まさにリフレッシュ

2010-04-18 14:22:23 | Weblog
 先週の高尾登山、久しぶりにのんびりしてきた。
 3時ごろ、もうだいぶ人気のない一丁平のベンチで、サーモスのコーヒーを飲みながら、30分以上景色を眺めていた。
 同じ景色をずーっと眺めているのだが、そのうち、だんだんと視界に焦点を結ぶものがある。
 視界に入っていても気づいていないことって結構あるものだ。その時は桜の中にあるチャボヒバ(かな? 正式名称はわからず)がすうっと目に入ってきた。その樹はそこにあって最初から眺めている景色の一部なのだが、「見ている」側から「見られている」側になるというか、樹のほうが私を見ているような気になってくる。眼前の景色が、リアリティをもって目に入ってくる、向き合う感覚。
 ずいぶん前から何かで読んだ太田和功一師の「目の前の事柄にプレゼントであること」という内容の文章を思い巡らしていたが、その感覚を久しぶりに思い出した感じ。
 それは遠くの山を見た時もそうで、一本のスギの樹が突然目に留まる。目の前の事柄にプレゼントであること。不思議な感覚。
 そういう流れがあってなのか、生まれて初めて赤い椿をきれいだとも思った。

 白い木蓮のつぼみのモフモフに感動したり、一本のチャボヒバに出会ったりしているうちに吐く息が多くなってきた。ため息とは違う。だんだんと体の深いところからいろいろなものが整っていくのがわかる。
 感覚も研ぎすまされて、新しい力が生まれてくるのを感じる。まさにリフレッシュ。自然て本当にすごいと思う。

奥高尾の千本桜

2010-04-18 01:46:35 | Weblog
 もみじ台を過ぎると桜の樹を何本も見かけたように記憶しているのだけど、登山道端の樹はつぼみも小さくてこれ桜か? と疑問になるような塩梅。ところどころの桜は咲いているのもあったから、個体差なのか環境の差(人通りが多すぎるとか)なのか? それでも行く手には花咲く桜の樹の塊が見える。あそこまで行けるかしら。

 さすがに「奥高尾」は若い人がいない(笑)。きちんとしたトレッキングスタイルの年配の方々ばかりで、デニムで一人歩くのが不敬(山に対してね)にも感じられる。それに、3時近くだともう帰ってくる人ばかりで、無計画な人を標榜しているようでこれまた恥ずかしい(笑)。無理しないよう自分に言い聞かせながら目的地を目指す。
 9日の時点で、一丁平の桜が見頃だった(千本桜と表記しているサイトがあった)。私の好きな白い木蓮も咲き初めで、近くで見ると木蓮のつぼみはモフモフしたくなるくらいかわいいって初めて知った。開き始めの花が、まるでバラのようだということも。
 木蓮が咲き初めのくらいだから、見頃といっても「8分咲きだね」と一丁平にいたおじさま。たぶん、遠目に見た桜並木は(城山山頂の手前だし)この辺りらしい。お目当ての青年の森の桜はまだまだだったが、その近くの桜は結構咲いていた。場所によって咲いている塊とそうでないのがあるような。一丁平で話したおじさまは「まだ咲いていない桜も多いし、見頃は来週ぐらいじゃない?」と言っていたが、雪まで降ってしまったからまだ咲いていないような気もする。。。
 事前にネットで調べたが、今年のじゃないのも結構あって、紛らわしい。奥高尾の静けさを思うと、人にあまり知られたくない気もするし。どうなんでしょうねえ。

先週の高尾山レポート 

2010-04-18 01:34:30 | Weblog
 久しぶりに書き続けています。笑。
 先週高尾山を登ったときのこと、一週間たってようやく書きます。

 この日は寄り道したこともあってかめずらしく道に迷い(どうも浅川沿いは私には走りずらい)、高尾の麓についたのは1時前。お昼ご飯どうしよう、そういえば山菜弁当あったなあ、見てみようかと目を向けるとなぜか音声さんのマイク。そしてカメラ、あ、テレビか、誰? あ、ちいさんだー!(笑)
 生で「ちいさんぽ」を見てしまった。声が本当に地井さんで笑えた。
 食事は高橋家でとることに。ここは蕎麦もとろろもおいしいけれど、蕎麦茶が本当においしいなあ~。

