 「民主王国」を支える労組も健在だ。
 しかし、元県連代表・佐藤観樹前衆院議員の秘書給与詐取事件、国民年金未納による菅前代表の辞任などがあり危機感は強い。
 98年は、木俣は旧民社系、佐藤は旧社会・さきがけ系の県連に分裂した状態で戦っただけに、今回は両氏の得票の配分が課題になる。

 共産は、八田広子の議席を守ろうと、党幹部が来県するなど力が入る。
 6年前は、与党への批判票が大量に流れ込み、自民の共倒れにも助けられた。
 だが最近の選挙では退潮傾向が止まらず、03県議選では議席を失い、03総選挙でも議席は半減した。
 憲法9条を守る立場を強調することで、党派を超えた支持を広げようと懸命だ。

 公明は98年と同じく候補者を擁立せず、比例区に専念する。
 目標は比例区で1000万票の獲得。
 年金改革など与党としての成果を訴え、支持母体の創価学会以外にも幅広い支持を得たい考えだ。

 98年・01年と候補者を擁立して敗れた社民は、今回擁立を見送った。
 03総選挙は議席が3分の1に減っただけに、護憲、平和だけでなく、年金問題など具体的な国民生活の課題に触れることで、比例区での支持を訴える。

 愛知選挙区の投票率は、95年は過去最低の39%、98年は一気に17%も上回って56%になった。
 全国的にも特に都市部で投票率が上がり、政府与党に対する経済政策に厳しい一票が投じられ、橋本首相が退陣した。
 01年は54%だった。
 全国では、自民が「小泉旋風」に乗って改選議席の過半数を超えた。




=98・開票結果=

当選 木俣佳丈  民・新  500
当選 佐藤泰介  民・新  457
当選 八田広子  共・新  453
落選 大木浩   自・現  444
落選 浦野烋興  自・新  411
落選 都築譲   無・現  218
落選 杉本皓子  社・新  159

(投票率56%)


=01・開票結果=

当選 鈴木政二  自・現 973
当選 大塚耕平  民・新 660
当選 山本保   公・現 500
落選 斉藤愛子  共・新 278
落選 宮田正之  由・新 132
落選 佐護宗哲  社・新  81
落選 関口房朗  無・新  41

(投票率54%)




 ■2004年参院選の主な立候補予定者

   浅野勝人  自・新 =公
   古井戸康雄 無・新 =自・公
   木俣佳丈  民・現
   佐藤泰介  民・現
   八田広子  共・現
   林田好文  諸・新



 浅野と佐藤が優位に立ち、3議席目を木俣と八田が競い合う。
 古井戸、佐々木、林田は伸び悩んでいる。

 浅野は、自民支持層の約7割、公明支持層からも半数の支持を得る。
 県全域で支持を広げている。

 現職2人の再選を目指す民主。
 ともに労組を中心とした選挙戦で、無党派層への浸透はいま一歩。
 旧社会系・佐藤は、民主支持層の半数、社民支持層でも一定の支持を得て、安定した戦いぶり。
 旧民社系・木俣は、民主支持層の支持が4割に届いていない。
 地元の東三河地域では支持を広げている。

 八田は共産支持層の大半を固め、社民支持層にも食い込んでいる。
 無党派層では、候補者中最高の3割台の支持を得る。

 自民県連推薦の古井戸は自民支持層から1割台の支持しか得られず、県本部推薦を受けた公明支持層の支持も広がっていない。

=開票結果=

当選 浅野 勝人  825 自・新
   
当選 佐藤 泰介  743 民・現
   
当選 木俣 佳丈  672 民・現
   
落選 八田 ひろ子 418 共・現
   
落選 古井戸 康雄  177 無・新
   
落選 佐々木 賢治   71 無・新
   
落選  林田 好文   19 諸・新
   

04参院選~山梨 

2004-07-11 | 山梨・長野・新潟
 03知事選で山本知事誕生に貢献した輿石。
 自分の選挙では優勢との見方が大勢だ。
 ともに知事選を戦った一部の自民党県議が早々に戦線を離脱したうえ、自民は公認候補を立てられなかった。

 03総選挙、民主党は、全国で議席を増やした。
 
 だが、堀内光雄の山梨2区は00年に続き候補者を擁立できず不戦敗となった。
 小沢鋭仁県連代表は、2区での党勢拡大打ち出し、輿石の選挙に乗じて自民支持層を切り崩し、大幅な比例票の上積みを目指す。
 ところが、2区選出の堀内は知事選ではともに山本を推した間柄。
 山本の当選は、参院と衆院とで利害が対立しないからこそ成立した。
 山本を当選させた輿石の立場は、比例や党勢拡大の面では障害となっている。

 加えて、3区も不透明だ。
 国土交通委員長を務める輿石に対し、中部横断道の早期建設を求める首長からは一定の支持が期待できるものの、本来は自民支持層が強固な地盤。
 参院選だけで勢力を定着させるには至らないとの見方が根強い。


 自民党県連の総務会、公認候補を断念して、無所属の新顔大柴堅志氏を推薦する提案に、会場では次々と手が上がった。
 前島茂松幹事長、中島真人会長も「おわび」にあいさつの大半を費やした。
 採決に入って、承認の拍手が鳴り始めると、執行部はほっとした表情を見せた。
 テレビは飛行機から降り立つ拉致被害者の家族の姿を盛んに映し出した。
 小泉首相の支持率ははね上がった。
 にもかかわらず、山梨の自民党は、吹きはじめた追い風に乗りあぐねていた。

