やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【文殊の会】 世界から見た日本と日本人 ~第33回(2013.2.6)の報告~

2013年02月19日 | ~h27 その他の記事

■研究課題 世界から見た日本と日本人
 
今回はK氏が編集(※主な引用・参考:ぼやきくっくりさんのブログhttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid782.html)した資料を読みながら、外国人の日本像について勉強しました。その一部を紹介します。

◇ラジャー・ダト・ノンチック=(マレーシア人)。
 <南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。元上院・下院議員。1994年逝去。>
(1)<「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より>

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアのどの国の誰にでも 自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人のなかには 少しは 変な人もいたし おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて おおらかで まじめで 希望に満ち明るかった

戦後の日本人は 自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから まじめに 自分たちの父祖や先輩は 悪いことばかりした残虐無情なひどい人たちだったと 思っているようだ

だからアジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって 私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると自分の国や自分までが えらいと思うようになってきてうわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながらひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう 日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは 今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて こせこせと 身勝手な行動ばかりしている ヒョロヒョロの日本人は これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては 自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら 自分がお世話になって住んでいる 自分の会社が仕事をしている その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにする

こんな ひとたちと 本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ
 ~1989年4月 クアラルンプールにて~

(2)<2003年3月、大阪府・堺市における伊藤哲夫(日本政策研究センター所長・教科書改善連絡協議会運営委員長)の講演で紹介されたノンチックの言葉>

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない、その事実を調べに来たのだ』と言っていました。私は驚きました。『日本軍はマレー人を一人も殺していません』と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。
 どうしてこのように、今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残念なことです」
 
◇レジナルド・カーニー=(アメリカ人)。
 <歴史学者。黒人学専攻。ハンプトン大学助教授。/「20世紀の日本人-アメリカ黒人の日本人観 1900~1945」(1995年発行)より>

(1) 第一次大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界の秩序をもとに戻そうとパリで講和会議を開いた。
 ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための十四カ条を手に、パリに乗り込んだ。彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった十五番目の提案を持って講和会議に出席した。「わが大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」。これこそが、いわゆる十五番目の提案であった。……人類平等の実現をめざしていた日本と、そうでなかったウィルソン、その差がここに出たといってもよいだろう。
 もし日本のこの十五番目の提案が実現されていれば、アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。……アメリカ黒人がほかの連盟国の人間と同じように、民主的に扱われるためには、アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。……「おそらく世界で最も有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。それは、たとえ一つでも、有色人種の国家が列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、強い信念によるものだった。……全米黒人新聞協会は、次のようなコメントを発表した。「われわれ黒人は、講和会議の席上で、人種問題について激しい議論を闘わせている日本に、最大の敬意を払うものである」「全米千二百万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。

(2)~アメリカの黒人知識人W・E・B・デュボイスが1937年にアジアを旅行し、「ピッツバーグ・クリア」紙のコラムに書き綴ったくだり~

 デュボイスは、ふたつの出来事を取り上げて、それを日本人と中国人の性質のちがいに結びつけた。上海でのことだった。デュボイスの目の前で、四歳ぐらいの白人の子どもが、中国人の大人三人に向かって、どけるように言った。すると驚いたことに、大人たちはみな、あわてて道をあけたというのだ。これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。
 もうひとつは、日本でのことだった。それは彼自身も巻き込まれた。東京の帝国ホテルで勘定を払っていると、「いかにも口うるさそうな、典型的アメリカ白人の女性」が、さも当然であるかのようにデュボイスの前に割り込んだ。ホテルのフロント係は、女性の方を「振り向きもせずに」、デュボイスへの対応をつづけた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっとその厚かましい「アメリカ様」の方を向いたのだった。このフロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とはちがった、新しい世界の幕開けを予感させたのだった。

◇李成玉=(朝鮮全権大使)
<『日韓2000年の真実』 名越二荒之助編著。(李成玉『李完用候の心事と日韓和合』より)>

 著者の李成玉は、朝鮮時代、全権公使としてアメリカへ行きました。 彼が各民族に接してみると、朝鮮人は、米国人に軽蔑されているアメリカ・インディアンよりも劣り、その他メキシコ、インド、ポーランドなどの民族よりも劣っていることを知り、衝撃を受けます。そして次のように述べています。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚の様に思っているが、日本は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に吾が朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
 日韓合併が問題になるのは、変な話だ。我が輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を基に考察したのだ
~引用終わり~

 1945~1952年:アメリカ占領軍施政下の《現代中国よりも徹底していた検閲と言論統制》以来、日本の言論・報道空間はあきらかに異常であることがよくわかります。
 したがって、戦後日本人は、学校教育現場が色濃くそうであった(ある)ように、一言で言えば、《過去や現在の現実・事実を直視できなくなってきた》と思います。
 (※例えば、その結果的現象の一部として、日本のフィクション〔=映画、テレビ番組、小説・マンガなど〕の多くにみられる、不気味なほどの「リアリティの欠如」・「浅薄さ」・「幼稚さ」をあげることができます。)
 多くの日本人が、自分の来し方・行く末を見直す時期にきているようですね。


~次回、2/20 日本(人)の歴史認識と歴史教育~

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