 ケーブルカーの高尾駅のところの見晴し台、ここに三種類の桜が植わっていることを今年初めて知った。ソメイヨシノとオオシマザクラともう一つピンク色の桜。すごくきれいで感動した。もう何度も立ち寄っているのに知らなかったなあ。

 さっさと登って山頂もさっさと立ち去り、今日の目的は別にある。紅葉の季節に見た「青年の森」(なんでこんな名前なんだ?)の桜をぜひとも見たかったのだ。山頂を下りるともうそこは「奥高尾」なんですね。 

不思議な道

2010-04-18 00:55:41 | Weblog
 私はいわゆる「地図の読める女」である(そういえばあの本どこいった?)。
 といっても普段は地図を見ながら走ることはない。頭の中に常に北を指す方位磁針があるだけで、大雑把な地理を思い浮かべ、時に標識を見ながら、あとは勘で走る。
 どこかにつながっている道路は車の走り方が違うし、駅が近づくと歩いている人が増えるし、住宅街でタクシーが出て来た道は便利な抜け道が多い。
 今まで走って来た各地はたいていそうやって開拓(?)してきた。
 家に帰ってから地図を見ることは多い。今日走った道を確認するのはなんとも楽しい。

 そうやって人の行き来で道を推し量ることは多いのだけど、不思議な導き手に出会うことがある。四谷橋から中河原駅に抜ける道を知ったのは、暗闇で不意に飛び出して来た人が先導してくれたから(うまく言えないんだけど、なんか「教えてくれる人」っているんだよね。天使か?)。
 先日北野に向かった時にも、そんなことがあった。
 バイパスから北野の方角を目指しながら、豊田駅をそれ、初めての道をだいたいの方角で走っていく。人通りのないところで不意に小さな踏切を渡って来た人の影。お、こんなところに踏切が。渡ってみよう。なんと左手は操車場。これはどこにつながるんだ? 北野の方角を目指しながら少し行くと、畑の中から自転車に乗った人が出て来た。その時に、あ、これは「お知らせ」だと不思議な確信がうまれる。そこを曲がってかなり行くと、果たして浅川のほとりに出たのである。
 初めての道だからどこを走っているかまったくわからない。方角さえ間違ってなければ問題ないが、その道が目指す方角に向かっているとも限らない。だけど、「お知らせの人」がいた時はすんなりと、いやものすごい抜け道を知らずに行くことになる。あまりにすごい道すぎて、帰りにはもう走れない。

 今日の帰り、めずらしく(笑)明るかったのであの道を探してみることにした。浅川沿いに走っていって、えーと、あ、ここだ! 見つけた!
 暗かったら絶対に見過ごすような小さな曲がり角につながっていた。こんなところよく走ったなあ、と感心する。いつも思うけど、浅川の向こう、多摩丘陵に連なる民家の眺めは少し六甲山脈の眺めに似てる(規模とか質感とかまったく違うけど)。
 不思議な道はやがて高幡橋の北側につながり、いつものバイパスへ出る。また一つ、自分が走りやすい道を見つけました。

天然酵母石臼挽き全粒山型食パン

2010-04-18 00:08:14 | Weblog
 前回食べ終わってから、ずっと食べたかったパン。食べる以前に、両側面にうずを巻くあの愛らしい姿に会いたかった(笑)
 というわけでお久しぶりの麦むぎ工房さん。
 今日初お目見えのいちごとホワイトチョコのパウンドケーキを始め、たくさんのスコーンとベーグル(他にも)にも出会えました。
 麦むぎさんもお元気そうだったし、もりもりお買い物できて幸せです

 来る途中に見たお寺の枝垂れ桜がとてもきれいだったので、お花見がてら休憩(うまい具合にベンチも置いてあって、ありがたいですね)。
 麦むぎさんのパンは、紙袋に入っているということもあるだろうけど、顔を近づけると小麦の匂いが立ち上ってくるのがたまらない(そしてその紙袋をあけるとスコーンとベーグルがいっぱい 幸せ 笑)
 麦が主役のパンなんだなあ、と忘れかけているいろいろなインスピレーションをいっつもいただく。すごいことだよね。
 
 ちなみにその枝垂れ桜、親木は平安神宮のもので、津軽藩主が国元へ持ち帰ったのが帰ってきた「里帰り桜」だそうで。ほほーう。京都の桜はいかばかり……と思い巡らしつついただいた新作パウンドケーキはとっても女子好みなお味。あ~幸せ。
 いつもおいしいものを、ありがとうございます。