 県連の候補者選びは曲折をたどった。
 昨秋の時点で、現職の清水達雄が再出馬することで固まっていたが、清水は2月になって辞退。
 その後、県議や元村長の名が浮かんでは消えた。
 元アナウンサーの大柴が市民団体に担がれて立候補の意思を表明したのは、そんなときだ。
 立候補予定者の選考に悩む県連と、組織の後ろ盾がほしい大柴。
 両者の思惑はほどなく一致した。

 比例区に立つ横内正明の決起集会で、駆けつけた青木幹雄参院幹事長がマイクを持つ手に力を込めた。
 「横内さんは衆議院に帰ってくることもないし、知事選にも関係ない。参議院に骨を埋めます」
 会場を埋めた1200人からは、それまでにない大きな拍手が沸いた。
 
 県連組織の迷走の発端は、横内が立った昨年の知事選とされる。
 横内は、山梨3区の衆議院議員ポストを捨てて挑戦。
 自民党議員の多くが推す山本栄彦・現知事と争い、議員間に亀裂を生んだ。
 総選挙では、労組から支援を受けて統一地方選挙を勝ち抜いた一部の議員が、民主党候補を支援した。
 その余波で、県議会の自民系会派は、3会派から4会派にさらに分裂した。


=中間情勢=

 輿石は、民主、社民支持層を固めたほか、自民支持層にも食い込んでいる。
 まんべんない年齢層、職業層から支持を得ている。

 大柴は、推薦を得た自民支持層の7割を押さえ、公明支持層も取り込んでいる。
 無党派層で支持が広がっていない。

=開票結果=

輿石 東   <民・現> 231千(55)
大柴 堅志 <無・新> 156千(37)=自・公推薦
花田 仁   <共・新>  33千(8)
 
 自民の混乱を尻目に、輿石が手堅く勝利をおさめた。
 地域別では、全地域で輿石が勝利。
 党派別では、民主・社民支持層に加え、無党派でも優位に立ち、自民支持層の一部にも浸透した。

 大柴は、北巨摩郡で健闘したものの、現職の壁は厚かった。 

甲府市= 輿石 47千  大柴 30千

東山梨= 輿石  8千  大柴  5千

東八代= 輿石 17千  大柴 13千

西八代= 輿石  8千  大柴  5千


韮崎市= 輿石  9千  大柴  6千

南ア市= 輿石 17千  大柴 14千
 
南巨摩= 輿石 13千  大柴  9千

中巨摩= 輿石 25千  大柴 16千

北巨摩= 輿石 17千  大柴 16千


富士吉田=輿石 13千  大柴 9千

大月市= 輿石 10千  大柴 5千

都留市= 輿石 10千  大柴 5千

南都留= 輿石 13千  大柴 9千

北都留= 輿石  8千  大柴 4千  

04参院選~岩手 

2004-07-11 | 青森・岩手・秋田
主浜  了 <民・新> 34万0千(48,5)
高橋洋介 <無・新> 27万7千(39.5)
竹花邦彦 <社・新> 04万7千(7)
若山明夫 <共・新> 03万7千(5)
 
 主浜は民主支持層、無党派層の半数を取り込んだ。
 県内全域で支持を集めた。
 出身地という地の利を生かし、自民の地盤である県北でも票を得た。

 現職の椎名素夫の後継である高橋は、自民、公明支持層を取り込んだ。
 県農協政治連盟、県医師連盟など推薦団体の組織票も固めた。
 民主の地盤である県南で攻勢を強めた。

【水沢】 
 旧水沢市は小沢一郎の地元、「小沢藩」の本城・本丸である。
 現職の椎名素夫が引退、高橋洋介を後継に指名し、自民・公明が推薦した。
 小沢一郎と椎名素夫が、父の代から争ってきた「水沢戦争」が再燃した。

 「水沢戦争」の始まりは、半世紀前にさかのぼる。
 53年、旧2区で、吉田自由の現職・小沢佐重喜に、保守系無所属、椎名悦三郎が新人で出馬したことに始まる。
 この時、悦三郎氏は落選したが55総選挙で初当選、58年からは自民党議員として、一郎・素夫に代替わりした後の90年まで、14回の総選挙で争った。
 それに応じて、県議、市長、市議選でも、両者の系列議員がしのぎを削った。

 だが、90衆院選で椎名が落選し、92参院選に出馬する。
 衆院は小沢・参院は椎名となり、戦争は終結した。
 92水沢市長選では、後藤晨を小沢・椎名が支援し、無投票当選となった。
 93年に、小沢、椎名はそれぞれ自民党を離党、その後も共闘は続き、後藤氏は96、00と当選を重ねた。

 両派から支援を得て無投票当選した高橋光夫市長は「中立」を守った。
 市議会は小沢系が8人、椎名系が4人とされる。

 小沢の地盤であった建設業界の中に、高橋支持に傾く業者が相次いだ。
 これには長年に渡り小沢の選挙を仕切ってきた高橋嘉信の離反があった。
 嘉信は大手ゼネコンを動員して、高橋陣営の支援にあたらせた。
 
 無所属だが、自民と公明県本部の推薦を得た高橋は、与党候補である。
 国直轄事業の多い胆江地区では、与党とのパイプを太くしたいのだ。
 小沢が自民党を離れて11年たっていた。
 小沢が離党した自民党の93総選挙の初当選議員の中に現首相安倍晋三がいる。
 小沢が全国の土建勢力を統括していたのは、昔の話なのだ。

