京都3日目の夜にも弟と食事したんだが おにーさん何食べます?というので困ったわけ。前日病み上がりにもかかわらず調子にのって呑んだので お腹の調子が悪い。なんでもいーよーとか言ってたんだが 弟の息子 まあ甥があたしが来てるなら会いたい・・と神戸の仕事先から来た。で 三人でどーする?と顔つき合わせて相談した結果 ラーメン行こう・・という話になったわけ。弟がここが美味しいといので京都五行・・って店に行く。柳馬場通蛸薬師下がるだから錦の外れからちょいと上がったところである。で 行ったのは8時過ぎなんだが 町屋を意識したお洒落な外観はいいが 何組か外で待ってる。ウェイティングリストに名前書いて15分くらい待っただろうか。その間 外から見える厨房では盛大に炎が上がってる。わけわからん。やっと席が用意できました・・って2階の席に通されたまではいいが ディナータイムなのでお通し400円になります・・とか言われた。はぁ?左右のカップルもラーメンしか頼んでないのにお通し? 後で知ったのだが ここ博多一風堂の業態転換のラーメンダイニング 要は居酒屋+〆がラーメンて形態らしい。あたしは最初の店はまずは看板商品を大盛りにするのが常なので 焦がし味噌890円+麺大盛り110円でオーダー 弟は焦がし味噌のスペシャル 甥はとんこつのスペシャルだ。どちらも1290円?だったと思う記憶が曖昧ですまぬ。あたしの分はきっちり890円+110円で1000円て覚えてるんだけどね。でだスペシャルにすると お通し入れて1690円 もうラーメンの値段じゃない。あたしでも1400円 やっぱり頭おかしい。で 普通とスペシャルの違いはチャーシューが3枚多いのと煮卵が1個多いだけ。うーむ・・と思う。麺は硬めのストレート スープは焦がし味噌であっさりなんだがこくはあるけどねぇ。 この値段じゃなぁ・・それに大盛りなのに麺が少ない。なんかラーメンでお通しってだけでむっとするのに キャベツと豚バラを煮ただけのがちょろり・・せめてラーメンだけの客はお通し無しにしろよ・・って思う。もう2度と行かないと思う。ラーメンマニアの方には悪いが あの値段出すならもっと美味しいお店はいくらでもある。人の足元見やがって嫌な商売するなぁ・・と思ったのだ。
河原町OPAから河原町通りをはさんで東側を見ると ぎょっとするような光景が目に入る。若い女性中心で30mもあろうか・・という行列である。四条河原町から少し上がったところなんで なんでこんな所に行列?といぶかしげに思ったのだが 東側を通って見たところ MACCHA HOUSE 抹茶館・・という和スイーツのお店らしい。店の脇に中岡慎太郎の石碑なんかあるんで 京都らしいなぁ・・と思いつつも 調べてみたら経営はアジア中心に抹茶メニューを出してるチェーンの京都店らしい。というわけで経営母体は日本じゃない。香港やシンガポールにもあるらしく 日本文化の逆輸入らしい。で みんなスマホをにらみながら小雪舞う河原町通りで行列してるわけ。かなり異様な光景である。トイレどーすんだろ?という心配は大きなお世話か・・少し前は八坂さんの前の辻利のカフェの抹茶パフェ目当ての行列があったりして まあ辻利だから美味しいとは思うが並んでまで食べるものか?といぶかしげに思ったものだが こちらの行列はそれより長い。それも真冬である。まさか抹茶パフェ?と思ったら違うようで 抹茶ティラミスらしい。情報が古いか知らんが ググってみたら宇治抹茶ティラミスと抹茶のドリンクセット(税込918円・宇治抹茶ティラミス単品では税込594円) らしい。長いときは100mの行列で3時間待ちだったらしい。全部で24席しかないから そりゃ待つだろうな・・と思うが・・わからんw 食べログなんかにも掲載されてるが 星3つ半くらいなんで そんなに美味しいわけでは無いらしい。まあ 地元の人は行かない観光客専門なんで それでもいいだろうがw 四条の都そば(先にも書いた立ち食いの蕎麦やだ)ならカウンターが空くまで待つけど 抹茶ティラミスくらいで100mってあり得ん。