目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

誰の子も戦地に行かせたくない。

2015年09月19日 | 戦争法案だいはんたい
昨日は、戦争法案反対のスタンディングに息子と一緒に参加しました。
「母ちゃん、戦争法案反対してくるから、ホームセンターで父ちゃんと一緒に
うさぎ見てて、待っててね」と言ったのだけれども、
戦争法案反対なら、ぼくも行くと言って一緒に立ってくれました。

急遽、スケッチブックに赤いマジックで描いた「ぼくは戦争はいきたくない」という言葉は
息子を代弁した言葉です。





昨日は30人くらいの人がいました。結構な人数です。
息子は一緒に立ち続けてくれました。
大人の人は喜んでくれました。


スケッチブックの言葉を見て
「そうだよな、戦争になんか行きたくないよな」と声をかけてくれ、
「人殺しなんかするわけにはいかないよな」と言ってくれた。
そして「きみを戦争になんか行かせないからな」と言ってくれた。
たのもしい言葉に、息子はうなづいた。

「来てくれてありがとう、ありがとう」と何度も言ってくれた人もいた。

久しぶりに会った人もいた。
「ずいぶん、かっこいい男になったなあ」と笑いながら息子に言ってくれた。

息子の存在に、大人が励まされてくれたことが嬉しかった。

息子は何も声を発せられなかったられなかったけれども
「戦争になんか行きたくないよな」の優しい大人の言葉に、激しくうなずいていた。

そういうことなんだ。






最近、息子は何度も「戦争法案はどうなった?」と聞いてきます。

国会前に戦争法案に賛成するような議員は国会にはいかせない、と
車道に市民が寝て阻止したという話をしたら、
息子は驚き、そして笑った。「さすがだ」と言った。

できるだけ、現実と希望を見せられるように答えています。
とても難しいけれども、ここで安易な言葉を伝えるわけにはいかないから。
「だいじょうぶ」とは言っていません。
そうならなかった時に、傷ついてしまうから。
息子よ、こんな母親ですまないね。




子どもが見ている。
今、大人が示すべきものはなんだろう。

間違えないことはもちろん大事だけれども、
間違いを「間違いだ」と言って、
なおそうとすることのほうが、大人らしい。

人は「与えられるもの」だけでは暮らしていけない生物だから。
「つくりあげて」生きていく生物だから。



ここだけは外せない部分を見せないといけない。

私は大人だから、時に「しょうがない」という言葉も使う。
自分の老後が確実に不安なのも、消費税アップももしかしたら
「しょうがない」かもしれない。
行政のサービスが減少するのも、雇用体制が悪すぎる社会も「しょうがない」のかもしれない。

だけど、ここだけは、これだけは
しょうがない、という言葉は使えない。使っちゃいけない。

人が人を殺すことを、「しょうがない」でくくったら、
自分が殺されても、「しょうがない」ことになってしまう。
誰が殺されても「しょうがない」ことになってしまう。

人殺しを承認しちゃいけない。

生きにくい社会と同一視してはいけない。





周りの雰囲気にのまれたまま、「殺されたくない」と言えないままに、
自分の息子を戦地におくる母親にはならない。
娘と息子を産んだ日に、病室で涙を流しながら、誓ったんだ。
まさか、本当にその時が、こんなにも早く、くるとは思わなかったけれども、

誰の子も戦地に行かせたくない。

「自国民に、ふりかかる火の粉をはらうために自衛隊員があるのであって、
自分から争いの種をまくような、憎悪をつくるような行為をするために
私は自衛隊員になったのではない。」

元自衛隊員の人の言葉は大きく、苦しい。
命を守るために自衛隊員になったのであって、命をなくすために自衛隊員に
なったのではないのだと。
真逆に行為をさせようとしている今の政権に、どうかnoの声を「保持」し続けてください。

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