 竹花邦彦を公認する社民は、小沢に対抗するため、椎名派の候補と政策協定を結び、支援してきた。
 また、連合の一部も竹花支援に回った。

 側近の元秘書や直系の首長経験者らの離反が相次いぎ、王国の本丸で苦戦を強いられることになった小沢一郎は、地元入りの回数を増やし、懸命にテコ入れした。

水沢市…  主浜1万9千(59) 高橋0万9千(29)
江刺市…  主浜1万0千(55) 高橋0万6千(34)
胆沢郡…  主浜1万8千(60) 高橋0万9千(31)

北上市…  主浜1万9千(39) 高橋2万8千(51)
花巻市…  主浜1万8千(49) 高橋1万4千(38)
稗貫郡…  主浜0万6千(50) 高橋0万5千(48)
和賀郡…  主浜0万5千(41) 高橋0万6千(48)

 北上・和賀ではリードした高橋だが、小沢の壁は厚かった。
 一方、主濱の票は、03衆院選の小沢の票よりかなり少ないものとなった。
 小沢陣営の切り崩しは、一定の効果があったのだろう。

【盛岡】
 主浜は県連代表の達増拓也とともに、盛岡市内でミニ集会を重ねた。
 話題の中心はやはり小沢一郎だ。
 達増は小沢流は党全体に広がっていくと支持者に強調した。
 主浜の擁立を決めたのは、岩手民主の達増拓也と藤原良信であった。
 

 高橋擁立を決めたのは、自民党県連会長の鈴木俊一と椎名素夫である。
 高橋自身も「県庁唯一の椎名派」と自負していた。
 6年前、椎名と鈴木は敵味方だったが、椎名は小沢一郎との協力関係を切った。
 自民は参院選で負け続けており、2人の利害は一致していた。
ともに昨年12月に県庁を退職。

 主浜・高橋は共に県庁出身者である。
 県庁には、歴代知事の方針で、政治関与を厳しく戒めてきた伝統がある。
 現職の増田寛也も「中立」を守る。

 それでも両陣営には、県職員OBが選対幹部として名前を連ねた。
 現役職員やOBという「大票田」をにらんだシフトであった。
 
盛岡市… 主浜6万9千(53) 高橋4万6千(35)
紫波郡… 主浜1万4千(47) 高橋1万3千(42)

 主濱は、盛岡で強い達増の票の多くを獲得することできた。
 高橋は03衆院選の及川の票に上積みができなかった。
 
【宮古】 
 宮古市と縁が深い候補が次々と立候補したことで混戦模様となっている。

 熊坂義裕市長は、自民推薦の高橋洋介の支援を決めた。
 合併後の市長選を見越してのことであった。
 市長後援会は、鈴木俊一衆院議員、平沼健県議の後援会と一体になり、宮古市内で高橋氏への支持を呼びかける。
 高橋後援会は、自民党と鈴木後援会の上に成り立っていたが、市長が加わったことですそ野が広がった。

 盛岡市内であった民主党公認の主浜了氏の総決起集会。
 吉田洋治県議(政和会)は、熊坂市長の姿勢を批判した。
 主浜氏は県職員から出向し、同市の助役として2年間、熊坂氏に仕えていた。
 主浜氏の宮古後援会には、かつて熊坂氏と市長の座を争った前市長の菊池長右エ門、元衆院議員で元市長の中居英太郎が加わった。
 両氏とも既に後援会組織はない。
 それでも、二人には市民の支持があり、主浜氏への支持に結びつく。
 目標は、03県議選で民主候補が獲得した1万1千票超をかかげた。

宮古市… 主濱1万0千(37) 高橋1万0千(36)
下閉伊… 主濱1万0千(35) 高橋1万4千(52)

久慈市… 主濱0万7千(43) 高橋0万7千(45)
九戸郡… 主濱1万1千(43) 高橋1万1千(46)

二戸市… 主濱0万5千(43) 高橋0万6千(45)
二戸郡… 主濱0万4千(40) 高橋0万5千(47)
岩手郡… 主濱3万4千(50) 高橋2万7千(39)

 出身地の滝沢で得票率62を叩き出し、鈴木の地盤2区でも主濱が勝利した。
 さすがに下閉伊は高橋だったが、宮古では予想外にも主濱がリードした。
 社民の竹花は出身地の宮古で、得票数6千、得票率23と健闘した。

【一関】
 宮城県境の一関は県都盛岡よりも地理的には仙台に近い。
 05年の広域合併で、新一関市は人口12万を超える岩手の第二都市となった。
 しかしながら、新幹線・高速バスで仙台へ出かける人が増加、国道沿いに大型店が進出し、地方都市の例に漏れず、中心部は空洞化が進む。

一関市… 主濱1万5千(50) 高橋1万1千(36)
東磐井… 主濱1万6千(50) 高橋1万3千(40)
西磐井… 主濱0万7千(50) 高橋0万5千(39)

【釜石】
 市制施行昭和12年、製鉄で賑わった姿は既になく、人口減少率は5%を超え市では最悪を記録し続けている。
 三陸は、漁業の長期低落、仙台・盛岡からの隔離、決して豊かではない岩手で最も苦しい自治体運営をしいられている。

釜石市… 主濱1万1千(46) 高橋1万0千(42)
遠野市… 主濱0万6千(43) 高橋0万6千(44)
上閉伊… 主濱0万5千(41) 高橋0万6千(50)

大船渡市… 主濱1万3千(52) 高橋0万9千(36)
陸前高田… 主濱0万9千(60) 高橋0万4千(30)

 民主は、組織が機能し、県南は内陸から沿岸部まで手堅くまとめた。

【比例】
民主… 33万4千(49.5)
自民… 17万6千(26)
公明… 05万6千(8.5)
社民… 04万7千(7)
共産… 03万9千(6)
諸派… 02万0千(2)