まあ出町ふたばも並ぶけど(昔はもっと短かった)あそこは並んでも買うだけなんで 普通にうざったいなぁ・・と思いながらも並ぶけどw まあ あたしもよそさんだけど 観光京都ではないので どーでもええやん・とは思ってるが わざわざ京都まで来て 延々と並ぶ元気はあたしには無い。うpされてる画像を見る限りはインスタ映えする代物だが それなら他に行くべき店はある。あたしは最終日に他でランチしてきたが 格式は高いのにカジュアルでおまけに料理は美味しくリーズナブルな価格である。ここに書くと行列ができそうなので書かないけど 地元民が使う美味しいお店は他にもいっぱいあるのに ネット情報に振り回されてる人たち・・ってちょっとかわいそうだなぁ・・と思うのである。どうせ行くなら 百万遍のハイライトの方がいいよ・・って こっちはただの定食屋だけどねw
京都のバスである。まあ どこ行き・・という表示はあるけれど 地元の人はみんな系統で呼ぶ。例えば下鴨神社に行きたければ205系統とか ぐるり回りたければ206系統。206系統で京都を巡るのは鷲田清一氏の京都の平熱を読めばわかるので ここでは割愛する。京都市バスは 一日乗車カードってのがあってこれを買えば最初の乗車時にカードを通すと裏面に日付が印字されて2回目からはこのカードの裏を見せるだけで一日乗り放題である。これが1枚500円なんだからすさまじくお得である。まあ3月からは600円に上がるらしいけど 通常運賃が230円なので 3回乗れば元が取れる。さて京都は東京みたいに大きくない。なので 庶民の足はバスである。地下鉄もあるにはあるが南北に走る烏丸線と東西に走る東西線の2路線のみである。東西線は三条から南にいって伏見まで行くので 東西のみ・・ってわけではないのだが。あと意外とJRの影は薄い。大阪出るには京阪か阪急である。京阪は出町柳から 阪急は四条河原町から 500円くらいで大阪に出れる。嵯峨野に行くなら 嵐電 鞍馬や貴船なら叡電である。まー電車はどうでもいい。京都の市バスは障害者に優しい。そもそも車体がエアサスなので 乗車時には左に傾くのである。中乗り前降りだ。それも降りる人がある程度降りないと 乗り口のドアは開かない。で 車椅子の人とかいると運転手が降りてきて 乗り口にスロープをセットする。乗り込んだら椅子を畳んで場所を確保して スロープ外してまた前から運転席に戻って それから発車だ。みんな普通にそれを待ってる。で 当然優先席はあるのだが 他の席でもお年寄が乗ってくると みんな席を譲る。それも自然に立ってどうぞ・・ってやるわけ。東京ではあんまり見ない光景だが 京都はお年寄りを大事にする。譲られた方もにっこり笑っておおきに・・で座るわけだ。いい光景である。どれだけ混んでいても どれだけ空いていても優先席は必ず空けておく。これも京都だ。よそさんは座るがw あたしは このさりげなく譲るができないので 空いていても立ってるけどね。で 行き先表示は車内の前と中ほどに2個ある。これも優しい。あと自動音声で次の停留所のアナウンスは流れるが 運転手がマイクで復唱する。で お降りの方いませんかぁ?と聞いて いなければ通過しますー・・とまたアナウンス。信号で止まったりすると 停車しますーとか 動き出すときには いごきます・・これも京都らしいんだが 動きます・・という人もいるが いごきますーと訛るのであるw なんで京都の市バスは誰にも優しい。京都バスは乗ったことがないのでわからんけど 市バスでほとんどの用が足りてしまうのである。そんなところも京都が好きな理由でもあるのだ。
