私はメンタルチャットの管理人

メンタルチャットでおこるさまざまな非日常

実家は

2023-08-21 17:31:57 | 日記
大阪のターミナル駅からすぐのところだが ラブホ街を通り抜けていくのが一番近い。大阪のラブホは夜はどうかは知らんが派手な電飾看板とか少なく地味なので 昼間抜けていく分にはあんまり抵抗は無い。で 法事で昼間に通ったんだが 30ぐらいのカップルがコンビニに入るように吸い込まれて行くw まだ朝の9時過ぎなんですが・・いいなー。午後にまた通ったら 長髪のいかにもホームレス風の白髪のじーちゃんが缶チューハイのロング缶片手に無言でしゃがみこんでる。それだけなら普通なのだが そのじーちゃんを白衣の救急隊が5人ぐらい囲んで ”じーちゃん 具合悪いんやろ?なんもせーへんから 救急車乗ろ?病院いかんでここでへたりこんでてもしゃーないやん?”と口説いてるw これも大阪。まあラブホが救急隊呼んだんだろうが 東京なら取り囲んでるのは間違いなくポリ公だろう。あたしは関西の人間だからだろうけど 大阪のそういう緩いところが普通やと。まあ東京の人から見ると下品・・で切り捨てられるんだが 関西人からみると しゃーないな・と。関西の大きな都市 京都・大阪・奈良と経験してるが どこでも違和感なく入り込めるが 名古屋まで出ると もう異民族。京都で普通に仕事してたが 名古屋の会社では上司と乱闘になった。みんな東京に憧れて出てくるが あたしは名古屋の会社で上司を袋叩きにして辞めた時に関西にはソフトの仕事が少なくて 親が国分寺にいたので 出てこーへんか? ソフトの仕事ならなんぼでもあるで~の甘言に騙されて出てきた。仕事欲しさに出てきたので都心というか 山手線内側にには興味が無くて中央線沿線の会社ばっかり。中央線て独自文化があって東京臭さがあんまりないので関西人にはやりやすい。住んだのも吉祥寺・国分寺・国立あたりで 繁華街はない。立川は戦前は陸軍の飛行場があって 今は自衛隊がいるし お隣の福生には米軍の横田基地があるので また気風が違うので無理。たまに遊びに行くなら東京もいいんだろうが あたしはもう何年も降りてないが吉祥寺が東の限界だ。結局 自分のスタイルに妥協しないなら住めるところは意外と少ない。今越したいのは京都だが便利のいいところまあ洛中はすさまじく高い。京都なら町屋に住みたい・・とみんな思うだろうが 京都で同僚が棟続きの町屋だったんで 隣が丸聞こえで階段は急でお風呂は無いw みんな近くの銭湯に行く。今の若い人達が京町屋に住みたい・・とか言うがあんな不便なもん・・て思うが あたしですらそれでも住みたいw 外から見てる分には風情があっていいけが 実際は大変だ。京町屋には走り庭があるが あれはおくどさんだけの為ではない。お便所が一番奥になるので 水洗化される前は あそこを肥桶かついだおっちゃんが通るので土間でないと無理。戦後は汲み取りのホースが通るがそれでも無理よね。で お風呂が無いので坪庭潰して小さなお風呂をつけてるところも多いが風が通らなくなる。エアコン設置するのも室外機の置き場で困るので 今の生活には極めて不便だ。お便所の関係で走りが要ったが 戦後水洗化が進むと走りを潰して部屋にできるのでみんなそうした。建具も木製からアルミサッシだ。襖もとっぱらって畳からフローリングにしたり 合板の仕切り壁こさてたりしてる。そういう築年数不明のお風呂もない がたがたの棟割り長屋が5千万から・・てもう話にならん。作詞家の麻生圭子さんは東京育ちの京町家暮らしてエッセイで洛中で京町屋を探す苦労を書いてられるが 洛中は売りがほとんどない。たまに出ても5千万以上とか 借地の上だったりするし 相続のからみがややこしくて借家ですら出てこない。麻生さんは借家にお金つぎ込んで潰してあった走りを復活させ エアコン無しで 研ぎ出しの流しに水屋にホテル用の小型冷蔵庫を隠して昔の京町屋を復元して暮らしてられるのでいいのだが 著作家の永江朗の そうだ京都に住もう・・なんか見てると 再建築できない洛中の家を買って 丸裸にして補修してから中をモダンに表だけちょい京風にしただけ。 解体してみたらホンモノの町屋だった・・とか騒いでるが あそこまでしたらもう都会の狭小住宅でしかないから 何思って あんなにぶっ壊したんやろ?と思う。麻生圭子は旦那が一級建築士てこともあり 自分で改築に手を出して数百枚の床板に漆ぬって痒くて死にそうとか旦那が便器の交換で抱えてるとこに 麻生のおかーさんが来て呆れたとか 自分で体使ってやってるからいいんだが 永江のはねぇ・・。あたしも京都の伝統工芸の職人が目標だったから 出来る限り不便で無い方がいいが 町屋の良さを潰してまでそうしたいとは思わん。あーでもエアコンだけは欲しいな・・とは思うw で 常に京都の不動産を見てるのだが たまたま上京で築43年1380万の中古建売が出た。15坪も無いだろうけど場所がいいとこなんで 見に行きたくて行ってきたのが 今回の京都行の目標の一つだ。まだ彼女の仕事があるから越せないんだが 安い理由の一つが再建築不可だ。棟割長屋の一軒だとそういうのが普通なのだからいいのだが 間取り図だけしかないが普通の建売ぽい。まあでも極端に安いのでなんかあるな・・とは思ったのでGoogleMAPのストリートビューで見ようとしたんだが前まで入れない。つまりGoogleのカメラカーが入れないのだ。現地を見て理由がわかった。幅2mくらで奥行き20mくらいの私道の奥に小さな総二階のモルタル塗りの2階建てが4軒くらい密集しててそのうちの一軒。隣との距離は2mもないだろう。北側はビルで東西は隣の家で塞がれ 南は良く見えないが南側の長屋の裏だ。4m以上の公道に面してないから再建築不可で 鉄製のベランダ(いきなり壁についてて足が無いw)は錆で真っ赤だ。それでもすぐに売れちゃったみたいだけどね。京都の洛中に住むのは三代以上の京都人と結婚して親の面倒を見る覚悟か お金持ちでないと無理なようである。麻生さんは旦那が京都の人で英国暮らしを経由して今は琵琶湖の畔だそうな。あたし?京都が好きなのはおばーちゃんらの会話が心地いいのと 一部を除いて夜は早い時間から 誰も歩いてないとこだ。だから町屋で無くてもいいんだよ。
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散々な1カ月