 方式が定着しないのか、比例票は選挙区の票より3万も少なかった。
 自公で得票数23万2千、得票率34.5、高橋は両方とも上回った。
 高橋は候補者として決して悪くなく、むしろ健闘した。
 しかし、民主は、全国唯一の逆風区であった岩手をものにしたことで、岩手での権勢は当分続きそうである。
 自民は、有利な条件が揃いながら敗北したわけであり、根本からの建て直しが必要である。

04参院選~北海道

2004-07-11 | 北海道
中川 義雄<自・現>…742千(27)
峰崎 直樹<民・現>…618千(22)
西川 将人<民・新>…553千(20)
鈴木 宗男<無・新>…485千(17.5)
岡   千陽<共・新>…254千(9)
山内 恵子<社・新>…107千(4)
千代 信人<諸・新>… 19千(0.5)
 
 中川は自民支持層の5割強、公明支持層からは6割強を獲得した。
 03衆院選と同様、自民党が公明党に強く依存していることを裏付けた。
共産、社民両党は独自候補を擁立した。
 03総選挙で自衛隊イラク派遣への反対と絡めて護憲を中心に訴えたが幅広い支持を得られず、1ずつ持っていた道内の議席を失った。
 参院選も「護憲」と「平和」を前面に出すが、厳しい戦いを迫られた。
 03総選挙で、道内での比例得票は共産が25万、社民が15万票だった。
 参院選道選挙区は60~70万が当選ラインとされていた。
 選挙区への候補擁立は、比例票の掘り起こしの側面が強かった。

 04参院選の道選挙区に、公明党は今回も候補を立てなかった。
 道内の同党の基礎票は30万票とされ、組織の固さは群を抜く。
 中川が初当選した98年の選挙は自公が連立する前だった。
 公明票の取り込みを目指して各党は最終盤までもみ合った。
 公明党・創価学会が民主・峰崎直樹氏支持を指示し、中川氏を上回ったと選挙関係者の間で言われている。
 このとき峰崎氏の得票は80万票、中川氏は72万票。
 比例区では民主66万票、自民61万票。差は14万票と11万票。
 その大半は公明票とみられている。

 03衆院選では、自民候補は公明の支持を受け「比例は公明に」と呼びかけた。 公明・創価学会は選挙区で自民候補を支援した。

 
 峰崎は連合北海道の支援を受けたにもかかわらず、民主支持層の得票が4割強と、西川と同じ水準にとどまった。
 この結果は、労組の求心力の低下をうかがわせた。

 西川は出身地の旭川など都市部で峰崎を上回ったが、一歩及ばなかった。
 宗男は、自民党支持層の2割を獲得したが、都市部では伸び悩んだ。


 中川の地元は十勝である。
 中川は、農林水産部会長に就任したことに触れ、地元・十勝で農政を訴えた。
 十勝は国内最大の畑作、酪農地帯である。
 中川は甥の昭一とともに十勝の二枚看板であり、大量得票を見込まれていた。
 だが、中川が中央での地位を得るにつれ、地元との間に距離感が生まれていた。
 民主党現職の峰崎直樹が農業団体を訪問、民主党の農業政策も充実してきた。

帯広市…中川24千(30) 峰崎16千(20) 西川9千(11) 宗男19千(24)
十勝支…中川34千(33) 峰崎22千(21) 西川7千(07) 宗男28千(27)

【石狩】 
 札幌周縁部は町村の地盤である。
 その町村は03衆院選に苦戦した反省から、精力的に動いた。
 04参院選で、民主・宗男の侵食を許せば、自らの戦いが苦しくなる。
 そんな町村陣営にとって気掛かりなのが、江別市内の動向だ。
 江別は町村のおひざ元でありながら、03衆院選で小林の後塵を拝した。
 また、保守分裂が続く地域であり、宗男を支援する元道議もいる。

千歳市…中川16千(37) 峰崎 7千(16) 西川 8千(19) 宗男7千(15)
江別市…中川14千(23) 峰崎13千(22) 西川15千(25) 宗男9千(15)
恵庭市…中川12千(36) 峰崎 7千(21) 西川 6千(18) 宗男5千(15)
北広島…中川 7千(23) 峰崎 7千(23) 西川 7千(23) 宗男4千(13)
石狩市…中川 7千(26) 峰崎 6千(22) 西川 6千(22) 宗男4千(15)
石狩支…中川 6千(39) 峰崎 3千(20) 西川 2千(13) 宗男2千(13)


【室蘭】 
 93年の鳩山由紀夫離脱以来、室蘭自民の苦悩が続く。
 室蘭の保守系道議・市議も離党、鳩山が脚光を浴びる陰で、室蘭自民は、道議選の候補擁立もままならない状態が続いた。
 00衆院選9区で自民・岩倉博文が比例で復活当選し、長期低迷を脱したかに見えた。
 しかし、03道議選室蘭市で12年ぶりに公認候補を擁立したが、鳩山が推す現職と新人に敗北する。
 続く03衆院選で岩倉が議席を失い、再び迷走が始まった。

室蘭市…中川11千(22) 峰崎15千(30) 西川12千(24) 宗男5千(10)
伊達市…中川 5千(28) 峰崎 5千(27) 西川 4千(22) 宗男2千(11)
登別市…中川 6千(23) 峰崎 5千(30) 西川 5千(19) 宗男3千(11)