東京は快晴。冬の澄んだ空気が気持ち良い。多摩丘陵の先に環雪した富士山が綺麗に見える。と言っても富士山は嫌いなんだがw 遠くに山が連なって見えるのは気持ちの良いものだ。3泊5日の京都から帰ってきて少し考え方が変わった・・というか・・東京は好きではないが 今の部屋は好きなのだ。前にも書いたが うちは転勤族だったので故郷と呼べる地は無い。子供の頃 一番濃密だったところが三重県の津である。まあ 生まれ育った土地でもあるわけだが。そこの伯母の家があたしにとっての故郷の家だったわけだが 都市計画で立ち退きになって 伯母は岐阜に 家は取り壊されて更地になった。更地になった土地を見て ああ もう津には帰るべき場所は無くなったのだな・・一生根無し草なんだな・・と寂しかった。九州や奈良 浜松と官舎を転々としながら 心の中には津の伯母の家があった。長い休みは必ず津にいたのである。で 津の橋北中学に転校する。伯母が親代わりである。そこから通いながら津高って まあ県下一番の進学校に入るわけだが 結局そこでいろんなことに首を突っ込みすぎて退学にはならなかったものの ドロップアウトして普通のコースからは外れるわけである。青年よ 荒野を目指せ・・なんだがw。まあ当時はそれが格好良かったのだが 今思えば単なる落ちこぼれw 社会的には負け犬なんだが そこは若さ故の無謀さがある。この高校時代に出会ったのが今の嫁はん。京都に出て彼女は立命だったが あたしは この期に及んで未だに人生の方向性が決まらない。予備校行きながらバイトして京都の生活が始まる。ここで人生初めて自分で道を選ぶことになる。手描き友禅の職人を目指してたが 結局当時最先端だったコンピュータプログラマの道を歩き始める。結局この仕事で何十年も食うことになるとはその当時は思わなかったが 学校の勉強は楽しかった。まあ専門学校だが母校だ。学校は三条にあって学校が終わるとJazz喫茶にたむろしてた時期だ。母校はバブル期に経営失敗して無くなっちゃったがw その頃からである。あたしの故郷は京都だ・・と思うようになったのは。当時の京都は学生の街である。大学も洛中にいっぱいあって石を投げれば観光客より先に学生に当たる。そういう街だったのだ。まあ そこで4年近く過ごして京都で就職したかったが 当時の京都にはソフトウェアの仕事は無い。で 色々あって名古屋のソフト会社に入社するも肌に合わず 創価学会の上司ともめて飛び出して 当時親が東京でスイス大使館にいたから 調べてみたら 東京では山のようにソフトの仕事がある。で 食うために東京に出てきた。気がついたらもういい歳だが 仕事は楽しかったし 部屋も買ったし好きな車にもバイクにも乗って 全国あちこち行って いろんな人と出会い 嫁はんとも楽しくやって充実した人生だったわけだが 心の中にはいつも若かったあの頃の京都があった。去年倒れて大手術して7%の確立で生還したが仕事はロストした。で そこで思うわけである。どうせいつかは死ぬ。なら故郷に帰ろうではないか・・と。死ぬなら京都で・・って思うわけ。大手術して成功して生きてるけど いつこけるかわからん。普通の人みたいに天寿をまっとうできるわけじゃないし。で 京都西陣に戻りたい・・って部屋探しに行って 今の京都を見て ああもう昔の京都では無いのか・・って思って今回帰ってきたわけである。京都は盆地だ。山が近い。土地が狭いし家が密集してるが 条例もあって町並みに統一性がある。京のイケズと言われるが人の距離が近い。それに自転車があれば 街の端から端まで行けるコンパクトシティである。なんで密度が高い。対して東京はでかすぎる。で 規制が緩いので多種多様な建物があるうえ 個として確立されすぎで一体感が無いというか密度が薄い。あたしが 今の部屋以外の東京の街が好きになれないのはこういう理由からだ。でも京都から戻ってきて新宿でバス降りて あー東京らしいな・・と思うものの中央線乗るとなんかほっとするのも事実だ。吉祥寺までは東京のごみごみした風景が車窓に広がるもののそこから先は あたしのテリトリーだ。結構のどかな東京の郊外。通路から奥多摩や丹沢の山並みが遠くに見えてこれもまたいい。京都での部屋探しはまだ続くのだが 東京の部屋もありだな・・と思わせる多摩っ子なのだw さて年があけたら 精神科と循環器 2月には心臓の定期健診が控えている。いつまで生きれるかわからんが とりあえず濃い2年は生きた。最後は京都で眠りたい気持ちは変わらんけど 来年はどんな年になるのかちょっと楽しみなのだ。今年もあと2日だ。