タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

「乱」と「変」

2022年03月05日 | 徒然なるままに

ボクは今年、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を結構しっかり見ています。大泉洋の源頼朝、小栗旬の北条義時、菅田将暉の源義経などの個性的な俳優陣が、三谷幸喜の斬新な脚本で歴史上の人物を魅力的に演じており、結構おもしろいです。ドラマを彩る女優陣も、宮沢りえ、小池栄子、新垣結衣と、なかなかボク好みで豪華です。


これも”いらすとや”さんのフリー素材です

そんな「鎌倉殿の13人」に、西田敏行が後白河法皇役で出演しています。この役柄もなかなかユニークに設定されており、西田氏にピッタリです。後白河法皇と聞いて、遙か35年前に大学入試のために、日本史の勉強をしたことを思い出しました。ボクは文系の教科は苦手だったのですが(一応理系だったのですが物理も苦手でした)、志望校の入試科目の関係で嫌々日本史の勉強をしていた頃の話です。

あれ?後白河法皇って院政をした人だよな?保元・平治の乱?あれ?承久の変?(調べたらこちらは後鳥羽上皇でした、紛らわしい!)なんてことが、頭の中でグルグルと回り出し、当時から頭の中でこんがらがっていたことが、ますます混乱してきました。

話は後白河法王から後鳥羽上皇に移るのですが、ボクの微かな受験生当時の記憶では、確かに「承久の変」だったはずなのに、いろいろ調べてみると今は「承久の乱」に表現が統一されているのですよ。いったいどういうこと?ボクは納得がいきません。しかも同世代の妻は「私は『承久の乱』だと思うわ」「あなたの記憶違いじゃないの?」なんて言っています。

そんなことはない。ボクは1221年の年号を覚えるのに「一(1)にも二(2)(2)も一番(1)大事な承久の変」って語呂合わせで記憶したのです。こういう記憶って間違いないですよね。痴呆症になって「朝ご飯を食べたかどうか」を忘れても、「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」は忘れないっていいますもんね。

ちなみに「承久事件(とりあえずこう呼びますね)」とは、源頼朝の死後相次ぐ鎌倉幕府内の政争に乗じ、後鳥羽上皇が討幕の兵をあげた事件のことです。結果は鎌倉方(中心は小池栄子と小栗旬、いや北条政子と北条義時)が勝ち、その後は執権北条家の権力が確立していく事件です(だよね?)。

ここでボクの頭の中には、そもそも「乱」と「変」って何がちがうの?っていう疑問が沸々と湧き、渦巻いてきました。これじゃぁ気になって夜も眠れない(「地下鉄」漫才か!)。

歴史が苦手なボクですが、日本史を勉強していた時代の記憶を辿ってみました。

まず「乱」では、もっとも有名な「応仁の乱」を筆頭に、「壬申の乱」「保元・平治の乱」「島原の乱」「大塩平八郎の乱」などが思い浮かびます。続いて「変」は、信長が光秀に討たれた「本能寺の変」が代表格で、「蛤御門の変」「桜田門外の変」「禁門の変」などがあります。

調べてみると、どうやら「乱」は「主に時の権力者や支配者に反発して起きたもの。ただし、政府や幕府、権力者によって鎮圧されたもの」であり、「変」は「政治の体制などに不満を持った者の起こしたもの。政権を担っていたものが倒されたもの」というのが分類の定義のようです。まぁ「諸説あり」「例外あり」っていうのが実態みたいなので、おそらくこの定義は後付けなんでしょうけどね。

ちなみに1221年に後鳥羽上皇が起こした「承久事件」は、「鎌倉幕府に反発して勃発し、北条氏によって鎮圧された」わけですから、上の定義からすればまちがいなく「乱」です。でも、ボクはやっぱり「今から35年前には日本史の教科書に『承久の変』と記されていた」と記憶しているんですよ。

きっとこの35年間のどこかのタイミングで、誰か偉い人たちが相談して「『承久の変』はやっぱり『変』じゃないよな」「今日から『承久の乱』と呼ぶことにしよう」と決めたんじゃないかな?と思うのですが、どうでしょう?誰か真実をご存知の方がいたら教えてください。


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