【苫小牧】
 宗男の苫小牧事務所開きに、自民・前衆院議員岩倉博文の支持者の姿があった。
 00衆院選で9区から出馬した岩倉は、宗男のテコ入れで民主の鳩山と接戦、比例代表で復活当選した。
 岩倉は自民党市議や後援会員の鈴木支援の動きにブレーキをかけなかった。
 岩倉の立場を反映するように、苫小牧自民の動きは停滞した。

苫小牧…中川18千(22) 峰崎19千(24) 西川16千(20) 宗男15千(18)
胆振支…中川11千(30) 峰崎 9千(24) 西川 6千(16) 宗男 6千(17)
日高支…中川13千(29) 峰崎11千(25) 西川 6千(13) 宗男10千(22)
 
【函館】 
 函館自民は、分裂状態にあった。
 03衆院選で佐藤の父・孝行が主導した擁立過程に保守支持層の一部が反発し、無所属で出馬した前田一男の支持に回った。
 森派幹部は前田を支援し、佐藤陣営は孝行の亀井派を通じて牽制しようとした。
 中川は亀井派で、しかも道連選対本部長だった。
 この保守分裂、佐藤健治落選の後遺症で、函館自民の立て直しは進まない。
 前田を推した企業の中には、宗男を支援する動きさえある。

函館市…中川31千(26) 峰崎30千(25) 西川26千(22) 宗男14千(12)
渡島支…中川26千(32) 峰崎19千(23) 西川14千(17) 宗男14千(17)
檜山支…中川11千(38) 峰崎 6千(21) 西川 4千(14) 宗男 4千(14)

【旭川】
 民主は参院選道選挙区に初めて2人の公認候補を擁立した。
 連合の推す現職・峰崎と、鉢呂吉雄・道代表が支援した新人・西川である。
 これまで、自民・民主が1議席ずつ獲得しており、民主は現職の峰崎1人を立てる予定だった。
 しかし、新代表に就任した鉢呂は2人目の擁立方針を表明した。
 連合北海道がこれに反発した。
 鉢呂氏は公示2カ月前、旧自由党系の西川を擁立した。
 西川は連合の支援が得られず、後押しする議員も鉢呂以外に見当たらなかった。
 さらに、西川は民主旭川からも全面支援が得られない。
 旭川出身の西川は、旧自由党6区支部長で、民主候補と国政で戦ってきた。
 03衆院選では、佐々木秀典の説得を振り切り、6区から無所属で出馬した。
 結果的に佐々木は、自民党の今津寛に敗れ、比例で復活当選となった。
 これを背景に民主旭川も組織として西川を支援することはなかった。

旭川市…中川37千(22) 峰崎27千(21) 西川59千(35) 宗男27千(16)
士別市…中川 3千(27) 峰崎 3千(28) 西川 2千(14) 宗男 2千(20)
名寄市…中川 5千(34) 峰崎 4千(24) 西川 2千(14) 宗男 3千(18)
富良野…中川 3千(28) 峰崎 3千(26) 西川 2千(19) 宗男 2千(16)
上川支…中川17千(28) 峰崎14千(23) 西川11千(19) 宗男12千(20)

【小樽】
 03衆院選4区で落選した自民・前衆院議員の佐藤静雄は、党道連会長として臨んだ選挙で、8区から選挙区を移した民主・鉢呂吉雄に約1万7千票差で敗れた。
 参院選は自らの地盤を築き直し、再起を図る重要な一歩である。

 一方の鉢呂は民主・道代表に就任した。
 党内の異論を封じ、現職の峰崎直樹に加えて、新人西川将人を立てた。
 西川の得票数は、鉢呂自身の党内での求心力に直結する。
 03衆院選で佐藤に大差をつけたとはいえ、小樽・後志管内は保守地盤である。

小樽市…中川19千(26) 峰崎16千(22) 西川15千(21) 宗男08千(11)
後志支…中川19千(32) 峰崎15千(25) 西川 8千(14) 宗男10千(17)

【札幌】
 札幌は、大都市の例に漏れず、創価学会票の行方が選挙結果を大きく左右する。
 各陣営、とりわけ自民党陣営は「比例は公明」で取り込みに躍起であった。
 「道選挙区は中川義雄。比例は(公明党の)風間昶さん」
 自民党衆院議員の石崎岳は頭を下げた。
 石崎は過去三回3区で、民主・荒井聡激戦を繰り返した。
 札幌市長再選挙で敗れた後、政治生命を懸けた03総選挙では、小差で荒井に敗れたものの、比例代表で返り咲いた。。
 3区では公明支持層の9割近くが石崎に投票したが、いかに創価学会でも9割まで票が寄るのは異例である。
 自民党本部は「比例は公明党」禁止したが、中川の集会では中川、風間両氏のポスターが並んで張られた。
 武部勤も「公明党の力がなければ、高橋知事も当選はなかった」と公明党にエー
 高橋知事も自民党・公明党両方の集会に出席し、また小泉首相と与党への支持を呼びかける街頭演説まで行った。

 03札幌市長選で民主党の支援を受けた上田札幌市長だが、04参院選に対しては静観を決め込んだ。
 特定政党への支援が市民派の看板にプラスには働かないとの判断だ。
 03衆院選では、特定候補の支援に消極的な発言を繰り返しながらも、市長選で上田の選対委員長を務めた荒井聡をはじめ札幌民主の候補を支援した。
 しかし、今回は事情が違う。

 自民・前衆院議員の吉川貴盛は、宗男の自民党橋本派時代の側近である。
 鈴木が道開発庁長官の時、政務次官を務めた。
 しかし、宗男支援は、自民党支持者からの批判を受けることになる。
 吉川が宗男・中川両陣営について積極的に動くことはなかった。

