先月家庭用テレビゲーム産業の父、任天堂の山内溥前社長が85歳で逝去した。家業のカードゲーム会社を引き継いだのは大学在学中の22歳で、多くの失敗を繰り返しながらも、「ゲーム&ウォッチ」などのヒットを飛ばし、任天堂を世界的なゲーム会社に育て上げた。
ゲームウォッチ・・・な、懐かしい。とにかく彼の功績はカセット型ゲーム機「ファミリーコンピューター」であろう。当時、テレビゲームと言えば白黒画面で、無機質な棒状のゲームで、それもゲーム機に内蔵されているタイプなのですぐに飽きてしまった。それがカセット式になり、好きなゲームを遊べる・・・それもカラーで・・・と今となっては当たり前のことだが、その1983年当時はそれはそれは感動したものだった。その後も1986年にディスクシステム、1990年にスーパーファミコン、64、DS・・・とヒット機種を飛ばし続けた。
「ドンキーコング」「ドンキーコングJr.」「ポパイ」「スーパーマリオブラザーズ」「ファミスタ」「スパルタンX」・・・とその当時二十歳前後の私は夢中になってプレイしたものだった。私が人生の中で一番コントローラーを握りしめていた時代を懐かしく思い出した。(ちなみに私はロールプレイングゲームは全くやらなかったが・・・)
先日某番組で「ファミコンあるある」が特集されていた。「『燃えろ!!プロ野球』である選手(クロマティーのこと)にデッドボールを与えると乱闘になる」「コントローラーの2だけにマイクが付いていて『たけしの挑戦状』で使用する」等がなかなか懐かしいものが取り上げられていたが中で、一番共感したのは「カセットに不具合がある場合は、カセットに息を吹きかける」だった。
フーフーしたな~