2023-08-21 09:51:15 | 日記
7月の始めに夫婦でコロナ同時感染して10日以上寝込んだのは前に書いた。二人ともやられたんで いくらかましなあたしが最低限の家事をしてたんだが 食べられないし 都合6キロ痩せた。彼女が忙しい盛りで7月半ばには祇園祭ついでに京都に行く予定があって 一カ月前からバスも部屋も押さえてたんだが これが彼女の仕事が押したんで半ば以降は納期が重なり休めない。まあ 仕事あっての遊びだし 祇園祭もどうせ行かないのでまあ それはいい。で 今度はお盆の足をなんとか押さえて 彼女の仕事のスケジュールも組みなおしてなんとかなりそうなのでよかったのだが・・ 今度はあたしの心臓がやばい。6年前に急性大動脈解離で死にかけたなのも書いたが 東京は毎日35℃を超え病み上がりなんで体力がガタ落ちだったのが原因の一つだろうが 背中から心臓掴まれて握りつぶされそうな痛みが30分くらい続く症状が出始めた。毎日ではないのだが一日に数回くることがあり これでますます疲弊。夏が終わると大動脈解離でお世話になった病院で年に一回の大検査があるのだけど 日常かかってる循環器に相談したら近く大検査があるなら様子を見ましょう・・と降圧剤を少しだけ増やされた。で 8月は実家で法事があるので これは行かないわけに行かない。直前までバスの確定を遅らせたのだが あんまり大きなのが少なくなったんで行くことに決定した。行ったら今度は台風7号で大混乱になり 帰りの足は確保せずにずらせば・・と思ってたので これまた取れない。取れるようになった時には今度は8号で東京直撃・・とか言うので実家ということもあり 空いたら帰ろうと・・というわけで戻ってきたのが昨日の朝。京都は用事 まあ粽の返納と墓の件と売り物件のお安いのが出たのでそれを見に行ったくらいで 遊びに行ったわけでは無いが 京都も東京以上に暑い。体力が落ちまくってるところにこれではもう部屋に籠ってるしかないわけで 実家でもほとんど外に行かず わけのわからん真宗高田派のお経につきあわされたくらいだ。7月の後半は もう今年の夏は越せんだろうな・・というぐらいにボロボロだったんでアレだが。メンタルもそうだが 身体的な病気も死ぬほど辛い・・というのを再確認した今年の夏だった。ありがたかったのは チャットのメンバが心配してるか生存確認か知らんが電話してくれたことだが 体がボロボロなうえ メンタルまでボロボロなんで出る気力もなく放置してた。ごめそ。大分戻ったんで今日から再開しますわ。
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