札幌市…
 中川226千(27) 峰崎187千(21) 西川219千(25) 宗男109千(12)

04参院選~福島

2004-07-11 | 宮城・山形・福島
=98参院選=

佐藤 雄平 <無所・新> 338,671
岩城 光英 <自民・新> 258,448
佐藤 静雄 <自民・前> 245,079

 98参院選は新進党の崩壊に乗じて、自民が2議席独占を狙った。
 それに対し野党は、旧新進・民主・公明・社民・連合が一枚岩で佐藤を支援し、自民の独占を許さなかった。
 岩城は浜通りの票を手堅くまとめ、2位に滑り込んだ。


=各勢力の動き=

 岩城は、2人公認の98参院選とは異なり、今回は単独公認。
 前回かなわなかったトップ当選をめざす。
 佐藤は、98参院選では民主・公明・社民の支持を受け、大勝した。
 今回は、民主公認で連続トップ当選を狙う。

【公明党】

 03総選挙では全国で唯一、自民の対立候補を支援した4区の公明が、自民と手を携えた。
 4区の公明が自民の選挙に協力してこなかったは、新進党時代以来、渡部との関係が深かったためだ。
 今回の参院選で民主が公認した佐藤雄平は、渡部のおいにあたる。
 それでも公明が自民との協力を決断した。

【社民党】

 佐藤は、民主の公認を受けた。
 あてが外れたのは社民だ。
 社民は6年前の前回参院選に続き、今回も民主や連合福島などと非自民勢力による「福島型連合」をつくり、無所属の佐藤を推そうと考えていた。
 友好関係にある連合福島が早くから佐藤推薦を表明していたため、筋として別の候補を立てることはできなかった。
 ところが、その佐藤氏が民主の公認を受けたことで、他党の公認候補を推薦しない方針の社民は、参院選を自主投票とせざるを得なくなった。
 党内には不満がくすぶる。

【農協】
 
 公明票で防戦に立つ佐藤陣営が、逆に切り崩しを狙うのが「農協・農民票」だ。
 県農協五連の政治団体・農業者政治連盟は今回、岩城に加え、全国の農協系統で唯一、民主党の佐藤も推薦した。


=中間情勢=

 岩城は自民支持層、佐藤は民主支持層をほぼ固めた。
 無党派層の支持は佐藤が、岩城をわずかに上回る。
 公明支持層は8割近くが岩城支持に固まりつつある。

 岩城は60代以上の高年齢層の支持が厚く、佐藤は2・30代に浸透している。
 岩城は主婦層の半分以上の支持をつかみ、佐藤は、製造・サービス従事者層、事務・技術職層から支持が高い。


=最終結果=

佐藤 雄平  <民主・現> 446千(45.5)
岩城 光英  <自民・現> 407千(41.5)
阿部 裕美子<共産・新> 128千(13)
  
 2人区であるため、佐藤・岩城の当選は戦前から予想されていた通り。
 両陣営・両党が威信にかけて、トップ争いを演じた。
 佐藤は会津、岩城は浜通りを根城に、中通りで票を奪い合った。
 福島は、県都への一極集中という全国的趨勢とは様相を異にし、福島・郡山・いわき・会津若松など中規模都市が割拠する。
 県土は広く、また2つの旧国からなり、都市は成り立ちを異にし、さらに地形も山がちで都市間が遮断されている。
 そのため、全県選挙は、地域色が非常に濃いものとなる。 

【福島】
佐藤 60千(46.5)  岩城 47千(37)
 
【安達】
佐藤 13千(40.5)  岩城 15千(46) 

【郡山】
佐藤 63千(47)    岩城 53千(39)

【白河】
佐藤 11千(49.5)  岩城 08千(37)

【田村】
佐藤 19千(47)    岩城 18千(45) 

 勝負の分かれ目になるとされていた中通りで、佐藤が勝利。
 特に、福島・郡山の大票田で、岩城に差をつけた。
 1区・2区は衆議院を擁していながら、中核都市で敗北したことが、衆院と参院は別選挙というのを浮き彫りにした形だ。 

【いわき】
佐藤 50千(31)    岩城 89千(56)

【相馬】
佐藤 07千(39)    岩城 09千(49)

 浜通りでは、予想通り、岩城が佐藤に大差をつけ勝利。
 大票田いわき市で、4万表近い大差を着けた。

【会津若松】
佐藤 29千(55)    岩城 17千(32)

【南会津】
佐藤 22千(75)    岩城 04千(17)

 会津では、予想通り、佐藤が圧勝。
 会津若松では故・伊東外相の地盤を足がかりに抵抗を見せた岩城も、佐藤の地元南会津では歯が立たず。 

04参院選~徳島 

2004-07-11 | 徳島・高知
 徳島は、民主・仙谷由人の地盤である。
 04参院選において仙谷は政調会長、年金選挙とあっては負けることのできない選挙戦となった。
 98参院選において、民主は推薦で高橋紀世子を当選させていた。

高橋紀世子 16万5千<無・新>
松浦 孝治 13万2千<自・前>
藤田 均  04万3千<共・新>
矢野 和友 01万6千<諸・新>
奈良 武  00万5千<諸・新>
 
 高橋紀世子は、三木武夫元首相の長女であり、政策的には仙谷らと近いうにもかかわらず、保守層からの得票も見込める民主にとってこの上ない候補であった。
 しかし、高橋は父の代から続く自民党の泥仕合になるのを嫌い、立候補はしないと表明した。
 民主は候補選びが難航し、ようやく東條を擁立することにしたものの、完全に出遅れてしまった。
 
 対する、自民の候補者は小池正勝に決まった。
 徳島市長を10年以上勤め、実績・知名度は申し分ない。
 徳島自民で考えられる限り最高の候補者と思われた。
 徳島市を中心とする1区は仙谷の指定席になりつつあり、03衆院選は2区で民主候補の復活当選を許していた。
 徳島自民に三木・後藤田という大物を輩出した面影はなくなりつつあった。
 民主に向きつつある無党派層の取り込みには、最適な人材として青木自らが率先して音頭を取って、小池の擁立を決めた。
 徳島自民は、03知事選、04徳島市長選と推薦候補が勝ち、04参院選を「保守復権の通過点」ととらえた。

小池 正勝<自・新> 16万6千(47)
東条 恭子<民・新> 15万3千(43)
久保 孝之<共・新> 03万4千(10)
   
 小池は自民支持層を固め、公明支持層の大半の支持を得、無党派層にも5浸透、職業や年代を問わず、幅広い支持を集めた。

 東条は民主支持層の8割を固めた。
 ただ無党派層の支持で小池に後れをとり、女性への浸透もいまひとつで、追い風を掴んで当選することはできなかった。

 小池が最強の自民候補であった要因は、無党派層の取り込みにある。
 民主、とりわけ仙谷は、この無党派を掴んで連続当選しているのだ。
 小池が無党派を取り込むことのできる要因が「可動堰」問題である。
 小池が市長時代に、可動堰の是非を問う住民投票の結果を受け、その意思を尊重し、この計画の反対を表明した。
 これが普段は自民党に投票しない層への抜群のアピールになった。
 01市長選においては、徳島民主も小池を推薦した。 

 しかし、この小池の姿勢には、味方である自民の側からの反発があった。
 小池は吉野川可動堰計画に対し推進派だったが、9割が計画反対だった00年の徳島市の住民投票を受けて反対派に転じた。
 04参院選でも、当初「反対」とした公約を同党県連の反発で撤回した。
 そんな姿勢は、吉野川流域の自治体の一部首長らに「変節」と映っている。
 自民支持層の間で西川政善・小松島市長の擁立を目指す動きが出た。
 結局、西川市長は断念したが、それ以降も自民党関係者の間で対立候補擁立の話がしきりに流れ続けた。
 年金問題で追い風だった風向きが逆風に代わると同時に、「味方」の自民党からも対立候補擁立の圧力がかかる。
 小池にとって、まさに、「内憂外患」の選挙であった。
 結局、当初予想されたような圧勝からは程遠い内容となった。 

 東条は「立候補表明が2週間前」、「徳島市以外での知名度ゼロ」「菅・小沢の失脚」「小泉首相の再訪朝」、当初、勝てる見込みのある戦いではなかった。
 しかし、強行採決を境に、突然、年金問題の風向きが変わる。 

 政策責任者の仙谷由人、年金法案の取りまとめを行った枝野幸男の新旧両政調会長が連日のように応援演説に駆けつけた。
 民主を代表する政策通の2人が年金法案を批判すると、東条に対する有権者の反応が変わってきた。
 大きくリードを許していた小池を猛追し、接戦まで持ち込むことができた。
 しかしながら、勝利には至らなかった。

【比例】

自民132(41)民主108(33)公明52(16)共産24(7)社民9(3)

【徳島】
   
 徳島市中心とする1区は、民主の四国で唯一の議席である。
 民主・仙谷の地盤であると同時に、今回の候補者が前市長の小池とあって、徳島政界を代表する両雄の激突の様相であった。

徳島市… 小池4万8千(46) 東条4万7千(45)

徳島市… 自民33(32)民主34(33)公明16(15)共産9(9)社民3(3)

 両社譲らずの互角の展開である。
 郡部で劣る民主党が徳島で、逆に微差ながらリードを許したのは痛かった。

【鳴門】

鳴門市… 小池1万2千(46) 東条1万1千(45)
鳴門市… 自民9(36)民主9(36)公明4(16)共産0(2)社民1(4)

 板野郡は三木元首相の地盤で、高橋が立候補を取りやめた今回、その票の流れが注目を集めた。

板野郡… 小池1万9千(44) 東条2万1千(47)
板野郡… 自民16(36)民主15(34)公明6(14)共産3(7)社民1(2)

 東条の事実上の「高橋後継」というのに説得力があり、ややリードした。
 それでも、小池はかなり食い込んだ。
 苦手と目された地域を無難にこなしたことが、当選へと道を開いた。

【阿南】

 県内にあって、工場が集中し、最も景況がよいとされる阿南市は、徳島3区の中心である。
 徳島3区は後藤田が連続当選を重ねる選挙区である。

阿南市… 小池1万0千(44) 東条1万0千(44)
阿南市… 自民8(37)民主7(33)公明4(19)共産2(8)社民1(3

04参院選~富山 (仮)

2004-07-11 | 富山・石川・福井
 谷林は98参院選で、自民・永田良雄の死去に伴って繰り上げ当選した。
 全国でも数少ない1人区の民主現職だけに、推薦を受けた連合富山を基盤として支持拡大に懸命だ。
 河合は県内の全市町村に後援会をつくり、組織力を生かして議席奪還をめざす。
 民主、社民の野党共闘が実現せず、自治労に基盤を持つ小川が立候補を表明。
 自民新人の河合と民主現職の谷林による事実上の一騎打ち。
 県西部を地盤とする河合は東部でもくまなく後援会を組織し、厚い保守地盤を固める。
 公明の協力も有利に働く。
 東部を地盤とする谷林は西部で浸透が遅れ気味。議席死守に懸命だが、社民が独自候補として新人の小川を擁立したことも痛手になっている。
 

河合 常則 <自・新> 23万6千
谷林 正昭 <民・現> 19万0千
小川  晃 <社・新> 05万7千
上田 俊彦 <共・新> 02万6千

 河合が、自民・公明支持層を固めたほか、無党派層にも一定の浸透を見せた。
 谷林は民主支持層はほぼまとめて、無党派層にも浸透したが及ばなかった。
 小川は社民支持層以外への広がりがなかった。
 上田は共産支持層もまとめきれなかった。

 社民・小川の出馬は、苦渋に満ちたものだった。
 社民が県議会に持つ議席数は5である。
 小川の立候補により、県議の議席を失うのは大きな痛手だ。
 補選で再び獲得できない可能性もあり、「大きなリスク」があることは明らかだった。
 小川を支えてきた地元の党高岡支部にも、立候補に根強い反対があった。
 にもかかわらず、県連合幹部が擁立を目指したのは、全国的な退潮傾向に歯止めをかける狙いのほか、民主との政策的違いが大きかったためだ。
 「護憲」の旗を掲げるために、社民党は独自候補を擁立したのである。
 しかし、この表向きの理由とは別に、03総選挙で残した民主との「しこり」があった。
 自民に対抗するため、富山1、3区で候補者を一本化したが、2区では別々に立てる結果となり、双方に不信感が生まれた。
 社民党は、又市征治が党幹事長に就任し、全国の組織に参院選の候補擁立を働きかける立場になった。
 富山を地盤とする又市のための必死の決断だった。

 社民の擁立に打撃を受けたのが民主だ。
 反自民票の分散を防ぐため、社民に擁立を見送るよう求めていた。
 そのため、社民より民主に軸足を置く連合富山は、早々と谷林を推薦していた。
 だが、連合富山傘下の最大組織で、社民を支援する自治労県本部が小川の推薦を決め、一枚岩で戦えなくなった。
 連合富山の草嶋安治会長は、社民の定期大会に来賓として招かれていたが欠席した。
 98参院選で議席を得た永田良雄の死去に伴い、繰り上げ当選した民主現職・谷林正昭は「県民の議席」を掲げる。
 あえて「民主の議席」とは言わない。
 「県民党」で無党派を含む幅広い層の支持を得ようとする手法だ。
 民主党にとって富山選挙区は、全国でも数少ない現職の1人区。
 民主の現職に自民公認の新顔が挑む選挙区はほかに青森しかない。
 岡田克也代表も、富山を「最重点区」と位置づけた。
 03衆院選で、富山1区で敗れた村井宗明が、比例区で復活当選を果たした。
 これを追い風に参院選でも議席を確保し、「自民王国」を切り崩す足場を固めるのが理想であった。
 だが、衆院選比例区をみると、民主の14万、自民・公明は合わせて29万5千である。
 公明は今回の参院選でも、自民新顔・河合常則を推薦した。
 谷林が議席を守るには、無党派層への支持拡大に加え、自民支持の保守層を切り崩すことが不可欠だ。
 民主党は自民の支持者が多いとされる農林漁業者らの取り込みに力を入れる。
 しかし、集会の参加者は支援労組が中心で、「組織固め」の色合いが強い。
 民主の目標は20万票。
 
 単独過半数をとるため議席を「奪還」したい自民の新人は、県議を連続8期務めた「大物新人」河合だった。
 64年から約11年間の城端町議時代を合わせ、40年のキャリアを誇る。

 河合も、自民党県連の候補者選びが難航したのを受け、「責任出馬」の形であった。
 自身も演説会などで自発的な立候補表明でなかったことを認めている。
 だが、いったん決まると、動きは早かった。

 03衆院小選挙区で議席を独占するなど「自民王国」は盤石に見えるが、不安材料もある。
 参院選で自民新顔が他党の現職に挑むのは、74年以来、30年ぶり。
 実際、県西部が地盤の河合は、東部の知名度が不安材料の一つだ。
 民主現職・谷林は2区・魚津の出身である。

 県内に支持基盤を持つ国会議員は現在、自民6人、民主3人、社民1人。
 永田が死去した98年時点で議席がなかった野党だが、比例区当選などで相次いで議席を増やした。

【比例】
自民21万2千 民主15万5千 公明15万5千 社民4万6千 共産2万3千

【高岡】
河合 常則 2万9千
谷林 正昭 2万5千
小川   晃 1万8千
上田 俊彦 0万4千

 首長選では、4月の魚津市長選で自民党と相乗りで現職市長を推薦したが落選。
 5月の高岡市長選は保守分裂の中、支持を出した候補が落選し、保守層に食い込むチャンスを逸した。
 高岡市長選は、前高岡商工会議所副会頭で伏木海陸運送会長の橘慶一郎が初当選を果たした。
 前自民県議の向井英二を民主は支持したが、落選している。

 橘は昨年末、引退表明した現職4期の佐藤市長の後継として、市長の5選出馬を支持してきた県議、市議らの働き掛けを受けて出馬表明。
 自民、無所属、社民の県議、市議合わせて21人による支援議員団が脇を固めた。
 向井は、市議1期、県議7期の実績をアピールし、昨年10月に出馬を表明。
 公明党の推薦、民主党の支持を得たほか、三協、立山アルミグループの全面支援を取り付けたが、及ばなかった。

 今回、3区の中心地である高岡での勝利が、郡部で圧倒的に弱い谷林には不可欠であった。